[8] 6.お釈迦様の「悟り」とは |
- 信天翁 - 2023年01月07日 (土) 16時38分
6.「悟り」といえば、まず思い出すのがお釈迦様の「悟り」です。
長い年月が経ったために、このお釈迦様の「悟り」というものが、どのようなものであったかが全く分からなくなってしまっています。
でも、以上述べた「悟り」というものの内容から見ると、彼の悟りの内容が良く分かるような気がします。
1.人生は、結局「苦」だと観じた。
肉体が自分だと思って、この世限りだと思えば、この世に「幸福」はありません。
どんなに健康であっても、いつ病気になるかも知れません。
また、誰でも、死を免れることはできません。
どんなに経済的に繁栄しても、この短い人生が終われば、それまでです。
この世が全てだと思えば、この世には真の幸福は無いと思われます。
そのために、人生に疑問を持って、29歳で出家したと言われています。
そして、7年間の間、厳しい肉体行をしましたが、悟れませんでした。
肉体が自分であると思えば、肉体行が、悟りの近道だと思うのは当然かも知れません。
しかし、いつまで経っても、心の苦しみは取れず、取れる見込みも感じられなかったため、肉体行を止めて、大きな川の側の木の下で、過去の人生を振り返っていたと伝えられています。
朝早く、村娘な歌声が聞こえてきました。
「弦の音は、強く締めれば切れてしまい。♪ 弦の音は、緩く締めれば音色が悪い。♪弦の音は、中程に締めて音色が良い。♪弦に合わせて歌えや歌え、弦に合わせて踊れや踊れ」
この歌を聴いたときに、出家前の安逸な生活の中にも、厳しい肉体行の中にも、悟りはなく、「中道」の中に、真実の道があったことに気がついたのです。
そして、この「中道」という基準で、今までの人生を振り返り反省し、その結果、現在の意識が浄化されて、生まれる前の本当の自分の意識と一体化したのです。
生まれる前の彼の意識は、大宇宙と一体化した最高レベルの意識でしたから、この時、彼は大宇宙と一体化したのです。
従って、彼が、村娘の歌を聴いて「忽然と」悟ったというのは間違いです。
それほど長い期間ではなかったと思いますが、①一定の基準を基に過去を振り返ったこと②これによって心が浄化されたこと③心が浄化されることにより、生まれる前の本当の自分の心に還ったこと、という事実があったことを忘れててはならないと思います。
私が語る悟りのための方法は、今までのやり方とかなり違うかも知れません。
しかし、お釈迦様が説かれた「四諦八正道」こそ、この世に生まれる前の本当の自分の心に還る道であったと思います。
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