| [205] No.084 「血の契約+(「叫び声」+「森」) |
- 匿名 - 2004年03月26日 (金) 16時37分
小さい頃、私は両親に連れられてお医者様に診て貰った事がある。 病も怪我もなく、椅子にちょこんと座る私に、頭を撫でながら先生は両親に向けてこう言った。
おたくのお嬢さんには、魔術師の才能があるみたいですね――
夜の街は、静かで黒くてなにもない。 いや、この暗さを黒と表現するのは間違いかもしれない。世の中にはもっともっと相応しい、『闇色』という言葉があるのだから。 ヒトは闇を恐れる。 もっといえば、ヒトは未知なるものに恐怖する。 見通すことのできない闇はその象徴、だからヒトは闇をも恐れるのだ。 だが、それもすでに過去の話となりつつある。 闇は明りに照らされ、祓われ、闇に包まれる夜ですら人は闊歩するようになった。 近年ではもはや『闇』そのものはたいした力を持たないのだ。
――それでも、すくなくとも今は夜を出歩く人はいなかった。 酒場で一日の疲れを癒して、帰途のつかんとしている人も、 昼とはまた違う世界を求めて夜の街を散策する人も、 星明りや月明かりが生みだす幻想的な光景に溺れるカップルも。
『この街には吸血鬼がいる』
そんな噂が流れ始めたのはもう何日前のことになるだろうか。 今月に入ってから急増した行方不明者、それも全員が若くて美人と評判の女性ばかり。 教会の討伐部隊は返り討ち。 夜は戸を硬く閉ざし、家に引きこもる人々。 しかし、行方不明者は減りはしない。むしろ、増えていく。 なぜなら、アイツは昼にこそ活動しているから。
小さな頃から私の目はおかしかった。 見た物がその身に纏うオーラが見えるというのがその実態だけど、端的に言ってしまえば人には見えないものが私には見えるということ。 正直言って今まではそんなことどうでもよかった。意識しない限りそんなものは見えない。 もし意識してしまっても、それが見えたところで何がどうでもワケでもなかったのだから。
「神よ、存在するかも分からない貴方だけど、今だけは感謝させてください」
小さく呟いて、アイツを追う。信じてもいない神様にこうして感謝を捧げるのはとりあえず誰彼構わずにこの喜びを伝えたかったから。神ほどその対象に適している存在もいないだろう、なぜならそんなもの存在していないのだから。 アイツは背が高い。だから、小さな矛盾に囚われている間に人ごみにまぎれてしまってもすぐに見つける事ができるのはありがたかった。
「あなた、今街を騒がせてる吸血鬼よね?」
人ごみから離れてある程度経った時、私はアイツに追いついてそう囁きかけた。 最初から私がつけているのに気付いていたんだろう。アイツは、特に驚いた様子もなくそばのベンチを私に勧めると、自分も腰を降ろした。 時刻はまだ真昼間。だというのに、この周りにはちっとも人影がなかった。まるで、闇に閉ざされた夜の街のように。
「…で。俺が吸血鬼とは、嬢ちゃんも面白い事を言うな?」
カルい口調に含まれているのは、嘲りの感情。例えばそこらのガラの悪いチンピラに喧嘩を吹っかけたときの様な。つまりは、自分の優位を絶対確信しているもののそれだ。
「私はね、見ただけでそれが生きてるのか死んでるのか生きていないのかが解るの。あなたが身に纏うその気配はどう見たって死者の物だから。」
だから、惚けても無駄よ。そう告げると、アイツはソレが物凄く面白い事のように馬鹿笑いした。事実、面白かったんだと思う。アイツの前では、私はただの獲物に過ぎない。獲物が自ら罠に飛び込んで来ているのだ。しかも、それを自覚しているとあればそれは可笑しくもなるだろう。
「…で、俺がその吸血鬼だとして。お嬢ちゃんは俺に何を望むんだ?」
馬鹿笑いがある程度落ち着いてから、アイツはそう言った。今度は明らかに私の事を嘲笑っている。 構う事はない。私には私の目的がある。ちょっと居住まいを正して、アイツの顔を出来るだけみないように。でも、はっきりと私は自分の願いを口にだした。
「私の、血を吸って欲しいの」
――沈黙。 おずおずと見上げると、そこには真面目なアイツの顔があった。 視線だけでも、何が言いたいのかが手に取るようによくわかる。 アイツは、吸血鬼の癖に、私に正気かと問うている――
しばらくの無言の睨み合い、結局根負けしたのはアイツの方だった。
「まぁ、いい。コレがどういう事か体験しておくのも悪くはネェだろ」
アンタが決めた事だしな、と諦めたように呟いてアイツは私のうなじに顔を埋めた。 息吹もなくひんやりとしたアイツの唇が、私の喉に当たっているのが感じられる。 そして。
「あああああああああああああああああああああっ」
妙に艶を帯びたその断末魔を、私はどこか遠くで他人事の様に聞いていた。 溜まった力が抜けていく。 頭の中が白い白い何かで満たされて、何も考えられなくなっていく。 今までの私という人格がどこかに洗い流されでもしたかのように、 何もかもが白く皓くtく……!! そして、白く塗りつぶされた上にアイツの記憶がなだれ込んできた。 今までの私が消えていく。攪拌されて、薄められて、新しい『私』に組み変わっていく。 その理不尽で圧倒的な暴力に。魂の陵辱に。 私は、一番手近なモノにしがみ付いてただ堪える事しかできなかった。
私の血を吸った男も元々は人間で、森に囲まれた山間の村の出身だ。近所の山に入っては薬草を取り、それを売って生計を立てていた。向かいの家に住む両親を亡くした幼馴染や、近所の家の噂好きなおばさんとどたばたした、でも楽しめる生活を楽しんでいたのに、血を吸われ人外の生き物に成り果てることになる。 それからの100年は彼にとって苦難としかいいようのないものだった。 変わってしまった自分の体、他者から奪いつくす事への葛藤、自分の存在意義はどこにあるのか。 血を吸われた事で意識の一部を共有する事になった私には全てが手にとるようにわかる。 堪えていた思いが堪えきれなくなって、しがみついていたモノに顔を埋める。 意識が共有されてると言う事は、私の今までの人生も彼にバレてしまうと言う事。 魔術師となって延命を続けてきた私のこれまでも、大切に心の奥にしまっておいた小さい頃の甘い想いも。
「これで、お前さんは俺の眷属だ。身辺整理を済ませてきな、ウチに連れて行ってやるよ」
全てを理解した上での、やはり薄っぺらい言葉。 昔と変わってない、そっけない言葉。でも、その裏にある感情を知ってしまったから。 だから私は、こんな事になってしまって本当によかった、と思えたのだった。
思い出すのは小さい頃。 両親がいて、私がいて。森に包まれた小さな村の小さな家に住んでいた。 17の時に、両親は2人とも居なくなってしまったけれど。 それでも、立ち直れたのは向かいに住んでいた幼馴染と世話をやいてくれた近所の噂好きのおばさんのおかげ。そのときから、私はぶっきらぼうだけど優しいこの幼馴染に恋していた。
だから私は、こうして遠い日の初恋がこうして成就したことをそっと神様に感謝した――。

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