これからの社会主義

社会主義の制度、政策を真面目に議論する

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労働者運動資料室旧HP消滅と修復 [971]
労働者運動資料室HP管理人
労働者運動資料室旧HPは、急逝した山崎耕一郎さんのビッグローブIDをもとに開設していましたが、その関係で2月7日に消滅してしまいました。詳しい事情は「管理人より」をご覧ください。
http://roudousyaundou.blogspot.jp/

現在、ヤフーにサーバーを移して修復中です。まだごく一部しか修復できていませんが、順次修復していきます。とりあえず、リンクの修正をお願いします。
http://www.geocities.jp/roudousyaundou/


[268] 2018年02月12日 (月) 07時52分

T.K.
社会主義理論学会会報に山ア耕一郎さん遺稿
「社会主義理論学会会報」74号(2018年3月26日)が同学会ホームページに転載されましたが、そこに山ア耕一郎さんが昨年10月8日の同学会研究会で行った報告「ロシア革命・ソ連崩壊の総括 ソ連社会主義の意義と失敗の総括」の要旨が掲載されています。報告要旨ですが約4000字はあります。時期的にみて、山アさんの遺稿と思われます。

管理人も同研究会に出席していました。少し報告にキレがなくお疲れかとは思いましたが、研究会後の懇親会にも最後まで参加されており、約一ヶ月後に急逝されるとはまったく想像もできませんでした。

山アさんの報告要旨を読み、改めて山アさんを偲びご冥福を祈りたいと思います。

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「この<遺稿>は、3 冊目の労大新書のために書かれていた未完稿です。」
社会主義理論学会会報40号、41号、42号に記載されたものをコピーしたものです。

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もう一度、社会主義へ
山ア耕一郎
はじめに
格差拡大の時代を経て、資本主義批判も芽を伸ばす
なにげなくインターネットを見ていたら、「二〇一七年一月一五日の時点で、世界で最も裕福な八人が保有する資産は、世界人口のうち経済的に恵まれない下から半分にあたる約三六億人が保有する資産とほぼ同じだった」と書いてあるページを開けることになってしまった。貧困撲滅に取り組む国際 NGO「オックスファム」という団体が、七月一七日から開催される世界経済フォーラム(スイス東部の保養地ダボスで開催されるので、通称「ダボス会議」)にむけて発表したものだそうである。アメリカの経済誌『フォーブス』の長者番付や、金融機関のデータに基づいて調査した結果だとのことである。一位はマイクロソフト社の創業者のビル・ゲイツ、八位には証券会社大手のソロモン・ブラザース経営者からニューヨーク市長に転進したマイケル・ブルームバークも入っている。この八人が所有する資産が合計で四・二六兆ドルだと発表されている。
前年には、富裕層の六二人の資産が下位五〇%の資産と同じであったそうである。つまり、前年同月同日に比べて、より少ない人数の資産が、下位五〇%の人々の資産と同額になったということになる。言い換えれば、上位の人々の資産がより急激に増えたのである。貧富の差が拡大したということだ。
現在の社会では、経済競争において、勝者と敗者が出るのは当然だと思われている。世界のトップをゆく人々だけでなく、われわれ貧乏人と彼らの間にいる沢山の人々も、本人が意識してもしなくても競争にさらされ、勝ったり負けたりしているのは、ご承知のとおりである。それが資本主義の経済であり、その現実を容認する思想は本人が意識してもしなくても、自由主義だと言われてきたが、最近では、国家や中央機関による規制を強く否定する傾向をさして、新自由主義と言う言葉が使われている。
新自由主義と言うと、年配の方はサッチャー、レーガンの名前を思い出す人も、少なくないのではないか。一九七九年にイギリスの首相になったサッチャーは、「ゆりかごから墓場まで」と言われた労働党の社会保障政策を強く批判した。その二年後にアメリカの大統領になったレーガンは、新自由主義を基軸とする政策を採用して積極的財政政策を進める
と同時に、ソ連を「悪の帝国」と批判しながら、対決を強化した。一九九〇年にブレジネフに代ってソ連の大統領になったゴルバチョフは、政治的、軍事的対決には積極的ではなかったが、経済競争については避けることが出来ず、かなり無理をして競争に応じて、結局、ソ連の崩壊を早める結果となってしまった。
経済競争といっても、競争にはいろいろな側面があるから、その部分、部分を見れば、お互いに刺激しあって、双方の利益になった部分もあるかもしれない。昔からある、所得の平準化をもたらす様々な施策を併せて用いれば、否定的な面を小さくすることはできる。しかし、新自由主義の波が世界を覆ってから、あらゆる面で効率化が競われるようになった。大きな次元の経済競争も、小さな作業の効率化競争も、煽られた。その大きな波の中で、慣れない競争に煽られて正常な判断力を失ったソ連・東欧社会主義は、政府、政治家が右往左往して政治が乱れ、結果としてソ連においては、国家が崩壊してしまった(この点については後でもう一度触れる)。
非効率の実例とされた社会主義国の経済の敗北に続いて、所得の平等と安定を重視する様々な施策を掲げた運動全体の旗色が悪くなった。社会主義諸国がまだ元気だった時代に、「計画通りの生産」が大事で、「無益な競争を抑える」のも自分たちの役割だと考えてきた人たちは、途方に暮れるしかなかったようである。この二、三〇年は、新自由主義の宣伝の浸透とソ連の崩壊が同時に進行し、競争重視と社会主義批判が共存する傾向が強いのは、みなさんご承知のとおりである。
第一章 新自由主義への反発も
「ソ連型に回帰すべきだ」にも一定の支持
最近、「時の流れ」に反する事態も、いろいろと起っている。
『Newsweek』というアメリカの雑誌の日本語版の昨年(二〇一六年)九・一三発行の号によると、この年の四月にロシアで、一五%だった共産党の支持率が、五月には二一%に伸びたそうである。今年(二〇一七年)二月の調査では、地方によっては「ソ連型の計画経済に回帰すべきだ」と答えた人が五〇%を超えた、という結果も出ているとのことである。「アパートや就職先を、国家が用意してくれた」ということが、その理由だという。アパートや就職先を探すのに苦労し、競争の勝ち負けで生活が大きく左右される、あるいは生活ができなくなる恐れも小さくない新自由主義の経済、その他いろいろな競争に翻弄された結果への反応の一つだろう。もちろん、かつてのような「ソ連型の計画経済」が、実際にいろいろな問題点を内にはらんでいたのは事実であるし、私もそのことを知らないわけではないから、右に紹介したアンケートのとおりに、簡単に政治が動くとは思っていない。しかし、政治・政策について考えるに際して、留意すべき点の一つを指しているのは、間違いないと思う。
簡単に振り返ってみると、一九九一年にソ連という社会主義を標榜していた国家が崩壊した。その後には、だいたい大きな民族毎に、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどと名乗る国家が残った。民族毎にとは言っても、ロシアをはじめとする各国家の中に、まだ沢山の異民族が存在していて、とても単一民族の共和国にはなっていない。たとえばウクライナの中にもいろいろな民族がいて、ウクライナ人と一緒に集落を作ることもあるが、独自の集落を維持する場合もあって、その存在が様々に主張されている。
もともとロシアという国は、ロシア人というスラヴ系諸民族の中でもとくに腕力の強かった民族が、スラヴ系だけでなく沢山の他民族をも統合してつくり上げた帝国であった。私は子供の頃から歴史の本を読むのが好きで、「歴史地図」を見ながらいろいろと空想して楽しんでいた。その歴史地図に、ロシアという国名が登場するのは、10 世紀前後である。スラヴ系諸族、その中心のロシア人は、前の時期に北方(スカンジナヴィア半島とその周辺)にいたノルマン人の一部(つまり、イギリスに移動した海賊民族・ノルマン人同じ地方で形成された)が陸地を南下して、中央アジアの遊牧騎馬民族(タタール人、トルコ人など)と交りあいながら力をつけたと言われている。つまり、ロシア人は海賊と騎馬民族を中心に形成された民族の子孫なのである。ソ連の時代、向うの人にこの話をすると、あまり機嫌が良くなかった。もっと文化的に高度なものを持っている西欧の諸民族との関係を言ってほしかったらしいのである。しかし、近代になる以前は、西欧はむしろ世界の田舎であり、騎馬民族が支配した中央アジアのほうが世界の中心で、こちらのほうに世界政治を動かすような強い力を持った諸民族が存在していたのである。現在は、大都市といえば海や川に接したところに多いが、それは大きな船が発達してからのことである。
『資本論』にも「遊牧民族が、最初に貨幣形態を発展させる。というのは、彼らの一切の財産は動かしうる、したがって直接に譲渡しうる形態にあるからであり、また彼らの生活様式は、彼らをつねに他の共同体と接触させ、したがって、生産物交換を引き起こしていくからである。」(『資本論』岩波書店版・第一巻第2章交換過程・117頁)と書かれている。
中央アジアで力をつけたロシア人が大帝国を作ったのだが、そのロシア人のなかで、共産党を中核にして組織された労働者階級を中心とする勢力が、一九一七年、つまり第一次世界大戦のさなかに自国の権力を倒して、ソヴェト連邦という社会主義の国家をつくった。そしてその七〜八〇年後に、そのソ連が崩壊して外枠が無くなると、内部にいた諸民族が、その力量と政治意識に応じて、民族毎に国家をつくったのである。
第二次大戦終了後、ソ連の影響下に社会主義圏を形成していた東ヨーロッパでも、ソ連崩壊の影響を受けて、諸国家の政権が崩れて、社会主義を名乗る国はなくなった。そのそれぞれの国の中で、諸民族が自己主張をしているのは、ソ連と同様である。
旧ソ連でも東欧でも、社会主義政権の崩壊後、スムーズに資本主義化がなされたわけではないが、資本主義的な企業が容認され、そこで働く沢山の人々が、仕事に精を出しながら、同時に、競争に振り回されているのは事実だろう。この経済を基盤とする体制の変化が、先ほど紹介した所得格差の拡大と、どうつながるかは正確にはつかめていないが、多くの人が市場経済の中に身を置かざるを得なくなって、自分の所得の増減に、喜んだり、怒ったりしているはずである。
そういう現実の上に身を置きながら、それぞれに人の力を結集して、政治的な力を行使するような体制がある程度は形を整えたが、もちろん、まだ安定はしていない。これから変化を求めながら、内部の人たちは様々に苦労していることだろう。
「ミスター・マルクシスト」党首のイギリス労働党が得票増
今年(一九一七年)の六月、資本主義の発祥の地の一つであるイギリスで、資本主義の自由主義的傾向に抵抗するような動きがあった。イギリス総選挙におけるイギリス労働党の議席増である。投票日は六月八日であったが、政権党である保守党が得票率はやや(5・5%)上ったのだが、議席は 330 から 318 へと 12 議席も減らして過半数(325)を割ってしまった。対抗する労働党の得票率は 9・5%上がり、議席も 30 増やして 262 議席となった。連立の協議では、これまで与党であった自由民主党が離れ、保守党が頼ろうとした民主統一党(10 議席)は閣外協力となったので、内閣はかなり不安定なものになった。
保守党の党首は、四月にデイビッド・キャメロンからテリーザ・メイに代ったばかりであった。前党首はEU残留を望んでいたのだが、離脱せよという声が強いので、国民投票にかければ残留意見が勝つと思ってやってみたら、敗れてしまって辞任することになった。代った新党首は、EUとの交渉にあたっての立場を強くしようとして、解散・総選挙に訴え、さきに紹介したような事態になったのである。
労働党のコ―ビン党首も、二〇一五年に代ったばかりだが、こちらは予想を大幅に覆しての党首選勝利だった。コ―ビン党首のマニフェストでは、所得が 8 万ポンドを超える高額所得者には大幅な増税をする上、国営医療制度に追加資金を入れるために民間の健康保険に課税する、法人税率も現行の 19%から二〇二〇年に 26%に引き上げる、などを主張している。この党首は「ミスター・マルクシスト」と自称しているそうである。この党首がリードする労働党が、得票率を 9・5%も伸ばしたということは、イギリス人の現在の政治意識をかなり明確に物語っているのではないか。
もちろん、このまま得票と党勢が伸びて、イギリス労働党政権ができるかどうかは不明である。しかし、そちらの方向に少しでも座標軸が動くということは、事実として重視した方が良い。私は、そういう事実の積み重ねの上に、社会主義の復権が可能になると期待しているからである。
かつて、東西対立の時代には、「左翼的」あるいは「反米的」だがやや力が弱い政権が出来ると、アメリカを先頭とする「帝国主義勢力」が圧力をかけ、政権転覆のチャンスを狙った。それに対抗して、ソ連を中心とする「反帝国主義」の勢力が、政権を支えるためにできる限りの援助をした。けして十分ではなかったが、支えようとしたのは事実である。
現在は、旧ソ連のようにアメリカを先頭とする帝国主義勢力と対抗して、社会主義と発展途上諸国の政治・経済を擁護するような大きな国家は存在しない。世界の各地で新しい運動がおこり、働く者の運動を基盤として地方自治体や国家の民主化を進める過程で、もし不当な攻撃を受けた場合、かつてのような「強い味方」が現れることは期待できない。自分たちの活動の正当性を訴え、味方の陣営を少しでも手厚くする取り組みも、自分たちで積み重ねていかなければならない。それは「やりがいのある」仕事であると同時に、強い意志も必要な運動である。イギリス労働党にもぜひ頑張ってもらいたいし、できれば安定政権を作って、周辺の諸国の社会主義的、あるいは新自由主義を規制しようとする政治を支援してもらいたい。
「Gゼロ」の世界を生きる
もう一つ、最近のいろいろな勉強会に出て、強く私の印象に残っているのは、現在が「G ゼロの世界」になったという解説である。ソ連が崩壊する前の世界は「冷戦状態」と言われていたが、「米ソ対立時代」と言われることもあった。「米・ソ」の二つの強大国があり、その二国を「超大国」と見なしたのは、政治力、経済力、軍事力を含めた総合的な「国力」の比較での話だが、当時、この二つの国を中心に、世界の多くの国や政治勢力が、どちらかの陣営に属していた。その「元締め」は、強かっただけでなく、日頃から自分の陣営の中だけでなく、相手の陣営の中にも人脈、情報網をつくって、いろいろな事態に備えていた。日本は国家としてはもちろん「アメリカ側」に属していたが、ソ連大使館の担当者は野党や労働組合の人々と、ときどき会って情報交換を行い、可能な場合にはいろいろなお手伝いをしてくれた。
当時は、世界の隅々で紛争が起っても、米ソ双方が直ちに、当該国、あるいはその関係国からの情報を分析して、紛争が拡がらないように、あるいは「こちら側に有利に紛争を収拾できるように」方策を検討しながら、対処していた。その世界から一方の超大国であったソ連という国家が消えてしまった。旧ソ連の大きな部分はロシアという国に入ったが、ソ連とロシアが世界政治に対して、同じ考えで対処するかどうか不明である。中央政府が同じであるとしても、国は小さくなったし、変化の時期に離れてしまった国、政治組織もあった。その終盤のゴタゴタの間に、国内のいろいろな組織、機構も弱体化したり、変質したりということもあっただろうし、力を失って、総合的な力量がかなり落ちたのは、間違いなさそうに見えた。だから多くの人が、世界は「G ワン時代」(つまり、「G」=グレイトな国が一つだけの時代)になるのかと思った。そういう表現がされたこともあったと思うが、現在は、そうではないそうである。
イアン・ブレマーというアメリカの政治学者が『「G ゼロ」後の世界 主導国なき時代の勝者は誰か』という本を書いている(日本経済新聞出版社刊)。ブレマーによると、アメリカの国の力も落ちて、一国だけで世界を取り仕切る力量はない、というのである。私もその本を使った勉強会に出てみて、著者がいろいろと指摘することについて、だいたい納得した。もう少し細かく言うと、「アメリカは(とくに軍事的に)依然として、スーパーパワーではある。しかし、もはや G(超大国)ではない」ということである。
著者によると、むしろ現在は、あちこちで紛争、つまり国家や様々な勢力の衝突が起っても、調停するのが自分の役割だと自覚する国が無いし、いろいろな経過でそういう意志を持った国が存在しても、その力量が不足しているから、かえって紛争が多くなるかもしれないというのである。
北朝鮮の核実験やミサイル発射の際の対応を見ていると、トランプ大統領は偉そうなことを演説しているが、その発言で事態の決着はついていない。アメリカの政治・軍事の責任者、あるいは与党の共和党の担当者も、その演説の通りには動いていないようである。党や政府の担当者の首を、大統領がすげ換えるということも、幾つかあった。
そういう状態であっても、アメリカの政治家たちは、あまり「困った事態だ」と思っていないようにも見える。冷戦時代のように、世界を取り仕切るつもりがないから、「政治の素人」が、当選して、勝手に演説しても誰も慌てないのだろう。トランプの言動のピントがはずれていても、国家機関や軍はそれによって間違った行動に出る気配がないのである。大統領の演説を、「世界を取り仕切るための演説」ではなく、単なる「一国の元首の主張」としか受け止めていないように見える。
それが「冷戦後」の事態なのだとみれば、それである程度は仕方がない。しかしもちろん、このままで良いわけではない。戦争はもちろん、引き起こしてはならないし、小さな紛争でも、無い方が良い。しかし戦争・紛争がなくても、このまま大規模なテロ事件が横行するようでは、世界は戦争・紛争が無いのに安全でもない、という状態になってしまう。その事態が、人々を怒らせ、戦争への導火線に火をつけてしまう危険性は、常にあると見ておかなければならない。われわれの子供たちに、多少はマシな世界を残すために、何が可能で、何は次の世代の課題として残さなければならないか。もう少し、検討・研究しておかなければ、いざという時に、役に立たないだろう。そしてこのブレマーの著書は、ちょうど現在の世界政治を見る、討議素材の一つになると思うので、後でもう一度取り上げることにしたい。
かつて社会主義勢力も行き過ぎ
さきにロシアのアンケートにふれたが、二〇一七年二月一〇日『読売』の記事によると、ドイツでは社会民主党の支持率が急上昇で三一%になり、与党キリスト教民主・社会同盟の支持率三〇%を上回った。ただしその後、与党の支持率がまた社会民主党を上回った。
九月二五日に総選挙が行なわれたが、この時には与党のキリスト教民主・社会同盟の得票率が、前回の四一・五%から三三・〇%に落ち、同時に、連立を組んでいた社会民主党の得票率も二五・七%から二〇・五%に落ちた。どちらも党として「戦後最低」だそうである。新聞の解説では、政府が「難民受け入れ」を行なったのが響いたそうで、ポピュリズムのドイツのための選択肢(AfD)は、前回の四・七%から一二・六%に、得票を大幅に伸ばしている。
どの党の支持率も、安定しているわけではないだろうが、東西対立というものが無くなって、「冷戦後」「Gゼロ時代」となると、これまで以上に動揺的になるのは、いうまでもないだろう。ただこの選挙結果を受けて、社民党が与党を離れることになったので、次の選挙がどうなるかは、注目されるだろう。
現在、世界各地で右翼・ポピュリズムが増えてはいるが、「勢いに乗っている」とか「力と力の衝突の危険性が急速に増している」ようには見えない。しかし国家・社会が不安定になり、自分たちの前途も読みにくくなると、多くの人が自分たちの頭の中の不安を一掃するために、国家を後ろ盾にしたり、その権威を借りながら「強そうなことを言う」傾向が強くなる。かつて「強い者」として名前を挙げられていた独占資本、及びその代弁をする政治家たち、つまり、レーニンが説いた『帝国主義論』において、帝国主義勢力の利益を代弁したような保守本流の政治家たちは表面に出ず、また、それに対抗する左側の勢力もなかなか足場が定まらない、それが現在の政治情勢の一つの特徴である。言い換えれば、「帝国主義」も「反帝国主義」も、同じ役者がまだ存在しているのだが、どちらも、控えめに存在していて、突出する行動をしようとしないのが現在の政治情勢の特徴である。 歴史を振り返ると、政治的な対立の強弱、その変化の仕方は、一本調子であるわけではない。帝国主義国どうしの対決、新自由主義的な経済競争、そのなかでの自分たちの勝利を求める風潮が強くなる時期もある。また、そういう時期の生活や仕事上の地位の不安定さに多くの人たちの嫌気がさして、安定をもたらしそうな制度を求める風潮が強くなる時期が、入れ替わることもある。後のほうの時期には、資本主義への批判、社会主義への支持が高まることもある。現在は、新自由主義に対する批判はかなり強まっているのだが、左のほうの陣営が、ソ連崩壊後の自信喪失からまだ回復していない。回復して活動を強めはじめれば、妨げるものは少なくなっていると思うのだが、まだ、そういう機運が強まってはいないのである。
かつては「計画経済」「計画的な生産」というのは、「豊かさ」も「安定」も、両方が同時に手に入りそうな受け止め方がされた。もちろん、それぞれの時期に活動する政党、政治勢力の奮闘によって、産業界・労働界の人々の奮闘を、大きく伸ばす場合もあれば、条件があるのに伸びない場合もある。
第一次世界大戦という、世界の資本主義の覇権を争う戦争(第一次世界大戦)が、一九一四年にヨーロッパで開始され、その悲惨な戦禍の後で、その反省もふまえてロシアに社会主義政権が成立した。資本・生産手段を「国民の共有財産」にし、「計画的な生産」をすれば、財産のための争いも起こらず、したがって、争いの果ての悲惨な殺し合いに到らずに社会を発展させられるという主張に、希望がかなえられるという気持ちになって期待を寄せる人が少なくなかった。しかしご承知の通り、その夢は無残に打ち砕かれてしまった。
初めての試みであるから、失敗が繰り返されるのは、ある程度は致し方ない。ただ、問題は、かつては、失敗の繰り返しの中で、左翼内部の対立、憎悪のぶつけ合いが、増えてしまったことである。革命の過程で、権力を倒そうとする側と、それを守ろうとする側とが、激しくぶつかり、その過程で生命を奪い合うような場面も少なくないのは、まだ理解しやすい。しかし実際には、味方の内部での命の奪い合いが、予想をはるかに超えて、行なわれてしまった。それが社会主義建設というものを、非常に暗いものにしてしまったという点についての反省を、十分に踏まえておく必要があると、私は考えている。
帝国主義の勢力を倒して、レーニンを頂点とする革命勢力がつくり上げた労働者階級の権力は、社会の変革と反革命との闘争に勝ち抜くために、「鉄の規律」を強調した。革命の遂行のために、強い意志の徹底が必要不可欠であるのは事実である。だがしかし、その強い意志は「党と政府の意志を一つにする」、つまり味方内部の批判・意見に圧力をかけてそれを封じ込めることにも、使われてしまった。とくに一九二四年、レーニンの死後、理論的能力や判断力のやや小さい、支持基盤もやや弱い、そしてそのために権力を守るためにかなりの無理をしなければならないスターリンが、党の頂点に立つようになると、事態は深刻になった。指導力・影響力の不足を補うために、もっぱら権力と共産党の組織力に依拠して、圧力によって味方内部の動揺を抑え、権力の行使によって味方内部の異論と、反対派の抵抗を封じ込めようとした。その政治的な意図は悪くなかったのだが、危機意識が高まるとますます、目的達成の手段がより苛酷になり、態度も抑圧的になった。政治の討論が、重々しく、暗いものになった。その頃のソ連社会主義の問題点については、『ソ連的社会主義の総括』(・九九六年・労大新書)に、不十分ながら書いているので、重複を避けたい。
またこの頃には、ヨーロッパ全体の革命の波は退いてしまっていたので、東の端に位置するロシアという国は、非常に大きかったとはいえ、一国だけで社会主義化を推進し、かつ、周囲からの圧力を防がなければならない事態になった。もちろん、革命的勢力の内部にも、敵対的勢力からの介入があることは、当然である。その事態の下で、誰にとっても未経験な国家・社会の根本的な改造、これまで支配され、抑圧されていた人たちの手で権力を築きながら、社会主義化という新しい社会づくりを遂行しなければならなかった。
そのためには、無理に無理を重ねる必要があると意識され、その意識も強かったので、党と国家の内部における分派闘争が異常に激化してしまった。その欠点を論議する過程で、スターリンの個人的な性癖にもとづく問題点が、これまでのソ連論においては非常に重く視て書かれている。しかし私は、スターリン個人の性癖にもとづく問題点についてはあまり重視しない。当時のソ連の人たちが置かれた条件、その点についての過剰な危機意識、つまり「敵の重包囲網の中で、初めての経験である社会主義建設進めなければならない。失敗は許されない。」と言う意識が、教条主義をとてつもなく強め、柔軟な対応を不可能にしてしまっていたのである。その点では、スターリン以外の指導者たちにも、同様の欠点が出て、「道」や「手段」を誤ったと見た方が良いと思われる。もちろん「失敗」にも、いろいろな種類があるが。
右の反省点については、これからの社会主義を考える場合に、必ず、参考にしなければならないと思う。同じ失敗を繰り返すようでは、肝心なことを学ばなかったことになる。それでは前の時代に苦闘を重ねてきた方々に申し訳ない。その点については、さきにあげた労大新書でも書いていると思うが、つい、何度でも繰り返し、言ってしまうほど、深刻な問題である。
また右の書を書いた後に、重要な点で新たに認識した事項があるので、その点についてはこれからの社会主義を語る際に、ぜひ申し上げたい。
第二章世界政治は右傾化の時代にあるが
1、ポピュリズムの波が高まっているが
先に述べたように、二〇一六年一一月八日にアメリカ大統領選挙が行なわれ、即日開票でドナルド・トランプが当選した。ーっの州での不確定票があったので、正式には一一月二月一九日に大統領が決定した。就任したのは翌年、二九日に選挙人の数が確定し、つまり二〇一七年一月二〇日である。彼は二〇一五年に大統領選挙の出馬表明をするまでは、不動産業の経営者であった。不動産業の経営者としては、全米ーの成功者であったそうである。ただ折にふれて、政治にかかわる(右翼的な)発言をしていたので、その点でも「知る人ぞ知る」存在であったようてある。その人物が大統領就任の直後に、「世界の政治家で一番話しやすいのは、ロシアのプーチンだ」と言った。
プーチンは、ロンアの大統領である。工リツイン、ゴルバチョフという共産党員の大統領の後継者として国家を代表してきてはいたが、政治路線や思想の面で、国際的にどういう評価を受けているかは、あまり報道されていなかった。しかし、だいたいエリツインやゴルバチョフと、同じような思想ではないかと見ていた。あまりアメリカの共和党と近しようには見えなかった。国際政治の諸問題~の対応て、ロシア・中国組とアメリカ・EU組に分かれることが多かったような気がしていたので、諸問題の対応の底にある政治的見解も近いのかと思っていた。アメリカの新大統領が当選直後に、ロシアの大統領と「話しやすい」関係にあるというのが、以外であると感じた。
しかし『選択』という情報誌の本年三月号によると、プーチンは世界のいろいろな党に資金カンパを送り、「プーチ/友好連盟」のようなものを作っているのだそうである。その送り先は、ドイツAfD (「ドイツのための選択肢」)、オーストリア自由党、ギリシャ黄金の夜明け、等々、ポピ=リズム右翼の党が多いと言われるが、イタリアの「五つ星運動」「私たちはできる」)(環境保護重視)、スペインの「ボデモス」(翻訳すると「We can」のように、「左翼的大衆主義・反体制主義」や「環境保護」を標榜する党にもカ/パを送っている。ロシアという国は、国際市場で石油価格が高ければ、国の資金が潤沢であるから、この数年間はその政権党(「統一口シア」)もかなり潤っていたのだろう。
現在、世界的にポヒ。ュリスムの政治勢力が、支持率を高めていると言われている。
「ポピュリズム」という言葉の起源は「ポヒ。ュリズム=人民主義」だそうである。この政治勢力は、その時々の人民の中で目立ち、注目されている主張・傾向に敏感に反応するのが特徴であり、それに加えて、伝統的な政党や政治勢力に比べて、発言も行動も「軽い」のも、もうーっの特徴である。左翼的な急進主義に傾く場合もあるし、右翼的な急誰主義(つまりファシスムに近い傾向)に傾く場合もあるそうである。ポピュリズムという政治傾向は、政治が不安定というより、国家の存在自体が不安定な情勢で、そういう事態に不安を感じる国民がいろいろな発言をするようになると、出てくる傾向である。それプラス、現在は、多くの国に難民の波が押し寄せており、その受け入れをめぐって政府や有力政党の対応が論議の的になり、国民の中でも賛否両論が高まっているのが、ポビュリズムの基盤を厚くしている。
現在は米ソ対立時代と比べると、世界政治だけでなく、多くの国での国内政治にも緊張感が薄くなっており、論議が不活発なところが多い。そうなると政治にあまり有為な人材が集まらず、国家の存在自体も軽く、不安定になっているように見える。そうなるとそのような状況に不安を感じて、社会の一部には国家権力強化の志向が拡がる。それが冷戦後の政治の骨組みが不確定な時代の特徴であると言われている。後でもう一度触れるが、ポピュリスムというのは、世界政治を統御するような「G」(グレイトな国)が存在しない時代にふさわしい傾向とも言える。現在は国も、その中の政治家も、落ち着きの無いのが特徴とさえ言われる時代である。
ホピュリズムというのは、おおむね右翼的な傾向だが、かってのファンズムのように「強さ・荒々しさ」を前面に出さず、「軽さ・明るさ」を印象付けている。そうでないと、現在の世の中では、広い支持が得られないのだという。だから伝統的な政党に比へて、ずっと「敷居が低い」ようでもある。アメリカでもロシアでも、権力者である大統領が、この「軽い」政治勢力に依拠しているのも、現在の特徴と言んるのかもしれない。プーチンとトランプは、その同じような政治勢力を活用する政治家として、お互いを認識し合い、これまでも連絡を取り合ってきたのかもしれない。ただしこの本人たちが個人として、本当に「軽く、明るい」政治家であるかどうかは、不明である。
八月一二日のアメリカ・バージニア州での白人至上主義者たちの集会(一八六一一六五年のアメリカ南北戦争で奴隷制維持をはかる南軍を率いたリー将軍の像を撤去することに反対の集会)と、その集会に抗議に集まったデモ隊とのトラブルをめぐるトランプ大統領の対応を見ていると、集会参加者たち(ネオ・ナチも含む)との繋がりは、以前から強かったようである。事件直後の発言で、白人至上主義に否定的な言葉を口にしたが、すぐに「集会主催者も抗議テモ隊も、どちらも悪い」という発言になった。この発言に反発して、大統領に助言するために集まっていた財界人たちが、離反の態度を示した。しかし大統領は、その動きに「別の財界人が入ってくるから問題ない」という対応であった。
この他にも、トランプ米大統領はいろいろな事態で、すぐに率直に発言する。たとえば北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が核実験やミサイル発射実験をしたのに対して、アメリカ側の対応策にも「すべての選択肢を持っている」などと言う。「すべての選択肢」の中には、当然、核兵器使用の軍事的攻撃も人っている。つまり「朝鮮側が、核兵器を見せっければ、こちらにも核攻撃という選択肢もあるのだぞ」という意味になる。もちろん、共和党と軍の責任者が決断しなければ、核兵器使用は実行されないだろうが、トランプ自身は「すべての選択肢」という表現が気に行ったようで、その後も何度も使っている。
大統領の名前が出てきたので、ちょっと横道にそれてしまったが、現在の「Gゼロ」の世界は、冷戦時代に比べて緊張感に欠けているので、そういう偶発的衝突という危険な要素も、常にはらんでいるということは、われわれも意識しておく必要がある。幸い、共和党の幹部にも、軍の幹部にも、すぐトランプ発言に同調して軍事力を使ってしまうような人は少ないようである。何か事件があるとすぐに政治、軍事の対処策を含む発言をするのは、側近の官僚や専門家(担当者は、これまでの政府や軍の確認事項やに詳しい)にれまでの経過を確かめてから自分の発言をするという、大きな権限を持っ政治家には当然の、習慣が身についていないからであろう。冷戦時代のような厳しい対決になれば、とても的確に対応しきれないだろう。それでも、官僚や専門家たちの中では、あきれてしまう人が多いようで、報道によれば、大統領が任命した高官が何人も対立の結果として退任している。「これで政権が続くのか」という疑問すら出ているようである。
安倍内閣批判陣営と擁護陣営に分裂の右翼論壇
日本国内でもポピュリズムのムードが強く、そしてその影響をうけた若者たちの多くが、安倍内閣、あるいはその与党の自民党の支持基盤を厚くしている。だから、閣僚や自民党の役員が、不評な行為をしても、なかなか支持率が下がらないのが実態である。
最近、安倍内閣の“ボロ”の出方が以前以上に目立つので、前回同様、内部がまとまらなくなるのではないかと予想をしていたら、右翼系雑誌・月刊『Hanada』の「10月秋桜号」の目次に、「タッグを組んで『阿部叩き』緊急告発朝日新聞と文芸春秋」というのがあった。櫻井よしこ、阿比留瑠比、小川榮太郎の三者の鼎談である。彼らが朝日新聞を嫌いなのは以前からだが、その帯文の最後に「それに追随する文春、文春ともあろうものが。」と書かれている。朝日と文春が「タッグを組んだ」ということに、よほど腹が立ったのだろう。目次を眺めてみると、「左翼メディアとの最終戦争が始まった」(作家・百田尚樹と日本維新の会政務調査会副会長・足立康史の対談や、「左派系メディア『絶望の自己陶酔』」というのもある。さらに彼らの中では石破茂が悪者になっているようで「石破茂前地方創生相、まだまだあるこれだけの"罪状。」などという告発文もある。あわせて101頁の総カ大特集と銘打っている。
以上のような罵倒のし合いは、かって左翼の運動が帝国主義勢力の包囲網の中で、背負わざるをえなかった内部対立にもとづく事態の重々しさとは違って、軽薄な言葉の応酬である。政府自民党の中枢部と右翼陣営指導部の、知的水準の低さを示しているのではないかと思われる。しかし、ポヒ。ュリズムが流行しているかぎり、雑誌はそれなりには売れるだろう。だから水準は低くても、そういう言葉を掲載する雑誌を売って、飯のタネにしている者が少なからずいるのである。
『Will』という同じような月刊誌もある。こちらは「総力特集安倍首相のどこが悪し」である。「安倍首相の濡れ衣を晴らす加戸守行」「『アホノミクス』という阿呆勝又壽良」「犬フェイクメディアは吠えても安倍晋三金美齢」などが安倍礼賛ものだろうが、あまり迫力が感じられない。それプラス、「石破茂だけは総理にしてはいけない田母神俊雄元航空幕僚長」「自衛隊は総スカン石破さんはウソつきだ海上自衛隊元幹部(海将)匿名対談」が目立つ。「裏切りの文部官僚・前川喜平小さな命の意味を考んる会佐藤和隆」というのもある。私は、石破茂がこんなに悪者だとは、知らなかった。
『文藝春秋』のほうはどうか。こちらは「【大特集】泥沼の自民党大研究」、つまり、安倍自民党批判が前面に出た特集になっているのである。その初めに「自民党国会議員408 人緊急アンケート」が載っている。そのうち、次の三名は目次に実名が乗っているので特に目立つ。石破茂「国民から共感を失った」、村上誠一郎「人事も政策もすべて間違っている」、後藤田正純「執行部はなぜ安倍さんに何も言えないのか」の三名である。「若手学者激論『九条加憲案はひどすぎる』細谷雄一、浜崎洋介、西田亮介」というのもある。
これは、「若手学者激論」となっているので、興味を持って読んでみた。安倍首相やその側近たちは、「九条加憲案」(「九条」を削ろうとすると抵抗が大きいから、これをそのままにして、「自衛隊容認」を付け加えるという案)を、「うまい手を考えた」と評価しているらしいが、この三人からはホロクソの評価である。安倍首相やその側近たちがどう応えるか、見ものである。
三つの雑誌に共通しているのは、政府、自民党とも、また、自民党周辺で「加憲」論を論じている人たちとも、まともな議論をしようという意欲は感じられないことである。「そんなこと、お前がこ、配することか」と言われるかもしれないが、何事においても、う態度はいただけない。
罵倒して、声の大きさで圧倒しようというのは、まだ良い方で、言葉の前に、腕力のほうが前に出てしまうという心配もある。同じ陣営の中で真剣な議論を戦わせるというのは、右翼よりは左翼のほうが出来るとは思うが、どうだろうか。
書店にあふれる世界資本主義の「破滅」「消滅」説
現在の世界は、どういう段階にあり、どこにどういう変化への契機があるかという点については、当然、いろいろな人が関心を持っていると思う。その点にふれるにあたって、いきなり、穏やかでない表現になるが、「破滅」とか「消滅」とか言う表現、つまり、人を驚かすために選ばれたような言葉が、現在の資本主義世界を語る人の中では、良く使われている。
大きな書店の新書版のコーナーなどに行くと、同様の言葉を使った題名の本が、目立っ場所に何冊も置いてある。著者本人としては、問題意識を持たない世間への警告として、強い表現を選んだのかもしれないが、似たような題名の本が多いので、紹介しておきたい。また、合わせて現在の世界情勢の特徴に触れると思われる本も、紹介しておきたい。
『20世紀の歴史』く上・下〉(ェリック・ホブズボーム著)三省堂
この著者は、イギリスの著名な歴史家で、マルクス主義者である。本書の内容は、人を驚かすためではなく、人々に考えてもらうために書かれた本であって、本書を読み終わったら、ぜひこの本も買って読んでもらいたいという気になる本である。上巻の冒頭に「二〇世紀ー一一大局的な見方」というべージがあり、三頁ほどのところに一二人の学者・芸術家の言葉が紹介されている。どれも、なかなかの言葉だが、そのなかからユーディ・メニューヒンという、イギリスの音楽家の言葉を紹介しておきたい。
「二〇世紀を要約しなければならぬとすれば、その世紀は人類がこれまで抱いた最高の希望を打ち出し、同時に幻想も理想もすべて打ち砕いたと、私は言いたい」( 3頁)つまり一九一七年に「最高の希望」が打ち出されたが、世紀の終りに近い頃に「幻想も理想もすべて」打ち砕かれてしまったと、言っているのである。私としても、打ち砕かれないために頑張ったつもりであったが、今はかなり後退しているので、この音楽家の言葉が一番きっかった。気を取り直して、この間の世界と自分たちの行動を総括して、原因を究明すると同時に、「最高の希望」に向けて共に奮闘したい。
本書を読むまでもなく、一九一七年にこの世に現れた「最高の希望」は、悪戦苦闘の末、一九九一~三年に打ち砕かれてしまった。それが打ち砕かれる最後の過程で、われわれは遠くから眺めながら、何もできなかった。個人的に奮闘したからといって、どうなるものでもなかったが、しかし、遠い世界での崩壊の過程をただ見ているしかなかったということで、後ろめたさが残っている。それを簡単には払拭できないにしても、払拭するのにつながる何かを残したい、という希望を持っているつもりである。
この著者も、マルクス主義者として、同様の気持ちで歴史的な経過を見ていたのであろう。この本の訳者である河合秀和氏は、「この二0世紀史は、二0世紀に『何がおこったか』を記述する歴史ではなく、二〇世紀に生じたさまざまな変化が『なぜおこったか』を説明・・」すなわちこの著者も、二〇世紀の歴史の中で、社会主義の総括をする歴史であると、私は受け取っている。私も「なぜ」を考え、読んだ方々と意見を交わしたい。本書の文中でまた、そのいくつかはまた紹介したい。
ついでにつけ加えておくと、下巻の後半を『第V部地すべり』と題したのは良いが、最終章を「第19章次の千年に向かって」としたのは気に入らない。いきなり「千年」という前に、せめて百年単位ぐらいで提言をしたらどうか。読者の皆様にはさきほど紹介したが、イギリス労働党の党首「ミスター・マルクシスト」が奮闘しているように、イギリスでも成果は上がるのではないかと思われる。
『「ドイツ帝国」世界を破滅させる』(エマニ=ェル・トッド著、文春文庫)
EUの経済が安定成長を続けていること、その中軸がドイツであることは、良く知られている。そのEUの中で、ギリシャの国家財政の赤字が増大していることも、最近では知る人が多くなった。赤字の増大から始まって、それが破綻にまて至ると、問題がとたんに大きくなることも、良く知られていると思う。いろいろな金融機関に連鎖し、その金融機関に「もしも」が起れば、もっとたくさんの国民と金融機関を巻き込むことになるからである。ギリシャという国は、観光業はもちろん、漁業や、オリープなどの果樹が豊富であるからである。バルカン地方では一、二を争うような豊かさだったのだが、それだけに安心し過ぎて放漫財政になっていた。それだけに、EUから厳しく追及されて財政再建に取り組み、かなり改善されたそうである。
一時は、ドイツを批判したい人が「ドイツが一人勝ちし過ぎたから、負け組のギリシャの借金が大きくなった」などとも言っていた。しかしドイツの代表も含めて、El-J当局も責任を果たし、ギリシャも引き締めるべきところは引き締めた。しかしそれは一九一六年、一七年の話で、この本は、日本で二〇一五年発行だから、書かれたのはギリシャの借金がまた増えていた頃のことたろう。
またEU批判としてよく言われるのは、EU加盟国が国債を発行して借金をしようとすると、ドイツ人を中心とするEU官僚がそれを認めない、国家の権利を制限しているということである。ポピュリズムの連中は、右に述べたような経過を短絡して、ドイツ人官僚が窮屈な運営で、ギリシャ人や南欧諸国の財政を苦しめている、と言う。現在、西欧で財政難に陥っているのは、製造業の弱い国が多いたろうが、とくに弱くなくても、自動車をはじめドイツ製造業と競争するのは楽ではないだろう。また、観光業など製造業以外の業界からの税収は不安定である。だから国家の税収が少なく、ちょっと気前よく金を使うと、赤字が増えてしまうのてあるようだ。
ご承知の通り、ドイツの工業製品は比較的よく売れるので、国家財政にゆとりがあるのは事実であろう。しかし、ドイツと他のEU加盟諸国とは、同じ基準で財政運営をしているのてあって、ギリシャ財政がこれまでに破綻しなかったのは国債発行をEU官僚に止められた結果だとも言えるだろう。--ギリシキという国は、観光業による収入が多いのだろうが、ホテルや土産品業界からの税収ては、国家財政の赤字を埋めるには足りないらしい。
しかし結果として、借入金過多にならなかったのは、EU官僚に国債発行を停められたからで、結果として、良かったのではないかと思われる。
著者のエマニュエル・トッドという人は、フランス人で歴史人口学者・家族人類学者という肩書が付いている人である。かってソ連の家族状態が異常であるのを分析して、ソ連の崩壊を予言したという実績を持っている。そして今度は、EU加盟国ギリシャの財政が破綻すれば、EU全体の財政破綻につながり、世界経済の破滅につながる、という警告を発しているのである。警告するのは自由であるが、私には、ちょっと視点が違うのではないかと思われる。
EUのなかで最大の人口を持ち、国の位置も中央にあるドイツは、昔から製造業が強く、労働者の中に熟練工を育て、東欧諸国に下請け工場を作り、トルコ人などの出稼ぎ労働者を多く遣ってコストを下げるなど、フランス人から見ればちょっとやり過きと見えるかもしれないが、膨大な製造工業を育成して、その業界からの税収も豊富なようである。そういうことをやりたくても出来ない国が多い中で、トイツがやっていることには、文句を言いたい気分になるのも、理解できないわけではない。しかし冷静に見れば、この中軸がしっかりしているから、EUの経済も安定しているし、西欧全体の実利にもかなっているのではないかと思われる。
もうーっ、最近目につくのは、ポピュリズムの人たちはEU批判が多いということである。先日テレビに西部という学者が出て、EU批判をしながら、「左の人たちは国家の批判をするが、国家は大事にした方が良い」というようなことを言っていた。彼らはEUが国家の主権を持ちょって共同の機構を作り、結果として個々の国の権限を少なくしているのが気に入らないようであった。しかしEUの結成、その運営は、けして国家の否定ではない。もともとEUは、東西対立激化の中で西欧の国家の力を、米、ソに負けないように大きくしようとして作られたものである(当時、西部氏は学生運動で「奮闘」中であったので、記憶にないかもしれないが)。それでも加盟各国の主体性を失わせないように配慮されていたと思うが、財政運営など、個々の点では不自由を感じる面もあったかもしれない。
しかしその結果を総合的に見れば、失敗であったとはいえないのではないか。フランスをはじめ他のEU加盟の国々はドイツより人口が少ないし、国家の大きさ、財政の規模で小さいのは仕方ないことだろう。しかし現実に、ドイツ以外のEU加盟国には、「反ドイツ」的な気分が、強くなっているようである。トッドのように、それに便乗してドイツ批判をするのには、あまり感心てきないが。
『EU消滅ドイツが世界を滅ばすか?』(同志社大学教授・浜矩子著朝日新聞出
似た題名たが、こちらはドイッフォルクスワーゲン社が、ディーゼル・エンジ/搭載車の排気ガス排出量を少なく計測されるように、不正を-したという事件を取り上げた。
そういう不正行為が起るようでは、ドイツを軸とするEUの信用も落ちてしまうという危惧を述へている。
しかし同時に「グレグジット」(ギリシャのEU脱落)、「プレグジソト」(プリテンっまりイギリスのEU離脱)にふれている。EUが崩れて、世界資本主義も滅んでしまうのではないかという指摘である。「頼りのEUが崩れれば、世界資本主義も危ない」と言いたいようである。しかしEUの諸機構の動きがいくらか鈍くなっても、人々の生活用品が商品として生産され、それが販売されれば、やがてその経済に見合った地域社会の機構が出来てくるということがなぜ考えられないのか、不思議である。現に存在する国や組織が崩れれば、そのことによって打撃を受ける人は少なくないだろうが、そういうことは昔から信度も起こってきた。
そういう事態についての警告問題指摘はあっても良いが、現在、それがやや多過ぎるように見える。「ドイツー人勝ち一EU崩壊一世界資本主義の崩壊」という筋である。東京の大きな本屋に行くと、みな新書版程度の軽い本だが、資本主義の破綻について、オーパーな表現で語るものが、沢山並んでいる。「売れ筋」たから、目立つ場所に置いてあるので情勢の一つの特徴を示しているのではないか。私には、政治におけるポピュリズムの増大と、セットになっているような気がする。
『スーパーパワーGゼロ時代のアメリカの選択』(イアン・プレマー著・日本経済新聞出版社)
これはさきに題名だけ紹介した『「Gゼロ」後の世界』の著者イアン・プレマーが、その三年後に出した本である。そのなかで「アメリカは軍事、非軍事を問わずすべてのリソースを、民主主義、自由、自由市場資本主義を世界中で促進する長期的なコミットメントを果たすために使うべきだ。」( 180頁)と述べている。やたらに大言壮語せず、また論争相手を罵倒するようなこともなく民主主義を説いている点では好感を持てる。ただ、ちょっと難点を言えば、もう少し他の論者との見解の違いを鮮明にして間題点を指摘しなければ、議論が深まらないのではないかという気がする。
例えば、現在、冷戦時イ弋、すなわち米ソ対立時代のような論争が政治の表面で大きくないのは事実である。しかし、論争が無いかというと、無いわけではないいろいろな国でポピュリズムの政党が支持率を増やしてはいるが、多くの場合旧来型の政党が中道左派・中道右派などと称しながら、政権の座についている。
かっては、そういう時期がしばらく続いた後に、一方で、市場争奪戦がしだいに激化し、それと並行して政治手法の違いが目立っと、幾つかの国で政権交代があり、国と国との対立が激化して、大戦争に突入してしまった。現在は、論争は不活発だが、武器の方は非常に進歩して破壊力を増しているので、先端が開かれたら、たちまち相互の破壊が進行してしまう危険性が高い。だから論争が激化しないように配慮することが誰にとっても重要な-のだが、論争を激化-させないということは、相互の見解の違い、その問題点に触れないということではないはずである。問題点にふれないということは、学者・評論家の間では論争は激化しないが、現実の政治、経済、軍事の方で、衝突が起きてしまう危険性を排除できない。
たとえば二〇一七年八月、アメリカ・バージニア州で白人至上主義者の(つまり、また白人優位の国家にせよという主張の)集会があった。この市の公園には、奴隷制維持を主張した南軍の将軍の銅像があったのを撤去すると決めたところ、撤去に反対するクー・クラノクス・クラン(KKK)やネオ・ナチなどを含む諸団体が集会を開き、またそれに抗議する人々が押しかけたのだという。
そこにその反対意見の人々が抗議の意見を持って集まったところ、その隊列に集会参加者の一人が車で突っ込み、死亡者が出たという事件があった。その記事の解説の中で、大統領のトランプが前日の記者会見の中で白人至上主義者の直接の非難を避けたことが、問題になっていると書かれている。
そういう経過があれば、大統領はその見解を明らカにしなければならないが、トランプ大統領はその点があいまいで、記者会見では、集会の趣旨を批判する発言もするが、次の日になると「どちらも悪い」と言う表現になり、「人種差別の問題意識が不十分だという批判がつよかったそうである。やたらに論争を激化させるのも良くないが、それを避けるのも良くはない。
現実に衝突が起きないようにするには、双方の主張(その要因を作る利害の相違)について出来るだけリアルに検討した上で、打開策を考慮するのでなければならない。そういうリアルな検討を欠かさないという態度が、われわれ全体に必要である。ところがアメリ力の現大統領は、人種差別論者たちに、厳しい態度はとらないことがはっきりしてしまった。幸い、アメリカ国内でこういう人は多くはないようで、選挙前から「財界人」であるトランプを応援していた財界人たちは、今、次々と離れている。
『中国発世界連鎖不況』(みずほ総合研究所編著、日本経済新聞出版社刊)
この題名から連想すると、中国経済の欠陥とその危険性を掻き立てているような印象を持っかもしれない。そういう面もなくはないが、また、私の印象に残っている部分を紹介すると、「世界大恐慌再来」と「世界の救世主・4兆元の景気刺激策」である。とくにこの後者の方が印象深い。
二〇〇八年の「リーマン・ショック」については、すでにいろいろなところで紹介されているので、ここでは重複を避けたいが、金融危機として史上最大だそうである。そしてこの本の特徴は第一に、みずほ総研の人たちが、中国の「4兆元の景気刺激策」を高く、高く評価しているということである。4兆元というのは、当時のレートで70兆円にあたるそうであるが、それが中国経済だけでなく、世界経済にとって、救世主的な役割を果たしたと、書いてあるのである。
「欧米が同時調整に陥った二0〇八年のリーマシ・ショックの直後に、中国が4兆元の経済対策を行って、先進国を中ことした世界のバランスシート調整に伴う需要不足を補ったことである。中国の存在は、まさに世界大恐慌に陥る状況から世界全体を救った救世主、『ノアの方舟』のようなものだった。」(59~60頁)
私は子供の頃から歴史の本を読むのが好きで、「ノアの方舟」の話は何度も読んだことがあるので、この表現に出会って、すっかり感動してしまった。大洪水のときに「ノアの方舟」に縋りつけた人だけが生き残り、次の時代以降の歴史を担うことができたのである。
「4兆元の景気対策」は、中国経済だけでなく、世界経済を救ったという意味である。ただし債務と言うものは、必ず返済しなければならない。ところが中国は、膨大な債務の処理が上手ではないので、いつまでも重荷が残り、「中国は『世界の時限爆弾』」だという表現もある。このあたりは、膨大な債務を抱えながら経済・財政運営を行い続けている
日本の経験を上手に伝えたら良いのではないかと思う。中国と日本とでは、経済・財政の制度が違うし、経験も違うから、参考にと言っても簡単ではないだろうが。

第2章 世界政治は右傾化の時代にあるが
3 ソ連社会主義の短い歴史であまり語られなかったこと
『科学技術大国ソ連の興亡』(市川浩著 勁草草書房)
率直に言えば、「科学技術大国になる可能性のあった国」についての物語である。私はそれでも、その「可能性」に期待する。
冒頭、戸坂潤の言葉の紹介で始まっている。「『資本主義の破壊的危機と對蹠関係に立つものがソヴェート同盟に於ける社会主義建設であることは、改めて云ふ迄もない。技術の問題はここでは、資本主義の危機と結び付く代わりに、それが本性上結び付くべきであった社会の建設と結び付く。この単純ではあるが併し極めて重大な関係が、今日の唯一のプロレタリアの国にとって、技術が問題にならねばならぬ理由があるわけである』。旧ソ連邦が資本主義的な搾取関係を廃棄しつつ、世界恐慌に喘ぐ資本主義的世界的世界を後目に社会主義建設の物質的基盤を急速に強化し、新しい技術の活用の様式を生み出す可能性を示すかに思えたことは、旺盛な技術論論争を展開していた唯物論論争の論客、戸坂にも技術と人間の未来に対する明るい遠望を抱かせるに足るものであった。しかし、旧ソ連にその後生起した事態は、かつては曲がりなりにも社会主義に希望を託していた人々をも落胆させた」。そしてこの本の中には、落胆せざるを得ない状況が、縷々、書かれている。(1 頁)
私も、その「落胆した」者の一人である。しかし旧ソ連は、科学技術を発達させる力量の片鱗は示したと思う。
「世界に先駆けて人工衛星や実用原子力発電所を開発した旧ソ連邦は、言うまでもなく“科学技術大国″であり、鉄鋼技術におけるコークス炉団、炉頂高圧操業、連続鋳造設備などに代表されるその研究開発の成果のいくつかはひろく世界で利用されているばかりではなく、その科学者が発明したトカマク核融合装置やレーザー核融合のアイディアは今日の物理学に不可欠な研究手段となっており、いくつかの医療技術、新素材、農業における品種改良などの中には世界の注目を集めたものもあつた。」(9 頁) 欲を言えば、もっと国民生活に近い部分で、世界に誇るような成果が多ければ良かったのだが、それは言わない。とにかく、ロシア革命があつた一九一七年には、この国、この革命を実行した民族は、科学技術より腕力で目立つ存在だった。その後のドイツとの死闘を制するには、五カ年計画で大量に生産した鉄を使った戦車戦での勝利が、大きく貢献したと思うが、まだこの段階では、技術より腕力が目立っていたと思う。
そのソ連が戦後、東西対立と言う状況の中で、いろいろな面でアメリカをはじめとする資本主義世界と比較されるようになった。その状況で、率直に言えばまだ「技術より力で対抗」と見えたが、それでも「東」を代表して、頑張ったと思う。頑張りながら部分的には「西側より優れたところ」も出てきた。そしてソ連は「すぐれていない分野」にもちゃんと予算を配分して、基礎を固めてはいた。
この本の中で、分野別にソ連の科学技術を判定して、欠点を指摘している部分が多い。それは私などは、科学技術に高度な部分は判らないが、ソ連を見ていて、同様に感じていた。しかし「計画経済」の良いところは、劣勢な部分にも、決めた予算をそのとおりに配分し、基礎をつくってきたのである。だから本の中で、いろいろな分野について、「ここもダメ、あっちもダメ」と批判しているが、最低限の基礎は残されているように見える。
話は代るが、人工衛星を飛ばす際に、何度も何度も失敗をする。打ち上げた人工衛星が爆発したり、墜落したりする。しかしあの失敗は「無駄」とは違う。どんな分野でも、失敗の原因をきちんと把握できれば、必ず次の時代の参考になる。私は多方面の『参考』を残した旧ソ連の科学技術界に、おおいに期待している。
『アファーマティヴ・アクションの帝国』
ソ連の民族とナショナリズム、1923年〜1939年
テリー・マーチン(ハーバード大学デイビス・センター<ロシア・ユーラシア研究所>所長)著 明石書店 監修・半谷史郎(愛知県立大非常勤講師、ソ連の民族政策・文化政策専攻)
NPO労働者運動資料室会報23号(2013/2/10)掲載の一部を抜粋
アファーマティヴ・アクションとは、少数民族や社会的弱者の差別を実質的に解消するために、大学への入学や企業への採用を義務づける措置のこと(積極的差別解消策)である。歴史上初めて」そういう制度をもった国家として、ソ連を評価し、その歴史的経過を、膨大な資料を引用しながらつづった本である。(中略) 多くの民族が一緒に仕事をし、一緒に社会を形成するためには、生活習慣・言語・文化の違いが尊重されなければならない。役所をつくれば、国や地方の行政に使われる言葉はどれか、仕事中の必要事項の伝達を何語で行なうか、放任しておけば、多数民族が有利な位置を占めるのは当然で、不満が高まらないようにするには、気ままな使い分けでは良くない。
以下、膨大な著書の“さわり”′を紹介する。
非ロシア人の「民族自決権」を支持したレーニン、スターリン
スターリンは「大口シア排外主義」を「最大の脅威」だと主張し、「民族の同化」をも否定していた。世界を見渡せば、「同化」されて出来上がった民族は、いくらでもある。しかしソ連においては、その「否定」は必要であつた。ロシア人の感情に迎合して「自然に同化するのはいいじゃないか」という放任政策をとれば、「大口シア主義が少数民族を飲み込む」ことになり、のみ込まれるのを拒否する少数民族はソヴイエト政権に反抗する側に回る恐れが濃厚であつたからである。
コレニザーツィア(土着化、現地化)の困難
その民族政策を全面的に決めたのは、1923年4月の第12回共産党大会および6月の民族政策に関する党中央委員会(と民族地域代表との第4回)特別協議会で採択された2つの決議であつた。(29頁)この2つの決議は、(とくにスターリン時代には)絶対的な権威を持っていた。二つの決議は、民族語の普及と民族エリートの登用を定めているのだが、その政策は「コレニザーツィア」(土着化、現地化)と名付けられた。(30頁) 現在、民主主義が定着しているといわれる国々でも、民族間の対立は無くなっておらず、ときどき紛争も起こる。ソ連では、たしかに民主主義の内容において問題は大きかった。しかし民族間の紛争は、非常に少なかった。
こういう歴史をも冷静に分析し、これからの世界的な社会の変革に生かさなければならない、と私は考えている。
第三章 (以下は、文章化のメモの状態をそのまま収録する―-編集部)
1、歴史を振り返る(1917年、ボルシェヴィキによる権力奪取)
二〇世紀初頭、世界の社会主義運動をリードしたのは、ドイツ社会民主党 一九一〇年代に党員97万人、国会議席110 (全議席397)
カウツキーは第一次大戦(一九一四年七月開戦)を支持して、「裏切り」と批判されたが、リープクネヒト、ローザ・ルクセンブルグなどのスパルタクス・ブント(左派、のちの共産党)もいた。他の諸国でも、左右合わせて、社会主義者は増大していた。
一九一七年二月革命(帝政は倒れた)
11月、ソヴィエト政権樹立 (ヴリシェヴイキ・レーニン中心)
12月、ブレスト・リトヴスク条約 (一八年三月三日調印) 一九一八年三月、独キール軍港で水兵反乱(ドイツ革命は挫折) 一九一九年一月一八日、パリ講和会議スタート 一九一九年三月二日、コミンテルン創立大会 一九一九年六月二八日、ベルサイユ講和調印 一九一九年八月一一日、独ワイマール憲法
右のように、ヨーロッパに革命的な動きがあるなかで一七年一一月、ボリシェヴィキ政権が樹立された、初期の革命的変革には好条件であつた。
『20世紀の歴史』社会主義の典型であったソ連型計画経済は、なぜ失敗したか
イ、ソ連型社会主義(生産手段の全面的国有化・計画経済、平等な分配)は、帝国主義の圧力でなく、内部の要因で成果が上がりにくくなった。
生産物を国民(共同体の成員)に配分する方法は、基本的には「商品・貨幣の交換」と「配給」との2種類しかないのだが、ソ連では「配給に近い交換」が行われていた。
小売は商品交換(店で自由に買える)だが、卸売りは国有企業どうしの売り買いだから、中央の「計画」・統制に従う。需要が多い商品も、5カ年計画を変更しないかぎり(原料、資材が調達できず)増産されない。つまり「市場(いちば)はあったが、(より広範に商品の販売をスムーズにする)市場(しじょう)はなかつた」という状態。
したがって、中央で決定した計画を厳守しようとすると、生産力の発展とともに変化する国民の要求に応えられない。技術革新、新製品の生産が出来ない。初期には、不足する生活必需品の供給に力を集中するような計画であつたので、国民は一応納得したが、この状態が長く続いて、国民はあきれかえってしまった。
ソ連は、1992年には、反革命の陰謀で崩壊したのでなく、国民が政権の活動にあきれ返ってしまって自壊した。
ロ、特定の、堕落した官僚 (そういう者は、いたとしても少数)が悪かつたのではなく 真面目にマルクスの言うとおりに平等で計画に沿った分配を実行しようとして、失敗した。
ハ、ということは、マルクス、エンゲルスが言ったとおりに商品・貨幣を廃絶して画一的な平等を実現するような社会はできなかった。これからも同じ試みは何度やっても失敗するということ。
しかし同時に、「米ソ対立」と言われたように、アメリカ・資本主義陣営と対抗できる「ソ連圏」 をつくった力もあつた。様々な要素は育ちつつあった。
1、『資本論』が説く「搾取」 商品交換、商品と貨幣の交換は、基本的に「等価交換」である。
等価交換を繰り返しながら、資本家の手に富が集る、労働者が生産手段を使って生産 した商品の価値の一部が賃金として支払われるが、残りは生産原価(原料、生産設備 の費用など)を差し引いて、資本家の手に残るからである。
それは、資本主義経済においては不当ではない。しかし、富の所有を社会の一部に集 中する、配分方法である。
生産手段が発達すればするほど、富の集中が進行する。
富が社会の一部に偏在するのを止めようというのが、社会主義化である。
生産手段を、社会全体の所有物にする(所有するのは、国、自治体、その他所有機関をつくる)。
富の生産、生産手段の所有、生産物の所有と配分のあり方を、公平で合理的に変えるのが社会主義化である。
2 弁証法的唯物論 イ、弁証法的唯物論を学ぶ
社会の中の様々な要素が、矛盾・対立を繰り返しながら大きくなってゆく。
とくに資本家階級と労働者階級の矛盾・対立が社会を動かす。
敵対的な矛盾は、勝敗の決着で勝者が生き残る。
敗者の階級は、階級としては消滅するが、諸個人は次の社会で活躍できる。
非敵対的な矛盾は、次の社会に残る。いろいろな問題点を明らかにできるよう、矛盾に起因する論争を活発に行なう。
ロ、労働者の組織が権力を握った後は、政府、経営者、労働者の諸組織が協力する。
それぞれが自己の役割を自覚しながら、生産の発展に努める。
各自の任務を唆昧にせず、協力点を明示する。

3 商品交換が活発になるのは、国民に歓迎される
「市場(いちば)はあるが市場(しじょう)はない」と見えた。
クロボトキンなどが言うように、直ちに 「無政府共産」の社会にする方法はなかったが、「社会主義市場経済」は、育ちつつあった。
日々の生活に、「市場(いちば)」は必要(食事の献立は、個人の好みに応じて)。「市場(いちば)」は、社会主義経済のもとで、大いに発達させるべきである。「市場(いちば)」が充実した社会でなければ、生活は楽しくならない。
社会全体の商品販売をスムーズにする「市場 (いちば)」は、公的機関の制御のもとに存在するべし。生産物を、より早く、安全に、消費者の手元に届けることは重要な役割。そのなかで、適度の競争も容認すべし(この点がこれまでの社会主義では、不明確で、市場をすべて敵視していた)。
現在の中国の「社会主義市場経済」は、(官僚の腐敗や拝金主義の横行は困るが)ソ連 型社会主義の総括の帰結としては承認できるものである。
4、マルクス主義をさらに学び、「マルクス原理主義」を止める イ、生産は豊かに、社会のために必要な分野には、社会全体の責任で力を注ぐ。
われわれの任務は、『資本論』に述べられている「搾取を否定する理論、思想」は棄て ずに、それを生かして、「実質上も平等」な社会発展を追求する。
社会のために必要な分野の労働には、賃金を保障する。
ロ、労働者、国民一人ひとりの個性を伸ばす
とくに主人公である労働者の個性を伸ばすことが重要。
生産、及び生活、社会的な共同活動のなかで、各労働者の強さ、弱さを点検して分析、労働者の隠れた才能を見つけ出して、それを伸ばす工夫をする。
ハ、以上の総括は、社会主義理論の専門家には、かなり共通している。
だから現在、「決定」とか「共同」ではなく、「協議・協同」によって、計画的な経済運営を行なうことは出来る。
しかしその原理だけで、社会全体の運営をするのは無理で、随所で部分的な「決定、 強制」は必要だと思うが。
私は、上記のソ連型社会主義の総括を踏まえて、「できるだけ平等」原理を基軸の社会にむけて経済構造の改造をするのが、進歩・発展であると考える。
最近、ソ連で行なわれる各種アンケートで、国民の中では、「スターリン時代が良かつた」という回答が多いそうである。職業、住宅など、生活に必要なものを国家が用意してくれた、のが好評の理由だとのことである。ソ連崩壊の頃には、こういう声は少なかった。しかし新自由主義の原理で運営される社会を体験してみて、「すべて競争、競争してみなければ、勝てるかどうか未定」では、生活も、個人の気分も、安定しないということに気が付いたのだろう。
5、「できるだけ平等」「だいたい計画的」な生産を実現のために
『資本論』が説くように、生産手段は資本家の独占的所有でなく、「生産手段は社会の共有財産」 にするという制度は実現可能。その運営については、生産に携わる者が、協議して決めれば良い。
そのための諸制度の変革は、議論で法律を作り替えながら、ゆつくり・柔軟に、議論すれば良い。所有形態と運営(経営)方法は、臨機応変に。
もともと、「完全平等」は社会主義の段階では無理と、マルクスも言っている。「出来るだけ平等」「だいたい平等」でよい。
生産力が高まり、生活必需品の生産が豊富になれば、そこに携わる者たちの態度が柔軟になり、「だいたい平等」の実現は難しくない。
生産力の運営が順調ならば、「だいたい計画的」な生産も可能である。

6、「鉄の規律」より相互理と立場の尊重が重要
生産手段は「社会のもの(社会の全成員の共有財産)」という認識を持って、「できるだけ社会的」に使用し、「だいたい計画的」な経済運営にする。
これまでの革命観では、「強襲」によって権力を奪取し、ブルジョアジーの財産(生産手段)を奪うために、中央の決定の下に敵の抵抗を粉砕する力・「鉄の規律の党」が不可欠であった。しかし平和革命では、もっと現実的な適応力が必要。
生産力がある程度高まれば、決定が少しぐらい遅くなっても、餓死する者はいない。
民主的な討論、決定に基づく運営、「できるだけ高い規律」は重要である。「規律が高い」ことは「頑なである」こととは違う。
運動の総括からも、同じことが言えるが、原理的にも「鉄の規律」 より、複雑で不断に変化する現実に適応する「ゆとりある態度と能力」が必要。
7、労働者運動内部の対立、抗争の総括をていねいに
かつての運動では、どの党派の運動も、多かれ少なかれ「原理主義」であつた。自らの
「原理」を他の人に強制しようとして対立した。その反省と自覚が重要である。「原理」も重要だが、それ以上に労働者の運動を分裂・対立させないことがもっと重要である。
社会主義と社会民主主義も、その他すべての社会(主義)的原理も、運動の場では統一され、資本主義原理と対抗しなければならない。
「原理主義」を止めれば、いろいろな対立には妥協、調整が可能。
「原理」と現実とがあわなくなった場合、これまでマルクス主義者はしばしば、「現実が間違っている」と言った歴史がある。それでよい場合も確かにあるが、現実を認めなければならない場合も多い。そういう場合に現実を認めることは、反マルクス主義ではない。
目的が「できるだけ」のものだから、「目的が正しければ、手段は間違っても良い」ということはない。多くの人がだいたい同じ方向に向かって、一緒に進むことが重要で、その際にはむしろ、進み方、つまり「手段」の選択が重視される。「誰でもが承認できる手段」を使わなければ、社会の成員全体の支持を得ることはできない。
社会主義、共産主義、社会民主主義などの過去、現在の対立については、「喧嘩両成敗」の姿勢で臨むべし。(たいがいの場合、「どちら側の論拠にも、それなりの根拠はある」とも言えるし、「どちらもたいしたことはない」とも言える。)
8、情勢について一言
・世界的に、右翼ポピュリズム勢力は、影響力を増しており、要警戒である。
・日本では、ポピュリズムが一つの党派を形成するのでなく、いろいろな党派の運動 に入りこむ傾向が強い。
・ポピュリズムというのは、情勢に応じて変動する。
・現在は、世界の政治が不安定になり、国家・政府が頼りない存在に見える。そこで
「国家重視」が流行になっている。元右翼のポピュリズムもあるし、元左翼、元環境保護主義のポピュリズムもある。
・現在、政治的不安定さの中で、いろいろな暴力・テロが行なわれており、民衆の憤激がある。この暴力・テロ、それに対する民衆の憤激が繰り返されると、どんどん大きな力になり、ブレーキが利かなくなる危険性がある。
・そうならないように制御するのが、歴史に学んだ者の取るべき態度である。
さきに『Newswee』日本語版 2016・9・13 などの調査を紹介したが、新自由主義の傾向が強まった結果、資本家陣営は喜んだが、生活に困窮し、反感を持っている人々も増大しているのである。とくに社会主義を経験したロシアで、そういう人々が増えているのが現在の情勢の特徴の一つである。
欧米人は、プーチンと与党「統一ロシア」に対抗できるのは民主派だと思っている人が多かったが、最近では、政治勢力として議会第2党の共産党が注目されている。
トランプが当選して直に、「世界の政治家で話し易いのはプーチンだ」などと言って、世界を驚かせた。ところが、西欧の右翼ポピュリズム勢力も、プーチンと良好な関係にあるそうである。「反 EU」 「難民受け入れ反対」などで一致するそうである。われわれは、プーチンではなく、ロシアの労働運動と連帯することが大事だ。 (完)




[807] 2022年05月28日 (土) 22時34分
T.K.
社会主義理論学会会報に山ア耕一郎さん遺稿
「社会主義理論学会会報」74号(2018年3月26日)が同学会ホームページに転載されましたが、そこに山ア耕一郎さんが昨年10月8日の同学会研究会で行った報告「ロシア革命・ソ連崩壊の総括 ソ連社会主義の意義と失敗の総括」の要旨が掲載されています。報告要旨ですが約4000字はあります。時期的にみて、山アさんの遺稿と思われます。

管理人も同研究会に出席していました。少し報告にキレがなくお疲れかとは思いましたが、研究会後の懇親会にも最後まで参加されており、約一ヶ月後に急逝されるとはまったく想像もできませんでした。

山アさんの報告要旨を読み、改めて山アさんを偲びご冥福を祈りたいと思います。
[806] 2022年05月28日 (土) 22時17分
甲斐
※月刊「科学的社会主義」2022年2月号 石河康国さん
*向坂逸郎「著作年表」は和気誠・文子夫妻の二十数年がかりの労作であって……。
・タイトルを追っていくだけでも、向坂の思索対象と人間性が感じられ、興味が尽きない。
*向坂逸郎「治安維持法違反事件裁判記録」……獄中で……直截(ちょくせつ,ちょくさい=見たり感じたりしたことを、きっぱりと言いきること。まわりくどくないこと。)に述べられているから、公には文章にしなかった向坂の思想的自伝であり、論争上の回顧であり、まことに面白い。
・また「上申書――心境について」は独特の味わいがある。
*なお、「著作年表」には佐藤保氏、「裁判記録」には故・小島恒久氏の解説も付されている。
[795] 2022年02月16日 (水) 15時23分
甲斐正
『労働者運動資料室サイト管理人より』

※現代社会問題研究会2019年度夏季研究集会開催
本日(2019年8月31日)午後2時〜5時、東京・LMJ東京研修センターで現代社会問題研究会夏季研究集会が開催されました。テーマ、講師などは次の通りです。
ポスト「アベノミクス」の経済政策
【講演】
松尾 匡 氏(立命館大学経済学部教授)
ポスト「アベノミクス」の経済政策
【コメント】
伊藤 修 氏(埼玉大学経済学部教授)
【質疑・議論】
会場は満員になり、ドアの外で聞く人がいたほどでした。松尾講演、伊藤コメントとも時間が足りなくなるほど中身の濃いものでした。松尾講演、伊藤コメントの主要内容は、『社会主義』8月号にすでに掲載されています。
[483] 2019年09月06日 (金) 05時50分
労働者運動資料室HP管理人
山崎耕一郎前理事長の急逝以来、移転作業が続いていたHPですが、このたびようやく修復・移転が完成しました。移転先のヤフー・ジオシティーズが3月末でサービス終了するため、新新HPを作りました。
http://roudousyaundou.que.jp/

リンクの変更をお願いします。移転の詳細は管理人ブログをご覧ください。管理人ブログのURLは変更していません。
http://roudousyaundou.blogspot.jp/
[451] 2019年03月24日 (日) 19時40分
甲斐正
現代社会問題研究会が、2018年度研究集会への参加のよびかけを行っています。



『労働者運動資料室サイト管理人より』
2018年7月9日、月曜日

現代社会問題研究会2018年度研究集会
・毎年恒例の現代社会問題研究会研究集会の本年度内容が発表されました。
テーマ:現代資本主義の矛盾とマルクス主義
  ―アメリカ合衆国における運動と政策―
【報告】T 社会民主主義の運動と政策(芳賀和弥氏)
U 格差拡大と闘う労働運動(畑隆氏)
【意見交換】
日時:9月1日(土) 14:00〜17:00
場所:LMJ東京研修センター
[355] 2018年07月23日 (月) 22時35分
管理人BAT
ご連絡ありがとうございます。

リンク先を修正します。
[269] 2018年02月13日 (火) 19時20分



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