まなぶ 1974年7月増刊号が出てきました。
「社青同運動の任務と課題」篠藤光行さんの文をみつけましたので、冒頭の一部を紹介します。 ・1960年10月15日、60年、三池・安保闘争の激動のさなかに、日本社会主義青年同盟が結成されました。 ・社青同は、第4回大会で「反合理化・改憲阻止」の基本路線を確立しました。 ・1970年2月の第10回大会で、社会党や総評の左右のぶれを反映した同盟内の弱点を克服し、単一青年政治同盟として成長しました。 ・「社会党を支持する青年政治同盟」の方向を明らかにしてきました。 ・大衆組織ではあるけれども、労働組合青年部の運動にたいして、青年政治同盟としての一定の視野の広さをもって、「一歩先き」に導いていくという体質を築きあげたものでもありました。 ・社青同が、総評系単産青年部と手をにぎりあいながら、実践的な政治課題として提起したのが、1972年の年末選挙における「青年選対」運動であったわけです。…………
※「青年選対」は、「日本社会党を支持する青年共闘会議」へ発展していったと思います。 ・稚内においても、稚内地区青年共闘会議(社会党、社青同、青婦協で構成)を結成し、ある選挙闘争時には市内の一部の地区を担当して、地域オルグ、選挙闘争をすすめてきました。 ・(単なる選対活動ではなく、)地域オルグ前の学習、交流を実施し、市民・住民との「話し込み」をめざし、地域の「働く人」と交流し、行動終了後、皆が集まり、報告と交流をしていくという運動をすすめてきました。
[753] 2021年08月22日 (日) 10時32分
|