| [332] 『消えていく子供達(ミッシング・チャイルド)』 (マックス&エルガ)−9 |
- 夏琉 - 2005年03月18日 (金) 16時12分
「そうですね。そうしたほうがいいと思います」
そう言った瞬間、エルガはこめかみに細い針が通りぬけるような痛みを感じた。 思わず片手で、そこを押さえる。
「どうかしましたか?」
「いえ」
感覚が、さらに鋭敏になっている。 わずかな大気の揺らぎだとか普段は感じることすらできない魔力の高低だとかが、意識しなくても情報として入ってくる。 それは明らかにエルガの受け皿の許容量を超えたもので、その影響が身体的な痛みに変換されているのだ。
だが、おかげでいくつか新たにわかったこともあった。 情報が自然と整理されるまで言語化できるほど明確な理解には達しないが、そんなに時間は必要としないだろう。
エルガはそのまま何も言わず、林に向かって歩き出す。まるで一人で散歩にでてふいに立ち止まり、空を見上げてからまた歩き出すくらい自然な動作で。
少年の前を通りすぎるとき、彼がエルガと怪訝な顔で追従する男のほうを見上げたが、エルガはそのことに気をとめてすらいなかった。
林というよりはそこは山の端で、凹凸をもつ地面はすぐに勾配を持った。 何回かこの島の地図を見ていたエルガは、この島が大体楕円と長方形の間のような形をしていて、その中心よりいくらかずれた位置に頂点があったのは記憶しているが、それがどちらのほうにずれていたのかは覚えていない。
「襞[ひだ]がよってるんですよ」
しばらく山道を登って、エルガは急に立ち止まると男のほうを振り返って言った。
「ヒダ…ですか?」
「ええ。カーテンやスカートの裾に縒る襞です。 ちょっと休憩します。疲れたので」
その宣言通り、エルガは土の上に直に腰を下ろす。 そして思いついて、持っていたランプを下に置いてポケットに手を入れる。取り出したのは飴玉ではなく、同じような大きさの翡翠の球だ。 エルガが手のひらにのせてその球をわずかに転がすと、はじめはわずかに蛍のように発光するだけだったが、すぐにエルガとマックスの顔を照らすほどの明かりとなった。昼間ほどの明るさというわけにはいかなかったが、その光はランプの不安定に揺らぐ炎よりずっと確かで強い。
「これはありがたいですが…できれば、もう少し早めにやって欲しかったですね。こういうことは」
平らな石を見つけて、そこに腰を下ろした男が言う。
「今、できるということを思い出したんです」
身体を休めると紛れていた痛みがまた感じられて、エルガはわずかに顔をしかめた。 そこから気をそらすためと退屈しのぎに、続けて口を開く。
「今、この島は、私の魔力ですっぽり覆われてる状態なんです」
「…霧はそのせいで?」
「おそらく。霧自体が私の魔力の形なのではなく、覆いの存在に影響されてあとから霧がでたんだと思います。 水気が多い場所なので、魔力の形のほうが後から変化したのかもしれませんが。 それで、例えばなんですけど」
エルガは開いているほうの手を動かして、半球状の物体を表現してみせる。
「こういう天幕みたいなものって、雨風をさけるための幕とそれをささえる骨組みでできているじゃないですか。 実際にはあまり詳しくないのですが」
「まぁ…だいたいそんな感じだと」
「今回の場合、天幕の幕にあたるものを作り出しているのは私なのですが、骨組みは担当してはいないんです」
「じゃあ、条件というのは…」
「そのあたりに関わってくることなのでしょうね。 自然現象なのか人為的なものなのか、それともそれ以外の要因によるものなのかはわかりませんが。 それで、その骨組みなんですけど、それが幕を支えるのに本数が足りなかったり布が大きすぎたりしたら、こう布がたわんでしまいますよね」
架空の半球の頂点から、側面に沿って数本の線を指先で描き、大幅にあいた線と線の間を手のひらで押す動作をしてエルガは説明する。
「つまり、今は魔力がたわんで襞になっている状態だということですか?」
「ええ。それで、これは予想なんですけど……子どもたちはたぶんその襞になった部分に攫われているんだと思うんです」
説明の役目を終えた片手で今度は近くに生えている草をいじりながら、エルガは絶句している男に言う。
「つまり言ってみれば、子どもたちはとばっちりですね」
土のついた手で眼鏡のズレを直して、エルガはため息をついた。
「あ、あの、さっき『わからない』って言ってましたよね?」
「え?」
「さっき霧の話をしていたときは、子どもたちがどうなっているかはわからないと」
エルガは今までより比較的語気の荒い男の顔を、数秒の間呆けたように見つめていた。 だが、すぐに理解して「あぁ」と頷き再び微笑む。
「あなたが眼鏡を触るたびに、少年の姿以外のものもはっきりわかるようになるみたいなんです。 たぶん、あなたが『条件』側になんらかの関わりがあるのは、間違いないと思います」
エルガは立ち上がると、自分たちの進行方向に向かって指さした。
「あっちにもう少し進んだところに、天幕の”支柱”があると思います。 それがどのようなものか私にはさっぱりわかりませんが…」
言葉を切ると、エルガは顔を上げる。
鳥だ。いままでで、一番近い。
首。 そうだ。人は首に手をかけられ縊られるとき、もし声を出すことができるなら、あんなふうに啼くんじゃないだろうか。
「行ってみるしかないでしょうね。とりあえず」
闇にいくら目を凝らしてみても、エルガにはその姿を捉えるとこはできなかった。

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