| [277] 「あなたを救う旅」 ◆5◇ |
- 小林悠輝 - 2004年12月09日 (木) 22時28分
砂に足を取られた。波打ち際を走るのを思い出しながら走り続ける。ひどく暑くて、のどが渇いた。それでも走った。 果てがないなんて信じられない。走って辿り着けるはずがないこともわかっていたけれど、ただ走りたかった。
他にどうすればいいの? 彼以外に答えてくれる人はいないけど、僕は彼からも逃げようとしている。
走り出したのは咄嗟だった。逃げようとした、はっきりとした理由も思い出せない。 だけど、僕はこの砂漠が恐ろしい。彼のようになるのが恐ろしい。彼が恐ろしい。もしかしたら優しいのかも知れない彼が、本当はもっと違うのかも知れないと思うと。
僕は、この砂漠がどこまでも続くことなんて望んでいない。 終われ、もう終われ、僕は帰りたい。
必死にあの町の景色を思い出す。
白い漆喰が空と海の青に鮮やかな町並み。 潮の香り、うみねこの声。
港に訪れる巨大な船の美しさ。 立派な帆の貨物船、白い優美な観光船――
――海賊の黒い船。叫び声、突きつけられた剣の切っ先。
「……ッ!」
足首に残った痣が枷の重みを思い出す。 転びそうになって、手をついて、砂は熱くて手のひらが焼けそうになった。
めまぐるしく色を変える砂丘が無秩序に並んでいる。 砂嵐が吹き付けて顔を庇った腕に当たって汗でへばりついた。砂漠が悪意を持って僕の邪魔をしているように感じる。 慣れない砂地を走り続けるうちに息が切れて、ひゅうと肺が鳴く音が喉から漏れた。
もうだめ、だ。 もう走れない。
座り込みそうになるのを我慢して立ち尽くす。 足元には熱砂が広がっている。さらさらと細かい粒子が、冬の海から立つ霧のように立ち上ってパステルカラーに染まっていく。霧と違って砂は熱を帯びていた。
「――――」
風の音にまぎれて彼の声が聞こえた。振り返ると地平の果てまで続く砂漠が広がっていた。 象のテティスも、彼の黒い服も、どこにも見えない。 逃げ出して、逃げることができた。海賊から偶然に解放されたときよりもずっと簡単だった。彼は僕を捕まえてたんじゃない。僕はいつでも逃げることができたんだ。
だけど、逃げてどうすればいいの……? 一人ぼっちになってしまったら、僕は――あの、倒れていて、彼のようになってしまった男と同じになってしまうのかも。あの人も、僕みたいに迷い込んだ一人だったのかも……
ねぇ、どうすればいいの!? ここはどこまで続いているの?
膝ががくがくと震えて今にも力が抜けそうだった。 だけど足元の熱い砂がこわい。歩き出すと違う方向に行ってしまいそうでこわい。 ここで立ち止まっていることしかできない?
――ざあっ
視界の隅で、砂がざわめいた。波の下を巨大な魚が通るように、砂が盛り上がり、移動していく。 僕の右側から、正面。正面から左側。左側から後ろに……
「え?」
砂の下に何かがいる……? サメと同じくらいの、何か。風で砂が吹き散らされて、ちらりとその体が見えた。
岩だ。 岩でできた魚だった。 刃物みたいに尖って、細長い、市場によく並んでいるので見覚えのある魚を、ずっとずっと大きくしたような。それが砂の中を泳いで僕の周りを回っている。
ぐるぐると回りながら、少しずつ近づいてくる。 魚が通ったあとはすぐにわからなくなってしまうけれど、気のせいじゃなかった。
この砂漠は……
大きな魚が迫ってくる。 逃げようと思っても足がすごく重くて、きっと間に合わない。見えない枷が僕をここに縛り付ける。

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