[2641] 本当に「歴史上弁証法の全体像を提示できた学者はいない」のか? |
- 愚按亭主 - 2017年06月21日 (水) 10時27分
南鄕先生は、夢講義3巻の、第二章 講義録「弁証法の上達の構造を説く、の第四節歴史上弁証法の全体像を提示できた学者はいない、の中で「かのヘーゲルも『私の弁証法は』と声高にこの言葉を用いてはいるのである。でも、彼らの誰一人として、弁証法の正体(全体像)を示してくれた御仁はいない!のである。」と断じています。はたしてそうでしょうか?私は、そうは思いません。なぜなら、ヘーゲルはそれを論理的にも具体的にも見事に提示してくれているからです。世界の絶対的本質である絶対精神が絶対理念へと至る発展過程論として弁証法の全体像を提示しているだけでなく、その運動体の弁証法の論理学までをも有論・本質論・概念論という形で体系的にきちんと提示しています。そしてそればかりでなく、その学的弁証法の上達の構造論までも、南鄕先生の技の上達論よりも百年も前に、見事に提示してくれているからです。
ところが、なぜか南鄕先生には、それが見えていないようです。つまり、見れども見えず、となってしまっているようなのです。その原因は、観念論を否定しているために、絶対精神や概念論を頭から誤りだとして、非科学的な先入見のままにそれらを除外して対象外としてしまっているためです。その結果、南鄕先生の視野の中には「歴史上弁証法の全体像を提示できた学者はいな」くなってしまったのだと考えられます。そして、その反面、南鄕先生がこのように豪語する裏には、自分ならできるという自負・自信があるのだと思われますが、目下のところ、残念ながら他の著作を含めてどこにも、それが提示されてはいないようです。生命史観も、ヘーゲルの弁証法の全体像の一部でしかありません。おそらくは、全集第三巻にそれが展開される予定だと思いますが、これまでの取り組みを見ますと、それに大苦戦して、迷走している現状では、それが出来上がる可能性は限りなく薄いと言わざるを得ません。否、それどころか、確実に失敗するだろう道筋の方ばかりが、ますますはっきりとしてきています。
{南鄕学派の弁証法の実態・実像} 南鄕先生は、自信満々に自らの頭脳が実体的にも機能的にも弁証法的に技化していることを誇って、次のように述べておられます。
「脳のはたらきである認識が,弁証法を駆使できるレベルを超して,認識そのものが弁証法性を帯びて,あたかも認識が弁証法的認識であるかのように,(観念的に)実体化していく状態を通過するなかで,それが相互浸透されて脳の実体そのものが,脳として,つまり脳の認識を創りだす能力そのものの機能が,弁証法化するという事態にまで発展していけるのである。 すなわち,認識が弁証法的に考えようと思わなくても,勝手に弁証法的に考えてしまっている,すなわち,弁証法的な考えかたを自分で意図的に止めないかぎりは,必ず弁証法的に認識を創りだし,弁証法的な認識を創りだす,そういう脳の実体に量質転化化しているのである。」(pp.173-174)
これを受けて京都の皆さんが弁証法の技化のために自分たちがどうしたらよいかについて、つぎのように述べています。 「そのような弁証法的頭脳活動が可能となるためには,どのようにすればよいか。それは,本書でも説かれていたとおり,弁証法の基本的な頭の働かせ方を意識して,それをくり返しくり返し辿り返すことであろう。具体的には,弁証法の基本書としての三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』を,改めて原点として設定し,そこに戻って,またそこから学び直すとともに,南郷継正の『“夢”講義』シリーズも,くり返しくり返し読み込んでいく必要があるだろう。」{「弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想(5/5)」}
ところが、南鄕先生が「夢講義(3)」の中で推奨している弁証法の技化の重要なポイントは、 「弁証法の学びも、教習所の運転コースから市街地へでていき、そこから郊外の道を走り、やがては高速道路へと、そこを経たら、いうなれば山道、がけっぷちの道、といったあらゆる道路を易から難へと訓練しつづけてようやくにして一人前のドライバーとなることができる(一人前の弁証法者となることができる)ものである。」(pp.172-173)
であるはずであるのに、あえて京都の皆さんがここではなく、教習所の運転コースをしっかりとやろうと結論付けたのは、自分たちはまだそのレベルだとの謙虚な自覚があるせいなのだろうと、推察されます。しかし、南鄕先生は、自分の経験上から、、それではだめだ生の事実と格闘しなければ本物の弁証法は身につかないということを力説したのが、この「夢講義(3)」だと思います。
さて、どちらが正しいでしょうか?その答えはズバリ、どちらも正解とも言えるものの、不正解とも言える不完全で中途半端な代物に過ぎないということです。京都の皆さんの思いは、まず基本技をしっかりと学びたいという思いは正しいと思います。しかし、その肝心の挙げられている基本技が基本技としてふさわしいものとは言えない代物だということです。つまり、京都の皆さんが挙げている「弁証法の基本書としての三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』を,改めて原点として設定し,そこに戻って,またそこから学び直すとともに,南郷継正の『“夢”講義』シリーズも,くり返しくり返し読み込んでいく必要があるだろう」が間違いなのです。では、それらの弁証法の何が拙いのかと言いますと、それらは絶対的真理の弁証法ではないからです。どういうことかと言いますと全体性の論理の弁証法ではないということです。極端なことを言えば、幹の弁証法ではなく、枝葉末節の論理の弁証法だということです。ですから、それは弁証法の基本技とはなりえないということです。それが証拠に、それを技化した南鄕先生の論理的一貫性のなさ体系性のなさが、それをものの見事に証明しています。ここで取り上げている技の上達論を筆頭に、かつての自分自身がものにした論理を、次々と自分で破壊していっているという事実、しかもそのことに全く気付かないでいるという事実こそ、基本技であるべき全体性の弁証法ではなく、部分性の弁証法、使い方の弁証法のなせる業であり、欠陥であることを物語っていると思います。
では、南鄕先生の上達のコツの方はどうかと言いますと、弁証法を真の意味で完成させるためには、その過程は必須だという意味で正しいと言えますが、南鄕先生の弁証法の上達の過程的構造には、弁証法の基本技とは何かや、その修得過程のありよう(本来その過程は事実から隔離されなければならないはずです)が明示されていないのは大問題です。はっきり言って「ない」と断じても過言でないほどです。それはなぜかと言いますと、不幸なことに南鄕先生は弁証法の本物の基本技に出会う幸運に恵まれずに、分かりやすい三浦さんの枝葉の弁証法を本物の弁証法と錯覚して、しかし、それは実際にはあまり役に立たず、自力で事実から弁証法性を引き出すことによって弁証法の実力をつけたという経緯があり、そうして身につけた弁証法と三浦さんの弁証法とが同じレベルで基本技のありがたみがなく、しかも重層構造の自分の弁証法の方が数段複雑で素晴らしいものに思えたために、次第に基本技を軽視するようになっていって、ほとんど無視するするところにまでつき進んで行ってしまって、弁証法は事実から学ぶのが一番だという結論に達したのだと思われます。。
南鄕先生が、このように事実との格闘の中で、部分的な枝葉の弁証法を喧嘩拳法的に技化してしまったことからくる欠陥は、次のような形で表れています。それは、自分の経験に自信を持つあまり、対自的に全体に筋を通すということをおろそかにするようになって、あちこちに論理的に筋の通らない誤りを平気でで犯すようになってしまったことです。これができるということは、本物の弁証法の基本技を技化していない・してこなかったことの結果なのです。つまり、部分的な枝葉の弁証法だから、全体に筋を通す必要性を感じないから、そういうことが可能になるのです。もし、全体性の弁証法の基本技が本当に技化されていたならば、それが感情化されていたならば、天地がひっくり返っても決してそういうことは起こり得ない話なのです。ですから、これだけでも、南郷先生の弁証法には、弁証法の基本技がないか、あるいは崩れてしまっている、ということが言えるのです。つまり、一から多へ展開するばかりで、一へと戻る・収斂しない弁証法だということです。
だから南郷先生の弁証法には、正統派の学問の歴史の香りが薄く、豪の者の強烈な独特の香りがするのです。ですから、そういう弁証法を土台として、認識論を学問的な認識学にすると豪語するのはよいのですが、実際その認識学の中に、学問の歴史においてとても重要な意義を持つ「先験的な純粋理性」とは何かについて、観念論だと否定するばかりで、認識論的な解明が一切ありませんし、その気もないようです。それらをすべて観念論的だとして否定し、自ら消しておいて、これまでの学問には見るべきものが何もないからと、なければ自分たちが、ゼロから唯物論的・認識論的に創るしかないと思っているようです。しかし、その南郷先生が否定し無視している、人類の学問における思弁哲学の歴史こそ、弁証法の基本技の形成過程に他ならないのであって、これなしに弁証法を学的に措定することなど、できようはずがありません。したがって、それを無視して創られる認識学とは、一体どのような認識学になるのか、空恐ろしくなります。
{本当の弁証法の基本技とその修得過程} では、本当の弁証法の基本技とは何か?一言でいえば、それはヘーゲルの概念の弁証法です。その基本技である概念の弁証法の中には、始原となるエレア派の有論すなわちパルメニデスの世界は一にして不動、から静止体の弁証法すなわち形而上学、そして運動体の弁証法という思弁哲学の歴史がすべて揚棄されて含まれていることは言うまでもないことです。つまり、「精神現象学」ならぬ、
<精神(本質)一 対 多すなわち現象(事実)>
という、この世界の普遍的構造の発展過程は、哲学の歴史において系統的に(再)措定されてきたものです。、具体的に言いますと、カントまでの静止体の弁証法の段階までは無機的物理的発展(たとえばその成果としてニュートン力学など)の論理として、さらに生命の誕生という画期的物質の有機的化学的発展の段階の措定としての運動体の弁証法が、ヘーゲルによって概念の弁証法として創り上げられたのです。この物質の発展の歩みの再措定は、論理化の能力を持つ遺伝子の外化としての理性的認識の思惟の運動のなせる技であって、それが全体性の論理を直観的に措定できる理由であり、これが経験の論理化の積み上げなしに行われるがゆえに「先験的」とされる所以なのです。ですから、これは物質の歩みの本質的必然性であり、これなしに学問は誕生できなかったと言えるほどのものなのです。したがって、これを観念論として否定することの愚かさが分かろうというものです。それは学問の歴史の否定・破壊であり、そこから学問が生まれると思うのは熱病病みの唯物論者の妄想にすぎません。
この先験的・純粋な論理を始原とする絶対的真理(観念論)と、経験由来の事実を起点とする論理すなわち相対的真理(唯物論)とを、決して混同してはならないと峻別したプラトンとカントの、学問的認識の形成過程における功績は計り知れないものがあります。それは、アリストテレスやヘーゲルがそれぞれ静止体の弁証法・運動体の弁証法を完成させることができたのも、この過程があったからこそ、といっても過言ではないほどだからです。ところが、弁証法の基本技には必須なこの論理が、南鄕学派の学的弁証法の技化の過程にはありません。これがどれほど重大なことかと言いますと、じつはこれが、弁証法の基本技の技化の中心と言えるほど重要な過程だからです。というのは、この過程は、空手の技の修得過程でいえば、戦いを否定して最高の技の形を身に刻み込む過程に相当するからです。これがすなわち、弁証法の基本技の修得において、一旦事実との格闘を否定し棚上げにしておいて、ヘーゲルの言うところの哲学の歴史の論理を観念論的に「教養」として身に着けることです。しかし、ここで注意しなければならないことは、京都の皆さんのように唯物論の立場からの上から目線で取捨選択していたのでは、絶対に教養として身につかない、すなわち真の弁証法の基本技は身につかない、ということです。残念ながら、折角哲学の歴史を真面目に学びながら、今のままでは徒労に終わってしまう可能性が非常に高いということです。つまり自由な立場で教養を学ばなければならないということです。
「学城」五号にある瀬江千史著「南鄕継正『武道哲学講義』のヘーゲル論は何を説くのかー主題は学問構築のための過程的構造論であるー」の中で、瀬江千史先生は、南鄕先生が解読したヘーゲルの学問形成の過程的構造論について、ヘーゲルがそれを説いていることにまず驚き、次にその内容が南郷学派のそれと同一の内容で、自らもまさにそういう過程を踏んで現在に至っている体験的事実を踏まえての驚きを吐露しています。そこで、その部分を引用しましょう。まず、引用されているヘーゲルの言葉を見てみましょう。
「教養とは、精神が、実体的な生活の直接性から脱し、形成されてゆくことである。それが何にはじまるかといえば、一般的な原理や観点についての知識を獲得し、まず、ことがら一般の思想という場面へ自分を引き上げることである。そして、それらのものを支持するにも、反対するのにも理由をあげ、具体的で豊かな内容の充実に対し、それを明確に規定してとらえ、それにかんする整った報告とまじめな判断を与えうるようにならなければならない。教養のはじめは、いつもこれらのことに置かれるべきであろう。しかし、この最初の段階は、次にはやがて、充実した生の厳しさに席をゆずり、ことがらのそのものの経験へ引き入れられることになる。そして、そこへさらに、ことがらの深みに徹する概念的把握のきびしさが加わってきたとき、さきのような知識や評価は、議論のなかで、それぞれ適当な位置をもつことになるであろう。」
ここで説かれているヘーゲルの上達論は、まず「教養」という基本技のレベルに自分自身を引き上げて、その「教養」を用いていろいろな問題を解いていくことが、第一段階だとしています。この第一段階の後者は、空手でいうところの約束組手に相当します。つまり、基本技をそのままに技を用いる訓練です。これによって基本技を現実的に使える技へと仕上げていく過程です。そして、その次の段階は、生きた事実との真剣勝負の経験を積むことです。これが南鄕先生の言うところの「教習所を出て」市街地へ、高速道路へ、山のがけっぷちの道へ走り出ていくことに相当します。いわゆる基本技の使い方の過程です。このヘーゲルの上達論は、まさしく「その内容が南郷学派のそれと同一の内容」といえるものです。しかしながら、弁証法の上達論に限って言えば、ヘーゲルの方は同一なのですが、肝心の本家本元の南鄕学派の方は、すでに何度も指摘してきたように、同一ではない技の崩れ・論理の崩れの内容になってしまっています。その原因が、南鄕学派の弁証法には、基本技といえるものがないためであることは、すでに指摘しておいた通りです。
以上のヘーゲルの上達論の観点から言えることは、ヘーゲルの「大論理学」が基本技そのものであり、「小論理学」を含めた「エンチュクロペディー」がその約束組手すなわちその基本技のそのままの適用であるということが言えると思います。この件については、以前にその構造を分析したことがありますので、再度ここで紹介しておきましょう。
「目次を見てもらえれば分かる通り、「エンチュクロペディー」の「自然哲学」章は、三項の論理の重層構造として体系的に説かれています。すなわち、 第一部 力学(量的普遍性) A 空間と時間(外枠的無限的普遍性) B 物質と運動(内在的質的特殊性) C 絶対的な力学(その完成形としての統体的個別性) 第二部 物理学(質的特殊性) A 普遍的な個体性の物理学 B 特殊な個体性の物理学 C 統体的な個体性の物理学 第三部 有機的な自然学(量と質の統体的な個別性) A 地質的な自然学(地球としての普遍性) B 植物的な自然(生命的地球としての特殊性) C 動物的な有機体(地球から独立的な統体的個別性)」(かつての削除した記事談論サロン「学城13号批判」より)
以上のように、基本技に忠実に〈普遍性ー特殊性ー統体的個別性)の三項の弁証法的論理で体系的に叙述されているのです。このことは、滝村先生も指摘しているとおりです。しかし、なぜヘーゲルがそうしたのかの真意は、滝村先生には伝わらなかったようです。以下にその文章を引用しておkます。 「ヘーゲルがここでも、余りにも徹底的に、その概念弁証法による思弁的構成に、こだわり過ぎた点にある。それは、学的国家論を、〈法ー道徳ー人倫)という法的理念の弁証法的展開による、〈法哲学〉の構成に、端的に示されている。これを裏からいうと、国家論の学的解明において、〈国家〉それ自体を学的対象として、直接正面に据える学的方法が明確に斥けられたことである。」(「国家論大綱第二巻」452P)
ヘーゲルは、弁証法の形成過程に関する三項の論理を、二種類残しています。その一つ目は、<抽象的悟性>→<否定的理性(弁証法)>→<肯定的理性(統体思弁)>です。これは弁証の上達過程の第一段階に相当します。ですから、この過程の<否定的理性>が基本技の創出段階であり、<肯定的理性>が約束組手段階です。これが、「エンチュクロペディー」であり、「法の哲学」となります。
二つ目は、<即自的悟性>→<対自的否定的弁証法的理性>→<即自対自的肯定的弁証法的理性>で、これが、和あの使い方の過程、つまり即自的悟性すなわち事実との真剣勝負の学問の形成過程の第二段階に当たります。ヘーゲルは、残念ながら第一段階までで、ここまで到達することはできなかったようです。そのためには、創り上げた基本技を一旦否定して、事実との格闘の過程が必須となりますが、その過程を歩んだのがマルクスであり、南鄕先生なのです。そして今、学問(絶対理念)の完成形としての<即自対自的肯定的弁証法的理性>に至るために、一旦唯物論を捨て<即自的悟性>を否定して、ヘーゲルの概念の弁証法を復活させなければならない段階にあるのに、それが自覚できなくて、唯物論から離れられなくて立ち往生しているのが、現在の南鄕学派なのです。ところが、この過程はヘーゲルによって当に論理的に措定され、見通されている必然の過程なのですが、南鄕学派は、ヘーゲルの掌で奮闘している己の姿に気づかず、ヘーゲルと超えたと錯覚しているうちは、難しいかもしれません。もっと謙虚になれば道は開けてくると思いますが・・・・・・。
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