| [180] No.083「遺産」+(「ガラス玉」+「幻」) |
- 匿名 - 2004年02月25日 (水) 16時55分
誰も知らない神話。 ―― 神になろうとした男の話。
昔、神になろうとした男がいた。 「神は、この世界にあることのすべてを知っていなければならない」 そう思い立った彼は、旅人となって世界の隅々を巡り回った。 幾千の山を越え、幾千の川を渡り、長い年月を歩いた。
やがて、火と熱砂の国イヴァロ・ヘズを抜け、闇と死者の国イェ・ドゥクに差し掛かろうとする頃。 ある日、旅人は夜の帳を守る番人のもとを訪れた。
番人は昼間は眠っていたが、日が傾き始めると寝床からはい出して、真っ黒い幕を暮れなずむ空に下ろしにかかった。 幕が閉まりきると世界はすっぽりと闇に包まれ、夜となる。 朝が来るまでの間、番人は目をらんらんと光らせて夜を守り続け、太陽が顔を見せるとすばやく幕を引き上げ、それで仕事は終わり、 また眠りに就いた。
ところで、この番人には唯一の趣味があった。 彼は長い夜の間に、炉に火を焚いてガラス細工を作っていた。 長い筒状の棒の先に、溶かしたガラスを取って、火の中でくるくる回しながら息を吹き込む。 すると真っ赤に焼けたガラスは風船のようにふくらみ、きれいな球形になる。 番人の住まいには、こうしてできたガラス玉がたくさん並んでいた。
「こんなにたくさん作ってどうするのか」 と旅人は尋ねた。 番人はにこにこしながら、そばにあったガラス玉の一つを手にとって、 「中をのぞいてみるがいい」 と言った。 言われるままにのぞいてみると、小さなガラス玉の中に、ぼんやりと何かが浮かび上がっていくのがわかった。 やがてその幻は徐々にはっきりし始め、小さな城の建っている風景になった。 城は銀でできているのか、日の光を浴びてキラキラと輝いていた。 バルコニーには美しい女性が立っていて、金の竪琴を奏でながら優しい表情で歌っている。 そこへどこからか雪のように白いカナリアが飛んできて一緒に歌いだすと、バルコニーには色とりどりの花が咲き始め、 あたりは光と色でいっぱいになった。 そこで突然風景は煙のように消え、滑らかな球には自分の顔しか映っていなかった。
旅人が驚いて声も出せずにいると、番人は説明しだした。 「このガラス玉は、わたしが夜の間に集めた『忘れられた夢』を吹き込んで作ったものだ。 それはある少女が見て、そして忘れた夢なのだ。 きれいだろう」
旅人はほかのガラス玉をのぞきこんでみた。 暗い、大地の裂け目が見えた。 深い深い亀裂の底では、黒い不気味な影たちが徘徊している。 ほのかな月光に照らされて時おり見えるその正体は、なんと巨大な魚であった。 魚たちはぎらぎらした目をせわしく動かしながら、何かその牙で噛み砕くものを探していた。
「美しい夢ばかりとは限らないさ」 番人は新たな夢を、真っ赤なガラスに吹き込んで言った。
一つの玉にそれぞれ一つずつ違った世界があった。
旅人はこのガラス吹きに、かすかな嫉妬を覚えた。 自分はこのたった一つの世界を知るために大変な旅をしている。 しかしこの男はここから一歩も外界に出ることなく、無数の世界を自分のものにしているのだ。
「忘れられた夢をガラスにして、そしてどうするのだ?」 旅人は尋ねた。 「どうもしやしないさ」 番人はあっさり答えた。 「帳の開け閉めとガラス吹き以外に知恵のないわたしが唯一遺せる遺産なのだ」
旅人がガラス玉をつかんだ手に力を入れると、その薄く繊細な膜はいとも簡単に砕け散った。 「脆すぎる。 こんなものが遺せると思うのか」 番人は黙ったまま作業を続けていた。 「あなたのしていることは無意味だ。 そもそも、もとは他人の捨てた夢ではないか」
旅人はその言葉を最後に、番人のもとを立ち去り、先を急いだ。
それから長い年月が流れた。 神になろうと世界中を旅した男の存在は歴史の狭間に埋もれ、誰の記憶にとどまることもなく消滅した。 同じく、あの夜の帳の番人のことを知るものは今や誰もいない。
だが、夜空には。 番人が作った夢のガラス玉が、あるいはその破片が、あまたの星々となって瞬いている。 その一つ一つに違った夢を映しながら。 今でも。 そしてこれからもずっと。

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