| [440] 希望の炎―7(イートン&ベアトリーチェ) |
- 熊猫 - 2007年03月10日 (土) 21時54分
「お願い…ルネアを助けてあげて」
あどけなさの残る少女が懇願する姿はそれだけで十分に説得力のあるものだったが、 夫に至ってはその効果は絶大のようだった。重々しく頷くのを横目で確認する。 ベアトリーチェは嘆息して乱れた髪を片手で梳きながら言う。
「とりあえず、話だけでも聞くわ。ルネアっていうのは、怪物の名前ね?」 「ルネアは怪物なんかじゃないわ!」
狭い洞窟内に響く強い声。わずらわしそうに片手で耳を押さえ脳髄に刺さる声が収まるのを待って、 「はいはい」と打ち消すように手を軽く振る。
「セレナ、僕が話す」
そんな二人の間に割って入ってきたのは、線の細い、15,6の少年だった。 透き通る白い髪、暗赤色の瞳。 異様といえば異様だが、身体に纏う雰囲気はそのあたりにいる少年のそれ。
セレナは「大丈夫?」と心配そうに呟いたが、少年の力強い頷きにあっさり口を閉じた。
彼はとにかく痩せていた。 それでも瞳だけは久しぶりであろう外の世界を映し、力に満ちていた。
「はじめまして、ルネアといいます。この国の"怪物"…です」
彼自身、その単語について思うことはたくさんあるのだろう。ためらってから 口にしたその言葉には、多分に重みが含まれていた。
「この国には僕のように"竜の呪い"を受ける者が一人だけ存在します。 その者が死ねばまた違う者が呪いを受けて生まれ、僕はその86人目です」
乾いた音がせわしなく聞こえてきたのでそちらを見やると、どこから取り出したのか イートンが必死にメモをとっている。物書きの性がそうさせるのだろう。
(まるで取り調べをしている刑事と書記だわね)
笑みを漏らす。いつもの事だが、この律儀さには笑うしかない。
「竜の呪いって?」
ルネアにではなく夫に問いかける。
「詳しくはわかりませんが…。この地に元々棲んでいたのは、人ではなく 竜だという伝承があります。その事になにか関係しているのでは?ルネア君」
イートンはメモをとる手を止めて、眼鏡を指で押し上げて答えてきた。後半は ルネアに質問を返す。少年はそうです、と頷いた。
「僕が知っている限りでは…この国のご先祖様が竜の棲み処を奪った事により、 竜達からこの地に留まる限り"呪い"を受けているのだ、と」 「なるほど」 「しかし竜は巫女の作り出す"希望の炎"にあらがう事ができず、今まで 竜の呪いを受けた者は、僕のようにあの神殿に幽閉されてきました」
そこまで言ってから、ルネアは目を伏せた。ベアトリーチェはちょうど背後にあった 岩に腰をすえて、ふぅんと気のないあいづちを打つ。
「『神の右手』と『空の目』については?」
ルネアがことばを切る瞬間を待っていたように、イートンが問う。
「もとからこの国に根付いているものです。二人の天使に認められた者だけが、その恩恵を受けられるとか」 「あたし達はそれに認められたって事?…なんで?」
ベアトリーチェ自身、天使とか神だとかには一切興味がない。信心深いわけでもない。 そんな自分が『恩恵』とやらを受けられるものなのか?
「さぁ…天使様がお選びになったとしか…」
ルネアが首をひねる。そのいかにも少年らしい動作は、彼が満月になれば 暴れ狂う怪物になるという事実を一瞬忘れさせた。と、唐突にイートンが呟いた。
「助けたかったから」 「え?」 「僕達が認められたのは…君たち二人を助けたいと思ったから…ではないでしょうか?」
探るようだった口調が、だんだん滑らかになってゆく。
「君たちがいなくなったと知ったこの国の人々は、今でも躍起になって行方を探しています。 確かに、このままで満月が来るような事になれば惨劇が起きるのは必至です。 ですが、僕達には君たちを捕まえる気などなかった」 「え、でもあたしは――」
神官長から依頼を受けたら捕まえてやるつもりだったわよ、とは当事者を前にしてさすがに言えなかったが、 イートンはその意図を汲み取って、頷いた。
「天使ともなれば、人の心を感じ取ることなど造作もないでしょう。 君が優しい人だという事はお見通しだったと言うわけです」 「ちょ、何恥ずかしいこと言ってんの!?」
思わず赤面して抗議するが、イートンは笑みを崩さない。
「ま、ただの憶測ですがね。もっと違う理由があるかもしれません」
釈然としないながらも、矛先を少年と少女に向ける。
「…それはそれとして、あんた達逃げるのはいいけどどうするつもりだったの? この国がある限り、逃げても呪いは消えないんでしょ」
――さっきの話が本当ならね。と、付け加える。
「私はただ、ルネアを助けたくて――」
いままでおとなしくしていたセレナが弁解する。 握った手を胸に置いたその姿は、逸る気持ちを押さえ付けているかのようだ。
「でもこのまま満月が来たらどうすんの?あんた怪物になったこいつを制御できるの?」 「……」
反論できずに押し黙るセレナ。 大切なものを守りたい気持ちはわからないでもないが、とにかく二人は幼すぎる。
「このまま神殿に戻ってハーティアに謝れば、『まぁ悪い子ね!でも無事でよかった さぁココアでも飲んで暖まりなさい』とか言われるだけですむんじゃない?」 「そんな…」
絶望したかのような少女の顔に胸が痛まないでもなかったが、正論は正論だ。 立ち上がり、肩をすくめる。
「神殿に戻ったらルネアはもっと厳重に監禁されて、あんたに監視くらいつくかもね?やーね」 「ベア」
あんまりだとでも言いたげな表情のイートンが止めに入ったが、口は止まらない。
「けどね」
腕を組んで、片目を閉じる。
「悪い子って好きなのよあたし」
ぱっと―― セレナの顔が輝いた。困惑気味なルネアと夫は似たような顔をしている。 やはりこういう時は女のほうが聡い。イートンは次は女児が欲しいと言っていたが、 案外希望を叶えてやっても面白いことになるかもしれない。
「まぁその天使サマとやらがついているなら、こっちにもいくらか分があるでしょ。 子供閉じ込めなきゃ続かない国なんていうのも気に食わないし」 「そう、ですね」
ようやく状況が飲み込めたのか、イートンも同意する。手早くメモに何か追記して、 ぱたんと手帳を閉じて、ひとり頷く。
「神殿では捜索が始まっていますが、夕刻までは公式に発表しないようです。 できれば騒ぎが広がる前にどうにかしたいですが…」 「あんまアテにはならないかもねー。噂くらいは広まってるかもよ」
腕を組んだまま、洞窟の中から外を見やる。そこにあったのは物悲しい風の 鳴き声と、淡い色の空しかない。 こんな寂しい風景を見ながら過ごすのは、いくら怪物とて耐えられるものではないだろう。
ふと――家に残してきた子供の顔が見たくなって目を閉じる。 だが見えたのは無邪気な笑顔ではなく、ただの暗闇だった。
(子不幸ね、あたしって)
―――――――――――――――― すごいたくさん穴があってごめん…! とりあえずベアをやりこめるイートンが書けて楽しかったです。

|
|