| [252] 『聖マルタンの夏祭り』(星の子供編)〜1 |
- Caku - 2004年11月28日 (日) 23時58分
積み上げられた酒瓶は、蘇芳(すおう)青鈍(あおにび)常盤(ときわ)と色とりどり。 それは家の壁面に薄墨(うすずみ)色の影を映す、と途端に影が躍りだす。 向こうの道端では花売りの女性が花を配っている。 客が花を手にした瞬間、花弁はいきなりマシンガントークを放って笑い出す。
「わたしと一緒に、さあ行きましょう。 今宵は星祭(せいさい)、夜の遊び時、浮かれ宵闇逢魔が刻(おうまがこく)。 人も人にあらず者も踊る回る夏酔いの夜、さあさあ連れ立って旅立ちましょう?
星の影が町を歩く、蛍の蕾が花開く。 雫、雫、ひとしずく。天から零れ落ちた、ひとしずく。 私と一緒に、さあ行きましょう。巡り巡って、しずくが出会う」
音楽隊の集団が、金のラッパを吹き鳴らす。口笛吹きが、狂ったように吹き鳴らす。 雪のように舞い落ちる火の粉は町の教会の上の火の精霊の歌声。 触れても熱くなく、しかし触れるとひときわ輝く魔法の雪。 町の窓は全開で、中から笑い声と音楽が鳴り響いた。 浮かれよかれと騒ぎ立つこの都。ここはスピカ、星と音楽の都。 ここはスピカ。そして今日は世界で最も美しく、心踊る最高の都。
人込みの中、騒乱の渦中。 真っ白な子供が泣いていた、可哀相に、目は真っ赤にはれて泣きじゃくっている。 背丈の低い子供は、浮かれ騒ぐ人々に突き飛ばされて。押し出されて。 石畳に叩きつけられる。ああ、誰かが手を差し伸べようとしたけれど、彼の瞳を見るや否や途端に、気まずそうに去っていく。 あんまりにも涙をためたその瞳は、自分の全てを相手に縋ろうとする必死さが見えて。 どこか壮絶な意思さえ感じる悲しみが、相手を怯えさせ無関係を薦めるのだ。
誰も差し伸べてくれない笑顔の町並み。七色の都。 そのどれにも属せない白の子供は、よろよろと立ち上がって、また雑踏をさ迷い始めた。 カナリヤ色の冴えた瞳が、星の輝きの瞳が、今は澱んで涙に沈んでいる。 押されて、踏まれて、それでも何かを、誰かを必死に探している涙の子供は誰の目にも映らなかった。
町は笑っているから。笑っていない者に、笑っている者は気づかない。
祭りの起源?もちろん、知ってるわ。知ったのは昨日だけど。 スピカの一大イベント『聖マルタンの星祭』、誰でも知ってるお祭りだけど、意外と起源は知られてないのね。私もそうだったけど。 昔、昔。ここは星の精霊の寝床だったの。でも、人間はそんなのお構いナシに都を築いてしまった。星は眠れなくなって、輝きを失って夜空は真っ暗になった。 これに怒った星の王様達は大地に星達を降らし始めた。それって自爆?まあいいか。 でもとっても強い魔術師が現れて、大地と人々を救った。星に謝罪と慰めを捧げ、星達がここで安らげるよう、星の都を築くと約束した魔法使い。 彼のおかげで、星は天空に戻り、地上に平和が戻った。めでたし、めでたし。 と、言うと意地悪っぽく姉様がたが嬉しそうに聞き返した。
「……本当に?」
おかしな仮面のピエロが、硝子色の風船を手渡す。 赤い笑顔と蒼い泣き顔の半分づつの顔、星型の目と月型の唇は、笑っているのか泣いてるのかよくわからない。
「そこの可愛いおじょうさん!贈物のお返しは笑顔でお支払いただきたい!」
大きな声に、猩々緋(しょうじょうひ)色のサルが、三角帽子をとってお辞儀する。
「そこの不思議なおじょうさん!祭りの対価に微笑を頂戴したい!」
わらわらと、群青色の小鳥が小さな白い花を持って舞い降りる。
「そこの人魚のおじょうさん!夏祭りの参加資格は微笑を捧げていただきたい!」
なんだか役者に囲まれて、ようやく私は皆が笑顔を求めていることに気がついた。 そんなに笑ってないように見えるのかしら?母様は私をいつも「人魚という魅惑種であるのに、どうしてお前は無愛想なのだろうか」と不思議がっていたけれど。 やっぱり陸の人たちにも私は笑っていないように見えるらしい。うーん。 いつまでも私が笑わないことに、ちょっと煮え切らなくなったのか、ピエロは風船を途端に割りはじめた。中から溢れんばかりの子兎が出てくる。羽根の生えた、赤いリボンの兎。 周囲の人々はわあぁ!と感激して拍手喝さい。うん、皆楽しそうな笑顔。私もつくらなきゃ。
「………」 「………」 「………」
ど、どうしよう。場が固まってきた、硝子色の風船を見ると、笑ってるというよりぼんやりしてるって感じ。上目使いだと、なんか不機嫌そう。なんとかしなきゃ。 ピエロやサルや小鳥が私の顔を覗き込む。皆待ち望んでいるらしく、雰囲気が早く早くと急かしてる。それでもやっぱり、私の顔の表情筋は思うように動いてくれない。
両手で唇を吊り上げて、指で微笑みを作ってみた。これなら笑ってるよね? なかば「こう?」と結果を皆に見せてみたけど……
とりあえずその場は凍ってしまった。やっぱり駄目だったらしい。 うーん、笑顔。笑顔。難しい。あの子にもよく言われるので今度から練習しよう。
私の名前?私はね、下弦。月の半分の名前、あの下弦。 綺麗な名前でしょ?半分、だからもう半分の『私』は上弦っていうの。男の子だけど。 今日は、半分の私であるあの子と会う日。用意はばっちり。 あの子に教えてあげよう、この祭りのお話を。ゆっくり優しくいつものように。 二人で寄り添って、あの子は嬉しそうに大きな尻尾をぱたぱたさせるの。 私が本を読んであげると、本当に子供みたいに真っ直ぐな瞳で笑ってくるの。世界一可愛い弟。 今日は準備万端よ?お金も母様からもらってきたの、あの子に「りんごあめ」とか「きんぎょすくい」をおごってあげる為に。想像できる、あの子の可愛い笑顔。 私が笑わない分、あの子はとっても表情豊か。くるくるよく変わる顔が、とっても可愛いの。
私は、海の女王の娘。40番目の娘で、王位を継ぐ。 40番目なのに、どうして王位継承者なの?それは私が母様の一部だから。私は母様の心臓の一部、右の心臓の化身としてこの世界に肉体を得た存在だから。 お姉様がたは39人、意地悪でちょっと腹黒いけど、いつも私の髪を梳かしてくれる素敵な姉様。 姉様達は、王位継承なんてちっとも望んでいない。めんどくさいみたい。 人魚ってもともと群れは作るけど、基本的に愛の種族だから愛は王位より素敵なものよ とこれは27番目の姉様の言葉。 王様になったら、恋もロマンティックな岩場の語りも出来ないわ これは12番目の姉様の言葉。 いつも朝方に姉様がたは陸から帰ってくる、陸の恋人と一夜を過ごして、どれだけそれが美しかったか披露するために。母様はいつも溜息まじりに私に語るの。
「お前は陸で遊び歩くような娘に育てたくないものだ」と。
ごめんなさい、早速陸で遊び歩いてます。
陸、地上。大地の世界。 実は海の種族にとって、陸はさほど遠い世界ではない。姉様がたは、いつも陸にあがっては戻ってきて、私にお留守番のご褒美をくれる。 この前は天体望遠鏡。空の海を見る道具、らしい。空の海には星というきらきら光る宝石があって、さすがにそれは人も魔物も届きはしない。だから、見上げる。見るための道具。 こっそりポケットにはその望遠鏡が入ってるの。手のひらに収まってしまうぐらいのルーペみたいな。これを空の海に向けると、星が見えるらしい。とてもとても綺麗に。 まだ、今はまだ。 だってこれはあの子と一緒に見るの。あの子に見せて、びっくりさせてあげる。 それを思うとわくわくしてくる。顔、笑ってないけど。
だからかな? 思わず思考に気をとられてた私は思わずキリンの人形が持ってた風船の束に突っ込んでしまった。 ぶわぁ と広がる風船。空が、視界が様々な色に染まる。風船の何百、何千の色。 水の中の泡のような風船の乱舞の中、私はふと目の前に異物があることに気がついた。 白。真っ白な色の存在がある。 風船の景色の向こうに、白い子供がいる。
空に向かう風船、天空に上る者達のなかで、それはただ一人地面に這いつくばっていた。
子供だ。真っ白な雪より白く、まるで時間の川に流された流木のような、洗われた白。 瞳は鮮やかなカナリア黄金。見上げた星の輝きに、とてもよく似ている。 私は、思わず声をかけてしまった。祭りの掟に背いて。
「……どうしたの?」
びくっと、子供が怯えた顔になった。ただでさえひどい泣き顔が、さらにくしゃくしゃになる。 無理もないかなぁ。私も頑張ってるけど、いっつも無表情にしかならないこの顔が憎い。 笑顔さえ出れば、この子もあの可愛い私の弟も、私を見て微笑んでくれるのだろうか?
「……ほら、ひどい顔。お祭りの日は泣いちゃ駄目ってお母さんに言われなかった?」
傍目から見たら怒りを通り越した無表情な言い方かも。 子供を泣かせないように、私はハンカチを出して子供の目じりに当てた。子供がじぃっと私を見る。 あ、なんか似てる。あの子に。
「………会いたかったんだもん」
ほらね。やっぱり似てる。 あの子も、よくちっちゃい頃そういってたの。馬鹿なの、私の家まで徒歩で来ようとするんだもの。 海底山脈、珊瑚礁の岸壁、船の墓場…様々な場所を通らなければいけない人魚の宮は子供が一人で来れるような場所じゃないわ。案の定、いつもあの子は途中で迷う。 朝方、姉様方が陸から帰ってくる途中に、いつもあの子を道中で拾って連れて帰ってくる。 あの子は涙目で私にすりつく。姉様がたは可愛い可愛いと、くすくす笑う。 可愛い弟ね、とか ここまで来るとペットみたいよ、とか、愛犬はお家の道筋を覚えるそうよ?とか。
「お母さんは?君のお家は?」
「そら…うえ、お母様に会いたい、帰りたい…」
うえ?そら?意味不明。 後半の単語で母親とはぐれたのだと解釈。迷子ね、この祭りの騒ぎでは当然かも。
「はぐれたのね……」
「うえぇ…お母様…帰れないの……だれも気づいてくれないから…ひぐっ」
溜息、思わずポケットのルーペに手を伸ばした。 この子どうしよう、私には可愛い弟が私を待ってる。この子を誰かに預けようも、誰もが騒乱の騒ぎの中、誰も泣き顔の辛気臭い子供を引き取るなんてしないだろうし。
「…」
私は立った。子供から離れて歩く。 子供は呆然として、そして深くうな垂れる。絶望と悲嘆にくれて。
「なにしてるの?」
「え?」
子供が顔をあげる、私を真っ直ぐに見る。どういうこと?と瞳で聞いてくる。 5歩ほど離れた距離、で私は子供を無表情に見下ろしてるんだろう。
「…お母さん、会いたくないの?」
「会いたい!」
「帰りたくない?」
「かっ、帰りたい!」
つまってる。一生懸命すぎて舌がもつれてる。可愛いかも。 そう思ってもやっぱり笑顔は出なかった。かわりに、なるべく声を穏やかにして問いかける。
「だったら来るの、自分で歩かないとお母さんのところまでいけないわよ」
「………うん!」
子供の手を引いて、ふと立ち止まった。 重大なことに気がついてしまった。立ち止まった子供は私にぶつかって、上目遣いに見上げてくる。
「…うえ、かえるの」
「どこに行けばいいの?うえだけじゃわからないわ」
「…とけいとうに、行くの」
「とけいとう?」
「とけいとう」
……………………時計塔って、どこですか? 私は子供の手を繋いだまま、無表情に困惑したわ。

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