これからの社会主義

社会主義の制度、政策を真面目に議論する

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支局掲示板 [55]
支局
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[997] 2024年04月01日 (月) 16時07分

タカ
清水由紀郎さん逝去

1970年代に全盛期の社青同中央副委員長を務め、その後も全国金属専従などで活躍した清水由紀郎さん(81歳)が4月11日にお亡くなりになったとのことです。葬儀は静岡(清水)で親族のみで執り行われました。生前の友人を中心に、これから『偲ぶ会』が企画されるとのことです。
投稿者 労働者運動資料室管理人
[1004] 2024年04月25日 (木) 10時22分
タカ
松本将門さんのFacebookに記載ありました。
 そのまま、転載したてと思います。

大変ご無沙汰しております・・・まずは冒頭に、約1年ぶりの投稿となりましたこと、お詫び申し上げます。また、ご支持・ご支援・ご協力いただいてきた皆さんに対し、正式な形でお知らせする前に、地元旭川の雑誌(3月15日発行)に「不出馬表明」との記事が出てしまい、ご心配や戸惑いなど与えてしまったことに対しても、重ねてお詫び申し上げます。
 その記事を読んだり、見出しを見て、誤解が生じていたり、真意が見えないとのご意見もいただきましたので、相当な長文となりますが、このFacebookページにて、この間の経過や私自身の思い、そして本日から東京での会社員生活がスタートしましたので、その近況なども含めて説明させていただきます。
 私は、昨年5月の時点で、今回の落選という極めて厳しい結果・現実を真摯に受け止めるとともに、自分自身の至らなさ、力量不足を強く実感したことから、今後の政治活動に区切りをつける=「次回道議選挙に不出馬」という決断をしました。その後、速やかに出身労組、連合、党、後援会の役員へ伝え、特に慰留されることなく、この決断を受け入れていただきましたが、それぞれの組織全体への対応・周知に関しては、出身労組などとの調整を随時行いながら、ある程度の整理ができた段階で、まずは後援会総会などを開催し、その場で正式に表明しようと考えており、その後、それぞれの組織内にも周知するなど、この一連の動きが終わった段階で、私も新たな道(転職先)を本格的に探そうとしておりました。
 それまでは、関係労組・団体や支援者の皆さんに対して、明確な受け答えもできないことから、組織内の行事や対外的な場への出席、挨拶まわりなどは必要最小限に留めておりました。
 このように、落選後約1年という空白期間が生じてしまいましたが、この間の状況としては、道政事務所の整理、そして1期4年間に積み重ねてきた資料等の整理を行いつつ、そして生活していく上では働かなければなりませんが、組織内の整理が未了のため常勤の仕事には就かず、支援者の方(農業者)からのお声掛けを受け、農繁期(5〜9月)に月10日ほど働かせていただき、年末の12月には物流現場(宅配便)で、荷物の夜間仕分けの短期バイトなどをして過ごしておりました。
 その後、年が明けましたが、出身労組や後援会の整理などに未だ進展が見えなかったことから、やむを得ず私の転職先探しを優先させていただきました。そして、この転職先探しの方向性が2月の上旬に見えてきたことから、改めて出身労組・連合・党へ私の意向(不出馬・政治活動に区切り)を伝えました。
 その転職先が東京の民間会社であり、3月中の転居・入社という流れで動き出している中、約1ヶ月程度という短い期間に準備を進め、後援会総会を開催し、私から直接説明することは時間的にも難しいとの判断に至り、実際に後援会総会などを開催する段階では、本人不在という大変失礼な対応とはなってしまいますが、出身労組が責任を持って対応するとのことで、今後の作業を進めていたところ、先行報道されてしまったというのが、この約1年間の経過になります。(ちなみに、私はこの雑誌の記者から一切取材は受けておりませんし、正式な場で表明した訳ではないので、どのような経過で漏れ伝わって記事になったのか、私には全く分かりません。)
 結果として、不本意ながら報道が先行してしまいましたので、いつ開催できるか分からない後援会総会まで、このまま放置する訳にはいかず、極めて短期間ではありましたが、3月16〜22日までの1週間かけて、直接、私が説明して歩かせていただきました。ただし、選挙区である旭川市内のみならず、上川管内の各市町村にも労組役員時代を含めてお世話になった多くの方々がおりましたが、距離的・時間的な制約もあり、本当に限られた方々のところにしか顔を出すことができず、直接お目にかかれなかった多くの方々に対しては、大変不義理な対応となりましたこと、改めてこの場でお詫び申し上げます。
 なお、すでに3月25日から東京へ出てきており、本日4月3日に入社となったため、引き続き、私が直接説明して歩くことはできませんし、この書き込みをみることができない方も多くいると思いますので、大変申し訳ありませんが、この書き込みをみた方々におかれましては、もし関係者や知り合いの方々との会話の中で、私のことが話題に出ましたら、この間の経過や私の決断・現状など、伝えていただければ幸いです。
 ちなみに、東京の民間会社で働くという言葉足らずな説明では、さらに誤解を招き、違った認識・解釈で漏れ伝わったり、面白おかしく報道されかねないので、若干の補足説明をさせていただきます。
 まず、なぜ東京に?という疑問があると思いますが、今まで支援していただいた方々に対して、大変失礼な対応で無責任だということは十分に認識しておりますし、様々なご意見・ご批判なども真摯に受け止めるしかありません。ただ、党や関係組織などとの今後の関係性を考えた時、現職・候補予定者ではなく1人の生活者として働きながら活動しようとした時に、求められることと応えられることのギャップをどう埋めていくのか、などという様々な葛藤がありましたが、最終的には、過去からの関係性や私の経験値などをリセットし、今までとは全く違う環境に身を置くことが必要であると考え、旭川・北海道を離れるという大きな決断をさせていただきました。
 一方、私自身のことばかりではなく、それぞれの組織としても、今後、次期道議選に限らず、様々な選挙に向けて、日々変化する社会情勢(世論・組織現状)を的確に見極めた上での議論・判断を行う場合には、私のような旧態依然たる当事者は参加せず、面目一新すべきではないかと勝手ながら考え、私自身が旭川・北海道を離れる=第6区総支部および旭川ブロックの副代表を辞任するとともに、立憲民主党も離党することに致しましたので、ご理解いただければと思います。(今後、新生活が落ち着いた段階で、気持ちも新たにパートナーズ登録からリ・スタートしようと思っています。)
 なお、実際に働く転職先(職種)は、現在、担い手不足が顕著なタクシー業界(乗務員)となります。現在54歳という年齢的に転職先も限られ、タクシー業界の隔日勤務(1日約14時間勤務:月12勤務程度)という働き方に厳しさもありますが、心機一転、頑張っていこうと思っております。
 また、東京での新たな生活は、家族(妻・次男)を旭川に残し、単身でのスタートとなりますが、すでに自立して東京に住んでいる長男との同居とはなりませんが、協力し合いながら頑張ります。
 以上、相当な長文となりましたが、最後にもう一言・・・まずは、最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
 高校卒業後に北海道職員、同時に自治労全道庁の組合員・役員となってからの30年間、さらに道議会議員として1期4年間、本当に多くの仲間や支援者の方々に支えられ励まされながら活動し、苦楽を共にしてきたことに対し、深く深く感謝申し上げます。
 今後は、活動を共にする機会も直接お目にかかる機会も激減することになりますが、今までと変わらずお付き合いいただくとともに、温かく見守っていただければ幸いです。
 ちなみに、入社後の二種免許取得、研修などが順調に進めば、今年の6月くらいには正式にタクシー乗務することができると思いますので、もし東京でタクシーを利用する機会がございましたら、私が本日入社した大和自動車交通江東(株)のタクシーを選んでご乗車いただければ、偶然、お目にかかれるかもしれませんので、よろしくお願いいたします。
※このFacebookページは、すでに役割を終えているため、今後、タイミングをみて閉鎖・削除させていただきますので、予めご了承願います。また、現時点で日程・規模等は明確になっておりませんが、出身労組に全ての対応を委ねている後援会総会等のご案内がされた場合には、よろしくお取り計らい願います。
[1001] 2024年04月10日 (水) 22時59分
たかしゃち
戦士の碑について

 星諒さんのページは、これから作成されると思いますが、氏名は「ほしまこと」が正で、「あきら」ではない旨、G33で指摘ありました。ご確認下さい。
[998] 2024年04月01日 (月) 16時13分



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