「マルクスが日本に生まれていたら」 出光佐三 著 春秋社
■出光興産の社長室メンバーと社長の出光佐三の勉強会の記録のまとめ。 社長室メンバーが社長の出光佐三へ質問し、それに答える形。 (以下は、出光佐三の答えは無視し、質問の一部を記載する。)
*マルクスは、搾取する者も搾取される者もいない、そしてすべての人間が自分の個性や能力を十分発揮できるような社会にしたいと考えていた。
*マルクスは「ゴータ綱領批判」の中で、共産主義社会は、搾取ということがなく、物質的生産力が非常に発達していて、「各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配される」社会であると描いている。そして、そのような社会をつくるためには、資本主義社会の搾取を階級闘争によってなくさねばならぬとした。
*いくら使っても使いきれないほど、物がふんだんにあれば、物に対する執着心、よけい取ろうとか、そういう人間の我欲はなくなると考えるのは間違いか。
*マルクスは、搾取・非搾取の関係をなくすことによって、幸福な社会をつくりたいと考えた。
*マルクスは、人間の心というものは、根本的には物質に規定されるといっている。
*マルクスは、資本家の搾取に反対して出発したといったが、それは同時に人間の解放を意味したわけだ。マルクスは、現実の資本主義社会では、人間自体が労働力という一個の商品となり、しかも人間労働の生産物が逆に人間を支配する、という姿になっている(人間疎外)。だからマルクスにとって、人間を人間たらしめる社会をつくることが、彼の思想の出発点であり、マルクス主義思想の根本問題となっているわけだ。
*「人間疎外」という、人間が人間以外のものに隷属させられている現象。マルクスは、資本主義社会における人間疎外、人と物が逆立ちした状況を正常な姿にもどすためには、それを生み出す社会の根本の仕組みを変革しなければならぬという。
*マルクスは社会構造そのものを変えることによって、平和なしあわせな社会をつくりたいと考えた。
※マルクスの弁証法的唯物論について
*人間解放をめざすマルクス主義の理論的基礎をなしているものは、弁証法的唯物論だ。それは、自然と社会に対する一つの見方だが、その主張するところは次のとおり。 @自然も社会も、世界のありとあらゆる現象は、人間の意識の外に、それとは独立に、客観的に存在する物質のいろいろな運動形態である。人間の意識はこの客観的に存在する物質を人間の頭脳が反映したものにほかならない。そしてこの映像は、実践によってその正しさを検証されてますます正確になる。 A客観的に存在するこの物質、すなわち自然と社会のありとあらゆるものは、すべて弁証法の法則に従ってたえず変化し発展する。弁証法の法則は、あらゆるものはお互いに関連をもちながら変化発展するものであり、その原動力は内的な矛盾である。 といい、この弁証法的唯物論を歴史、社会、経済に適用したものが唯物史観あるいは史的唯物論といわれる。
※弁証法的唯物論を歴史、社会経済に適用したマルクスの唯物史観について
*マルクスは歴史が発展することを認め、具体的にはどの民族の歴史も、原始共産制社会から奴隷制社会へ、さらに農奴制社会へ発展し、この農奴制社会から資本主義社会が生まれ、やがてこの資本主義社会が崩壊して社会主義社会が実現する、という。
*マルクス主義は資本主義社会を一つの歴史的な発展形態と見ており、したがって封建社会が発生し発展し崩壊していったように、遅かれ早かれ資本主義社会も崩壊していくものと見ている。資本主義社会は永久的なものではなく、やがて階級のない社会主義社会にとって代わられるものとしている。
※資本主義経済では搾取はなくならない
*マルクスは、人間解放という目的を達するために、経済問題を知らずしては何もわからないことに気づき、彼の関心と研究の中心はしだいに経済関係に移っていった。
*社会の生産関係と生産諸力との矛盾こそが、歴史・社会発展の原動力であることを知り(史的唯物論)、経済構造の経済学的分析に没頭した。
*その成果が有名な『資本論』だが、彼はそこにおいて資本主義経済のメカニズムの秘密を発見した。すなわち、「資本家は労働力を商品として買い、その労働力の再生産に必要な価値(労働賃金)を生むより以上に働かせて(剰余労働)、価値を獲得する。その価値から労働賃金を支払った差額が剰余価値、すなわち利潤であり、以上の関係を搾取関係と呼ぶ。そしてこの剰余労働が剰余価値の源泉であり、剰余価値が価値増殖の源泉である。」と。
*資本主義社会はこの剰余価値の生産の上に成り立つものだから、資本主義社会には搾取はなくならない。
*生産された剰余分は、社会主義では国有となり、資本主義社会では私企業に私有されていくということが、両者の本質的な違いとなる。
*資本主義経済と搾取とは不可分な関係にあるわけで、したがって資本主義企業の利潤は、労働者の労働力の搾取によって生まれる、とマルクス主義では考えている。
*資本主義経済では個々の経営者が、ある見通しをもって生産計画を立て、物を供給するが、経済全体として計画性がなく、とくに経済が高度化してくると、生産手段の所有の私的性格と生産の社会的性格の矛盾(生産関係と生産諸力の矛盾)が激化して、供給が需要を上回り生産過剰となる。それはときに恐慌という爆発的な形で経済界を混乱に陥れ、失業・倒産などの多大な社会的損失をもたらす。マルクスは、これらの現象は資本主義経済では避けられないものと考え、そこにある無計画性を資本主義経済の無政府性と呼んでいる。この問題の解決のためには、生産手段の社会化、つまり社会主義経済による経済計画化の必要性を主張している。
※生産手段の国有は是か非か
*マルクス主義は、私有財産を階級社会の基礎にあるものとしてとらえ、この廃絶を目指しているが、その場合の私有財産というのは、主として生産手段を指している。 *マルクスは、資本主義社会のもとでは、生産手段をもたない労働者は自己の労働力を売る以外に生きていく道はないものとして、プロレタリアートの労働力が商品化されることが、資本主義経済の属性であると考えている。
*マルクスの分析によれば、資本主義社会では、プロレタリアートは労働力を売る以外には生きていけないし、労働力が商品化されることで、人間が物と同じように取り扱われている。しかし、社会主義社会になれば、労働力は商品とならず、そこではじめて人間は自己疎外から救われて、人間性を回復できる。
*マルクスは労働することこそ、人間の本質であるとする。労働することによって人間は自己を実現し、人格を成長せしめるから、労働は正常な生命活動であるという。しかしマルクス主義は、資本主義下では搾取されているから、労働は愉快でなく、また人間の実現ではなくて、資本への苦役としてとらえる。
以上、記載の一部。 これ以上のものでもなく、これ以下のものでもない
[926] 2023年07月12日 (水) 15時44分
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