[2630] 弁証法の基本技とは何かー南鄕学派に見られる技のなさ・技の崩れ |
- 愚按亭主 - 2017年05月09日 (火) 19時36分
〔観念論そく誤りとする風潮の愚〕 私はすでに何度か言及していることですが、弁証法には基本技というものが「ある」と思っています。こういうと必ず、基本技というものがあらかじめ「ある」というのは観念論だ、ここは唯物論的に、技は創るものだとしなければならない、とクレームをつけたがる人が出てきます。私がいう「ある」というのは、弁証法の歴史を私なりに措定したうえで、弁証法の構造として、基本技と位置付けられる必然性がたしかに存在するという意味で「ある」という言葉を使用しているのです。ですから、もしこういう批判があったとしたならば、それは全く相手の真意を理解しようともせず、あるいは理解できずに、言葉尻で批判していることになります。
同じことが、ヘーゲルに対する大方の誤解にも言えます。たとえば、 「ヘーゲルの構築した壮大な哲学体系は、世界観(この物質的な世界は永遠の昔から物質的に統一されていたのか、それともある時点で精神的な存在によって創造されたのか、というこの世界のあり方の根本にかかわる観方)としては観念論(精神こそ根本的な永遠的な存在であって、物質と呼ばれるものはその産物であるとする世界観)にもとづいたものでした。つまり、ヘーゲルにおいては、この世界全体の歴史的発展のあらゆる過程が、絶対精神なるものが自己を展開していく一連の過程として捉えられていたのです。」
この文章は、ヘーゲルの壮大な哲学体系は観念論であるために誤りである、というニュアンスで述べられています。この捉え方は、ヘーゲルの哲学に対する代表的な評価・とらえ方であると思います。しかし、この観念論だという一点だけで、ヘーゲルの哲学は誤りであるとする決めつけ方は、前にも述べておいた通り、観念論が世界の起源に関する観方であるという規定自体がそもそも誤っているのであって、それを正しいとする前提での議論(観念論だから誤りであるという)そのものがナンセンスであり、誤りなのです。
ところが、ほとんどの研究者たちが、その誤った思い込みで創り上げた先入見・色眼鏡で(観念論的に)ヘーゲルの文章を読んでしまっていて、ヘーゲルの文章が、どんなに正しいこと・凄いことを書いてあるものであっても、「ヘーゲルの立場からするとそうなる」というような突き放したような評価となって、つまり、自ら高い壁を設けて、折角の宝物を自分のものにできないように、自分に浸透しないように防御して、自分が真の学問人になれないように、そういう現在の自分を一所懸命守っているのです。これは、その個人にとっては自己満足できるのでしょうが、日本の学問の発展にとって、とても残念なことであり、悲しむべきことです。
ヘーゲルは「絶対精神」を、この世界の「絶対的本質」という意味で使っているのですが、「精神」という言葉が使われている、ということだけでその中身を見ようとしないで、観念論だ決めつけて、その色眼鏡をもってすべてのヘーゲルの文章を解釈しようとするのです。その結果、その精神が物質に化体する、すなわち精神が物質に姿を変える、と解釈して、やはり観念論だ、としているのです。しかしながら、「絶対的本質」とは、全体の本質ということであり、その本質の立場から見れば、本質が現実の自然として姿を現す、、ということは本質が現象するということであって、何らも学問的に問題がないどころか、まさにその通りであるはずです。ところが、はじめから観念論だと決めつけてしまっているので、その正しい指摘を素直に受け止められずに、これも物質が精神の仮の姿にすぎないことになると強引に解釈して、これは観念論だから誤りだと訳の分からない理由で否定するのです。しかしこれは、三浦つとむさんの誤った世界観の観方に基づく解釈であって、ヘーゲルが言っていること違うのです。ですから、それをもって断罪して真の学問のヘーゲルを否定して、自らの学問的実力を自ら投げ捨てていることに気づいていないのです。あわれと言う他ありません。
〔学問は絶対的観念論でなければならない〕 マルクスエンゲルス以降、南郷学派も含めてほとんどの人は、学問は唯物論の立場でなされなければならない、ということが流行し常識となっている観があります。ところが、ヘーゲルやディーツゲンは、学問の体系化は、唯物論の立場から離れて自由でなければならない、としています。実際、その言葉の通り、個別科学の体系化をある程度果たして、いざ学問全体の体系化に唯物論を堅持したまま乗り出そうとした、南鄕学派の実態は、唯物論を貫き通そうとすればするほど、ますますボロが出てきて、論理的破綻をきたし、論理的一貫性の喪失があらわとなってくる始末です。具体的にどういう論理的破綻があるかと言えば、弁証法の歴史を弁証法的に解けないという論理的破綻であり、しかもその自覚が全くないだけでなく、その弁証法の歴史の唯物論的・認識論的な措定と称するものが、人類初のかがやかしい学問的成果であるとまで豪語しているのです。これに対する私の批判は、すでに前の記事で行っておりますのでここでは省略しますが、その根本的な原因が、観念論を否定し唯物論を貫こうとしているためなのです。その大本は、マルクスのヘーゲルに対する次の批判にあります。 「ヘーゲルの法哲学批判」の中で、マルクスは次のようにヘーゲルを批判しています。 「ヘーゲルが普遍と個というような、推理の抽象的諸契機を現実的対立物として取り扱っているばあい、それはまさにかれの論理学の根本的二元論である。」 そしてさらに、その三十年後に「資本論第二版」のあとがきの中で、依然として彼はヘーゲルの弁証法を次のように批判しています。 「ヘーゲル弁証法の神秘的な側面は、わたしがおよそ三十年前、ヘーゲル弁証法が流行していた時代に批判した」
ここでマルクスは「根本的二元論」を間違いだとしていますが、マルクスのこの言葉こそ、彼がヘーゲルの弁証法を正しく理解していなかった証拠といえます。この「根本的二元論」とは観念論と唯物論との二元論という意味ですが、ヘーゲルはこの対立を止揚して統合しています。ところが、観念論を否定して唯物論に一元化したいマルクスは、この統合をわざわざ離間させて対立のままに戻して「根本的二元論」として、「抽象的なものと現実的なものとを混同している」と批判したわけです。ところがヘーゲルにあっては、抽象的な論理的諸契機は、現実的な対立を含めた全体の一モメントに過ぎないのです。だからこそ、ヘーゲルは抽象的な論理的諸契機を現実的な対立としたのですが、マルクスは、そのヘーゲルの弁証法の論理学の弁証法性を理解できずに、「神」とか「絶対精神」という用語を使っているから神秘主義や観念論だと規定してしまって、その正当性を理解できなかったのです。
じつは、そのマルクスの誤りに対する根本的な批判が、科学的唯物論の立場に止まる限り学問は完成しないということが、「小論理学」の中で明確に述べられています。残念ながら、マルクスはその言葉を素直に受け止めなかったようです。マルクスは、ヘーゲルの弁証法を観念論的・宗教的・神秘主義的側面をもつ欠陥があると規定してしましたが、それには、マルクスが、ヘーゲルの弁証法をもって現実の問題を解こうとして役に立たなかったという事実があったために、ヘーゲルの弁証法から離れて唯物論の立場・科学的立場に立って現実の問題を解く必要性に迫られていた、という事情もあったためと考えられます。
しかし、それはヘーゲルも見通していたことであって、ヘーゲルの弁証法の欠陥でもなんでもなく、マルクスは自らヘーゲルの弁証法の通りに行動しながら、それを自覚できなかったばかりか、ヘーゲルの弁証法を誤りだと批判してしまったために、否定の否定の行程における第一の否定を、第二の否定ができない形で行ってしまったのです。それがために現在、南鄕学派が第二の否定ができずにもがき苦しんでいる事態を招来してしまった、と言っても過言ではないと思います。
このようにヘーゲルの弁証法は、マルクスが「根本的二元論」として部分的に認めていたように唯物論も観念論も含むものです。そして、その「根本的二元論」を統体止揚した絶対的観念論がヘーゲルの学問的立場であり、唯物論を離れて立つべき「自由な立場」の真相なのです。この絶対的観念論の構造はどういうものかと言いますと、唯物論の即自的悟性と、観念論の対自的否定的弁証法的理性との、根本的二元論を統体止揚して統合した絶対的観念論の即自対自的肯定的弁証法的理性が、すなわち学問であり、絶対理念だということです。学問の形態は、論理の体系化すなわち理念であり観念であり、その学問体系の頂点に位置する学問の冠石である絶対的真理が、学問全体を統括するわけですから、観念主導の絶対的観念論が、学問の立場として正解なのです。
〔「根本的二元論」とはこの世界のもつ普遍的二重構造〕 マルクスはヘーゲルの弁証法を「根本的二元論」で誤りだとして批判していますが、じつはこの「根本的二元論」は、現実の世界そのものが持っている性格・二重構造に即したものであり、決して間違いではないどころか、学問に必須な見方にほかなりません。どういうことかと言いますと、この世界は現象する事実の世界と、その奥に貫かれている体系的・論理的に統一された世界との二重構造になっているということです。この二重構造は、静止的な無機の世界から動的な有機の生命的世界へそしてさらにより高次の人間的な歴史的世界へと、連綿と発展し続けているこの世界に普遍的に存在する基本的な構造です。
この構造について、ギリシャ哲学は、次のように問題としてそれなりの答えを導きだしています。すなわち、パルメニデスが、まず最初に「世界は一にして不動」と論理的に規定し、それを受けてプラトンが、その不動の論理であるイデアこそが真理で、現象している世界はその投影に過ぎないと規定し、さらにアリストテレスが最終的に、師匠であるプラトンの説を、現象する世界は投影ではなく現実の世界であるが、その現象する形の世界の上に本質的な論理の世界が存在し、こちらこそが重要であるとする形而上学を創り上げたのです。
しかしながら、この哲学すなわち形而上学(静止体の弁証法)は、静的な無機的世界の物理学的な運動にたいしては有効ではありえても、動的な有機化学的世界の生命運動に対しては対応しきれないものでした。これを可能としたものが、ヘーゲルの創り上げた運動体の弁証法です。ですから、ヘーゲルの弁証法では、有機体の運動すなわち生命がとても重要な過程を占めるものとなっています。なぜなら、ヘーゲルの弁証法の終局目標と言える学問の完成形態である絶対理念の形成過程を、ヘーゲルは次のように規定しているからです。 <生命―認識―学問> つまり、生命は学問の出発点に位置付けられているのです。
これに対して、マルクス主義者であり「小論理学」の翻訳者である松村一人氏は、普遍性レベルを問題にしている時に、特殊性である<生命>を持ち出すのはおかしい、と異議を唱えています。しかし、この松村氏の批判は、氏の論理能力が静止体の弁証法すなわち形而上学レベルでしかないことを告白しているようなものです。ヘーゲルの弁証法は運動体の弁証法ですから、普遍性も発展していくのです。つまり、ヘーゲルの弁証法は、この物質世界の本流の発展を通じて世界全体が発展していく構造を説いたものなのです。生命は、その本流の発展の一過程を担ったものだからこそ、ヘーゲルは生命を取り上げたのです。そして、その生命の普遍的構造として、経験するあらゆる事実を論理的に総括した遺伝子と、その遺伝子に媒介されて現象する進化的事実との二重構造が存在していることは、すなわち、「現象する事実の世界と、その奥に貫かれている体系的・論理的に統一された世界との二重構造」の発展形態に他ならないということです。
そして、それが人間の認識の段階になりますと、その二重構造の、動物由来の即自の事実性の測面は感性的認識へと発展し、遺伝子由来の対自の論理性の側面は理性的認識へと発展するという認識の二重構造へと連なっていくことになります。弁証法は、後者の遺伝子由来の対自的な理性的認識の思惟によって、事実とは相対的独立に全体性の論理性の把握として創られ発展していくことになります。
〔弁証法とは何か―弁証法の基本技とは〕 ヘーゲルの弁証法では、絶対精神は即自有と規定されています。これはどういうことかと言いますと、この世界そのものがあるがままの状態、すなわちまだ己自身を自覚できない状態、つまり、自然成長性のままに存在しているということです。それがその内在的な自然成長性のままに発展していって、人類が誕生してその認識の発展の中でギリシャ哲学が生まれて世界の本質についての対自的な思惟の反省運動が始まって精神となっていきます。これが絶対精神の中の概念的部分の顕在化の端緒となります。そして、この運動をはじめて対自的に自覚したものが、デカルトの「われ思うゆえに我あり」です。これが、絶対精神がはじめて己自身を自覚した瞬間であり、自己意識が芽生えた瞬間であり、<即自有>が目的的な<対自有>へと転成していく出発点となりました。そして、カントを経てヘーゲルが学問の冠石である弁証法を完成させました。このヘーゲルの弁証法が、弁証法の基本となります。この基本となるヘーゲルの弁証法は、この世界の本質である絶対精神の運動である、この不断に運動・発展する世界をけん引する本流の運動・発展の構造を、論理的体系として、この世界の基本骨格として明らかにするものです。
この弁証法の基本を修得するためには、それを創り上げた思惟の運動を展開できる実力、すなわち弁証法的論理能力が必須となります。この実力の養成のためには、ゼノンが行ったように事実を介さない形での、つまり純粋な形で、論理の論理性に基づいて、その論理を発展させ体系化する訓練が必須となります。この訓練によって養われた論理能力が、弁証法の基本技となります。この基本技が使用に耐えうるレベルに出来上がったところで、今度は、技の創造から離れて、この基本技を対象に合わせて使用する過程に進みます。その場合、技の創造においては観念論的に弁証法の論理を中心としてそれに対象を合わせていましたが、技の使用の過程においては基本技は否定される形で対象に合わせることに全力が傾けられます。しかしながらこれが結果的に基本技と対象との統一すなわち統体止揚されて思惟と存在との統一が実現されることになるのです。
南鄕学派は、この技の使用に関して目覚ましい成果を上げることができました。しかしながら、この基本技とその使用との関係性の自覚がなかったために、その使用過程において対象の立体性・重層構造性に合わせて弁証法の構造も立体化・重層構造化していくことが、弁証法の発展であるとの思いを強くした結果として、基本技とは何かを明らかにしないまま突っ走ったために、対象の多様性に弁証法的な論理の体系性・一貫性が損なわれていても気づかなくなるという、技の崩れが顕わになってきてしまいました。
もともと南鄕学派は、弁証法の基本技の創造をまともに踏むことなしに、事実と直接的に格闘しながら喧嘩憲法的に弁証法の技を創ったものですから、弁証法的な論理的体系性や一貫性に鈍感・無頓着なところがありました。たとえば、せっかく「哲学とは何か」を措定しながら、肝心の真理論における絶対的真理と相対的真理の関係性についてまで、その論理を貫き通そうとはしませんでした。
このように、南鄕学派の弁証法には、ヘーゲルの弁証法に見られるような、論理的体系性・論理的一貫性が見られないわけは、そういうことなのです。つまり、ヘーゲルの弁証法を否定して弁証法の基本技をきちんと創らなかったこと、対象の多様性・複雑性に技が創られたことを、技の多さを誇って技のなさに気づかない少林寺拳法のように、その重層構造が弁証法の発展だと単純に誤解して、基本技としての論理的一貫性が失われていく深刻な問題として自覚することができなくなってしまったのです。
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