| [308] 「希望の炎」(タスナ&ジュリエッタ&ギゼー)[3] |
- 葉月瞬 - 2005年01月09日 (日) 02時21分
「じゃあ、ジュリアちゃんは本が好きなの?」
出会っていきなりちゃん付けをするほど図々しさを発揮しだしたギゼーとジュリエッタは、食堂への道すがら話していた。
「そう。今日こそ、“毒薬と暗殺の歴史”と言う本を買おうと思ってな。高くて中々手が出せなかったんだ」
ジュリエッタは作り笑いをして剣呑な書名を平然と言った。少しばかり笑みが釣り上がって見えるのは、少々馴れ馴れし過ぎるギゼーに対する引きだろうか。剣呑な書名を態と挙げたのは、ギゼーを自分から遠ざける為でもあるのだろう。 しかし、ギゼーはそんなジュリエッタの思惑とは裏腹に、人懐っこさを最大限に発揮して来た。
「じゃあ、食事が終わったらさぁ。付き合うよ」
人懐っこい笑みを満面にたたえ、ギゼーはジュリエッタの了承をもう既に勝ち取ったかのような気になっていた。 一方、ジュリエッタの方は愛想笑の一つも浮かべる事もなく、案内されるまま食堂へと付いていく。無愛想な事この上ない。ひょっとしたら無視を決め込んでいるのかもしれなかった。
食堂の外観は古めかしい洋館の風貌だった。築何十年も経っていそうなほどで、所々継ぎ接ぎが見える。しかし、一歩中に入ってみると、流石に流行っているのか外観の古めかしさを感じさせない内装であった。中規模の食堂で、値段も手ごろなら味もそこそこ良いという評判の見せである。
「ところで、あー……」 「ギゼー」 「そう、ギゼー。ここのお代は誰が持つんだ?」
食堂に入って開口一番、ジュリエッタが確認した。 その言葉の真意にギゼーはあっさりと気付いた。そして、ゆっくりと言い含めるように言った。
「当然、ここの払いは俺が」
気だるげに食後の紅茶をひとすすりする、ジュリエッタ。その様は優雅とか、優艶とかの修飾語がしっくり来るほど美的だった。その性格の悪さを知らなければ。 出された料理はどれも美味だった。少なくともギゼーにとっては。ジュリエッタは外見上、美味しいとも美味しくないともつかない態度で食べていた。 運ばれてきた料理は次のような物だった。 まず、コーンポタージュスープを筆頭として、鶏の腿肉の炙り焼き赤ワインソース添え、海鮮サラダと続いて、最後はシェフご自慢のチョコレートケーキで締めた。そして、食後に紅茶を啜[すす]っているのである。 ジュリエッタは一応満足そうに見える。表情は変わらないが、まあ、満足なのだろう。それもそのはず、ジュリエッタは一文も出す必要が無いからだ。この食事に関しては。 対するギゼーの方は、財布の中身と相談しながらの昼食だったので味もへったくれも無かった。気もそぞろに食していたからだ。ただ、出された料理への満足度はジュリエッタとほぼ同じだった。もっとも、ギゼーの方が若干品数は少なかったが。 だからと言って不満を口にするギゼーではなかった。 美しいお嬢さんと食事を共に出来た事を、至福としていたからだ。
「さて」
と、紅茶を最後のひとすすりまで飲み終えたジュリエッタが唐突に切り出した。席を立ちながら続ける。
「食事、ありがとう。そろそろ本屋に行きたいので、これで失礼する」 「あ、俺も付いて行くよ」
空かさずギゼーも、当然の如く席を立つ。
「いや、いい。遠慮しておく」
ジュリエッタの拒絶の言葉も、「いや、女の子の一人歩きは何かと物騒だからさ」とその一言で押し切ってしまう。
「好きにしろ」
ジュリエッタはぶっきら棒に言って店の出口に向かう。 ポポルと言うこんな平和な町の中で物騒も何も無いものだが、ギゼーは押し付けがましくジュリエッタの後を付いていく。勿論、そそくさと支払いを済ませてからだが。 町を歩く二人は何処かぎこちなかった。 ジュリエッタは暗赤のワンピースをひらめかせながら堂々と通りを歩いている。その後ろから媚びる様な仕草で、付き従うギゼー。一種異様な光景であった。見ようによっては、貴族のお嬢様と御付の従者とも取れるかもしれない。 中天を割った太陽がそろそろ西日に変わろうとする頃、二人は本屋の前に立っていた。
「いらっしゃいませー」
扉を開けると、心地よい鈴の音と共に店員である若いエルフの少女が出迎えてくれた。彼女がエルフであると言う事は、とんがり耳が深緑の髪の毛の間から飛び出しているところから推測できる。エルフは長寿である事から、彼女が外見年齢通りの齢かどうかまでは解らないが、少なくとも16歳前後には見えるので年若いエルフなのだろうと憶測を巡らせる事はできた。 ギゼーが戸口で立ち止まって呆けていると、ジュリエッタは勝手に店内を見て周り、目的の本“毒薬と暗殺の歴史”を見つけ手に取ると、そのままカウンターにいる店員――エルフ娘に渡す。
「これが欲しいのだが」 「はい。金貨50枚です」
エルフ娘はジュリエッタのぶっきら棒な物言いなどものともせずに、笑顔で応対する。肩の辺りで揺れる深緑色の髪の毛がかわいらしいと思ったギゼー。エルフの例に漏れず、彼女は美貌の持ち主である。 値段を告げられたジュリエッタは、徐に後ろに控えているギゼーを見遣る。その眼は心なしか「奢れ」と言っているようにギゼーには思えた。
「!?」
一瞬、顔が引きつる。 仕方なしに、ギゼーはカウンターまで近付くと懐から金貨の入った袋を取り出すと、その中から金貨を50枚ほど取り出してカウンターの上に置いた。 ひょっとしたらここで奢れば、ジュリエッタが自分に好意を抱いてくれるかもしれないと言う甘い考えが過ぎった。が、その考えが甘すぎたのだと、後に思い知らされるのだ。
「ありがとうございましたー」
店員の笑顔が拝めただけでも儲けものだと、ギゼーは思う事にした。 ジュリエッタは念願の“毒薬と暗殺の歴史”と言う本を手に入れて一言、「ありがとう」と呟いただけで、格別に相好を崩すような事はしなかった。
「お客さんかい?」 「あ、店長」
本を買ったと同時に、カウンター奥にある扉が開いて銀髪で琥珀の瞳を持った青年が顔を覗かせた。扉の奥には階段があって二階に通じている。その更に奥には台所があった。 この店は、店長である銀髪の青年の住居も兼ね備えているのだ。 と、銀髪の青年の横にもう一つ顔を覗かせた人物が居た。余りにも唐突なので店長である青年も引き止める暇が無かった。
「……二人目……」
もう一人の人物はそう一言言い置いて、黙り込んだ。 その人物は、少女だった。二十歳には届かないだろうその風貌は、何処か神秘的ですらあった。灰色の簡素な巫女服を纏った彼女は今はベールを脱ぎ捨てている。恐らく彼女をベッドに運ぶ時に店長が剥ぎ取ったのだろう。灰色の長い髪を背中に垂らし、長い睫毛[まつげ]を伏せ目がちにしている。紅を引いた艶やかな唇を少し開けている。その口から先程の言葉が漏れ出たのだろう。暗い灰色の瞳は焦点が定まっていない。
「……私は灰の巫女。どうか、どうか私を助けると思って、私の目を見てください!」
縋るようなその少女の眼差しに射抜かれて、ギゼーは思わず空唾を飲み込んだ。 一目惚れだった。

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