| [259] 「あなたを救う旅」〜心のかけら探し〜 2 |
- 葉月瞬 - 2004年12月02日 (木) 01時12分
「これは、命の魔法だね。禁忌の魔法だよ。なんで、こんなもの使ったんだい」
あの光が弾け飛んで、マロウが意識を手放した直後、私は母さまにマロウを見てもらおうと直ぐに家の中に入れたのです。白いシーツをあつらえた木製のベッドに横たわった彼は、薄っすらと目を開けてはいましたが、完全に心此処にあらず、といった風体でした。まるで硝子玉のような瞳で、じっと私を見詰めているけれど私が映っている筈なのに、何の反応も示さないのです。私はただただ、彼の手をぎゅっと握り締めている事しか、出来ませんでした。 ラフレシアさんはというと、あの後、何を思ったのか肩を小刻みに震わせると途端に後ろを振り向いて、その場を走り去って行きました。その白くてきめの細かい頬にはきらりと光る物が見えた――様な気がします。やはりあの人にも良心があったのです。
「……………………けているね」 「え?」
私は、自分の思惟[しい]に浸っていてまるで母さまの話を聞いていませんでした。 今、なんて言ったんですか? 母さま。 私が何の気なしに不思議そうにしかし、もう一度話をしてくれるよう催促する目で見詰めていると、母さまはその黒いローブの裾を苛立たしげに払い除けて言ったのです。
「あんた、ちゃんと人の話し聞いてるのかい? いいかい? もう一度だけしか言わないからようく聞いておくんだよ。マロウはね、心を砕かれているんだよ。お前、魔法が発動してこの子に当たった直後、何か見なかったかい?」
え? え? 何の事? 私……あの時何か見た? 必死に思い出そうとして、思考のループに嵌って、でもそんな私を母さまはじっと我慢強く待ってくれています。ありがとう、母さま。 私は半分回らなくなって来た頭の隅に、何か引っかかるものをやっとの思いで発見する事が出来たのです。 何か引っかかるもの――それは、記憶の糸口でした。あの時――マロウが魔法で倒れた時、私ははっきりとこの目で見ていたのです。マロウの心が砕けて、体から光の塊達が四方八方に飛散していくのを。 私はその事を、たった今思い出した事を、母さまに告げました。 それを聞いた母さまは疲れた時にするように、一つため息を吐くと言いました。
「……やっぱりね。心が砕かれて、何処かへ飛び去っていってしまったようだね。探しに行くしか……無い様だね」
母さまは、そこで一旦切って不安げな私の顔を覗き込むように見ると一つ咳払いをして続けて言いました。
「仕方ないね。そんなに不安な顔を、するんじゃ無いよ。ワシも一緒に付いて行ってやるから……」
少し不安げに涙を零していた私を、慰めるように言ってくれたその一言が、とても嬉しいです。 嬉しさの余り、私はまたまた大粒の涙をボロボロと零してしまいました。これは嬉し泣きという奴です。母さまの気遣いが、私にとってとても有り難いものでした。
「ほらほら。もう泣くんじゃないよ。ホントに泣き虫なんだからねぇ。この子は」 「……でも……だって……」
涙が止め処も無く流れ出ます。どうしましょう。 母さまは咽び泣く私をいとおしむ様に言ってくれました。
「しょうのない子だねぇ。ほら。心のかけらを探しに行くのは明日にするから、今日はもうおやすみ」
そう言って、母さまは部屋から出て行きました。後には、何時までも咽び泣く私と、硝子玉のような瞳をただあけているだけのマロウが残されました。
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「お前、あきれた。あれから一晩中泣いていたのかい?」
翌日。朝起きて開口一番、母さまは私に言いました。 私の、赤く腫れた瞼を見ての事です。 私はいつもの通り朝食の支度をして――パンとミルクと少しのチーズという質素なものです――母さまが起きて来るのを待ちました。 そうして、母さまが起きて来ていつもの席に座ると、朝食が始まるのです。 いつもと同じ風景。 でも一つ違う事は。 マロウが私のベッドで寝ていると言う事です。正確には、横たわっているだけですが。
「母さま、心のかけらの話ですが、幾つくらいなのか解らないのですか?」
私は頃合を見計らうように、パンを千切る手を止めて、試しに聞いてみました。母さまはそんな私の不安に満ちた心を見透かしたかの様に、けれども困った顔で言いました。
「それがねぇ、ワシの透視の魔法をもってしても解らないのさ。何処へ行ったかの見当くらいは付くけどね」 「本当!? 何処!? 何処へ行ったの!?」
私ははしたない事に、思わずパンを取り落としてしまいました。だって、マロウの命がかかっている事なんですもの。これが、取り乱さずに居られますか。 私とは対照的に母さまは冷静に自分の所見を行ってくれました。
「北だよ。ここより、北に行った所に心のかけらはあるようだね。……早く食べちゃいな。食べ終わったら直ぐにでも出発するよ」
母さまの一言に、私は急いで食事を促したのでした。
パンの最後の一切れを嚥下すると、私は慌てて自分の部屋――マロウが寝ている部屋へと走って行きました。 勿論、旅の支度をする為です。 部屋に入るといの一番で大きな旅行鞄を取り出して、必要なものを必要なだけ詰め込みました。下着、着替え、上着、それから、水筒にミルクをつめて、パンとチーズと……あと、それから……。 悩んでいると扉をノックする音が聞こえました。見ると、母さまが扉に寄り掛かる様にして立っていました。母さまの方はもうすっかり何もかも準備が出来ているようで、私の事を心配そうにしかし、優しげな瞳で見ています。
「そんなに慌てて詰め込まなくてもいいよ。足りない物があったら途中で買い足せばいい。そのための換金出来る物は持ち合わせているから。お前が必要だと思ったものだけもっておいで」
嗚呼、なんて優しい母さま。私の事をいつも心配してくれている。私はこんなに、弱くて頼りなくて、どうしようもないのに。いつも温かい目で見守ってくれる。そんな母さまに感謝してもし足りません。 そうこうしている内に私の方の荷造りも一段落して、出発できる段階になりました。 あとは――乗り物です。
「母さま、どうしよう。歩いてじゃ何年もかかっちゃう……」
私は母さまに相談する事にしました。すると、母さまはまるでその事まで予見していたかのように、皺だらけの顔でにっこりと笑うと言いました。
「そう言うと思ってね。村の若いもんに調達してもらったのがあるよ」 「うわぁ! 流石は母さま!」
私は思わず、母さまに抱きついていました。重いし疲れるからいつもは止めろと言われるのですが、今日だけは何故か許してくれました。嬉しい、母さま。
母さまが村の若い者に用意させた乗り物は、象でした。おっきくて、私の身長の倍くらいはあるだろうと思われる象です。それでも扱いやすい子象を選んでくれたのだそうです。
「オババ様、一番大人しい子象を選んで置きましたよ」
そう言って笑った青年は、屈託の無い笑みでした。名前は確か――パギーと言いましたっけ? 母さまの話の中でしか知りませんが。 私は母さまの引き摺った黒ローブの裾に隠れるようにしていたので、殆どその青年――パギーからは見えなかったと思います。でも、だからこそ笑って話していられるんだと思います。だって私は――。
パギーと一通り話し終えた母さまは、子象に荷物を積み終えると、私を子象の上に乗せてくれました。そして母さまも子象に乗っかってやっと出発です。当然の如く私は子象の後ろに乗せられているだけでした。だって私は象なんて乗ったこと無いんですもの。子象のたずなを引いているのは、母さまです。
村を出て暫く、長閑な草原の風景が広がっていました。 村の近くには小川が流れており、それが村の生活用水になっています。 いくつもの小川を越え、いくつもの小山を越えてやがて行く手には密林が広がって来ました。
「この密林を越えると、砂漠だよ。もう、後戻りは出来ないよ。それでも行くのかい?」
密林を目前にして、母さまが確かめるように私に言ってきました。 私の決心は当然変わりません。変わるはずがありません。だから、私の答えはもう、決まっていました。
「私、行くわ! マロウを助けるために!」
拳を胸の辺りで硬く握って、決意の言葉を述べました。母さまはそんな私の様子を見て、満足したように深い皺をよりいっそう深くして破顔しました。
森は深く、何処までも続いていました。それはまるで、緑のトンネルのようでした。 時々獣が動いてなる葉擦れの音や、けたたましい鳥達の鳴き声が聞こえて来たりします。所々色取り取りの花が咲き乱れ、ちょっとした楽園のようでした。私はふとした弾みで、真っ赤に自己主張しているお花に手を伸ばしてみました。そうしたら、母さまに叱られてしまいました。
「およし! それは食人植物と言う、一番凶暴な花だよ。迂闊に手を出すんじゃないよ」 「はいっ! すいません……母さま」
私は慌てて手を引っ込めました。 いけない、いけない。そこら辺に生えてる植物を、珍しいからと言って手を出したりしたらとんでもない事になりそうです。ちゃんと母さまの言う事は聞いておかなくちゃ。
何日ぐらい緑のトンネルを進んだでしょう。 途中、何回も休憩して食事と暖を取ったから、たぶん二日以上は進んだと思います。それでも間違いなく北の方角へ進めているのは、母さまの方位石のお陰です。方位石を地図の上に置くと先の尖った方が北の方角を向くのです。とっても便利な道具だから、村の人達もこぞって使っています。それが、今重宝するなんて。思っても見ませんでした。
森に入ってから7日目の朝――正確には解りませんが多分7日ぐらいだろうと思います――漸く開けた場所に出られました。今度は砂ばかりの世界です。辺り一面砂の海……。 私は呆気に取られていました。
「この砂漠の何処かにマロウの心のかけらが存在するようだね」
母さまがダウジングロッドを地図の上に翳して言いました。 この、一面の砂の海の何処かにマロウの心のかけらが? 私は、思わず目を擦り何回か瞬[しばた]きました。目に砂が入ったのもありますが、余りにも途方も無い事態になってしまったので、思わず涙が零れそうになったためです。
私に、果たしてマロウの心のかけらが見つけられるのでしょうか――。

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