| [483] 希望の炎―12最終話 (イートン&ベアトリーチェ) |
- 千鳥 - 2010年02月03日 (水) 22時00分
巨大な地竜の身体が、小さな断崖の国を覆うように黒い影を落としていた。 羽ばたくたびに身体から崩れ落ちていく岩の断片が、まるで、この国を滅ぼそうと現れた巨大な空中要塞のように無差別な攻撃を繰り広げている。 落石に混じって竜の背から勢い良く飛び出した二つの人影。 その一つが己の妻であると、イートンは何故かひと目で分かってしまった。
「ベアトリーチェ!!」
彼女のそばに。 願いを口にするより早く、目の前の景色が急上昇する。 天使たちが――― 呪いにより、命を落とした母親たちの霊が――力をかしてくれたのだ。 急降下する二人を、イートンの『目』が間近で捕らえた。 ベアトリーチェはセレナを胸に引き寄せたまま、まっすぐに大地を睨んでいた。 その口元には笑みさえ浮かべている。 一体彼女にどんな策があるのだろうか。 飛行道具はもちろん、愛用するソウルシューターさえ彼女は身につけていないのに。
(あぁ、神様!)
イートンの願いも空しく、二人の身体は更に落ちて行く。 最悪の光景をイメージしながら振り返ったイートンは、突如飛び込んできた白い物体に視界を遮られてしまった。 その『白』を理解するより早く、弾かれるようにイートンの意識は地上まで引き戻された。
・・・☆・・・
「ベアッ!!」
即座に身を起こし周囲を見回す。 二人の姿が見当たらない事に安堵と不安を繰り返しながら、忙しなく視線を動かすと、傍らにはプリメラの姿があった。 彼女は不安げな面持ちで上空を見上げている。 イートンもプリメラの視線を追うように顔を上げた。 そこには、空を覆う地竜の姿と、もうひとつ、その低空を飛ぶ小さな白い竜の姿があった。
「二人は・・・あの白い竜に?」 「あれは、ルネアなんでしょうか・・・」
イートンの視界を遮った『白』の正体はあの竜だったのだろうか。 プリメラに確認してみるが、彼女は更なる問いを浮かべるだけだった。 ルネアの竜の姿を知っているのは、巫女であるセレナ一人だ。 イートンも流石に竜の区別などつかなかった。 白竜の背に残した妻たちの身は心配であったが、無事であると分かったからには、急いで思考を切り替えなければいけない。 自分の役目は、換魂の術を行うための“器”を探し出す事だ。
「86人の魂を内包し、なおかつルネア君の思念を移すことの出来るような器・・・」
イートンはかつて共に旅をした木彫りウサギの事を思い出す。 彼は、巨大な魔力と古き魂を愛らしい姿に宿す、古代遺跡の守護者だった。
「魂を移すとなれば、やはり本体と似た性質のものがいいはずです。竜とか、少年の姿とか・・・何か思い当たりませんか?」 「いいえ、そんなものは・・・」
神殿には、幾つもの石像が存在したが、宗教上の性質だろう、女性や天使の姿をしたものばかりで、ルネアを彷彿とさせるものは見当たらない。 しかも、今回の揺れと落石により、その殆どが原型を留めてはいなかった。
「そうだ、北の奥にある奉物殿!あの中に入れませんか!?」
イートンは先日の案内で見ることの出来なかった立ち入り禁止の建物の存在を思い出す。 こんな状況でも、宝箱の中身が気になるのは、ガレット家の者の職業病みたいなものだ。
「鍵はハーティアしか持っていません。急いで彼女に頼みましょう!」
神官長により厳重に守られた場所。 その中に、この国の秘密と、呪いを解くヒントが隠れているかもしれない。
(それまでどうか、持ちこたえてください!ベアトリーチェ!)
・・・☆・・・
「ほら、何とかなるもんでしょ!」 「・・・・・・」
落下の風圧で固定された笑顔をセレナに向けながら、ベアトリーチェは言った。 セレナは、文句を言いたげな表情を浮かべたが、口に出す元気も無いようだった。
本当は、今までのように天使たちが二人を安全なところまで移動させてくれるであろう、という神頼みならぬ天使頼みの暴挙だったのだが、結局その奇跡は起きなかった。 そういえば、天使たちの起こした奇跡の対象は、常にイートンとベアトリーチェの二人に限られていた。 イートンはそれを神に選ばれたと言っていたが、それは自分たちが他国の人間であったからではないだろうか。 竜の呪いの影響なのか、恐らく彼女たちはルネアやセレナ、この国の民に直接手を貸すことが出来ないのだ。
「あー、ほんと危なかった」 冷や汗を拭い思わず本音をもらしつつも、自分たちを助けてくれた白い竜を見下ろす。 頭上の地竜よりもかなり小さいが、こうして二人を背中に乗せても悠々と空を飛んでいる。
「で、この竜って・・・」
ベアトリーチェが指を下に向けながら、セレナに問いかけると、竜の身体がぐんと下に急降下した。 どうやら着地するようだ。
白竜が目指したのは、この国の頂にある神殿のもっとも高い場所であった。 それは、長い間、巫女が呪われた怪物を封じていた<希望の炎の間>。
(再びこの場所に戻ってきてしまった。)
二人が逃げ出してからまだ一日も経っていないというのに、嘘のように全てが変わってしまった。 ベアトリーチェに手を貸してもらいながら、セレナは情けない気分で竜の背から降りた。 そして、自分を助けてくれた白い竜を見上げる。
「ルネア・・・なの?」
先ほどベアトリーチェの疑問に、セレナは答えることができなかった。 自分たちを助けてくれた白い竜。 皮膚と目の色こそルネアにそっくりだったが、少し様子が違う気がする。 不確かな足取りで近寄る少女に、白竜はその赤い目をギョロリと向けた。
「ねぇ、あなたは・・・」 「愚かな国の民よ、妾の息子に気安く触れるでない!」
しかし、少女の手が竜に触れるよりも早く、厳しい声が二人の間を裂いた。 聞き覚えのあるその声にセレナの身体が震え上がる。 案の定、声の先に立っていたのは洞窟で遭った女だった。
(娘よ。我が子は返してもらうぞ)
崖の下へと落ちていくルネアを見て嬉しそうに言った女の言葉の意味を考え、セレナの顔は青ざめていく。
「やっと地竜のお出ましってわけね」
そんなセレナを女から隠すようにベアトリーチェが一歩前に出た。
上空には未だ巨大な竜の姿が空を覆い、地上は薄暗い闇に包まれている。 本体があちらだとすれば、今目の前にいるのは幻影かなにかだ。 目の前の女ならまだしも、あの巨大な生物を身一つで倒すのは、ベアトリーチェにも難しい。 ソウルシューターが手元にあればやってみなくも無いが、そもそもあの得物を扱うには、原動力となる激しい感情が必要なのだ。 子を奪われ、住処を追われ、恨みと悲しみに縛られたこの巨大な竜を倒す程の感情が生まれるか。 プロのハンターとはいえ、同じ母親という立場を考えると、すこし複雑になる。
何かもっといい方法があるはずだ。 地竜も、この国の民も救われる方法が。 依頼を受けたからには、報酬はしっかりもらうつもりだが、完璧にこなしてこそ、ガレット家のハンターというものだ。
ベアトリーチェが引き受けたのはセレナを守ることと時間稼ぎ。 こういった、時間の流れも、スケールも人間の規格外にこじれた話を、口先だけで解決するのが得意なのは、彼女ではない。
「ま、待ってください!ベアトリーチェ!」
―――ガレット家の婿養子殿だ。
・・・☆・・・
神殿に降り立った白い竜を追って、イートンは長い廊下を駆け上がる。 開け放たれた扉の奥には、セレナを背に庇って竜と対峙する妻の姿があった。
「ま、待ってください!ベアトリーチェ!」 「遅い!」 「ご、ごめんなさい」
妻の厳しい第一声に思わず頭を下げ、イートンは『器』を抱えていた手をすべらせた。
「イートンさんッ!」
後ろから追ってきたプリメラが怖い形相で、イートンの腕の中の物を引っ手繰った。 その隣にはハーティアも居る。 彼女たちもまた、断崖の国の民として、この国を守る神官として最後の決着の場にやってきたのだ。 ベアトリーチェがプリメラの腕の中に視線を向けた。 『器』は丁寧に布に包まれており、細長い球形でちょうど赤子ほどの大きさだ。 女性の腕が抱くには少々大きかったが、プリメラはその最後の切り札を大事そうに抱えている。
「ぼ・・・私は、イートン・ガレットと言います。この国の人間ではありませんが、縁あってこの地の伝説を調べています」
『器』をプリメラに託したまま、イートンはゆっくりとした歩みで対峙する二人の間に割って入った。 背後のベアトリーチェが睨んでいるのが分かったが、別に彼女を庇ったわけではない。 単純に目の前の竜の注意を自分に向けるのが目的だった。
前方から、背後以上に強い視線を感じ、イートンは思わず口元を上げる。 予想通り、地竜の分身であろう女は、イートンに向けて深い憎悪に満ちた視線を向けていた。 確かに彼女は人間そのものを憎んでいるのだろう。 しかし、呪いの成就を邪魔してきた巫女でもなく、憎い断崖の国の民でもなく、ただの異邦人であるイートンにこれほどの憎しみを向けるのは、どう考えてもおかしいことだ。 「私は貴女に伝えたいことがあってこの場に参りました。でも、その前に確かめたいことがあります」
この地に住まう竜、竜を追い出そうとする人間たち、奪われる卵。 命を落とす母親。呪いを抑える巫女。 この伝説には常に足りないものがあった。
「父親の存在です」
いくらほかの生物と一線を画す竜とはいえ、番(つがい)でなければ子は出来ない。 伝説の中の竜は常に母親――雌であって、雄ではない。 一匹でも巨大な力を持つ竜だ。 二匹が巣を守っていれば、そうやすやすと人間が竜の卵を奪えるはずが無い。 それが何度も続いたのならば、手引きする者がいたのだ。
「あなたの伴侶は・・・・・・人間だったのではありませんか?」 「まさか!」
思わず否定の言葉を紡いだのは、人間の方であった。 それが地竜の怒りを更に煽ったのだろう、彼女は咆哮した。
「・・・そうじゃ、妾は人間の男と愛し合い夫婦となった。しかし、そう思っていたのは妾だけであった!騙さ
れていたのだ!お前たち人間に!!」
その声に同調するかのように、頭上の竜もまた声を上げる。
「この馬鹿!!怒らせてどうするのよ!!」
イートンの後頭部にベアトリーチェの拳が炸裂した。 「自分の推理に酔ってる暇は無いのよ!早く!今すぐ!なんとかしなさい」
妻の言葉にうなずくと、イートンは後頭部をさすりながら再び女に視線を向ける。 その姿はぼんやりと霞んでおり、今にも消えてしまいそうだった。 この機を逃したら、竜は二度と人の言葉に耳を傾けてはくれまい。 「地竜さま!」
そんな地竜に縋りつく様に平伏したのは、ハーティアだった。
「わたくしは、この神殿を任されておりますハーティア・オーディルと申します。我らが祖先の犯した罪はわたくしの命をもって償わせてください。ですから、どうか・・・他の民とルネアをお助けください!!」
地面に額を擦り付け、ハーティアは懇願する。 地竜を追い詰め、呪われた子供を怪物と呼び神殿に閉じ込め、民を騙し続けてきたのは、他ならぬハーティアの直系の祖先たちであった。 神官長につくと同時に知らされたこの秘密は、長い間彼女を苦しめていた。 ハーティアがイートンを呼んだのは、自分の代でこの呪いの鎖を断ち切るためであった。 決死の神官長の隣に、プリメラが膝をつき真っ直ぐな瞳で竜を見上げる。
「私は・・・プリメラと申します。母は弟を産み命を落とし、弟は竜の呪いにより神殿の奥底に閉じこめられ、今となってはその命さえ無事かは分かりません」
そこでプリメラは、女の後ろに無言で控える小さな白い竜に視線を向けた。 どれだけ見つめても、何の反応も示さない白竜に絶望に陥りそうになりながらも、プリメラは胸に抱いていた球体の包みをゆっくりと外した。
「このようなことで私たちの罪が消えるわけではございません。ですが、これは・・・この『卵』は、貴女様にお返しします」 「・・・卵?」
イートンの背中から顔を覗かせたベアトリーチェが、布を解かれた『器』をまじまじと眺める。 それは、換魂の術の『器』を探すために奉物殿に訪れたイートンたちが見つけたものだった。 奉物殿もまた、地竜の飛翔した際に落ちてきた岩により大きな被害を受けていた。 「おそらく人の目から隠す為でしょう、その卵はある所に隠されていました」
落石で破壊されていなければ、決して見つけ出すことが出来なかった。 それは、偶然ではなく、必然であったとイートンは信じている。 「その卵は、女神像の中に隠されていたのです」 「・・・・・・」 「確かに貴女を騙していたのかもしれない。それでも、貴女への愛に偽りは無かったのではないでしょうか?貴女にそっくりな女神像の中に、その卵は隠されていたのです」
孵化しなかった竜の卵。 それをそっと忍ばせて、美しい彫像を彫った主が誰なのか、今となっては明らかに出来ないが、彼女の僅かな慰めにでもなればと、イートンは言葉を続ける。
ふらり、ふらりと前に進んだ地竜は、プリメラの差し出した卵をそっと受け取った。 「妾の・・・卵」
優しく抱きとめた卵の中に、何十もの仄かな光が吸い込まれてゆき、熱を帯びてくる。 86人の魂を受け入れた器は、輝きを増した後、音を立てて崩れた。 その瞬間に見えた小さな子供の姿を、その場にいた人々は静かに目に焼き付けた。
「術は・・・失敗じゃ」
地竜は足元に崩れ落ちた砂に視線を落としながら、呟いた。
「妾の86の卵と引き換えに、86の母子の命を奪い、我が子を取り戻す。一人でも数が違えば、呪いは成就せぬ」 「で、ではルネアは!?」 縋るようなプリメラの声に、地竜は顔を上げた。 その顔からは先ほどまでの悲壮な表情は抜け落ちていた。 かつて人に受けた仕打ちや子を失った悲しみが消えたわけではない。 それでも、腕の中に確かにあった、温かなぬくもりが地竜の冷え切った心を癒してくれた。 竜とはいえ、長い間憎しみの心を抱き続ければ、疲れ、気力も失う。
「ただの竜となった」 「竜・・・?」 「術は失敗したが、元には戻らぬ」 「そんな!」
ベアトリーチェの後ろに隠れていたセレナが、白竜の元に駆け寄った。 誰も止める者は居ない。
「ルネア!」 「人の姿には戻れぬ」 「そんな、返事をしてルネア!」 「人の言葉も操れぬ」 「・・・・・・」
地竜の言葉に、セレナは涙を流して崩れ落ちた。 幼いころから共にすごしてきたルネアはもう何処にも居ないのだ。
「守るって、約束したのに」
目の前で泣き崩れる少女を、小さな白い竜は静かに見下ろしていた。 地竜はそんな二人の様子をしばらく眺めていたが、ゆっくりと一度目を閉じ、息を吐くと、再び少女に声をかける。
「今の『ルネア』はただの子供の竜じゃ。成長し、魔力を操る術を学べば妾のように人の姿を取れるように
なる」 「!」 「何年先になるか分からぬが、待てるか?」 「待てます!!」
間髪入れず返ってきた返事に、地竜は思わず笑みを浮かべた。 この思い出の地を離れ、子育てをしてみるのもいいだろう。 そんな考えが浮かんだ自分自身に驚きながらも、地竜は人の姿を解き、本来の竜の姿に意識を戻す。 低空から一気に空高く舞い上がると、海に面した己の棲み処がずいぶんと小さく見えた。 後を追うように、飛び上がった小さな白竜を優しく見下ろし、短くも幸せであったひと時を思い出す。
再びあの少女と白竜が出会ったとき、この国の竜と人との物語は再び動き出す事だろう。
・・・☆・・・
こうして断崖の国は、竜を奉る国として生まれ変わりました。 希望の炎は、去っていた竜の帰りを待つ目印として、いつまでも国を明るく照らし続けていました。
・・・☆・・・
「――とさ。めでたしめでたし」 「それで?その後二人はどうなったの?おとうさま」
絵本を閉じると、膝の上に座っていた小さな少女が、紫色の瞳を輝かせながら、父親にそう問いかけた。
「お話はこれで終わりだよ、ルー」 「でも、おとうさまは、つづきをしっているのでしょう?」
腕にしがみ付いて強請る娘に、イートンは小さく苦笑した。 4歳になったばかりだというのに、恋愛のお話ばかり好むのは女の子だからだろうか。 上の息子たちとの違いに、子育てには慣れてきたとは言え、戸惑うことも少なくはない。
「私が知っているのはここまでだよ。お母様が仕事の帰りにこの国に寄ってみると言っていたからね。帰ってきたらきいてごらん?」
風の噂では、国を囲う断崖が消えたお陰で、農作物の実りが良くなり、港以外の場所も栄えるようになったと聞いている。 しかし、5年経った今、ルネアとセレナが再会できたのかは、イートンにも知るすべはなかった。 ベアトリーチェの手紙の予定では、そろそろ断崖の国には着いている頃だろうか。
「とーさん、ルー!!外っ、外を見て」 「多分、アレ、母さんだ!!」
物思いにふけるイートンを邪魔するように、二人の息子が騒がしく飛び込んでくる。
「夜は静かにしないと・・・」 「にーさま?」
思わず顔を見合わせるイートンたちを急かすように、二人は窓の扉を開けた。 天体望遠鏡を持っていた長男が、夜空の彼方を指差す。 大きな満月を背景に、大きな影と小さな影が2つ。 徐々に近づいてくるそのシルエットは、絵本の中の竜と同じ姿をしていた。 イートンの肉眼でも見えるほど近づいてくると、大きな白い竜の背に、こちらに向かって手を振る二人の女性の姿が見えた。
「――白竜と巫女は再び出会い、恋に落ち、子供に恵まれいつまでも幸せに暮らしましたとさ」
妻と、竜の親子を出迎えながら、イートンは娘の頭に優しく手を置き、物語を終らせた。
・・・☆・・・
END

|
|