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短編リレー

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[435] 憑き物を落としてください(ティルヴィアンネ&しぐれ)−8 ちいさなちいさな みなみのしまで だいはちわ
周防 松 - 2006年11月18日 (土) 23時55分

森の中を、息を殺して歩く。

草むらの陰に身をひそめたり、木の幹に体をぴったりつけて気配を押し殺したり、なかなか先に進めないのが辛いところだが、ウロウロしている魔物たちに見つかるよりはマシである。
一匹や二匹程度なら、戦って勝てないこともないだろうが、それが続けばさすがに疲労もするし、その分危険も増す。
魔物だらけの場所で、疲労で倒れるわけにはいかない。
そういうことで、二人は魔物をできるだけ避けて行く方法を選択したのだった。

時折、心臓が飛びあがりそうなほどの近距離で遭遇することもあったが、幸い、草むらの影でじっとしていれば、彼らは気付かずに去っていってくれた。


――不意に、ティルヴィアンネが顔を上げた。

「どうかしましたか?」

不思議そうな顔をして、しぐれは彼女を見る。

「何か、聞こえませんでしタカ……?」
「ええ?」

言われて耳をすませてみるが、特に変わった物音は聞こえない。

「……僕には何も……」

頭を振って、しぐれはハッとした。

「どんな音が聞こえたんですか?」

もしかしたら、魔物が近付いているのかもしれない。
そう思うと、しぐれの表情はたちまち緊張して強張っていく。

ティルヴィアンネは、小さく首を横に振った。
そして、目を閉じる。

「いえ、危険な匂いのする音ではないのデス」
「じゃあ、一体……?」
「そう……なんというのか、犬の遠吠えに似ていた気がしマス」

思いもしなかった答えに、しぐれはきょとんとする。

「犬?」
「そう、犬デス。とてもとても悲しい声デシタ」
「村の誰かが飼ってる犬が、逃げたのかな……」

誰か、犬を飼っていただろうか。
自分で発言しておきながら、しぐれは首を傾げた。
頭のどこを探ってみても、そのような記憶がない。
犬はうるさく吠えるから、気付かないはずがないと思うのだけれど。

「それは、わかりませんケド……」

ティルヴィアンネはしばらく悩む様子を見せていたが、そのうち、「急ぎまショウ」と言って歩き出した。


そのまま進み続けると、不意に、視界が開けた。
日の光が目に刺さり、しぐれは思わず眼前に手をかざした。
やがて目が慣れてきて、まばたきしながらゆっくりと手を降ろしてみると、そこには小さな泉があった。
水面が鏡のように太陽の光を跳ね返していたため、あんなに眩しかったのだとしぐれは気付いた。

「泉……デスネ」

しぐれの前方にいたティルヴィアンネが、ポツリと呟く。
東の森の中にある泉。
ここは普段、村人たちが水浴びに利用しているという。
ここだけが魔物に蹂躙されずに残っている、という雰囲気さえ漂わせる。

「ここが、例の泉ですよね……」
「そういうことになりマスネ」

泉の近辺に視線を巡らせると、今二人が立っている場所から見て一番奥の方に、何やら犬小屋のようなものが見えた。

「あれ、ほこら……デスネ」
「え、犬小屋じゃないんですか?」
「私は目が良いデス。ちゃんとわかりマス」

うーん、と難しい顔をしながら、しぐれはじっとその方向を見つめる。
……しかし、しぐれの目にはどう頑張ってもほこらなどという立派なものではなく、粗末な犬小屋にしか映らないのだった。
とにかく近寄って見てみよう、と一歩踏み出した、まさにその時である。


ぉぉぉぉぉおおおおん……。


しぐれは、右耳を押さえた。
聞く者に物悲しい感情を伝える、犬の遠吠えのような声が聞こえた。
幻聴だろうか?
思わず、ティルヴィアンネを見る。
……彼女の表情は、今の声が現実のものだと伝えていた。

「今の……って?」
「また、聞こえまシタ」
「またって……それじゃ、さっきティルさんが言ってた『何か』って、これだったんですか?」
「ハイ」

確かに、先ほど彼女が言っていた通り、聞く者に悲しみを伝える。
しかし、一体どこから聞こえてきたものだろうか。
キョロキョロと辺りを見回して見るが、犬とおぼしき影はない。

「どこから聞こえたんだろ……」

「「あっ」」

二人は、ほぼ同時に小さく声を上げた。
目の前に、シュタッ、と黒い影のようなものが踊り出たためだ。

「ステッペンウルフ!?」

しぐれは警戒して叫ぶ。

「違いマス。犬デス」

ティルヴィアンネは落ちついていた。

そう言われてよく見れば、四つ足のそれは毛足の長い大型の黒犬に見えないこともなかった。
ただし、手入れをすれば美しいだろう毛並みは汚れてしまい、あちこちで毛玉を作っている。

「どうして、こんなところに犬が……?」

もしや、先ほどの遠吠えの主だろうか。
しぐれはそう思い、数歩歩み寄った。
もし、この犬が誰かの飼っているもので、逃げ出しているものなら、捕まえてあげないといけない。


ウルルルルルル……。


黒犬は姿勢を低くかまえ、敵意と黄色い牙を剥き出しにしてうなる。
逃げた飼い犬ではなく、野良犬か何かだろうか、としぐれが考えていると、突然黒犬がひらりと身を躍らせた。

「うわ!」

何がなんだかわからなかった。
あっと思った時には、しぐれの体は地面の上に押し倒されていた。
眼前に、剥き出しの黄色い牙が見える。

「わ、わ、わ、わ」

怖いのと驚いたのとで、しぐれは完全にパニックになっていた。
足をばたつかせ、犬の鼻先を押さえて牙から逃れようとする。

「しぐれを離しなサイ!」

ティルヴィアンネが、しなやかな手で黒犬を振り払うように一閃する。
パニックに陥っていたしぐれは気付かなかったが、その指先の爪は、獲物を捕らえるがごとく鋭く尖っていた。

黒犬はその爪を避け、サッと風のようにしぐれの体から離れると、驚いたことに泉の上に着地した。

「……ただの犬じゃない、デスネ」

転がったままのしぐれを抱き起こし、ティルヴィアンネは警戒した眼差しを向ける。
しぐれはと言うと、目の端にうっすらと涙を浮かべ、腰を抜かしていた。


許さぬ……。


黒犬の口から、言葉が紡がれる。
次から次へと起こる現象に、しぐれは今気を失えたら幸せかもしれないとさえ思った。


許さぬ、許さぬ……ッ

よくも、我が主人を見捨てたな……

食料も水もなく、森の奥へと追いやられ……
這いずりまわるようにして、ようやっとこの泉まで辿りつき……
水ばかり飲み続け、寒さにこごえて次第次第にやせ衰えて哀れな姿に変わりながら……
かたわらの我に変わらぬ優しさと情けをかけ続けた……

我が主人の、その悲しみと絶望とが、お前達にわかるものか!!
我のこの嘆きと苦しみと悲しみとが、わかるものか!!


「な……っ、何をっ」

頭の中をしつこく支配する混乱を振り払いながら、しぐれは神経を通常の状態に戻そうと努力していた。


「待ってくだサイ」

毅然とした態度を取るのはティルヴィアンネである。

「しぐれも私も、この島の者ではありまセン。事情があってこの島へと流れついただけデス。……話してくれまセンカ? あなた方の事情が、知りたいのデス」

――長い間、黒犬とティルヴィアンネは見つめ合った。


ふん……いいだろう。
お前達は村の連中ではないようだからな……。


黒犬は、二人を一瞥すると、前足をそろえて座りなおした。
もしこの場にノランがいたら、果たしてこの黒犬は話そうと思ったのだろうか?
しぐれは、身震いした。


黒犬は、飼い主の男とともに海原をさまよい、この島へ漂着したのだという。
やがて気付いて駆けつけてきた村人たちは、最初、男を助けようとしたという。
しかし、村長が医者を連れて現れると、状況は一変した。

『この男を村に置いてはおけぬ』

――男は、当時、不治の病と言われた病気にかかっていた。

ともかく、村長の一声で、それまで大人しく善良だった村人達は棒きれや農作業の道具を用いて、男を東の森へと追いたてたのだという。
男は、病に冒され日々弱っていく体を引きずりながら森をさまよい、やがて泉に到着した。
そして、泉の水を飲んで空腹を紛らわせながら、ゆっくりと死の行進を進めていったのである。
しかし、彼は手近な位置にいた黒犬を殺して食料にするなどということはしなかった。
さっさと殺して、その肉を食らえば飢えをしのげたというのに。


我が主人は骨と皮ばかりになりながら、私に優しさを見せていた……
もうすぐ死に逝こうとしているのに、私を一人ぼっちにするのがツライと嘆いた……

誰一人、我が主人の死など省みぬ!

だから……連中に罰を与えてやったのよ!
自分たちの生活のために我が主人を見殺しにしておきながら、そのことを全く省みぬ罪深き連中……
それが、どうして主人と同じく『人』だというのか?
あんなものは、『人』でいる資格などない。
獣だ。
生きるために他の命を踏みにじる獣だ。
我はそれにふさわしい体に変えてやったまでのこと……!


「そんな……」

しぐれは、その場にへたりこんだ。

(そんな、村の人達が……とてもそんなことをするとは思えない……)

自分のことを遭難者だと思って、声をかけてきたゴンじい。
ご飯を作るのが得意で、活発なエシル。
寡黙だけど性根の優しいノラン。
すれ違ったり、遠くから見かけたりした村の人達。
思い出す顔思い出す顔、全ては平和な日常の似合うものばかりだ。
それなのに、それが嘘なのだろうか?

しぐれは、エシルが『自分も行きたい』とごねた時に、突然怒鳴り声を上げた村長のことを思い出していた。
これを、隠したかったのだろうか。
村人を守るために、一人の人間を見殺しにした……その暗い部分を。

「……でも、あなたは元々、犬のハズ」

ティルヴィアンネの緊迫した声を、しぐれは初めて聞いた。

「それがどうして、そのような力を手に入れたというのデス?」


ふん……
我は一度、死んだ身……
しかし、無念で無念で魂までは死にきれず、残っていたのだ……
我が主人のことを思えば、安らかに眠る気持ちになどなれようかっ!
我は、よほどその念が強かったのだろうな……
ほこらにまつられていた泉の精霊を食らい、取りこむことができたのだからな……


「なんですッテ!?」

ティルヴィアンネが目を丸くする。

村人たちが獣化した理由はわかった。
この黒犬が、見殺しにされた主人を思い、復讐に走った結果なのだ。

……しぐれは、悲しくて悲しくてたまらなかった。


一体、誰が悪いのだろう。

村長がしたことは、村のためを思ってのことだ。
そうしなければ、病気で村人が全滅していたかもしれない。
彼には長として、村を守る義務があった。

黒犬がしたことは、その見殺しにされた男を思うが故のことだ。
最愛の者が受けた仕打ちに対して、黒犬が抱いた感情は、ごく自然なもののはず。
村人を恨まずには、いられないに違いない。


一体、誰が悪いのだろう。


――いや。

「……誰も、悪くない……」

小さな小さな声で、しぐれは呟いた。




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


長い!!
でもあと四話しかないって気付いたら、無理にでも進めなきゃと思ってー。
ささ、黒幕のわんこ登場させましたよ。
まとめに行きましょう、ケンぼん。



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