[39] 37.悟りと仏教②「沙門果経に見る仏教の問題点」 |
- 信天翁 - 2023年01月22日 (日) 18時49分
阿含経という原始仏典の中に 「沙門果経」という経典があります。
マガダ国の国王が、お釈迦様の元を訪れて、出家の功徳について質問し、その回答が書かれています。
お釈迦様は、三つの功徳があると説かれています。
①戒律を守る事による功徳 ②瞑想をする事による功徳 ③観じる事による功徳
この経典には、大きな問題点があります。
まず、①と②のみが異常に詳しく書かれ、③のみが簡潔に書かれている事です。
しかも、②の瞑想は、四禅定とか「非想非非想処定」とか書かれていまして、普通の人は一生かかっても出来ないような境地です。
これは、お釈迦が以前仕えて修行した行者が目標とした境地で、お釈迦様は半年でこの境地に達したので、自分の後継者になって欲しいと言われたが断って、自分のみちを進まれたと言われています。
このような境地に普通の人間が一生かかってもなれるわけがありません。
これでは、瞑想自体が悟りの目的と誤解されてしまうと思います。
しかし、①の戒行と②瞑想は、私は悟りのための準備体操みたいなものだと思います。
そればかり一生精進しても、悟ることは出来ません。
最も重要なのは、③の観行のうちの反省行であり、お釈迦様は、それを説かれたはずなのに、意図的にそれを欠落しているのではないかと疑われます。
大体、この沙門果経そのものが、非常に知的に書かれている点で説話風が多い阿含経の中で違和感があります。
以上のとおり、八正道の要である正定(反省)が正しく伝わっていないことが、悟りが分からなくなった原因であると思われます。
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