| [198] 073『鐘の音』+(『金貨』+『ナイフ』) |
- 匿名 - 2004年03月16日 (火) 02時28分
「ある結婚詐欺師の生涯」
今日、何度目かの祝福の鐘の音が鳴り響いた。 俺はつくづく馬鹿なやつだ。 自嘲交じりのその言葉も、今日何度目かの呟きだ。 俺は傍らに佇む女性を覗き見る。その女性は壮麗な純白のドレスに身を包み、この上も無い幸福を手に入れたとばかりに周囲に笑みを撒き散らしていた。俺はその女性の姿を目に焼き付けながら、お馴染みの溜息をもう一つ吐く。
何でこんな事になってしまったのか。 ふと脳裏を過ぎるのは、あの時の失敗だった。 俺は、結婚を夢見る女性を食い扶ちにする詐欺師だった。所謂「結婚詐欺」とか言う奴だ。俺は別にその職業自体に嫌悪感を抱いていた訳でもないし、恍惚としていた訳でもない。食うに困ってついつい手を出してしまった、出来心と謂う奴でやっていた訳だ。 こっちは単なる仕事として付き合っているだけなのに、世の女共と来たら勝手に勘違いして、勝手に恋愛感情なんぞを抱いて、その上勝手に結婚のその先を夢見たりしやがる。溜まったもんじゃない。 しかし、此方としてもその“夢見がちな”ところなど、大いに結構だ。鴨がネギ背負ってやって来るわけだからな。 ところが。思わぬ誤算が舞い込んで来ちまったもんだ。 こんな女の熱意に負けて、結婚しちまうことになっちまうとは。 俺も、焼きが回ったな。
兎も角、結婚式はつつがなく終わり、幸せな家庭生活へと俺は入らざるを得なくなったのだ。
◆◇◆
幸福とは、斯くも良き物だったのか。 俺は今、幸福と言う奴を噛み締めている。 何も無い、特に事件と言う事件は起こらないと言うことが、これほどまでに気分の良いものだったとは。俺は驚きを通り越して、至福すら感じている。 最近では、近所でも評判のおしどり夫婦とかいうやつを気取っている。 小さいながらも、簡素で瀟洒[しょうしゃ]な一軒家なども買い付けた。 後は、子供がニ、三人出来ればえもいわれぬ家族が出来上がるだろう。 しかし、最近になって何処かからか粘り付くような嫌な視線を感じるようになって来た。 今も通りの向こうから、ねちっこい、まるでスライムの様な、嫌悪感を通り越して攻撃性を刺激させるような視線が送られて来ている。俺には全く覚えの無い、視線だ。大体俺は、人に恨まれるような事は何一つ……したな。逆に覚えがあり過ぎてどれの事やら、皆目検討がつかない、と言う方が正しいか。 何か、何処となく鋭いナイフの様な物をも感じさせるような視線でもある。嫌な予感がしやがる。俺の感は外れた事がないのだ。この感一つで、今まで世の中を渡って来たのだ。当たらなければ良いとは思うが、外れる気もしない。複雑な心境だ。
そうこうしている内に、偶の休日が訪れた。 俺は、今じゃ日陰者の生活から足を洗って、世間的に認められた仕事に就いている。 ギルド職員というやつだ。 俺が元々やっていた裏の稼業から来る情報網を、買ってもらったわけだ。だから、情報屋何ぞも兼ねていたりもする。 そういう生活感からか、偶の休日が光溢れるものに感じる。 休日というやつがこれほど、いいものだとは。 裏の稼業のままで一生を終えていたら、この様な爽快感は味わえなかっただろう。 さて、おしどり夫婦が二人手を繋いで市場通りを歩く。前から約束していた、ショッピングに付き合っているのだ。ウィンドウだろうが何だろうが、こういうものも偶には良いものだ、と笑顔を絶やさず油断して歩いていたのがいけなかった。 ふと視界に過ぎった影は、女のそれだった。 何やら訳の解らない事を叫び、両手にしっかと包丁を握り締め俺に向かって駆け込んで来た。 女は、何て言って走り込んで来たんだ? 俺の直ぐ隣でにこやかに家具を物色していた妻は驚愕の表情で、何を叫んでいたんだ? 俺には永遠とも思える一瞬が過ぎ、包丁は俺の――心の臓を貫いていた。 俺は、ゆっくりとそれを確認すると、幽かに漏れる笑みを覚えその場にくず折れた。 俺は、俺自身の意識が暗転する前に確かに聞いた。いや、聞いた事を思い出した。 女はこう叫んで、突進して来たのだ。
「よくも! よくも私を騙したわね! この、人でなし――!」
嗚呼。 そうだった。 俺は、その突進して来た女と結婚の約束を交わした事があったんだった。女は俺のいつもの嘘だとも知らずに、ころっと騙されて――。そうだ。あの時感じた視線は、この女の執念の視線だったのか。 俺は、最後にずっと謎だったパズルが解けた安堵感に浸りながら息絶えた――。
◆◇◆
重い装丁の本を閉じると、少女は深く溜息をついた。
「結婚って、何なんだろうね」
少女はあどけなさの残る微笑を浮かべ、金貨がぎっしり詰まった袋を弄びながら呟いた。 薄暗い酒場の中、少女はエールの入ったグラスを傾けると一息に飲み干す。背後では、歌姫が切ない声音で歌を歌っていた――。
貴方の言葉は鋭いナイフのように 私の心に突き刺さるの まるで私を拒むかのように 私は貴方と 生きた証が欲しい ただそれだけなのに 貴方は私を拒んだ だから私は貴方にナイフを挿し入れた ほつれた糸をつくろうように

|
|