これからの社会主義

社会主義の制度、政策を真面目に議論する

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社青同は、今年、結成60年 [1586]
甲斐正
日本社会主義青年同盟は、1960年10月15日の、
第1回全国大会で、結成された。
[604] 2020年04月29日 (水) 22時55分

タカ
労働者運動資料室を見たら次の記事がありました。



労働者運動資料室HP(本体)の更新をしました。

文献・資料に、10月18日〜20日開催の社青同第41回大会宣言(2024年)を掲載しました。




社青同第41回大会宣言
-職場・学園・地域で反転攻勢呼びかけよう

2024年10月18日〜20日に東京都内で開催された社青同第41回大会の宣言。出典は『青年の声』第2563号(2024年11月5日号)

 独占資本は高利潤を獲得し続け、毎年過去最高額の内部留保を積み上げている。一方で労働者の実質賃金は低下が続き、資本主義社会における資本の過剰化と労働者の窮乏化が貫徹されている。

 本定期全国大会の討論でも自己責任の論理が貫かれる職場で孤立させられ、「大切にされない労働者」「働き続けられない職場」の実態が報告された。管理者の圧力で超勤が認められず、早朝に出勤して仕事をこなし、昼休みを削り、食事もとれないまま配達を続けざるを得ない郵便職場の実態、業務の繁忙によるストレスから精神疾患を発症する仲間が続出する自治体の福祉職場、時間外命令を受けずに不払い残業を続け、異動希望もかなわずにストレスからくも膜下出血で倒れ、公務災害認定闘争をたたかう自治体職場の仲間、厳しい営業ノルマを課され、ノルマ達成のプレッシャーを受け続ける農協職場の現実など、これまで進められてきた人員削減や労働強化による、人手不足、長時間労働、ハラスメントの横行により労働者の心身が蝕まれている。

 しかし、資本の「生産陛向上運動」「企業あっての労働者・労資協調路線」によって形作られた資本主義的常識に多くの労働者の意識が引き込まれ、労働組合のたたかいにも申告な影響を及ぼしている。職場の課題や労働者の悩みは労働組合では取り上げられず、青年が求める学習や交流の受け皿にもなり切れていない。
 以前は青年活動家として労働運動に楽しさややりがいを感じていた同志か、基本組織の役員になると、ガチガチに固められた労組の行事計画や過重な任務が原因でメンタル疾患となり、休職したという報告かあった。労働組合であっても資本主義に染まり、企業と同様に矛盾を抱える組織となりうる現実か明らかになった。

 そのような状況下でも、社青同に結集することで得られる展望が多く出された。徳島地本からは、班会での職場実態討論を経て、仲間や同志の苦悩に気付き、自身の職場を振り返る機会となっているという、班・支部運動の再強化の重要性が報告された。組織拡大が停滞していた広島地本の同志からは、平和友好祭運動をつうじて青年部の仲間を学習会に誘い、『青年の声』の読み合わせから仲間づくりへの一歩を踏み出した報告があった。
 また、新規採用の青年への退職強要に対して「仕事ができないという理由で退職を迫るのはおかしい」と同期の仲間や労組青年部が声をあげ、交渉に取り組んだという『青年の声』の記事を読んだ北海道地本の青年たちの激励行動があった。対応した長崎地本の同志は「プレッシャーを感じつつも、仲間を守るために連帯して頑張ろうと受け入れた。北海道の仲間からも同じような実態が報告され、課題や取り組みについて共有できた」と報告があった。これをきっかけに、長崎地本では各級委員会において、それぞれの職場での抵抗を強めるために組織拡大の議論が進められている。

 積極的にまなぶ姿勢を持つ新しい同志からは「何も知らないと何も抵抗できない、ものを言えない状態になりたくない」という問題意識をつかんでいる。今年加盟した東京地本の同志は「社青同では労働者の実態や社会のしくみがまなべる。仲間との交流の経験は社会に出る上で武器になる。この経験を一人でも多くの仲間と共有したい」と報告し、大学内での伸間づくりと学生自治会の再建を決意している。

 私たちのたたかいは資本主義の矛盾を職場・地域・学園で告発し、階級闘争を組織することにより社会主義を目指すことにある。そのたたかいに青年がどう立ち向かっていくかが今、社青同に問われている。反撃の芽は、すでに育ち始めている。少なくない青年が私たちの隊列に加わるこの情勢こそが、その証である。青年が立ち上かってこそ、来るべき社会が作られる。仲間と連帯し、未来を切り拓こう!社青同の組織建設と社会主義運動の強化に向け、さまざまなぷつかりを持ち寄れる班・支部・地本委員会活動を再構築し、古典・資本・仲間にまなぶ実践を臆することなく強化しよう!

  2024年10月20日 日本社会主義青年同盟第41回定期全国大会

[1040] 2024年11月20日 (水) 10時08分
タカ
2023.11.6付「青年の声」
         2ページ目
 討論を集約する新岡副委員長
     カッコいいですね。  
[952] 2023年11月08日 (水) 20時52分
海星
2022年9月3日、延期となっていた
「社青同結成60周年記念レセプション」が
開催されたようだ。

 【レセプションの動画を見てみたい。】
[832] 2022年09月03日 (土) 21時14分
社青同結成60周年レセプションは再延期

2020年秋に予定され、コロナ禍で2021年に延期された社青同結成60周年レセプションは、選挙の関係その他で来年2022年9月に再延期されたとのことです。

―――労働者運動資料室サイト管理人より
[774] 2021年10月09日 (土) 12時04分
まなぶ 1974年7月増刊号が出てきました。

「社青同運動の任務と課題」篠藤光行さんの文をみつけましたので、冒頭の一部を紹介します。
・1960年10月15日、60年、三池・安保闘争の激動のさなかに、日本社会主義青年同盟が結成されました。
・社青同は、第4回大会で「反合理化・改憲阻止」の基本路線を確立しました。
・1970年2月の第10回大会で、社会党や総評の左右のぶれを反映した同盟内の弱点を克服し、単一青年政治同盟として成長しました。
・「社会党を支持する青年政治同盟」の方向を明らかにしてきました。
・大衆組織ではあるけれども、労働組合青年部の運動にたいして、青年政治同盟としての一定の視野の広さをもって、「一歩先き」に導いていくという体質を築きあげたものでもありました。
・社青同が、総評系単産青年部と手をにぎりあいながら、実践的な政治課題として提起したのが、1972年の年末選挙における「青年選対」運動であったわけです。…………

※「青年選対」は、「日本社会党を支持する青年共闘会議」へ発展していったと思います。
・稚内においても、稚内地区青年共闘会議(社会党、社青同、青婦協で構成)を結成し、ある選挙闘争時には市内の一部の地区を担当して、地域オルグ、選挙闘争をすすめてきました。
・(単なる選対活動ではなく、)地域オルグ前の学習、交流を実施し、市民・住民との「話し込み」をめざし、地域の「働く人」と交流し、行動終了後、皆が集まり、報告と交流をしていくという運動をすすめてきました。
[753] 2021年08月22日 (日) 10時32分
労働者運動資料室HP
労働者運動資料室サイト管理人より
秋の社青同結成60周年記念レセプション(昨年から延期、再延期はあるか?)
〔レセプション全体の動画をみたい。何か記念に発行されるものがあるのでしょうか。〕
[747] 2021年08月16日 (月) 16時07分
社青同結成40周年記念出版
『学習 古典解説』
◆2000年4月 社青同結成40周年記念出版刊行委員会 発行
・著者は、杉本龍紀、平地一郎、伊藤修の皆さんです。
◆その「はじめに」では、次の記載があります。
・社青同は今年結成40周年を迎えます。
・1960年、三池と安保の闘いの中から生まれた社青同の歩みは、決して順風満帆ではありませんでした。
・60年代後半の激しい内部論争、70年代はオイルショックに端を発した体制的合理化の進展、さらに80年代に入ると円高不況のなかでの激しい減量合理化、また官公労における財政赤字を理由とした行政改革が進行しました。
・そして80年代後半に入ると国際的には、ソ連・東欧の社会主義の崩壊、国内においては総評の解散、社会党の解体、そして現在、長期化し深刻化する不況の中で進む合理化など、社青同を取り巻く状況は、厳しさを増し続けてきています。
・こうした厳しい情勢のなかにおいても、………献身的な努力や闘い、懸命な学習活動があった………。
・仲間と一緒に考え、討論し、行動してきた………。
・科学的な理論………「理論は闘う力を飛躍的に強める」というように一人ひとりが科学的社会主義の学習を強め、成長していくことが求められています。
・この本は1998年8月から2000年2月まで、『青年の声』に掲載された「古典解説」を執筆者の皆さんに加筆していただき一冊にまとめたものです。
・・・・とある。

※地本にはあると思います。読んでみては?
※あらためて学習したいと思います。
[725] 2021年06月07日 (月) 17時23分
甲斐正
月刊「社会主義」2020年12月号 社青同全国大会報告より
■社会保険職場の同志からも、拡大には至ってないものの、社会保険庁の解体以降、労働組合運動も困難を余儀なくされるなかで青年部の再建を果たすなど、組織拡大の展望が報告された。
[675] 2021年01月06日 (水) 11時09分
甲斐正
月刊「社会主義」1976年6月増刊号
『社会主義協会の25年』
座談会「社会主義協会の前進と展望」
【山崎耕一郎さん】
・社青同は、1968年の第8回大会のときから、三
つに大きく勢力がわかれ、われわれと、協会を脱落
した太田派、反戦派というか極左の三つで、それぞ
れ3分の1を占める。
・1969年第9回大会。このときが一番混乱がひど
かった。
・しかし、すでに全国的な運動のなかでは、われわ
れの活動が、だんだん成果をあげてきていて、「まな
ぶ」、労大、協会の組織確立とあわせて、社青同の組
織づくりもすすんでいた。
・だから、社青同は再建できるという見通しをもっ
ていた。
・社青同の活動が「学習ばっかりいってあんまりさ
えない」という評判だったが、実際には、職場のな
かで、三池にまなびつつ、反合理化闘争をじっくり
たたかい、勢力がずっとのびて、組織ができたとい
うことです。
・日本の労働者の運動は、必ず、もっと発展してい
くんだという点についての確信を持っていたこと、
それが、社青同の前進にとっては、一番大きかった
と思う。


月刊「社会主義」1989年9月号
座談会「再建後の社会主義協会」
【山崎耕一郎さん】
1971年、社青同の事実上の再建大会(第10回大会)
・われわれが、青年運動の他の潮流に対して強みを
持っていたのは、やはり学習という点だったと思う。
・この大会の前後から、われわれが主張してきた職
場抵抗の反合理化闘争が、運動として広がり始めた。
・高度経済成長の中で、生命と権利を奪う資本主義
的合理化と対決するたたかいが、具体的な運動とし
て、労働運動のなかに広がり始めた。 
・この中で育った青年活動家が中心となって組織し
た青年選対運動、後に、青年共闘運動が大きな力に
なって、この大会以後、非常に順調に組織的に前進
していった。


1987年11月発行
日本社会党稚内総支部の40周年記念誌
 『40年のあゆみ』
「懇談会」より
・安保後の、昭和36年(1961年)7月、「社青同」が
発足しています。
・伊勢君(電通)が委員長をやっていた。
・三井三池と安保後の青年組織ということで、全国
的な高まりから、道からオルグが来て結成した。
・始めは、一生懸命やっていたが、以降あまりやっ
ていなかったな。
・その後、昭和46年(1971年)に「塚田・敦賀」の
統一地方選後に、社青同は再建され(委員長、竹島
幸紀)、今日(1987年)に至っています。

◆年表(総支部のあゆみ)
・1961年11月 社青同稚内支部結成大会
・1971年 7月 社青同再建大会
(・1982年10月 高沢寅男来稚、社会主義講演会)

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・稚内地区労働組合協議会
    副議長  東 道
・宗谷地区労協議会
    事務局長  長谷川 喜市
・国鉄労働組合名寄支部稚内地区協議会
    議長  木山 誠二
・全開発労働組合稚内支部
    執行委員長  星 諒
・自治労全道庁労働組合 宗谷総支部
    執行委員長  尾田 芳昭
[618] 2020年05月14日 (木) 19時21分
甲斐正
・7年ぐらい前に家を出た子供たちの部屋を整理
し、家具等の配置換えを行った。
・古い本やら、「俺のもの」も整理したら、同盟員
証が出てきました。
・登録番号、1-2907
・所属 北海道地区本部 稚内支部 社会保険班
・昭和50年11月20日、付でありました。

・昭和49年4月1日付、高卒採用で職場に入り、
74春闘、まなぶ友の会、労大教室・講座、青婦協
運動で、多くの先輩同盟員の言動から影響を受け
ての加盟だったと思います。
・佐藤優さんが、社青同に加盟したのは、高2で、
労働大学の夜間講座に通ったとのこと。
・そして、鎌倉孝夫さんの『資本論』の勉強会に
参加された旨。
・自分はというと、班学習で「空想より科学へ」
「賃労働と資本」は途中でたち切れてしまい、ま
ともに終了したのは、「共産党宣言」ぐらいだっ
たような気がします。
・30代に入り、班活動にはあまり参加しなくなり
ましたが、60歳前に脱盟するまで、少しでも財政
的な支援と思い、同盟費を納入し続けてきました。
・(たいしたことはないのですが、)青婦部運動
と同時に、社青同運動に、自分なりにかかわって
きたのだという思いはあります。

・G33等で話になることもありますが、(差しさ
わりのない程度で)思い出や、提言を載せていた
だければ良いかなと思いました。
・よろしくお願いします。
[605] 2020年04月29日 (水) 23時18分



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