これからの社会主義

社会主義の制度、政策を真面目に議論する

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プロレタリア・ディクタトゥーラ [1423]
義務教育
☆スレを新しく立てました。

プロレタリア・ディクタトゥーラ

 塩野七生の「ローマ人の物語」に、古代ローマ時代に根ざすこの二つの単語の正確な意味が出てくる。
 市民権を持つローマ人は財産により5つの階級に区分され、階級外の市民として無産者・プロレターリがあった。紀元前509年王制が廃止された共和制のローマでは、王に代わって二人の執政官(コンスル)による統治が行われ、非常時にその中の一人が独裁官(ディクタトゥーラ)が半年間の期限付きで絶対権力を任された。
 塩野は「独裁官は、共和制であったからこそ考え出された官職であった」「(危機管理システムとして)ケルト族襲来の紀元前390年までの119年間で7回しか指名されていない」と語っている。
 
 プロレタリアもディクタトゥーラも、マルクス主義の特有の政治用語として使用され、労働者・社会主義運動に持ち込まれた。ご承知のようにプロレタリア独裁と訳される。「この単語を使わない者はマルクス主義者ではない」とされてきた。日本共産党は「プロレタリア執権」と曖昧化した。資本主義体制内で、今でもこの言葉に限りなくこだわっているのは我が社会主義協会だが、そろそろチャンと整理しておいた方が良いと思うのだが、どうだろう?
[372] 2018年08月24日 (金) 12時25分

タカ
「労働者・勤労者の政治支配」で良いかな。



プロレタリア·ディクタトゥーラの
日本語訳は、
「労働者階級の政治支配」
  とすべきでは。
[1037] 2024年10月31日 (木) 09時07分
タカ
プロレタリア·ディクタトゥーラの
日本語訳は、
「労働者階級の政治支配」
  とすべきでは。
 「独裁」は使わないこととする。
[1021] 2024年08月28日 (水) 09時24分
義務教育
ズーム研究会で必要になるかもしれないので、とりあえず頭出しにしておこう。
[1007] 2024年06月30日 (日) 18時23分
タカ
■資本主義から共産主義へといたる社会主義
革命における「プロレタリアートの独裁」
■「プロレタリアート独裁」とは、「ブル
ジョア独裁」に対置された政治的本質概念
である。
――「党独裁」は、決定的誤りである。
■資本主義社会から共産主義社会への転化
の時期に照応する過渡的「国家」が、プロ
レタリアートの革命的独裁である。
■<プロレタリアートの独裁>という
マルクスの過渡的国家論
[958] 2023年11月22日 (水) 23時17分
義務教育
共産党員の除名 国民の目にはどう映るか
2023/2/16 西日本新聞社説


 組織内では理解される「処分」だとしても、一般国民の目にはどう映るのか。国会や地方議会に議員を送る公党として見誤ってはならない。
 共産党が、党勢回復のため党首公選制を求める党員を除名した。その主張を先月、それぞれ本にした古参党員2人のうちの1人である。
 党首の志位和夫委員長は記者会見で除名処分の理由について、公選制を訴えたことではなく、党内論議を求めずに外部から党を「攻撃した」ことだと繰り返し述べた。

 党規約は分派活動を禁じている。一方で、除名は「最高の処分であり最も慎重に行わなくてはならない」とする。前段では「意見が違うことによって組織的な排除を行ってはならない」とも定める。
 規約に照らし、党員や支持者は別として、今回の除名をすんなりと理解できる国民はどれだけいるだろう。
 党員からの問題提起を直ちに「攻撃」と捉える姿勢に、私たちは強い違和感を覚えずにはいられない。

 もう1冊を出版した党員の主張はさらに明快だ。20年以上にわたる委員長職を志位氏は辞し、党首公選の末に生まれる新指導部に党改革を委ねるよう求めている。
 2冊に共通するのは、党勢衰退への強い危機感と、日米安全保障体制や自衛隊を巡る昨今の党見解への懐疑だ。
 志位氏は、除名処分を社説で批判した全国紙に対し、憲法が認める「結社の自由」を無視した乱暴な攻撃だと反論した。確かに、ある結社が妥当な内規に基づきメンバーを処分するのは原則自由だ。

 だが共産党は、政党交付金を受け取っていないとはいえ主要な国政政党である。他党との共闘で連立政権の一角を担う可能性も皆無ではない。
 もとより「結社の自由」の保護は、主に国家権力や公の秩序との関係で論じられてきたのではないだろうか。
 地方議会で共産党が議席を持つか持たないかは緊張感の有無を左右する要因だ。オール首長与党に近い状況で独自の調査、情報に基づく問題提起は行政のチェックに貢献している。評価されるべき姿勢である。それだけに今回の処分は説得力に欠け、残念だ。

 委員長人事は数年ごとの党大会で選出する約200人の中央委員によって決まるが、実態は承認手続きに等しいとの批判がつきまとう。「民主集中制」の組織原則や「科学的社会主義」という理念の妥当性を、国民の多くは冷静かつ客観的に見つめている。
 党首公選制を採らない理由や安保政策をオープンに議論するようになれば、多くの国民の見方も変わってこよう。
 結党101年の日本共産党は旧ソ連や中国と決別し、独自の社会主義・共産主義像を模索してきた。戦前の弾圧に耐えた歴史が党名を変えないプライドにもつながっているのだろう。ただそれが、今回のようなやり方での組織防衛をも生むのなら問題だ。
[886] 2023年02月16日 (木) 16時14分
義務教育
今度は毎日新聞の社説でも 2023/2/10 
 「共産の党員除名 時代にそぐわぬ異論封じ」

組織の論理にこだわるあまり、異論を封じる閉鎖的な体質を印象付けてしまったのではないか。
 共産党が党首公選制の導入を訴えたジャーナリストで党員の松竹伸幸氏を除名とした。最も重い処分である。
 党首である委員長は、2〜3年ごとに開催する党大会で選出された約200人の中央委員によって決められる。選挙の形式は整えているが、事実上の承認手続きに等しい。
 松竹氏は党本部の政策委員会で安保外交部長を務めた経歴を持つ。先月に出版した著書で、党内論争を活性化させるために党首公選制を導入すべきだと主張した。
 「党に敵対する行為はおこなわない」「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」などの党規約に違反したというのが処分の理由である。
 共産は党首公選制について、決定されたことを党員みんなで一致して実行する内部規律「民主集中制」と相いれないと説明する。機関紙「赤旗」は、複数の候補者による多数派工作が派閥や分派の活動につながると指摘した。
 この独自の原理には、戦前に政府から弾圧され、戦後間もない頃には党内で激しい路線闘争が繰り広げられた歴史的背景がある。
だが、主要政党のうち党首公選制をとっていないのは今や、共産だけだ。松竹氏の提案は、「異論を許さない怖い政党」とのイメージを拭い去る狙いがあるという。「公然と党攻撃をおこなっている」との理由で退けて済む問題ではないはずだ。
 今年で結党101年と日本で最も歴史が長い政党である。しかし、ピーク時の1990年に50万人近くいた党員は現在、30万人を割り込む。党首公選制の訴えは、党勢退潮への危機感から出たものだ。
近年は現実路線へとかじを切ってきた。2004年の綱領改定で、天皇制や自衛隊を当面、容認する姿勢に転じた。他の野党と共闘を進めつつ、国会では政権の不祥事追及で存在感を示してきた。
 しかし、今回の振る舞いによって、旧態依然との受け止めがかえって広がった感は否めない。自由な議論ができる開かれた党に変わることができなければ、幅広い国民からの支持は得られまい。
[882] 2023年02月10日 (金) 10時44分
義務教育
共産党「赤旗」紙上で朝日新聞社説への批判展開

こたつぬこ野党系政治クラスタ 2.9
共産の赤旗ですか。松竹除名への攻撃は日本国憲法と民主主義への攻撃といいはじめた。どんどんこじれて先鋭化してますね。


有田 圭彦

民主的集団指導体制という日本共産党。
これでは責任は全執行部構成員にある。
志位退陣では済まない。幹部会は全員退陣せよ。


平野 淳
なぜ現行の選出方法が民主的で合理的なのか、説得されない。志位さんはよい政治家だとは思うが、選出過程が外からは不透明。これだけ大きな組織なのだから、党首になりたい人が他に何人もいてもおかしくないし、「長期政権」への反発があっても不思議ではない。この整いすぎる感じに、閉塞感を感じる。


こたつぬこ野党系政治クラスタ🌾

松竹のぶゆき「...そんな私が反共雑誌に登場したら、党員は間違いなく離反するでしょう。だから、そんなことはするはずもありません。実際、最近も雑誌『正論』からさっそく執筆依頼がありましたが、ていねいにお断りしました」
[880] 2023年02月09日 (木) 11時04分
義務教育
(赤旗)2023年2月8日(水)
党攻撃とかく乱の宣言 ――松竹伸幸氏の言動について   書記局次長 土井 洋彦

〇問題は規約と綱領への攻撃を開始したことにある(一部省略)
 まず明確にしておきたいことは、メディア各社は、「会見」での松竹氏の発言をひいて、「『党首公選』提唱党員を除名」(「読売」7日付)などと報じていますが、松竹氏の除名処分は、「党首公選制」という意見を持ったことによるものではないということです。党京都南地区委員会常任委員会と京都府委員会常任委員会の発表文「松竹伸幸氏の除名処分について」(「しんぶん赤旗」7日付)がくわしくのべているように、自らの意見を、党規約が定めたルールに基づいて表明するということを一度もしないまま、突然、党規約と党綱領に対する攻撃を開始したことを、問題にしているのです。
〇分派活動について一切の弁明ができず(一部省略)
 さらに重大なことは、松竹氏が、党攻撃のための分派活動を行ったことです。松竹氏は、「分派活動の実質がない」と弁明していますが、事実は明瞭です。
(中略)
党内に分派をつくって党を攻撃することは、「党内に派閥・分派はつくらない」(規約第3条4項)に反する重大な規律違反です。
〇党内に自らの同調者をつのると言い放つ
松竹氏の「会見」できわめて重大なことは、彼が、自らの除名処分を「不服」として党大会に「再審査」を求めるとし、それを実行するために、党内に自らの同調者をつのることを宣言していることです。(中略)
これは、まさに党内に松竹氏に同調する分派をつくるという攻撃とかく乱の宣言にほかなりません。松竹氏は、日本共産党に対する「善意の改革者」を装っていますが、その正体が何であるかを自ら告白したものといえましょう。

 日本共産党は、こうした攻撃を断固としてはねのけ、前進するものです。
[879] 2023年02月08日 (水) 12時59分
義務教育
(朝日社説)共産党員の除名 国民遠ざける異論封じ 2023年2月8日

(前略)共産党本部の政策委員会で安保外交部長も務めたジャーナリストの松竹伸幸氏が一昨日、党を除名された。党トップの委員長を全党員による投票で選ぶことなどを提案した「シン・日本共産党宣言」の出版からわずか半月余り。党規約で「警告」「権利停止」「機関からの罷免(ひめん)」の上の最も重い処分だ。
委員長は現在、2、3年に1度開かれる党大会で選出された中央委員会が決めることになっている。松竹氏は、開かれた党首選を行うことで、「異論を許さない怖い政党」という国民の見方が変わり、共産党を含む野党共闘への不安感も和らぐのではないかと指摘。他の野党が懸念する安保・防衛政策についても、その機会に議論を深めることができるとした。
朝日新聞も昨年7月、共産党の結党100年にあたっての社説で、多様性を重視する若い世代をひきつけるには、「誤りを認めない無謬(むびゅう)主義や閉鎖的な体質から脱却する必要がある」として、党首選が「党を開く改革」になると主張した。
 共産党は、党首選は「党内に派閥・分派はつくらない」という民主集中制の組織原則と相いれないという立場だ。激しい路線論争が繰り広げられていた時代ならともかく、現時点において、他の公党が普通に行っている党首選を行うと、組織の一体性が損なわれるというのなら、かえって党の特異性を示すことにならないか。
もっとも、今回の除名は党首公選など主張の中身ではなく、「党に敵対する行為はおこなわない」「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」などの党規約に背く「重大な規律違反」が理由とされる。

 小池晃書記局長は「共産党は意見を言う自由は認められている。問題は党の中で述べることなしに、突然攻撃してきたことが重要」と語った。しかし、党のあり方を真剣に考えての問題提起を、一方的に断罪するようなやり方は、異論を許さぬ強権体質としか映るまい。
 一般の党員や党所属の地方議員らが、どう受け止めるのかは、わからない。ただ、党内の結束が保てたとしても、これまで共産党の政策や活動に理解や共感を示してきた、党員以外の有権者や知識人の心が離れるなら、党勢は細るばかりだと思い知るべきだ。
[878] 2023年02月08日 (水) 12時57分
kai
■「プロ独」についての記載をひろってみた。
・「階級独裁」論
・人民大多数の権力
・マルクス、エンゲルス、レーニンの認識
 「事情に合わせて、具体化、付加」する。
・共産主義へ至る過渡的な形態
・ブルジョア反革命独裁への対抗概念
・プロ独を必要としない平和的移行の可能性
・パリ・コミューン⇒プロレタリアートの独裁
・民主共和制はプロ独の特有の形態ですらある。
・労働者階級の政府→単なる「社会民主主義」
・協会テーゼ「革命的社会主義政権はプロレ
タリアート独裁である。」
・「安定的多数派の形成が、現代のプロ独の政
治形態である。」(old socialist)
・「プロ独は、移行期の社会民主主義政権のこ
と」(固定資本)
・「事実の発展を正確にとらえることが大事で
ある。」(向坂逸郎)
・「『社会主義建設のための階級支配』がプロ
独。国や時代によって形態は違う。」(福田豊)
・圧倒的多数者による支配
・旧支配階級の権利を制限
・勤労者大衆に対して、不平等を撤去するもの

■「プロ独のもとでなされるべきこと」
@ブルジョア階級から全資本を収奪し、生産
用具を「支配階級に組織された」プロレタリ
ア階級の手に集中すること
Aブルジョア的生産関係にともなう一切の
社会関係を廃止すること
B同時に、それらの社会関係からうみださ
れたいっさいの観念を変革すること

■あえてプロ独をいう必要はないし、プロ
独批判には、その都度、それぞれの考えで
対抗してけば、良いのでは?
[875] 2023年02月07日 (火) 13時44分
義務教育
共産党は「委員長を選ぶ党首選挙を主張した党員を除名処分に」

プロ独の問題ですが、共産党自身が分かっていませんね。
「プロレタリア民主主義」「民主集中制」は、昔、私も若いころは絶対的に支持する見解でしたが、今でも少なからぬ同志もそうでしょうね。
 昨年の参院選後、野党結集問題とあわせて、少し共産党への生まれ変わりに対する期待感が出てきていたのに、これで終わりかな? いやもう一波乱あるかも…。


共産 委員長選ぶ「党首選挙」実施主張した党員 除名処分に2023.2.6 22時10分NHK

共産党の委員長を、すべての党員による投票で選出すべきだと主張した元党職員の男性について、共産党は、党が異論を許さないかのように事実をゆがめて攻撃し、規約に違反したとして、除名処分にしました。

共産党の元安保外交部長で、現役党員だった松竹伸幸氏は、先月、志位委員長が20年以上務めていることを「国民の常識からかけ離れている」と批判し、すべての党員が投票して委員長を選ぶ「党首選挙」を行うべきだと主張しました。

これを受けて小池書記局長は6日の記者会見で「党が異論を許さないかのように事実をゆがめて攻撃した」と述べ、党に敵対する行為は行わないなどとした規約に違反したとして、松竹氏を除名処分にしたと説明しました。

そのうえで「異論を言うことは規約上も許されているのに、党の中で意見を述べることなく、突然攻撃してきたことが理由だ」と述べました。

除名は、党の規約の中で最も重い処分になります。

一方、松竹氏は6日、東京都内で開いた記者会見で「透明性を持った党になるべきだが、今回の処分は現状をさらに深刻にするもので、改革がますます必要だ。処分の撤回を求めたい」と述べました。
江川 祥子@amneris84 2023.2.6
昨日、問題にされた本を急いで読みましたが、「なんでこれで除名?!?!」という内容。言論・表現の自由は民主主義の基本。共産党はすぐに判断を撤回した方がいい ⇒共産 委員長選ぶ「党首選挙」実施主張した党員 除名処分に

小池 晃(日本共産党)@koike_akira 2023.2.6
「共産党規約は・・党員が自由に意見を述べることができ異論があれば保留する権利もあるということをはっきりうたっています。今回の対応は異論を持ったからではありません。そうした権利を行使することなく突然党規約および党綱領に対する攻撃を行ったことに対する処分です」

「異論を持ったから除名ではない」松竹氏処分 小池書記局長が会見 2023.2.6
 日本共産党の小池晃書記局長は6日、国会内で記者会見し、党京都南地区委員会常任委員会と党京都府委員会常任委員会が同日までに、松竹伸幸氏の除名処分を決定したことをめぐり、「一部で『異論を持ったから除名した』との報道がありますが、これは事実と違います」と否定しました。

 小池氏は「日本共産党規約は、中央委員会にいたるどの機関に対しても、党員が自由に意見を述べることができ、異論があれば保留する権利もあるということをはっきりうたっています。今回の対応は異論を持ったからやったものではありません。そうした権利を行使することなく、突然、党規約および党綱領に対する攻撃を行ったことに対する処分です」と重ねて説明しました。
[874] 2023年02月07日 (火) 13時23分
義務教育
復活させよう
[873] 2023年02月02日 (木) 10時39分
義務教育
 ストラテゴス・アウトクラトール?

 欧米の民主政治(主に政治・政府体制)の基本は、遠くギリシャ・ローマ時代の民主制から学んだらしいことは分かっていた。何せ、「王のいない政治」をどう進めるか、見本はこの紀元前の政体しかなかったのだから…。
 しばらくぶりに、塩野七生の「ギリシャ人の物語」を読み始めた。ギリシャはローマに比べると地域的独立心が強く、民主政治も規模が小さく、今で言うと連合国家・自治体のイメージが強くなるが、ローマに先駆けて民主政体の色々な改革が行われてきていた。

 強い興味をもったのが、紀元前480年、ペルシャ戦役を迎えてアテネでストラテゴス(いわば10人で構成される内閣)の一人に、1年任期での独裁権力を与える改革が行われたことだ。
 ローマを語源とするディクタトゥーラの前身と言って良いのだと思う。ストラテゴス・アウトクラトールと言われた。
 民主政治が危機に陥った時、非常大権を与えて事に対処するスタイルは、この頃に発明されたのだ。初めてギリシャ諸都市が団結して大帝国ペルシャを打ち破った。
 WIKiで調べると、アウトクラトールは、ギリシャ語では皇帝・インペラトルと同じ意味で使われるらしい。
[442] 2019年01月28日 (月) 11時13分
義務教育
プロレタリアを探して、混沌の道へ?

 先日の書き込みで、
 シュタインが1842年にプロレタリアートに注目し、この階層を社会運動上の重要な要素と見なした点は、その後のマルクスの思想形成にとっても大きなことであったと見なされていることを紹介した。
 この邦訳本の解説では、さらに「シュタインに先んじてプロレタリアートに注目したドイツ人に、 カール・バートラム・システューフェと、フランツ・フォン・バーダーがいる」との記載があったが、前者は不明、後者のバーダーは、1765年3月生まれ、ドイツの哲学者,神学者。1841年没としか分からない。

 ここで次に「階級独裁」論の初出を辿ろうと、バブーフ、ロベスピエールらを探し始めたところ、「ブランキ 革命論集」(1968年刊現代思潮社)に出会ってしまった、
 ブランキは1832年1月、「15人裁判−市民ブランキの陳述」で「陪審員諸君 私が告発されたのは、私と同様プロレタリアであるフランス3千万の人々に、生きる権利がある、と語ったためである。」と語りはじめた証言録がある。この文書では「これは富める者と貧しき者との戦争だ」「特権者…わずか10万のブルジョア」云々と、共産党宣言が出た16年前に、初期の構図がすでに自覚的に展開されていた。ブランキは、まだ26歳の時の論述である。
 シュタインは、少なくともプロレタリア論の初出ではなかった。

 さてこれからも何が出てくるのか…。
[416] 2018年10月20日 (土) 15時32分
義務教育
 プロレタリアはなぜ蘇ったのか

 古代ローマ共和制下のプロレタリアという階層(表現)が、なぜ18世紀のフランス革命に蘇ってきたのか?
 たどり着いたのがローレンツ・シュタイン「今日のフランスにおける社会主義と共産主義」(1842年)という本だ。

 当時マルクス24歳。ライン新聞編集部に入ったばかり。・ローレンツシュタイン(1815-90)は、ドイツの国家学者、ドイツ社会学の始祖と言われる。1882年大日本帝国憲法起草調査のために渡欧した伊藤博文らを教授。その講義録は明治の日本で広く読まれたという。
「今日のフランスにおける社会主義と共産主義」は、その第1章がプロレタリアート。その中に、
「7月革命(1830年)以後、首都の真只中にサン=シモン主義が立ち現れ、たとえ一瞬であれ熱狂的な若者をその旗のもとに引き入れた。その後平静がもどり、まじめな問題が幻想的な計画に取って代わった時、フーリェ主義が現れ…、この両者と並んで、共産主義という不気味で恐るべき幽霊が現れてくる。共産主義の実現など誰も信じようとはしないが、しかし誰もが、その存在を認め恐れている。」

 その6年後の、マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」(1848年)で使われた、有名な共産主義を形容する言葉だ。
 大革命と7月革命で主役を演じた勢力は、サン・キュロットないしは、その末裔であったという。シュタインはこの階層をその本の中で「現在のプロレタリア」と呼んでいる。
 ※サン・キュロットは、主に手工業者、職人、賃金労働者などの無産市民(固定資産の無い人)。

 19世紀後半、のカウツキーの時代に、マルクスがどれだけ、この本から影響を受けたか−という論争が起こっている。「シュタイン=マルクス問題」と言うそうだ。 
 幸い、この本の邦訳が法政大学出版局から出ていた(1990年8月発刊)。




[410] 2018年10月10日 (水) 15時19分
マルシェ
欧州共産党は1970年代後半にプロレタリア独裁を放棄

 欧州共産党、かつてユーロコミュニズムと言われた党は、1970年代後半に次々とプロレタリア独裁の言葉・概念を放棄した。
 1976年2月フランス共産党大会では
 「社会主義的変革を指導する権力は、労働者階級と他の勤労者階層、すなわち肉体労働者、頭脳労働者、都市勤労者、農村労働者、つまり人民の大多数の権力となるだろう。この権力は普通選挙により自由に表現される選択の基準のうえに打ち立てられ、それに基づいて行動するだろう。
 そしてそれはもっとも拡張された国の経済的・社会的・政治的生活全体の民主化の実現を任務とするだろう。それは人民の民主的選択を尊重し、かつまた尊重させることを義務とするだろう。
 これらのことと反対に『ディクタツーラ』といえば、すぐにヒトラー、ムッソリーニ、サラザール、フランコのファッショ体制、言いかえると民主主義の否定そのものを想起させる。これはわれわれの望んでいるものではない。」
 とプロレタリア独裁の概念を放棄した理由が述べられた。

[391] 2018年09月05日 (水) 09時57分
義務教育
 プロレタリア独裁についての認識の違い−マルクスとエンゲルス、そしてレーニン

>固定資本さん。…前回の続きです。

 私はいままで、プロレタリアの政府、労働者の権力、労働者の階級支配などという言葉を、即イコール「プロレタリア独裁の権力」と同義的に理解していました。が、これは厳密に整理する必要があります。

 どうやらマルクス主義の個々の古典の理解でも、プロレタリア独裁に関しては相当の認識の違いがありました。マルクスとエンゲルスの間でも微妙に違います。エンゲルスの後継者カウツキーやローザ、プレハーノフとの間でも時期的・情勢的な問題から、そしてプロ独論を定式化したレーニンではロシア革命という事情から、それぞれが自分たちの事情に合わせてプロ独論を付加・具体化してきたので、厳密には相当な違いがあるように思います。これまではこれを“発展”として理解してきましたが、私の頭の中では、この3人をひっくるめたプロ独論に出来上がっているようなので、これを分解してみる必要があります。

 そう言いながらも、まだ裏付けのための勉強中です。
まずマルクスがプロ独に直接言及した論文類は、私が確認できたものは、
@1850年「フランスにおける階級闘争」、A1850年「革命的共産主義者万国協会」の規約(エンゲルスと連名)、B1852年「マルクスからヨーゼフ・ヴァイデマイアーへ」、C1871年「国際労働者協会創立7周年祝賀会での演説」、D1875年「ゴータ綱領批判」、そしてこれはカウントして良いのか迷いますがE1873年「政治問題への無関心」です[ただし「自分たち(=労働者)の革命的独裁」という言い方になっている]。
 マルクスは、バリ・コミューンに来るべき社会のイメージを見つけましたが、前回言ったように、この著作「フランスにおける内乱」ではプロレタリア独裁という言葉を使っていません(分けている)。しかし別のところで無階級社会(共産主義)へ至る過渡点・過渡的な形態としてのプロレタリア独裁の必要性を説いています。しかしそれ以上は、この重要な言葉の意味を説明(展開)していないようです。当時のブルジョア反革命独裁への対抗概念として、避けて通れない過渡期としての階級独裁(文字通りの暴力的抑圧の承認)を主張していたと考えられます。プロ独を必要としない平和的移行の可能性も、少しだけ、頭の片隅に残っていたからです。

 マルクス1883年没後、エンゲルスは、@1891年「『フランスにおける内乱』への序文」、A1891年「エルフルト綱領批判」では、もう少し具体的に言及しています。
 「パリ・コミューンを見たまえ。あれがプロレタリアートの独裁だったのだ。」とプロ独とパリ・コミューンとを結合しました(序文)。また「民主的共和制は、すでに偉大なフランス革命が示したように、プロレタリアート独裁の特有な形態ですらある。」と民主的共和制をプロ独とも結合したのです(綱領批判)。しかしこれらの言葉は示唆的な表現にとどまっています。
 エンゲルスも1895年に没。世界大戦と革命期を前にして、「社会主義へ至る過渡期」論争を引き起こします。国家論や労働者政府・社会主義の過渡的政権論としての具体化は、ほとんどがマルクス・エンゲルス没後の論争によるものです。私の理解は、主にレーニンによるプロ独論でした。

 ドイツ革命を進めるエンゲルス直系のカウツキーらと、ロシア革命に責任を負うレーニンとの論争は別途です。少し単純化しすぎているかも知れませんが、ご容赦ください。
 
[389] 2018年09月03日 (月) 14時31分
義務教育
パリ・コミューン評価でブランキら無政府主義と決別

>固定資本さん。
 プロ独論の「前提の整理」が必要だ−との主張は、もっともです。ただしその前に、マルクスやエンゲルスが、どういう状況の下で、どういう意味で、この言葉を使ったのかのフォローをしてみる必要があります。これはあなたの提起するC「独裁という言葉自体に関する議論」の一部でもあります。

 私の現在のところでの追跡では(まだ追跡中ですが)、1848年革命の時と、1871年パリ・コミューンを経験してからとでは、マルクス・エンゲルスのプロレタリア独裁という言葉の「使い方(意味)が変わった」と思っています。

 1848年革命時は、ブルジョア革命の進行が、プロレタリアに対する軍事弾圧に転化しました。ドイツ6月蜂起に対する労働者らへの犠牲者は死者3千人、負傷者5千人。逮捕者2万5千人、流刑者4千人と言われています。こうしたむき出しのブルジョア反革命的独裁に対抗する直接的な概念として、マルクスもプロレタリア独裁を「対置し、使用した」と思われます。
 マルクスは「フランスにおける階級闘争」(1850年)の中で、初めてこの言葉を使いました。この時、マルクス・エンゲルスとブランキ派ら無政府主義者たちとの共同戦線が成立していたわけです。
 そういう事情ですから、この時期のマルクスのプロレタリア独裁の主張は、闘争スローガン的な意味合いが強く、内容上の組み立ては、あまりはっきりしていません。

 1871年パリ・コミューンについて、マルクスが書いた「フランスにおける内乱」(1871年)では、有名な言葉ですが「(コミューンは)それは本質的に労働者階級の政府であり、…ついに発見された政治形態であった」という有名な言葉が出てきます。しかし注意深く読むと、プロレタリア独裁という直接的な言葉は出てきませんが、後のマルクス・エンゲルスの言及から、パリ・コミューンをプロレタリア独裁の新たな国家権力の形態(過渡的な)と位置づけたことは明らかです。
 しかしこの位置づけをめぐって、第1インター(国際労働者協会)内部で、「過渡期の国家権力」をも否認するアナーキズム(ブランキやバクーニンら)との論争、決別があったようです。

 いずれにせよ、マルクスが、プロレタリア独裁という言葉を使ったのは、全ての著作(共同声明を含めて)を通して7回で(カウントしたのは大藪龍介・富山大)、いずれも簡潔なものです。エンゲルスはマルクスとは別に単独で5回だけだそうです。
 ただし私が把握・確認できた限りでは、マルクスが6回、エンゲルス単独ではマルクス没後の2回分までしか分かりません。

※掲示板のボリューム的にはこの程度が限界でしょう。また調べて書き込みます。
[386] 2018年08月29日 (水) 15時34分
固定資本
「プロレタリアート独裁」を議論する前の、『前提の整理』、が必要と思います。

@.「マルクスの主張の本質は何だったのか。」、に関連する議論。もっとも重要な議論。
  ※特に、「どの歴史段階の権力」として出現し、「何を行う権力」で、「いかに死滅」するか、の内容。
  ※少なくとも、「民主主義に対する独裁形態」とかいう、「政治形態」の問題ではないのは、大前提と考えるが。

A.@についての「誤解や曲解」に基づく「嘘・誤り」、に関する議論。
  ※例えば、「現代ヨーロッパ左翼」では、「プロ独=ソビエト独裁政治形態=レーニン主義」的な、
   プロ独を「政治『形態』の問題」と捉える見解が常識らしい。でもこれは、まるで「子供だまし」のような幼稚な見解。
  ※良し悪しは別として、こうした「未熟な見解」は、「プロ独」だけではなく、「生産手段の社会化」や「唯物史観」といった、
   「マルクス理論の本質」さえも否定することにつながった、唯物史観を理解できない致命的な「幼稚さ・未熟さ」がある。
  ※もっとも、「強烈なソ連型の悪影響」への対処として、下記Bとしての政治方針、という面は理解できる。

B.上記の「理論的本質論」とは区別される、「現実的形式論=現代的政治形態論」に関する議論。
  ※例えば、「国民に政策提案する場合、『独裁』と公言する必要は、全くない。」等。
  ※例えば、「ソ連型の政治形態は目指さない。」ということ。ただし、それは、「プロ独の放棄」とは全く無縁の、政治形態論。
  ※「ソ連型」は他国の経験で、日本では「不要」であり、目指さない。だから、ソ連型を「完全否定」する必要もない。

C「独裁」という言葉自体、に関する議論。    等。

★以上を前提に、「マルクスの主張の本質」について、ひとつ。

「フランスの内乱」(岩波文庫s39版:102p)・・・少し長いけど。〇番号等、加筆してます。
 (101p) コミューンの真実は、コミューンは、本質的に、@労働者階級の政府であり、A所有者階級に対する生産階級の
闘争の所産であり、その下でB労働の経済的開放を達成しうべき、ついにC発見された政治形態であったのだ。
 この最後の条件(労働の経済的解放)がなければ、コミュ―ン憲法は一個の不可能事であり、一個の欺瞞であったであろう。
生産者の政治的支配は、生産者の社会的隷属の永続と併存しえない。コミューンは、階級の存在・階級支配が、よって立つ
その経済的基礎を根こそぎにするためのテコとして役立つべきであった。一度び労働が解放されれば、各人は労働者となり、
そして生産的労働は階級的属性であることをやめるのである。
 (103p)コミューンは、多数者の労働を少数者の富とする、あの階級的所有権を廃止しようとしたのである。それは、収奪者
の収奪を目指したのである。それは、労働を奴隷化しこれを搾取する手段となっている生産手段、すなわち土地と資本とを、
単なる自由でかつ協力的な労働の用具に転化することによって、個人的所有権を一個の真実とすることを欲したのである。

〇以上から、私なりにまとめれば、
 ※「コミューンの真実」=「プロレタリアート独裁」とは、
   @労働者階級の政府 ・・・これだけだと、単なる「社会民主主義」
   A所有者階級に対する生産階級の闘争の所産 ・・・少数の所有者階級との闘争を目的とする政権であること
   B労働の経済的解放 ・・・実際に「生産手段の社会的所有」を行い、「個人的所有権」を実現すること。
  「労働の経済的解放」を実現するための、「道具・テコ」である。
  つまり、「抽象的本質の概念」で、それが現れる「具体的政治形態」の問題ではない、という点。

 ※「プロレタリアート独裁」という本質の下で、「コミューン」はC発見された政治形態だった。
   ・「コミューン」は、「普通の国民」が実際に政治を担い運営管理する、「民主的組織」だった。マルクス主義者は皆無。
   ・ソ連、中国他では、「民主的組織」の上に、「前衛政党の指導」という一党指導が君臨している。
   ・ドイツに対する後期エンゲルス、そして「平和革命論」では、議会制民主主義を通じての権力奪取を目指している。
  これらは全て、良くも悪くも、プロレタリアート独裁の「現象形態」でしかない。「どれが正しい」とかいう問題ではない。
[385] 2018年08月27日 (月) 20時40分
義務教育
 アナキスト達とマルクス、エンゲルスとの統一戦線

 調べてみると、無政府主義アナーキズムという言葉は、プルードンの「哲学の貧困」におけるの記述の一部が発端となっているそうです。
 
 1848年から49年は、フランス、ドイツなど欧州の革命期で、「共産党宣言」もこれに間に合わせて書かれたことはご承知の通りです。
 同革命の中で、アナキストのプルードン、バクーニン、ブランキらは、相次いで逮捕・収監されています。マルクスとエンゲルスもパリ、イギリスに亡命しますが、この過程で、無政府主義のブランキ派との連合(統一戦線)盟約が結ばれました。
 
 マルクスらは共産主義者同盟とは別に、秘密組織の「革命的共産主義者万国協会」を結成。
 その規約第一条には、「本協会の目的は、人類家族の最後の組織形態たるべき共産主義が実現されるまで革命を永続的に続けながら、全ての特権階級を打倒し、これらの階級をプロレタリアの独裁に従属させることである」とあります。
 この規約は、1850年4月半ばに執筆。署名はマルクスとエンゲルスと、ブランキ派のアダン、ヴィディル、ヴィリヒ、ハーニーの6名が連名で記されています。全集の第7巻、補録Cの5「メモと記録文書」の中にありました。
 
 プロレタリア独裁の言葉は、マルクス派とブランキ派ら、共に使っていたのですね。
[384] 2018年08月26日 (日) 12時20分
Y福田
欧州の社会主義はproletariat独裁なんて考えていない。
[383] 2018年08月26日 (日) 11時01分
Y福田
社会主義協会テーゼ
第1章日本における社会主義革命の条件と形態
第3節 国家権力の平和的移行-日本における社会主義革命の形態−
1 社会主義政権とはなにか
77ページに
「以上のような任務を果たしうる革命的社会主義政権は、プロレタリア独裁である。」
と書かれている。
[394] 2018年08月26日 (日) 10時51分
old socialist
社会主義協会テーゼ(1971.8)は協会の性格についてマルクス・レーニン主義者の集団と規定した、(のちにマルクス・レーニン主義を研究する集団)に変えたが。しかしプロ独論については、記述されていない。プロ独については、マルクス・エンゲルスとレーニンがどのように規定していたか、まず整理していくことが必要。(現代М・L主義辞典1859〜1864)プロ独の本質理解ととも、その政治形態は民主主義制度の発展によって異なる。近代民主主義に到達している国においては、議会多数派形成による社会主義建設がその政治形態となる。
平和革命を打ち出した協会は、レーニンのプロ独論とは異なる議会を通じた安定的多数派の形成が現代のプロ独の政治形態であることを明確にすべきであった。(それはヨーロッパ社会主義が追求しているものでもあるが)
[392] 2018年08月24日 (金) 20時16分
Anarchy
プロレタリア独裁は、ブランキの主張だった

 プロ独はマルクス主義者の専売特許みたいに言っているが、実は、1848年革命時に無政府主義者ブランキが主張し、マルクスが借用したものだった。
 マルクスが最初に言い出したとされる論文「フランスにおける階級闘争」(1850年)では、
「この社会主義は,革命の永続宣言であり,階級差異一般の廃絶に,階級差異の基礎であるいっさいの生産関係の廃止に,これらの生産関係に照応するいっさいの社会関係の廃止に,そしてこれらの社会関係から生じるいっさいの観念の変革に到達するための必然的な過渡点としてのプロレタリアートの階級的独裁である。」(ME全集7巻86ページ)
と紹介されるが、実はこの前にある文章が、よく、省略される。
 それは「プロレタリアートは、ますます革命的社会主義の周りに、即ちブルジョアジー自身がそれに対してブランキーなる名称を考え出した共産主義の周囲に結集しつつある。この社会主義は…」となっているのである。
[378] 2018年08月24日 (金) 17時05分
再掲−義務教育
憲法が禁止するプロレタリア独裁

 >甲斐性さん−が引用してくれたように、プロレタリア独裁論を「機能と形態」とに分けて整理しておくのが現在での、無難な解決策です。私もだいたいそういう使い方をしてきました。でもプロ独論を否定すると「お前はマルクス主義者じゃない」と言われるのを嫌うという制約要因が強いように思います。
 でもさすがに政治家は、あからさまにプロレタリア独裁という「議会制を否定する」政治用語でもあるこの言葉は使えませんね。「しょせん学者や活動家の学説的な見解だ」と言われます。

 >固定資本さん−の考えはユニークです。私見と断りがありますが「現代での『プロレタリアート独裁』は、『移行期での社会民主主義政権』のこと」と述べられています。この言葉を、社民主義の政党や政権が使うわけはありませんから、本質・機能論の主張なのですが…。?

 協会が国際交流の相手としているドイツ左翼党は、当然ですがプロ独論を放棄しています。
 ドイツ憲法(基本法)は、ナチズムと共産党を禁止しています。憲法第21条(政党)第2項は「政党で、その目的または党員の行動が自由で民主的な基本秩序を侵害もしくは除去し、または、ドイツ連邦共和国の存立を危くすることを目指すものは、違憲である。違憲の問題については、連邦憲法裁判所が決定する。」とあり、この規定によってナチス党と共産党が禁止対象とされました。
 
 ですから左翼党を結成するにあたり、旧東ドイツ社会主義政党SEDからのグループPDS(民主社会党)は「資本主義的搾取、環境破壊、政治的抑圧および犯罪的戦争に対する闘い…中略…この闘いを行うにあたり、社会主義と共産主義の名において行われた犯罪と断固として対決し、独裁の手段によって進歩を達成しようとするいかなる試みも拒否する。」との綱領を策定し、左翼党との合流結成にのぞみました。
 
 それでも左翼党は、ドイツ議会で保守側から、執拗にこの点(自由と民主主義、プロレタリア独裁など)を追求されていましたね。ちなみにドイツ共産党は、1968年9月に「基本法を承認する合法政党」として承認されましたが、ほとんどはPDSそして、後の左翼党に合流した模様です。
[377] 2018年08月24日 (金) 12時31分
再掲−甲斐生
プロレタリア独裁について

「向坂逸郎評伝 下巻 石河康国著より」
・ソ連共産党「新綱領」に規定された「全人民の国家」
・「ソ連は階級抑圧の国家から、全人民の国家に移行している」旨。
・『ゴータ綱領批判』からすれば、共産主義の第一段階(社会主義社会)においてはプロレタリアによる階級支配が存続し、第二段階(共産主義社会)になってはじめて国家(階級抑圧の機能)は完全に死滅すると考えられる。
・そうすると「全人民の国家」なるものは、厳密にどちらに近いものか。
・第一段階をすでにこえたというならば、果たして「各人はその能力に応じて働き、その必要に応じて受取る」状態に接近するほどソ連が生産力を発展させているのか、精神と肉体の労働分業も克服される「自由な共産主義共同体」に接近しつつあるのか等々が問題となる。
・中国共産党が「プロレタリア独裁が不用となった」と言うのは尚早ではないかと批判した。
・向坂は、「(全人民の国家という)名称が適当であるかどうかを別にするとしても、ソ連邦の社会が、敵対的な階級構造をもつ社会でないことは確かである。しかし、商品交換を規制するのと同じ原理が支配的である点においても、経済、道徳、精神のあらゆる面で共産主義的原理が行われているとはできない。国家の抑圧的性格が失われ、しかも尚、共産主義社会というには遠い社会発展の時期を『全人民の国家』と名付ける、といっても良い。マルクス、エンゲルスは社会主義社会には生きなかったのだから、ロシアの現実的発展が、マルクス、エンゲルスが充分に推測しえなかった国家形態の推移を示しても、目に角を立てるに当たらない。教条よりも、事実の発展を正確にとらえることが大事である。」とした。

労働大学 古典シリーズ4
 ゴータ綱領批判 解説 近江谷左馬之介著より
・……ここで、共産主義社会の二つの段階が想定されている。
・第一段階、ふつう「社会主義社会」といわれる段階と、より高度な共産主義社会の段階である。

社会主義協会出版局 プロレタリアート独裁
第2章「プロレタリアート独裁とはなにか」 福田豊著より
・マルクス「ワイデマイヤーあての手紙」
・階級闘争は必然的にプロレタリア階級の独裁に導く。
・この独裁それ自身はいっさいの階級の廃止への、階級のない社会への過渡をなすにすぎない。
・「ゴータ綱領批判」
・資本主義社会と共産主義社会との間には、前者から後者への革命的転化の時期が横たわる。
・それにはまた一つの政治的過渡期が照応し、この過渡期の国家はプロレタリアートの革命的独裁でしかありえない。
・「共産党宣言」より。
・労働者革命の第一歩は、プロレタリア階級を支配階級までに高めること、民主主義を闘いとることである。
・プロレタリア階級は、その政治的支配を利用して、ブルジョア階級から次第にすべての資本を奪い、すべての生産用具を国家の手に、すなわち支配階級として組織されたプロレタリア階級の手に集中し、そして生産諸力の量をできるだけ急速に増大させるだろう。
・このことは、所有権への、ブルジョア的生産諸関係への専制的干渉なくしてはできようがない。
・その方策は、全生産様式への変革の手段として不可避なものとなる。
◎要約すると、プロレタリアート独裁は資本主義から共産主義(階級のない社会)への過渡期の国家である。
・プロレタリアート独裁のもとでなされるべきことは@ブルジョア階級から全資本を収奪し、生産用具を「支配階級に組織されたプロレタリア階級の手に集中」すること、Aブルジョア的生産関係にともなういっさいの社会関係を廃止すること、B同時に、それらの社会関係からうみだされたいっさいの観念を変革すること、などである。
・生産手段の私的所有の廃止をはじめ、資本家的諸関係の廃止に対して資本家階級が無抵抗であることはない。
・政治的、経済的、社会的諸手段によってなんらかの抵抗を試みることは必至である。
・したがって、プロレタリアートの権力は、これらの抵抗をおさえ、社会の社会主義的変革を達成しなければならない。
・エンゲルス「ベーベルあての手紙」(1875年3月)
「プロレタリアートがまだ国家を必要とするあいだは、それを自由のためにではなく、その敵を抑圧するために必要とする。」
・政権を獲得したプロレタリアートは、ブルジョアジーの反革命的抵抗を「抑圧」し、社会的変革を達成しなければならないのである。
・マルクスは、プロレタリアートが社会主義的変革を達成しようとする以上、どこでも当然とおらなければならない過渡期の国家として、プロレタリアート独裁を規定した。
・(当時の)社会党は、党大会において、プロレタリアート独裁と社会主義的民主主義の関係を、つぎのようにした。
・「日本における社会主義建設のための階級支配は、武力革命をおこなったソ連や中国と異なるが、それはプロレタリアート独裁の本質における相違ではなく、機能のあらわれ、形態の相違であることを明確にした。」
・つまり、社会主義建設のための階級支配は、日本においても中国やソ連と同じようにプロレタリアート独裁であり、ちがうのはその形態にすぎないという理解が確立されたのである。

[376] 2018年08月24日 (金) 12時30分
再掲−固定資本
>甲斐正さま

★重要な点なので、触れておきます。以下の見解だけは、明確に「誤り」でしょう。

『・「資本主義から共産主義への過渡期」、これは社会主義社会のことではないか。
・その「政治過渡期」、この「過渡期の国家」がプロレタリアート独裁である。
・社会主義国家=プロレタリアート独裁、の整理で良いと思います。』

※「プロレタリアート独裁」に触れた『ゴータ綱領批判』の中で、マルクスは「社会主義」と「共産主義」を分けていません。
そして、生産物分配のところのように、「ここで問題にしているのは、『それ自身の基礎の上に発展した共産主義社会』では
なくて、反対に、『資本主義社会からうまれたばかりの共産主義社会』である。」と表現します。

※『資本主義社会からうまれたばかりの共産主義社会』=社会主義社会、です。
つまり、「資本主義と共産主義の間」とは、「資本主義と社会主義の間」です。


※一般的には、「社会主義への移行期」。その国家機能(階級抑圧機能としての国家部分)です。

※歴史的には、この問題は大きな「中ソ論争」になりました。
ソ連が、私の書いた見解、
中国が、甲斐正さんの書いた見解(確か、今の中国見解も)、
ただ、ソ連も「社会主義は成立したが、国民の意識等に『資本主義の残滓』がある。」とかの『屁理屈』で、
「プロレタリアート独裁の継続は必要」という逸脱をしました。
結局、両国とも、「一党独裁」を正当化するために、マルクスのこの理論を利用しているのです。

★以上ですが、私見では、現代での「プロレタリアート独裁」は、「移行期での社会民主主義政権」のこと、が私の結論です。

[375] 2018年08月24日 (金) 12時29分
再掲−義務教育
甲斐性さん−反応してくれてありがとう。

少し、このテーマについて、一緒に考えてみませんか。
あなたの引用は、だいたい、良いところを引っ張ってきていると思います。
 協会としての考え方は、
石河さんの紹介している「平和的無産階級独裁とはどういう様相のものであろうか。このことを考察するのは不可能に近い。われわれは、歴史上まだ民主主義の確立を前提として成立した『無産階級の革命的独裁』の例をもたないからである。」と、向坂は慎重である。−−との語りがほぼ全てを語っているようです。

 要するに、議会と対立するプロ独論の有効性を、具体的にはイメージできないのです。向坂先生自体がそう言っているのです。福田さんは、その後はプロレタリア独裁否定論になりました。
 
 協会テーゼには、第3節「国家権力の平和的移行」で、プロ独について触れています。あなたが要約的にまとめたとおりのことが書いてあります。
 ただしテーゼが書かれた1968年から、今年は50年にもなるのですね。この間にもあまりにも多くの歴史的変化がありました。
 プロ独論は、私たちの仲間内の学説的な議論としてやっているなら全然構わないでしょうが、対外的に、公然と主張できるようなものではなくなりました。内容は、だいたい分かると思います。それを考えなければなりません。
 
 これが私の考えです。もう既にだいぶ長くなりましたので今回はここまでにします。
 ご意見。批判をお聞かせください。
[374] 2018年08月24日 (金) 12時28分
再掲−甲斐生
プロレタリア独裁の整理について

向坂逸郎は、
・平和革命と無産階級の独裁制とは。
・個人や徒党独裁ではない。勤労大衆の独裁は、社会主義社会を内外の旧社会に対して守るために必然的に成立するものである。
・それは、少数の資本家による支配とは反対に、圧倒的多数者による支配であり、旧支配階級の権利を制限するが、勤労大衆に対しては政治的に、経済的に、不平等を撤去するものである。この意味では、プロレタリア独裁は旧社会におけるより、より広範な民主主義の支配形態である。
   と、している。
・プロレタリア独裁の思想は、政治思想の本質的部分をなすものと考えている。
・「平和的移行」の可能を説き、「プロレタリア独裁」を本質的なものと説くことは調和するのだろうか。
・向坂は、「何ら矛盾も存しない」と、断言する。
・エンゲルスの「エルフルト綱領草案評注」に「民主主義的共和国は無産階級独裁のための特殊なる形態」だと想定したことを援用し、マルクスとエンゲルスは「独裁」を「固定して動かしがたい概念であると考えていない」し、民主主義の確立に応じて「幾多の形態がある」と考えていると、説く。
・しかし、「平和的無産階級独裁とはどういう様相のものであろうか。このことを考察するのは不可能に近い。われわれは、歴史上まだ民主主義の確立を前提として成立した『無産階級の革命的独裁』の例をもたないからである。」と、向坂は慎重である。
「向坂逸郎評伝 上巻 石河康国著 より」

『プロレタリア独裁  社会主義協会出版局』(1977年1月)
◎第二章プロレタリアート独裁とはなにか(福田豊著)
・プロレタリア独裁は、科学的社会主義の基本的概念である。
・マルクス「ワイデマイヤーあての手紙」(1852年3月5日)「……近代社会における諸階級の存在やその階級間の闘争を発見したという功績はぼくのものではない。ぼくよりずっと前に、ブルジョア歴史家たちは、この階級闘争の歴史的発展を叙述し、ブルジョア経済学者たちは階級の経済的分析をなしていた。ぼくが新たになしたことは、1.階級の存在は生産の特定の歴史的発展段階に結ばれているにすぎないこと、2.階級闘争は必然的にプロレタリア階級の独裁に導くこと、3.この独裁それ自身はいっさいの階級の廃止への、階級のない社会への過渡をなすにすぎないことを証明したことである。」
・「ゴータ綱領批判」資本主義社会と共産主義社会との間には、前者から後者への革命的転化の時期が横たわる。それにはまた一つの政治的過渡期が照応し、この過渡期の国家はプロレタリアートの革命的独裁でしかありえない。
◎以上のことから、要約するとつぎのとおり。
・第1、プロレタリアート独裁は階級闘争の必然的帰結として導かれるものであること。
・第2、プロレタリアート独裁は資本主義から共産主義(階級のない社会)への過渡期の国家であること。
・第3、プロレタリアート独裁のもとでなされるべきことは@ブルジョア階級から全資本を収奪し、生産用具を「支配階級に組織されたプロレタリア階級の手に集中」すること、Aブルジョア的生産関係にともなういっさいの社会関係を廃止すること、B同時に、それらの社会関係からうみだされたいっさいの観念を変革すること、などである。
・革命によって国家権力を掌握したプロレタリアートはその政治的支配を利用してブルジョアジーの所有する生産手段を社会化し、ブルジョア的社会関係とブルジョア的観念の変革のために最大の努力をおこなわなければならない。
・生産手段の私的所有の廃止をはじめ、資本家的諸関係の廃止に対して資本家階級が無抵抗であることはない。政治的、経済的、社会的諸手段によってなんらかの抵抗を試みることは必至である。したがって、プロレタリアートの権力は、これらの抵抗をおさえ、社会の社会主義的変革を達成しなければならない。
・わが国では、議会を利用して平和革命を達成することが可能である。したがって、わが国でおこなわれるプロレタリアート独裁の政治形態はソビエト型のそれではない。プロレタリアート独裁の理論に対する正しい歴史的考察をつねに忘れてはならない。

◎第三章プロレタリアート独裁の歴史的経験(向坂逸郎著)
・日本の歴史に社会主義社会が、どのようにして、いつあらわれるか、いま細かくのべる条件を、われわれはもたない。
・しかし、その社会がプロレタリア階級の独裁の社会であることに相違はない。
・その形態は、国により、時代により、千差万別であろう。
・しかし、そのおのおのが、パリ・コムミューンからまなぶであることはまちがいあるまい。



※プロレタリア独裁の整理について。
『プロレタリアート独裁は資本主義から共産主義(階級のない社会)への過渡期の国家である』
・「資本主義から共産主義への過渡期」、これは社会主義社会のことではないか。
・その「政治過渡期」、この「過渡期の国家」がプロレタリアート独裁である。
・社会主義国家=プロレタリアート独裁、の整理で良いと思います。
・これからの社会主義を考えるということは、どのような形での社会主義の国家体制・社会主義社会を進めるか、旧支配階級からの防御、社会主義革命後の経済及び文化等の発展のための方策を進める上で、すべての、あらゆる、あるがままの労働者階級の意思による政権の確保・維持のための力を持つということであると思います。
・これからの社会主義、その体制を維持するための方策(プロレタリアート独裁の形態)は、同時に検討・研究されるべきと思います。
[373] 2018年08月24日 (金) 12時27分



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