これからの社会主義

社会主義の制度、政策を真面目に議論する

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競争は社会主義ではなくなるの? [1314]
BAT
「聞きたい!社会主義って?」に寄せられました「競争」について新たにスレッドを立てました。
ここでは競争や平等について議論します。
[78] 2017年04月07日 (金) 09時22分

タカ
 資本主義社会では、「競争」とは、
いかに剰余価値を拡大するか、とい
うことだ。
 それは、いかにより多く搾取する
か、ということである。
[981] 2024年02月09日 (金) 06時58分
要するに、それぞれの体制下における、意欲の問題だと思います。
[773] 2021年09月28日 (火) 23時56分
日曜どうでしょう?
もう一度、「競争」は、そんなに重要?

競争を楽しむ場所も欲しいけど、
「競争」で、「人生が決まる」のは、ごめん!

「競争」なんて、人生の「お楽しみ」以上には、したくない。
[197] 2017年11月26日 (日) 23時03分
OGさんから拝借
「日本企業はあくまで擬似的なイエ・家族でしかない。そこは長く続く激しい競争の場である。
 競争というとトップをめざす出世競争を思い浮かべやすいが、それは一部のキャリア組のあいだにかぎられる。日本企業でくりひろげられる競争はもっと広く、場合によっては非正規職員まで含んだほとんど全員を駆り立てる種類の競争である。
 競争には二種類ある。マラソンでいえば、後続をぶっちぎって一人だけ前へ行こうとする競争と、集団から脱落しないようにする競争とである。上がろうとする競争と、下がるまいとする競争だといってもいい。日本企業で広く行われているのは後者である。(『日本の経済−歴史・現状・論点』伊藤修・中公新書2007年)
[175] 2017年09月15日 (金) 15時59分
中田 海星
最少のコストで生産。
新製品の開発や技術革新にとりくむ。
力によって強制するのは無理であり、自発的な社会の利益となるような、インセンティブ・システムを組み込む。
インセンティブ=ある行動をとるのが利益になるような動機づけを用意する。
『労大新書「経済問題がわかる」伊藤修さん』

社会主義国では、現場の労働者が不利益をこうむらないように合理化を進めることは十分可能。
=社会主義的合理化
ところが(ソ連においては)新技術の導入には抵抗が大きく、合理化は阻止されてしまった。
それまでの、ぬるま湯のほうを選んでしまった。
それまでの(仕入れ、販売数量、労賃などの)数字の操作がばれるのを怖れたかもしれない。
社会主義的合理化の推進は、言葉だけだった。
『労大新書「ソ連的社会主義の総括」山ア耕一郎さん』
[169] 2017年09月07日 (木) 14時39分
日曜どうでしょう?
「競争」を「経済面」で考える。

競争は、「もっと安い」商品を生産する戦いの、唯一の手段。
「もっと安い」のは、労働時間が少なく、「価値の低いもの」を作ること。

より「価値の低いもの」を作り続けると、最終的には、
「価値の無いもの」が絶対的に勝つ。これは数学的な真理。

「価値の等価交換」で増殖する資本が、最終的に目指すものが、
「価値の無いもの」=「価値増殖不可能なもの」だということ、
この絶対的矛盾が、資本主義の客観的限界。

「競争」は経済的には、破滅=限界に向かう、「負のスパイラル」
資本主義ではその「宿命」を避けられない。
その破滅の根源は、「価値」が社会の基準となっているだけの話。
「価値」なんて、「俺達には関係ない」と言う日から、
「資主義的競争」は「つまらないもの」となり、世界は変わる。
[144] 2017年06月26日 (月) 22時36分
日曜どうでしょう?
申し訳ない。言い足りなかったです。

例えば、ウサイン・ボルトは彼の純粋個性で、100mを勝っているわけではない。十分な教育が施された。
例えば、ビル・ゲイツの開発は大したものではない(盗作の評価が主流)。
さらに本質的に、売上を作ったのは、全世界の多数の営業マン達だ。

「競争」の成果の、たぶん90%は、過去の技術蓄積でしかない。
個人の能力はその上で、「少し」しか開花しない。

この場合、「競争に勝った個人」の成果が、すべて個人に寄与するのは、おかしいでしょう?、と言いたかった。

「競争」はその「活動」だけを楽しむもので、本来、「収入」とは一切関係ないこと。

本気で競争する個人は皆、「収入」より、自分を見て感動する他人に満足感を感じる。
[112] 2017年05月03日 (水) 01時08分
おせっかい
日曜さん…>

テーマ間違えてません?

「長時間労働…」の方が良いのではないですか?
 混ざってるのかな?
[111] 2017年04月29日 (土) 13時43分
日曜どうでしょう?
>義務教育 様

一つの例ですが、「自分は、通常の労働で、いくらもらえれば人間らしく生活できるか?」という所から、逆算できないでしょうか?

教育の重要性は十分理解できます、「人間の過去の歴史集積」を足場にしか、人間は成長していない。

人間は、「過去を足場にする」。「過去に支配される」わけではない。
儒教もマルクス主義も、次の世代が発展させる。

「自分が次世代を拘束しようとする『欲望』」を、どう解放するかが、歴史的テーマではないでしょうか。
[110] 2017年04月26日 (水) 23時51分
義務教育
 「人間の本質って」という議論は大事ですね。

 いま話題の教育勅語は、天皇制を支えるために「12の徳目」をあげて「こういう人間になりなさい」と教えています。この徳目は、だいたい儒教からのものですが、君子・大人に対する徳目である五常(仁義礼智信)よりも、庶民が守る五倫(父は義,母は慈,兄は友,弟は恭,子は孝を守るべきもの)が中心になっています。社会主義も人間の理想社会を描こうというわけですから、人間に対してどういうモラルを説くのかが必要なのですが、昔の社会主義者は、この点においていい加減だったようです。家庭内暴力をふるう社会主義者や、組合のカネを自分の奢侈のために使う幹部、親分子分関係に執着する活動家などはザラにいましたからね。日本ような東洋的モラルと西欧とでは少し違うものもあったでしょうが、社会システムを変えて、階級をなくしたつもりになったのに、昔ながらの資本主義や身分制階級社会で培われた欲望を残したまま(モラルの欠如)、権力者になった社会主義者が、○○の大義名分の下に、弾圧することに慣れたり、自分だけ良い思いをすることに慣れてしまったり、ということがあったようです。
 ちなみに私は「競争が人間の本質だ」とは思いません。競争も共存も、人間の本能的な資質の一つでしょう。それが階級社会で扱われる時にどういう現れ方をするのか、ということで考えてみましょう。未来社会では、生産・社会システムを変えるだけではなく、「人間の質」も変えていく教育が求められるでしょうから。
[106] 2017年04月25日 (火) 22時05分
日曜どうでしょう?
 
 端的に言って、「競争で相手を殺したい人間なんて、存在しない」というのは、どうでしょう?「競争」は人間の「遊び」です。

 「競争が人間の本質的欲望」ではない、「「人間の本質的欲望は、共同の確保」でしかない。「競争」はその条件の上の「遊び」だった。
 競争が人間の本質だという見解に立てば、今の資本主義は「パラダイス・極楽」で、社会主義は笑い話になってしまいませんか?
[105] 2017年04月25日 (火) 00時38分
義務教育
競争と自由・平等と共存と

 このテーマは、封建制から、資本主義へ、そして社会主義へ引き継がれるべき永遠のテーマ?です。競争と自由・平等の考え・意識は封建制の矛盾の中から生まれ、封建制を破壊し、資本主義を生み出し、これを支える原理となりました。が、新しい矛盾を生み出しましたね。競争は能力あるものが富や地位・権力を獲得出来るようにしましたが、これは新しい差別の構造を作りました。自由や平等もそうでした。これをどう考えるかは未来社会を構想するものの大問題でした。
 マルクスとプルードンの論争「哲学の貧困」でも取り上げられています。P君は「競争を撲滅することは、自由を撲滅することと同じ程度に不可能だ」と、フーリエ主義者の「張り合い・励みあい・競い合い」(※訳語が色々ですが「競争」とは区別して使っています)を批判しています。M君は何と言っていたのか、難しく面倒ですが、要するに、資本主義的な競争というものを批判して、F主義者の言う「競い合いetc」みたいな表現を擁護した−と思うのですが。「競争」というか「励まし合い、競い合い、張り合い」というかは別にしても、資本主義生産・市場原理の下で働く競争原理とは違う「競争」(これを社会主義的競争−ナンテ言うのは、ださい感じ?)は必要なのでしょう。どういう教育が必要か。なかなか、生産性に余裕が出来て、人間が神様に近くならなければダメじゃないのかな。新たな豊かな社会を創るには「競争」「競い合い」から「分かち合い」「共存」の社会に慣れてしまえる人間が必要です。
[101] 2017年04月10日 (月) 20時41分
old socialist
中庸さん等の本質的な問題提起

ソ連、東欧の崩壊要因は、革命後の経済建設以後の、70代に示される経済停滞、マイナス成長への転化です。資本主義国では、資本(経営)ら強制された競争が生産性を高める動員となりますが、アメリカに追いつき追い越せをスローガンとしていたソ連東欧が、社会主義計画経済の優位性を作り上げれなかった。利潤に代わる(超える)競争の動機と目的を、システムとして作れなかったことが、ソ連・東欧の基本的崩壊要因であつたと、私は考える。一定の経済水準が達成された後の、次の生産目的、量的な生産目的が、日常生活の量的・質的な改善と結びつかなかった要因を解明しなければならない。
[88] 2017年04月04日 (火) 21時40分
日曜どうでしょう?
>義務教育「を大学まで!」 様

ビンゴ!ですね、「競争と共存」は対立する欲望ではない!すばらしい!
競走したし、競争しながら共存したい。

資本主義は、競争主義・・・勝った人が、何故か富も総取り!
ソ連は、共存主義・・・・・勝手に競争して目立つ二とは、逮捕。(裏で密かに、権力競争!)

僕は釣りをしますが、友人の釣果に負けて悔しくても、処刑しようとは思わないし、自分の食い扶持がなくなるとも思わない。
低レートのパチンコ・麻雀は、競争しても、ギャンブルとは言い難い。

つまり、「競争」を「収入」とは分離させて「人間活動」として認めてあげることが重要かな。
「競争」と所得・収入を関係させちゃうと、「競争」も変質するし「共存」を侵していく気がします。
[89] 2017年02月15日 (水) 22時37分
義務教育
競争や戦いも、共存や助け合いも、
これらは、いつの世の中でも、人間社会ではなくなりません。昔の社会主義ではどうだったのか知りませんが、
子供の頃に、適度な競争意識を学ばないと、共存や助け合いという意識も育たないのです。適度、というところが難しいですが、両者は同じテーマなのです。これも平等意識を育てる教育なのです。
「能力に応じて働き、欲望に応じて受け取る」という理想的な社会になっても、人間が社会的な動物である限り避けられないし、必要な教育です。資本主義だけでなく、階級社会では、この現れ方が極端になるというだけですよね。
[90] 2017年02月15日 (水) 14時26分
中庸
>日曜どうでしょう?様

素朴な疑問にお答えいただき、ありがとうございます。

〇競争と共存
個人的には、究極的に競争より共存なのですが、、、日常生活で考えると、競争を見るのもやるのも楽しいってこと多々あります。それが自らの成長や新たなことを生むって経験もあります。ですので、「時と場合によるなぁ」って思います。競争と共存って両立しないのですかね?

〇社会主義の競争
あったんですね。ただ、売れないものを積み上げる「イカレタ」競争だったと。今の社会では、価格(ここでは「儲け」という意味)を基準に、ここで言う「イカレタ」競争をしたところは排除されますね。(一時的には売れないものが積み上がっても) 
[91] 2017年02月15日 (水) 10時00分
日曜どうでしょう?
>中庸「の徳」様

社会主義でも「競争」はあるでしょう。
良い方向の例ではないけれど、ソ連でなんであんなに一杯、売れないものが作られたのか?

皆、一生懸命、競争していた歴史的証拠です。「作れば、所得上がる」。選抜されるロシア共産党員もものすごく増えました、出世コースを知っていたのです。

でもダメだったのは、「競争」の「方向が『イカレテ』いた」のだと思う。のだけど。

でももっと本当のところ、「他人と競争したい」と思う?「他人と共存したい」と思わない?
[92] 2017年02月14日 (火) 23時14分
中庸
社会主義に「競争」ってないのですか?
[93] 2017年02月14日 (火) 11時53分
日曜どうでしょう?
「新しい商品が次から次へと出てくる資本主義社会」に対する「システム」創造の問い掛けに、「どういうシステムを作るべき?」という回答しか出ないなら、・・・申し訳ないけど・・・終わってしまってます。」、今のままでいいです。
[94] 2017年02月13日 (月) 00時28分
「マリアナ海溝(かいこう)チャレンジャー海淵(かいえん)」検索
『新しい商品が次から次と出てきて、暮らしていて楽しいと思える社会主義』を。

資本主義社会での競争、新しい商品の開発や技術革新とは、利潤の追求、「もうけ」のためといえると思います。
松下幸之助的な成功した社長さん達は、新社会人となる青年達に、「社会の発展のために、人類の幸福のために、新商品の開発や技術革新」を言うと思います。科学の進歩、生産力の発達、人類の幸福と言いたいのかもしれませんが、究極的には、利潤追求のためだと思います。

私の子は、わざわざ、ロシア車のラーダを購入し、乗っています。うるさいし、ガソリンはくうし、何が良いのかと思います。
何が言いたいのかというと、資本主義社会では、「競争、新商品の開発や技術革新」により、私たち労働者もその商品をより安価に手に入れることができるが、社会主義社会では一定の生活のための生産物の受給が可能としても、技術の発達が資本主義社会のそれと比べれば遅れていたのかもしれないし、「新しい商品が次から次と出てくる資本主義社会の方が暮らしていて楽しいと思える」のも、もっともかなとも思います。

研究会の資料に、「これからを構想していくこと、・・・・おかしいと思うこと、資本主義における問題点を『鏡の議論』として裏返し、政策としていく」ことが言われていたと思います。
同じく、研究会にて出されていましたが、「社会主義のイメージは、貧富の格差をなくす。労働者の生存権を保障。社会主義は民主主義が高い水準で保障されるイメージ、搾取がない社会。教育、医療は最大限に保障される。(一方で)社会主義国を標榜しているが貧しく見える。」とありました。
「資本主義体制における失業、不況・恐慌、搾取」の裏返しとしての社会主義。
「社会主義国を標榜しているが貧しく見える。資本主義社会との比較における遅れた社会主義的生産技術?」の裏返しとしての、これからの社会主義=理想的な社会主義体制。
『社会主義が貧しく見えることがないように。』『新しい商品が次から次と出てきて、暮らしていて楽しいと思える社会主義』をつくって行くことが必要ではないかと思います。

そのためには、どういうシステムを作るべき?

[95] 2017年02月09日 (木) 21時05分
下原
資本主義社会では、企業間の競争があるからこそ、新しい商品の開発や技術革新があると思いますが、

社会主義社会では、企業間競争はなくなり、新しい商品が開発されることも技術も急激に進まない気がします。

そうであれば、すべての商品を買うことはできなくとも、新しい商品が次から次へと出てくる資本主義社会の方が、暮らしていて楽しいと思えるのですが、どうでしょうか?
[96] 2017年02月08日 (水) 09時11分



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