[2936] 学城17号の「頚椎症」に関する医療の理論的実践を論ず |
- 愚按亭主 - 2018年10月07日 (日) 22時40分
今度の「学城」17号の中の「医療の理論的実践とは何か」で頚椎症を題材として、指導医と研修医のやり取りが展開されています。頚椎症は、私の専門領域の中に入りますので、興味深く拝見しました。理論的実践ということなので、一般論を踏まえるという意味で、生命の歴史から説いているところに、とりわけ関心を寄せながら読みました。 それを読んでの率直な感想は、残念ながら、理論的実践とは何かがいささかも分かっていないと思いました。まだ途中なのに、なぜそこまで断定できるのか、と言われそうですが、それが分かってしまうのです。理由は、彼らの一般論には、肝心の構造論がないからです。もう一つの理由は、彼らの理論は、形而上学的に実践と切り離されてしまっているからです。ですから、理論的実践といいながら、いささかも実践的理論にも、理論的実践になっていないからです。つまり、事実を理論的に解釈することが、彼らの理論的実践の中身でしかないと思われてしまうからです。
南郷先生は、東洋医学は構造論がないからダメだ、と批判されました。ところが、構造論があるとする南郷学派の医学にも肝心の構造論がないために、頚椎症もまともに論じられないという現実があるのです。これは、東洋医学との統合を図ろうとしていないための、結果であり、罰といえるものです。
どういうことかと云いますと、西洋医学は、治已病の医学ですが、東洋医学は治未病の医学という、根本的な性格の違いがあるからです。そして、南郷学派の医学を目指す医師たちは、みな西洋医学出身です。ですから、東洋医学との統合を図らなければ、必然的に欠落してしまう構造が出てくることになってしまうのです。
むかし、私は、南郷先生に次のように質問したことがあります。医学には治未病と治已病とがあると思うのですが、医学はどうあるべきでしょうか?これに対する南郷先生のお答えは、治未病と治已病との統一であるべきだ!と明快にお答えになられました。 、 ところが、医学とは、正常な生理構造が異常な生理構造へと歪んでいく過程、、およびその逆の過程を研究し明らかにするものだとしながら、南郷学派は、治未病すなわちまさにその過程を実践してきた東洋医学は、構造論のない現象論に過ぎないとして、それとの統合を図ろうとしていないのです。結果として、治已病すなわち正常へ回復するのが困難な状態に陥ったものばかりを対象とする、西洋医学に全面的に依拠しながら医学を構築することになって、正常な生理構造から異常な生理横増へと変化していく過程において、非常に大事な役割を果たしている構造が欠落してしまうことになったのです。もっと真面目に、その構造論のないとする東洋医学が、西洋医学全盛の現代においても、駆逐されずに存在できていることの意味を考慮すべきです。
この構図は、観念論で事実的な構造論がないとして、全体論としての哲学を否定して、部分的論理の個別科学を寄せ集めれば、学問が成ると思い込んで、袋小路に迷い込んでしまている、南郷学派の現状そのままの態です。そんなことはない、唯物論からの相対的真理の系譜の哲学を、独自に事実の論理からのみ導き出して、学問史上初の画期的な新世紀の本物の哲学を構築して、学問を構築しようとしているのだ、との反論が予想されます。
しかしながら、その試みが失敗することは目に見えています。細胞をいくら寄せ集めても生命にはなれないのと同様に、部分的論理をいくら寄せ集めても全体的論理すなわち哲学にはならないからです。だから南郷学派の哲学は、哲学の歴史を学問的に説けない、独りよがりの部分性の論理で強引に自分勝手に解釈した、まさに、自分たちが批判していた、ヘーゲル以後の哲学の一種にしかなれない、という厳然たる事実を目の当たりにする結果を味わうことになることは、最早必定といえるほどなのです。
その憂き目を味わわずに済む方法は、東洋医学と同様に、人間の身体全体を指圧で治療してみることです。これこそが、南郷学派の医学が本物になるための理論的実践となり、実践的理論を構築する道と言えるはずですが、おそらくは、やっていないと思います。そうすると、何が見えてくるかと云いますと、人間の身体は一つだということが実感を持って分かるはずです。さらに、もう少しその認識が深まると、一個の細胞が分化していって複雑な多細胞体になっている個体の一体性・統一性を実体的に支えているのは、スジのネットワークであることも実感を持って分かるはずです。そして、そのスジのネットワークを統括しているのが、他ならぬ自分たちが現代医学の誤りとして指摘している交感神経であることも、分かるはずです。
そうしたならば、当然にも、生命の歴史を説く時にそのことに触れないわけにはいかなくなることは、必然性なはずです。ところが、哺乳類から人間への過程を説いているのに、そのことが全く触れられていません。もっと言うならば、東洋医学の偉大な発見である経絡の構造についても触れられていません。だから、私は、駄目だこれは!と断定せざるを得なかったのです。基礎として説かれているものの中に、最も重要な構造であるものの生成の過程が説かれていないのでは、その後の論理をそれが反映されるはずがないからです。 では、どうして頚椎症を解くに際して、その構造が必須であるのか由縁を、私の治療体験を通じて具体的に説明しましょう。その治療体験とは、次の二つの症例です。一つ目は、そのものズバリ、頚椎症すなわち頸椎椎間板ヘルニアと診断された症例です。二例目は、自然気胸を頻発する症例です。なぜこの症例を挙げるのかと云いますと、この症例は、交感神経とスジのネットワークがどのような働きをしているかを明確に示してくれている症例だからです。
それでは早速、一例目から紹介していきましょう。頸椎椎間板ヘルニアと診断されて、一週間後にもう一度詳しく検査して、そこでやはり手術が必要と判断されたら、手術することになるという方が、どうしても手術はしたくないということで、天寿堂に来院しました。症状は、非常に頑固な神経の痛みとシビレでしたが、そのスジの異常な硬さ・ほぐれにくさに、細い鍼では歯が立たず、太い鍼でようやく何とかほぐれる兆候が出てくるという状態でしたので、私は、これは、椎間板ヘルニアが原因ではなく、むしろ結果ではないかと判断し、このヘルニアを治しても、この神経の痛みとシビレは取れないと思いますよ、と説明しました。
しかし、手術は嫌だから、どうしても手術しないで済むようにしてほしいということで、手術回避を目標に毎日治療することになりました。私は初めは、とにかくスジのネットワークが異常に硬すぎるので、それをある程度ほぐしてから、頸椎を広げる鍼を施すことにしました。そして、ようやくできそうだなと思って、椎間板ヘルニアの起きている頸椎と頸椎との間に太い鍼を入れようとしましたが、硬すぎて鍼が全然入りませんでした。それでも外からそこを何度も突いて鍼を入れようとして、とうとう最後まで入りませんでした。ところが翌日、再挑戦してみると、不思議や不思議!、今度はスゥ~と鍼が呼び込まれるように入っていくではありませんか!前日の外からの突っ突きが決して無駄ではなかったことが分かり、ホッといたしました。これで大丈夫と確信しましたが、実際、検査の結果は手術する必要なしということでした。しかしながら、私が予想していた通り、神経の痛みとシビレは全く変化ありませんでした。
そしてその真の原因が、ストレスであったことが後で分かりました。ストレスは、交感神経の働きを乱し、スジのネットワークの粘着性を高めて、スジを固めていってしまいます。これが神経線維と癒着しますと、神経の痛みやシビレを起こす原因となります。スジはもともと、神経が、実体的にどのように運動させられても、その働きに支障をきたさないように保護するものなのですが、その保護するガードマンが、おかしくなって神経に悪さするようになってしまっていたわけです。また、頸椎と頸椎をつなぐ靭帯(スジ)も縮んで硬くなって間の空間が強烈な力で狭められることになってしまった結果として、椎間板が耐えきれずに、その髄核が飛び出してヘルニア状態になってしまったと考えられます。以上のように、この症例の発症のメカニズムを説明するに、交感神経とスジのネットワークが必須であることがお分かりになったでしょうか?
しかも、その神経の異常な痛みとシビレが治った過程も、非常に興味深いものです。こんな状態では、毎年恒例の母親を載せての伊豆へのドライブは無理ねと言ったのに対して、私は、是非行きましょうよ!進めたのですが、手術が回避された途端、治療に来なくなって、私は大丈夫かなととても心配になりましたが、それも杞憂に終わり、むしろルンルンで、神経とスジの癒着も取れてすっかり良くなってしまったのです。これには本当に驚かされました。心が躍動し、交感神経も気分良く働くようになると、スジの癒着も取れてしまうのだなということを、この事実は物語っていると思います。
次に二例目ですが、これは頚椎症によって筋力低下や筋肉の喪失がなぜ起きるのか?を説明するのにとても役に立つ症例です。そもそも頚椎症が起きるのには、スジのネットワークの劣化が無ければ起きませんが、これは、そのスジのネットワークの状態が悪いと、どういうことが起きるのかを端的に示してくれた症例です。この症例は、親や兄弟も同様にスジのネットワークの状態が悪いために、自然気胸を発症してしまう症例です。このようにスジのネットワークの状態が悪いために、交感神経はいつも全力で働かせようとするあまり、常に手足の平に汗がにじみ出ている状態が続いていました。これは、スジのネットワークが良くなるにつれて、自然に出なくなりました。このスジのネットワークの状態の悪さのために、子供のころ水泳をやっていて、前腕や下腿の筋肉がつかずしたがって泳ぎも一向に良くならないという体験をしたそうです。それが治療によってスジの状態が良くなると、筋肉もつくようになり、泳いでも全然違うので驚いたと言っていました。つまり、スジの応対が悪いと、筋肉がつかず、筋力もどんなに努力しても、つかないということになってしまいます。これは成長期の話ですが、年を取って頚椎症になると、筋力の低下や、筋肉の狭小化を招いてしまうことになる一つの大きな原因と考えても良いと思います。
さて、学城の次の号で、このような説明がなされるか、大変興味深いところです。
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