[2627] 南鄕先生のゼノンの詭弁=絶対矛盾論・背後霊論(学情15号」のどこが違うのか? |
- 愚按亭主 - 2017年04月28日 (金) 18時25分
「学情15号」を拝読しました。皆さんいろいろな分野で頑張っているのを見て、とてもうれしく思いました。その意気軒高・意気揚々とは裏腹に、このままでは学問の完成はとうてい不可能であることが、ますます明確にになったことも確かです。
それは、南鄕先生が説くところの「背後霊」なるものが何を意味するかが分かったからであり、南鄕先生の大いなる勘違い、というより生命の誕生の論理化で威力を発揮した量質転化にこだわって、その問いかけで創り上げた幻影に囚われて、ヘーゲルの言わんとすることを素直に受け止められなくなってしまっているように見受けられます。そこで、ヘーゲルが何を言っているのかを示して、その勘違い・幻影から目覚めて、真の学問の完成に邁進していただきたいと願うばかりです。
まず、議論の前提となる基礎的な問題について明らかにしておきたいと思います。そのために格好の一文を見ていただきたいと思います。それは「学情15号」の中にある「唯物論の歴史を学ぶ(三)」(朝霧華刃著)の中の次の一文です。
「私にはシュヴェーグラーさんに関しては、述べたいことが山ほどあるのです。例を一つだけあげておきます。
哲学を経験的な諸科学から区別するものは哲学の素材ではなくて、その形式、方法、認識の仕方である。
これは南郷先生の哲学講義を学んだ私からすれば、間違いだらけだと思えてしかたがないのです。」
これはおそらく、南鄕学派共通の認識だろうと思います。じつは、これこそが南鄕学派がヘーゲルを正しく理解できない原因であり、学問を完成できないと私が断ずる理由でもあります。もっと言えば、これが南鄕学派が哲学の歴史・弁証法の歴史を説(解)けない原因なのです。そして、その大本は、真理論の誤りにあります。これがどれほど重大なことかを、これから説いていくことにします。
〔絶対的真理とは全体的真理、相対的真理とは部分的真理〕 では早速、絶対的真理とは何か?相対的真理とは何か?ということから説明していきたいと思います。まず絶対的真理というのは、唯一無二の大本の真理ということです。つまり、何があっても変わることのない永遠不変の本質的な真理だということです。これに対して相対的真理は、一定の範囲内では真理であってもその範囲を超えると真理でなくなって誤謬に転化してしまうような有限な真理を言います。
なぜこのような違いが生まれるのかと言いますと、まず絶対的真理は、全体を貫く本質的な真理だということです。だから、カントはこの真理のことを「高貴な真理の王宮の女王様」と表現したのです。
一方、相対的真理の方は、全体の中の一部分にのみ該当する真理だということです。したがって、その部分に該当する範囲を外れると、もはや真理と言えなくなってしまうような真理のことを相対的真理と言います。私たちがある事実に焦点を絞って真理を探求しようとするとき、その真理は必ず相対的真理となる宿命を持っています。なぜなら、私たちが全体の中のある事物を問題とすることは、すなわち全体を否定するということであり、全体を否定することなしにある事物を問題とすることはできないからです。
このことは何を意味するかと言いますと、全体の真理は、部分的な事実から直接的にも媒介的にも生み出されるものではないということです。では何処から生み出されるのかと言いますと、全体性の論理性を直接に直観しそれを出発点として思惟によって、理性的認識の所産として創りだされるものです。これに対して、相対的真理は事実から事実を丸ごと受け止める感性的認識を出発点として生み出されます。この決定的な違いを理解することが、ヘーゲルの弁証法を理解する上で最も重要なことです。なぜなら、多くの偉大な先達が、ここのところで躓いてヘーゲルを正しく理解できなかったからです。
〔相対的真理をいくら集めても絶対的真理にはならない〕 この真理の性格の違いについて、昔から哲学で問題とされてきました。そのことがヘーゲルの「小論理学」に説かれています。「直接知」の項の八二でヤコービのスピノザ批判を次のように紹介しています。 「認識とは有限なものの認識、すなわち、制約されたものから制約されたものへと系列をなして進む思惟の進行に過ぎない。この系列において制約となっているものは、いずれもそれ自身また制約されたものにすぎないから、この進行は制約された制約を通って進む思惟の進行に他ならない。したがって、説明とか概念的把握とかは、或るものを他のものによって媒介されたものとして示すことを意味し、そこではあらゆる内容が特殊であり、依存的であり、有限である。そして無限なもの、真実性、神は、認識がそこから一歩も出ないような機械的連関の外にあるものである。――以上述べたようなヤコービの反駁において重要な点は、カント哲学がカテゴリーの有限である理由を、主として主観性という形式的な性質のうちに見出しているのに反して、ヤコービはカテゴリーの本姓を問題にし、カテゴリーそのものの有限であることを認識していることにある。―— ヤコービが特に念頭においていたのは、自然にかんする諸科学が自然の諸力や諸法則の認識において収めたかがやかしい成果であった。ララントは、自分はくまなく空をさがしてみたが、神を見出さなかったと言っているが、こうした有限なものの地盤にとどまっているかぎり、無限なものが見出されないのは当然である。この地盤における最後の成果として生じたものは、外的な有限物の不定な集合として普遍、すなわち物質であった。そしてヤコービは正当にも、単に媒介から媒介へ進んでいく方法をもってしては、これ以外の結果はえられないことを洞察したのである。」
ここに、とても重要なことが書かれています。それは、「諸科学」は「かがやかしい成果」を挙げてはいるものの、「有限なものの地盤」すなわち相対的真理の立場、事実にもとづく科学的・唯物論的な立場に止まる限り、「無限なもの」すなわち絶対的真理に到達することは不可能であり、したがって、その統一による真の学問の完成は難しい、ということです。
〔哲学の論理の形成過程と科学の論理の形成過程の違い〕 南鄕学派は認識学を標榜しているのに、この異なる二つの論理的認識の形成過程を異なるものとして全く究明しようとしていません。長い哲学の歴史において、連綿と問題とされ続けてきたのにも関わらずです。、しかも、赤ちゃんの認識が全体を全体として反映することから始まると説いておりながら、人類の学問が哲学(世界の全体的真理を追究する)から始まったことを知りながら、直接知とな何か、純粋理性・先験的理性とは何かを究明しようとしていません。
南鄕学派がしようとしているのは、哲学もすべて一緒くたにして、相対的真理の科学的論理の形成過程としてのみ究明しようとしているのです。しかし、科学的・唯物論的な事実の論理化は、様々な必然性が絡まりあって偶然性として現象しているので、その論理化はとても大変なのです。だから、諸科学の体系化がようやく体をなしてきたのはヘーゲル以降のつい最近の話なのです。唯物論だけが学問的な方法だと思い込んでいると、こういうことが分からなくなって、解明できるものに制約が生じて、「背後霊」などを持ち出さざるを得なくなってしまって、言葉にできない論理化できない自分を、そういう形で誤魔化すしかなくなってしまうのです。
これに比べて、哲学の全体性の論理性の把握は、面倒な事実が隠れてしまって、全体像を大まかに大胆に直観できるようになるので簡単なのです。だから、学問は、そこから始まったのです。そして、その発展も基礎となる論理の上に、事実を媒介とすることなく、その論理性に基づいて論理を体系化していく形で行われます。このことを思惟と呼び、その結果創られた哲学を思弁哲学と言います。これは歴とした正当な学問の冠石を措定できる唯一の方法なのです。このことをシュヴェーグラーは言っているのですが、南鄕学派には通じなかったようです。
ちなみに、、この思惟の運動形態こそが弁証法の基本技なのであり、この期間に弁証法的な論理能力が鍛えられるのですので、とても重要です。この基本技の修練の期間は、空手の基本技が戦わない形で創られるように、事実とかかわってはいけない期間です。ところが、南郷学派は、いきなり論理を事実と絡めて理解しろとなります。ですから、絶対的真理レベルの最高級の論理能力の技は、創るのが難しくなるのです。つまり、南鄕学派の弁証法の学習法は、喧嘩憲法の学習法だということです。
〔ゼノンの詭弁の哲学史における本当の意義とは何か〕 南鄕先生は、ゼノンの詭弁を言葉にならない背後霊的認識こそが重要だとして、ゼノンの詭弁を概念化するとそれは「絶対矛盾」ということだ、として歴史的な一大発見となるかのように書かれています。
按ずるに、ゼノンが、言葉にしなかった背後霊的認識として飛んでいる矢の像があり、これが言葉にした「飛んでいる矢は一点に止まっている」と、互いに相容れない「絶対矛盾」を形成するということなのでしょう。しかし、私はゼノンの詭弁の哲学史における本当の意義はそこにあるのではないと思っているのですが、百歩譲ってそうだとして、南鄕学派の説く弁証法の歴史においてどのように位置づけるつもりでしょうか?ソクラテスとの関係は?プラトンとはどうなのか?やはりパッと咲いてパッと消えた徒花のような存在とするのでしょうか?興味のあるところです。いずれにしろ、南鄕学派の弁証法の歴史そのものが少しも弁証法的でないので、とても苦しいのではないかと思います。
そこで、私の方から、ゼノンの詭弁の哲学史における本当の意義について、説明していきたいと思います。ゼノンは師匠であるパルメニデスの「世界は一にして不動」という全体性の論理を基点としてその論理性を展開していきます。ですから、この作業は純然たる思惟の運動であって、事実を媒介としない論理のみの展開でした。だから、時間および空間の無限性の論理から、飛んでいる矢を止め、アキレスと亀の関係性の不変を立証することができ、永遠に追い越せない関係性の不変性を立証できたのです。これを事実を媒介にして考えようとすることこそ、思弁哲学とは何か、思惟の運動とは何かが分かっていない証拠なのです。ですから、ここに背後霊が入り込む余地はなかったのです。
南郷先生は、己の得意とする相対的真理の論理性、事実の論理の形成過程の一般性からこの問題と解こうとしたために、そのことが分からなかったのです。
以上の検討から言えることは、パルメニデスの「世界は一にして不動」論およびゼノンの詭弁の哲学史・弁証法形成史における本当の意義は、すでにヘーゲルが解いてあるように、絶対的真理レベルの理性によって導き出されたこの両論が、抽象的悟性たる「万物は流転する」を否定的に媒介したこと(これを弁証法という)です。そして、その対立する両者の統体止揚として、プラトンが唱えた、「不変のイデアこそが真理であり、変転多様の現象的世界はその投影に過ぎない」論を経て、アリストテレスの、現象的世界は実在するが、その形の世界の上に不変・普遍の真理の世界があるという形而上学(静止体の弁証法)の完成がある、という形で哲学の歴史が進行していくことになります。
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