これからの社会主義

社会主義の制度、政策を真面目に議論する

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社会主義国のあれこれ [1530]
ブーチン
社会主義といえば、北朝鮮、中国、キューバ、ベトナムをイメージしますが、「怖い」「独裁」「閉鎖的」「失敗」「貧しい」など、あまり良くない印象があります。
ここの掲示板では、上記のような国をめざしているわけではないと思いますが、違いがわからなければ賛同することはできません。

ウィキペディアでは
・中華人民共和国:憲法に「社会主義」「独裁」「党の指導」を明記
・朝鮮民主主義人民共和国:憲法(2009年)に「社会主義」「独裁」「党の指導」を明記
・ベトナム社会主義共和国:憲法(2013年)でベトナム社会主義共和国は「社会主義的法治国家である」(第2条)とし、ベトナム共産党を「国家と社会の指導勢力」と明記
・ラオス人民民主共和国:国家体制について「社会主義」への直接的な言及はないが、「人民民主共和国」と規定し、憲法は「人民民主主義」に基づくと明記。国民の権利は「ラオス人民革命党の主軸とする政治制度の機能を通じて行使され、保証される」とし、党の指導に言及
・インド:インド憲法で「社会主義」を明記しているが、特定の政党による「指導」は言明していない。
・キューバ共和国:憲法第1条で「社会主義国である」、第5条で「キューバ共産党は社会及び国の優れた指導力」と明記
・シリア・アラブ共和国:憲法に「バアス党一党独裁による国家の指導」「社会主義」を明記

と書かれてありますが、国情がよくわかりません。
上記以外の自称社会主義国でもいいですが、経済体制や政策、国民の生活環境って、どうなっているのでしょうかね?
[217] 2017年12月13日 (水) 15時26分

タカ
批判的に読め、ゼロからの資本論

P164
ベトナム、キューバ、エチオピアのように、
独立後に社会主義を掲げながら工業化を目指
すと、非民主的な「開発独裁国家」になって
しまう。

P165
(ソ連や中国等)20世紀に社会主義を掲げ
た国の実態は、労働者のための社会主義と
は呼べない単なる独裁体制にすぎなかった。
資本家の代わりに党と官僚が経済を牛耳る
(ぎゅうじる)「国家資本主義」だった。
[948] 2023年11月05日 (日) 10時29分
ボウちゃん
これも復活させといたほうが良い
[888] 2023年02月23日 (木) 11時52分
T.K.
月刊「社会主義」2019年4月号
「キューバ革命60年目の挑戦――憲法改正プロセス」
        村上久美子さん、より

◆今年は、キューバ革命60周年。
・1990年代、経済危機におちいった。
・米国、トリチェリ法=経済封鎖。
・ペリオド・エスペシャル(特別期)であった。
◎対応策
・食糧の自給めざし、余剰生産物を自由市場で販売することを認めた。
・個人営業を、業種を限定して認めた。
・外国人のみが入ることを許されていたドルショップをキューバ人に開放した。(外国から送金された外貨を市場に引き出すため。)
[農産物の販売、個人営業、ドル解禁は、格差を拡大し、資本主義の萌芽となり得るとして、それまで禁止されていた。]
・こうした方策が成功し、危機的な経済状況は、1995年に底を打ったのを境に上向きに転じた。
◆米国は、ヘルムズ=バートン法により、さらなる経済制裁を課したが、危機的事態を回避した。
・ICAP=諸国民友好協会、CTC=キューバ労働組合本部、医療機関、農業協同組合等々によると、「経済はゆるやかな回復傾向」「毎年2%程度の経済成長」「危機回避から発展へ」とのこと。
・市場経済を部分的に取り入れる。
・国が市場経済をコントロールしながら認める方向。
・市場経済を取り入れながら、社会主義を堅持していく。
◆2011年4月、第6回キューバ共産党大会
「政治・経済・社会指針」について居住区、職域等の組織で下部討議。
「効率性を高める経営形態」→個人で収益をあげる自営業を広く認める。
・(それまで認められていなかった)家屋・車輛の売買を認める。(313項目の承認事項)
◆2016年、第7回キューバ共産党大会
・実施状況の検証→21%の完了。77%実施中。実施されていないもの、2%。
*以前は認められていなかった従業員雇用も解禁された。
・ ゴージャスな個人経営のレストランが次々に誕生。

◎憲法改正プロセス
・キューバモデルの社会主義
2018年3月、共和国憲法改正草案を全国民へ配布。大衆討議へ。
・住区、職域、117,822の組織単位で討論会。
・16歳以上の国民の参加。高校の授業時間内の討議。
・海外居住のキューバ人にウェブサイトを通じて意見を求める。
*経済的基本点として、主要な生産手段の全国民による社会主義的所有と計画経済を再確認する。
・市場が生む不平等を回避するという原則のもとに、社会の利益に沿った形で市場の役割と個人所有を認める。
・経済発展を加速するために外国投資を導入する必要性を認める。
※大学卒業までの教育の無料、教育の性格を非宗教とする等々について再確認する。
*生産における資本主義的関係の存在を認める。(民間企業による労働力商品の購入を認める。)
*財産の蓄積は、合法的に得た富については制限されない。
◎日本の報道――私有財産が容認される、と。
◆前文に別項を設ける。
「キューバは、人が人に搾取される資本主義体制には決して後もどりはしない。人間は、社会主義、共産主義社会でのみ完全な尊厳を獲得する。」


十月社「世界の革命」革命史研究会編。1987年2月16日第一刷発行。
第五章キューパ革命。奥統馬著、より。
・勝利した革命軍、キューバ人民は、臨時政府を樹立。
・大統領、元最高裁判事のマヌエル・ウルティア、首相、ハバナ弁護士協会会長のホセ・ミロ・カルドナ。
・17名の閣僚のほとんどが、新聞社主、弁護士など名士で占められた。
・革命軍出身は3名のみであった。
『上品な中産階級政府』
・キューバ革命は社会主義革命ではなかった。
・臨時政府にはむろんのこと、革命指導部にもひとりの社会主義者もいなかった。
・キューバ革命は、その階級的基盤、方向性からして、民族解放、民主革命というべき性格をもっていた。
※土地改革の着手
・臨時政府は農業改革法を発布。
・約400ヘクタール以上の土地所有を禁止。
・大地主から土地を没収し、分配、協同組合所有等へ。
*これが、大・中地主の反発を。米政府・独占資本からも。→臨時政府内部にあつれきが発生。
・ミロ首相、ウルティア大統領が、各々辞任していった。
・カストロが首相に就任。オスバルト・ドルティコスが大統領に就任した。
※教育・医療の向上。
※対米関係と対ソ関係。
・キューバは、中立政策をとり、米州機構(OAS)の一員としてとどまった。
・しかし、米政府の介入政策。
(米資本の土地収用→キューバ砂糖の輸入禁止、キューバ向け輸出の全面停止)
・キューバは、ソ連・中国等の社会主義国との貿易を進めるしかなかった。
(米国により、遠国である社会主義国との貿易を強いられたのである。)
・米資本のキューバ全会社を国有化した。
◆カストロは、「マルクス主義を本からも学びもしたが、何よりもまず、生活から学んだのである。」と述べている。
・ヒューマニストであったカストロを、さらにマルクス・レーニン主義者へと成長させたのである。

【北朝鮮の今が報道されている。】
・「自力更生」・105回建て「柳京ホテル」
・ITコンビューター管理による食糧生産。
・「野菜科学研究所」・10種類の野菜が栽培。・IT化による温度管理。水耕栽培。
※社会主義国としての北朝鮮の、「制裁」の中での、生産力のアップを期待したいものだ。
・「核」に資金と労働をまわす必要はない。
・ロシア、中国は、北朝鮮へのバックアップをすべきだ。
[454] 2019年04月15日 (月) 00時03分
ナセル
アラブの社会主義

 シリア内戦は、非人道的戦争の象徴となっているが、この戦では、資本主義対社会主義というレベルを超えた、さまざまな思想が今でも衝突しあい理解・判別を困難にしている。

 アラブの地は「文明の十字路」ともいわれてきたように、古代から現代に至る歴史の交流と衝突の中心だった。オリエント文明発祥の地、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が混在・対立し、中世の十字軍遠征、モンゴル帝国の侵攻、オスマン帝国の支配、ナポレオンのエジプト遠征、そして欧州帝国主義による国土の分割支配…と、メチャ、ゴチャゴチャした思惑と思想・文明が混ざり合った歴史だ。

 この中で、戦後、アラブ民族主義と混ざったアラブの社会主義は、エジプト、シリア、イラクなどに「社会主義の国」を建設した。ソ連はこれらの国々を「どうも、我々の社会主義と同じだとは認められないが、帝国主義と戦う同志ではある」として遇してきた。

 アラブの社会主義論を組み立てたのはシリアのバース党創設者といわれるアフラクという人物らしいが、大衆的運動の筆頭はナセルのエジプトかな?
 1967年第3次中東戦争でイスラエルに敗れたエジプトは、ナセルの死後、社会主義路線から転換した。イラクのサダム・フセインはアメリカ帝国主義によつて滅ぼされた(〜2003年)。そして2010年12月にチュニジアのジャスミン革命から始まった「アラブの春」は、リビアのカダフィ政権を倒し(〜2011年)、シリアのアサド政権を脅かしたが、アサドはどうにか生き延びていはいる(社会主義は2012年に放棄)。他に、チュニジア(〜1970年)、アルジェリア(〜1989年)、イラク(〜2003年)、スーダン(〜1985年)などがあった。
 日本の眼鏡で見たこれらの国々は、どうも芳しくはないのだが、もっと違った優れた生活と文化があったはずなのだが…。
[295] 2018年03月29日 (木) 10時05分
マンデラ
アフリカの社会主義

 植民地支配からの独立を求める世界の民族的・国民的運動は、必然的に社会主義に接近した。
 アフリカの場合は、1945年にマンチェスターで開かれた汎アフリカ会議が有名だ。社会主義をめざすアフリカ人たちの主張は、1967年ニエレレの「アルーシャ宣言」や1969年カウンダの「ザンビアにおけるヒューマニズム社会主義宣言」などに示される。

 欧州の社会主義とは違って、アフリカの社会主義は「協同組合的な分かち合い」を土台とした伝統的な農村共同体に、その基礎を求めている。福祉サービスや社会保障の充実という国家的政策よりも、家族を拡大した形での社会システムに対する信頼が強いからである。

 著名な社会主義者は、アフリカ独立運動の父と言われたガーナのエンクルマ(マルクス主義者としても有名だった)。タンザニアのニエレレ、ジンバブエのムガベなどもいるが、とくにネルソン・マンデラの名前は知っているだろう(1993年にノーベル平和賞を受賞)。彼は南アフリカ初の全人種参加選挙を経て大統領になったことでも有名だが、南アフリカ共産党中央委員、アフリカ民族会議議長を歴任している。
 この南アフリカ民族会議は、組織内に南アフリカ共産党を含むにもかかわらず、中道左派・社会民主主義政党の国際組織でもあり、社会主義インターナショナルに加盟している。

 アンゴラ、コンゴ、エチオピア、モザンビーク、ソマリア、南イエメン、ガイアナ、タンザニアなどの社会主義国家があったが(ソ連公認ではない社会主義国)、多くの国は、ソ連崩壊とともに「社会主義国であること」を放棄したが、独自の協同組合的社会主義は生き残っているようだ。 
[293] 2018年03月19日 (月) 18時46分
望ちゃん
 スリランカ「民主社会主義共和国」大統領が来日する 

 昨日の菅官房長官による記者会見で、シリセーナ・スリランカ民主社会主義共和国大統領が賓客として訪日する(3月12日から15日まで)との発表がされた。天皇との会見も予定されているという。スリランカは旧国名セイロン。紅茶で有名だったが…。

 スリランカ民主社会主義共和国は、1948年2月イギリスから独立。1978年から現在の国名となった。独立後、社会主義に強く影響された経済政策が採られ、植民地的なプランテーションの解体、産業国有化や福祉国家論に基づく政策が進められたという。
 しかし言うまでもなく、ソ連・中国のような社会主義国家体制ではなく、社会主義インターのような社会民主主義的な共和制国家にしたようだ。ただし政権党のスリランカ自由党は「民主社会主義」を掲げる政党であるが、社会主義インターには加盟していない。歴史的には、自由党は当初マルクス主義政党であったが、1970年代以降は社会民主主義と非同盟主義を主張し、この点で、インドと似た政治文化を持つようだ。
[280] 2018年03月03日 (土) 16時37分
望ちゃん
ホーおじさん

カストロの話が出てきたので、今度はベトナム。旧社会主義圏でも、ベトナムとキューバを悪く言う人は少ない。どうしてだろう?

ベトナムは2013年の憲法改正で、前文には「マルクス・レーニン主義及びホーチミン思想の明かりのもと…」と書き込まれた。共産党による一党支配体制は変わらない(その意味での矛盾は残っているようだ。キューバも同じ)。
 社会主義ベトナムの骨組みを作ったホー・チ・ミンは、昔から「民族主義者か共産主義者か」と言われたが、両方なのだろう。
 でもホー・チ・ミン主義とは言われない。ホーチミン思想とは?教科書的に言えば「マルクス・レーニン主義をベトナムにおける創造的適用」した人物、20世紀を代表する民族解放運動の指導者かな?
対仏独立戦争が始まった1947年ホーチミンの発言に面白いものがあった。彼は
 「@孔子の学説には、個人の道徳の修養を重んずるという優れた点がある」「Aイエス・キリストの宗教には、高い博愛心という優れた点がある」「Bマルクス主義には、弁証法という優れた点がある」そして「C孫逸仙(孫文)主義には、我が国の条件にも合う三民主義政策という優れた点がある。と語っていた。
[272] 2018年02月16日 (金) 15時36分
民心党
「プラヤ・ヒロン事件」=「ピッグズ湾事件」から「キューバ危機」へ。

キューバは、アメリカの侵略にさらされていた。
「侵略」を完了するには、
@軍事侵攻して制圧する。(イラクのように)・・・国際的・国内的に、「核・化学兵器」等の軍事侵攻の「正当な理由」が必要。
A現地人の「傀儡政権」を成立させる。・・・現地人同士で内戦させる。「ピッグズ湾」侵攻は、このストーリー。
いずれにしても、結局、侵略の完了には「敵領土の現実支配」・地上戦が必要になる。

キューバでは「プラヤ・ヒロン事件」、アメリカでは「ピッグズ湾事件」と呼ぶ、1961年のアメリカのキューバ侵攻作戦。
アメリカ所有のサトウキビ畑が接収され「農地解放」、アメリカ精油工場がソビエト石油の精製を拒否して国有化され、
1961年アメリカは国交を断絶して経済制裁へ。
CIAは、就任直後のケネディ大統領を説得してキューバ侵攻作戦を実施。
数千人の亡命キューバ人を上陸させ、傀儡政権をうちたてる作戦。数千人の侵攻をキューバ人は歓迎するだろうという、間抜けな見解。
ソ連のガガーリンが史上初の有人宇宙飛行で世界に衝撃を与える中、アメリカ爆撃機がキューバ飛行場を爆撃。
米艦隊の護衛を受けながら、1511人のキューバ人反革命軍がピッグズ湾・プラヤ浜に上陸、戦闘となる。
キューバ側は2万5千の正規兵と20万の民兵で応戦、3日間の戦闘の後、キューバ側が圧勝。
侵攻軍は114人が死亡し、1189人は捕虜となる。CIAは米国内の遺族に情報を隠した。
捕虜の返還交渉で、アメリカはキューバに200万ドルの賠償金を支払った。
CIAは弁護士を使って、スキューバ・ダイビング好きのカストロに潜水服をプレゼント、服には殺人可能な量の細菌が仕込まれていた。
暑いキューバでは潜水服を着ることはない、CIAは最後まで間が抜けていた。

この頃のキューバは、ソ連の好意的支援は受けていたが、まだ社会主義を明確にしていなかった。
米国の対応が、キューバの社会主義化を早め、自衛のためのミサイル配備受け入れという「キューバ危機」を招いたと言える。
[264] 2018年02月03日 (土) 18時15分
マクナマラ
 フルシチョフ回想録から

 キューバ危機の当時のフルシチョフ書記長は、その後の回想録によると、軍事援助を求めるカストロの訴えに相当悩んだみたいだ。彼はキューバ革命に際して「慎重にカストロの政治姿勢を値踏みした」が、「カストロのイデオロギーが判然としなかった」からだ。
 キューバとカストロは存亡の際にあった。

 フルシチョフはキューバの地政学的な位置に注目した。「私はひとつのことをぜひ明らかにしておきたい。すなわち、われわれはキューバに弾道ミサイルを配置したとき、戦争をはじめたいという望みなど持っていなかったということである。」(502項)
 フルシチョフも軍事(核)「抑止力」の信奉者だっ。この核抑止理論は、ケネディの国防長官ロバート・マクナマラによって発表された。
 米ソの核抑止理論が(お互い信奉者がいたから)、ギリギリの段階で効果を見せたと言うことだ。
[263] 2018年02月01日 (木) 11時57分
ホセ
 カストロはマルティ主義者だった?

 キューバの社会主義は、ベトナムもそうだが、比較的温和で、柔軟で、国民的批判にも耐えられるような政治訓練ができているように思える。変なプロ独裁論をかざして弾圧するような人間的資質(歴史的特性)が少ない。

@ソ連崩壊後は、スペインからの独立をめざした革命家、ホセ・マルティの活動と思想を強調する傾向がある。カストロ自身が、ゲリラ戦を戦っていた当時から「我々の革命は民主主義の実現をめざしたので、共産主義、社会主義とは関係ない」と言っていたし、1959年にカストロが訪米した際にも「私は共産主義者ではない」と表明していた。アメリカがカストロを社会主義的立場に追い込んだとも言える。

Aキューバ憲法は、1992年の改正で、憲法前文に「ホセ・マルティの理想とマルクス、エンゲルスおよびレーニンの政治思想に導かれ」「ラテン・アメリカとカリブ海の人民との連帯」という文言が追加された。そして「ソビエト連邦その他の社会主義諸国との連帯」が削除された。後半部分は世界からなくなったのだから削っただけなのだろうが。

Bさらに2002年の憲法改正では「キューバ共産党は、マルティ主義およびマルクス・レーニン主義に基づくキューバ国民の前衛組織」と規定された。


Cおまけ:「キューバの専守防衛論」には疑問−アメリカによるキューバ侵攻作戦はあったのでは。1961年4月のピッグス湾事件。在米亡命キューバ人部隊2506旅団によるキューバ侵攻。B26による空爆後、上陸作戦。48時間で決着。生存1122人が捕虜となった。
[261] 2018年01月31日 (水) 11時24分
民心党
<キューバ・メモA>
「キューバ現代史 〜革命から対米関係改善まで」  :後藤政子(神奈川大学名誉教授)・明石書店
「キューバ 〜超大国を屈服させたラテンの魂」    :伊藤千尋(元朝日新聞現地特派員)・高文研 を基に。

【 アメリカの対キューバ制裁の「異常さ」・アメリカの屈服による制裁解除 】
アメリカは、スペインとの和平賠償として植民地を譲渡させ、「隣善外交」=「傀儡政権下の民主制」による支配を継続した。
完全アメリカ依存の「モノカルチャ経済」のキューバが、「自立」するのは容易でなく、社会主義諸国からの支援が必要だった。
「お膝元」でのキューバ革命に対するアメリカの過剰反応・「キューバ・アレルギー」は、世界的にも異常である。
当然、「経済封鎖」による経済的困窮により、キューバは崩壊していくだろうという戦略だった。

※ソ連解体後のキューバを倒すための「ヘルムズ・バートン法」(1996年)に象徴される経済封鎖が、諸外国を巻き込んで徹底的に行われた。
キューバとの貿易やドル送金は完全禁止であり、人的交流を厳しく制限、破れば犯罪である。(移民のみ限定的に、送金・里帰りを承認)
アメリカ人に限らず、キューバと関わる、すべての国・企業・個人に及び「地球規模の制裁法」と呼ばれる。
キューバに寄港した船は、その後180日間は米国への寄港禁止、キューバ産生産物を含む商品の米国輸出の禁止、
さらにキューバを「通過した」物資・キューバに寄港した船の積み荷を米国に持ち込むことは禁止。
外国企業でもキューバと貿易・投資すれば罰金、決済のために銀行口座を開設することも禁止、米国との取引に支障が出る。
貿易・投資ではない「何らかの関係」を持った場合、発展途上国等への米国の援助や債務返済交渉は停止される。
外国企業がキューバに進出し、革命時の旧米国資産に関する投資をすると、企業責任者と妻子・共同出資者は米国入国禁止、国外退去。
キューバ旅行中のアメリカ人が、キューバたばこを吸いラム酒を飲んで37週投獄、やけどをしたキューバ人コックにガーゼと包帯を与えて数万ドル罰金。
アメリカとの関係を必要とする国家・企業は、実質的にキューバとの関係を遮断するしかなかった。
それに対し各国が反発を強め,メキシコが報復法を制定したほか,EUも反対を表明,米州機構は国際法違反と断定した。

※特に医薬品特許の90%程度をアメリカが所有しているため、医療大国キューバとはいえ、有効な治療薬はかなり不足した。
※アメリカの「カストロ暗殺計画」は、未遂・不発も含めて、638回(約50年間)に上る。
※キューバの農場では、作物や家畜の大量死がたびたびあり、アメリカの化学兵器使用を指摘する著書がある。
※キューバからの亡命者には、他移民とは差別し1年居住すれば永住権を与える「超優遇措置」が取られ(「濡れた足乾いた足」)、亡命が推奨された。

※この「異常な制裁」に対して、国連では1992年以降、毎年「アメリカのキューバ制裁解除決議」が採択されたが、アメリカは拒否し続けた。
92年賛成59票・反対3票・棄権欠席117、05年賛成182票・反対4票・棄権欠席5、15年賛成191票・反対2票(米・イスラエル)・棄権欠席0
※オバマ大統領以降、キューバとの関係改善が進み、2015年7月、1961年以来54年ぶりに国交が回復。
90年代には経済界が関係改善望み、09年共和党議員「ルーガー報告」で撤廃提案、90年代で国民の6割は関係改善を支持、解除反対は3割程度。
決定的なのは、ラテンアメリカ諸国の米国離れと孤立。米国を除くボリバル同盟、ラテンアメリカ・カリブ海諸国同盟にキューバが積極的役割で参加。
※「経済封鎖」では結局キューバは自壊しなかった、最終的には、アメリカが頭を下げ屈服した結果としての、「国交回復」である。

【 キューバと日本の「専守防衛」 】
日本で行われている「専守防衛」「憲法9条改正」問題を、キューバ問題に関連して考える、

※「専守防衛」は、そんなに高度なものが必要なのか。
日本の憲法改正派の「専守防衛」議論は、最大・最高レベル、最悪シナリオを想定しながら語られている。その「仮定」に巻き込まれてしまっている。
戦争という「国際関係」を、軍事力それ自体の「技術論」にすり替える常套手段である。
技術的に言えば、「専守防衛」などという概念がそもそも成り立たない。10発同時にミサイルを撃ち込まれれば、落とせるのはせいぜい1・2発、ほとんど着弾する。

超大国アメリカのお膝元、小国キューバがアメリカの最大の怒りを買いながら「侵略」されなかったのは、何故だろう。アメリカ資産が国有化で没収されたのに。
キューバの国土は日本の本州の約半分、人口は1,100万人、国民の半数は兵器を扱えるとはいえ、軍人は8万人程度しかいない。
「キューバ危機」以降、キューバには通常兵器しかない・しかも旧東側の旧式武装・いまやキューバを守る東側同盟諸国もない。
軍事力という「技術」だけで考えれば、「空爆して地上軍投入」すれば一瞬で、アメリカはキューバを侵略できる。核を撃ち込めばもっと早い。
実際に、アメリカ軍部には常時キューバ侵攻論は存在した。しかし「キューバ危機」の時でさえ大統領は、それを拒否した。

カストロも「空爆からの地上戦」を覚悟していたが、そうなれば、キューバ国民の半数・数百万は闘うだろうから、アメリカも大きな犠牲を払う、と脅した。
逆に、能力からもまた現実からも、キューバがアメリカを侵略することはまずあり得ない状況だった。
そうした状況では、「キューバ侵攻」の正当性を国内外に示せない、それで侵攻して自国人の犠牲が出た場合は強烈な批判を浴びる、
仮に侵略が完了してもその後の実際の支配には、莫大な維持経費がかかる、等々、「戦争には軍事力の問題より重要な問題がある」。

つまり現実の歴史では、「専守防衛論」に、軍事力水準はほとんど関係ない。逆に、軍事力で考えないから、「専守防衛論」を語れるということである。、
守ることしかしない、「絶対侵略しません」と宣言するわけだから、「限定的な通常戦力」だけ持つ方がいい。諸外国は「侵略の正当性」を持てない。
国内戦である程度抵抗できる通常戦力があれば、充分なはずである。

※世界的には、日本は世界7位の超「軍事大国」である。世界には196カ国存在する。
約190カ国の軍事力は、その大半が日本よりはるかに低レベルだというのに、なんで日本国内は「被害妄想的」に「更なる軍事化」なのか。

※核の存在で、「日本初の世界核戦争の危険性」 〜62年「キューバ危機」での隠された真実
当時、沖縄米軍基地には32基の核ミサイルが配備され、読谷村発射基地には地対地巡航ミサイルがあった。
10月27日キューバを偵察中のU2型機がキューバに撃墜されると、米統合参謀本部はキューバ空爆・侵攻をケネディに進言した。
緊張した状況の中、28日、嘉手納基地のミサイル運用センターから読谷村基地に、ミサイル4基の発射命令が無線で届いた。
その1基はソ連標的だった。しかし、他3基は中国標的だったため、指揮官は疑問に思い発射準備を中止。誤報だった。
もし押していれば、ソ連からの反撃先は日本だったかもしれない。しかし、この「衝撃的ニュース」が流れたのは、半世紀以上もたった2015年3月である。
[244] 2018年01月13日 (土) 08時42分
民心党
<キューバ・メモ@>
「キューバ現代史 〜革命から対米関係改善まで」  :後藤政子(神奈川大学名誉教授)・明石書店
「キューバ 〜超大国を屈服させたラテンの魂」    :伊藤千尋(元朝日新聞現地特派員)・高文研 を基に。

【 「ソ連型計画経済」の失敗があっても、何故キューバは社会主義を維持できているのか 】
キューバは、独自計画と言える1960年代後半の「1000万トン計画」(砂糖増産計画)が失敗した後、
1970年代からソ連型経済方式・中央集権計画経済を導入し当初は生産力を伸ばすが、80年代にはその問題が明確になった。
生産性が上がらない、必要消費財の生産量が足らない、剰余消費財が豊富化しない、自由・闇市場が必要とされる、
そこへの横流しが常態化する、国民は労働意欲がない、失業はないけど過剰・余剰な労働者があふれている、等、ソ連と同じ現象である。

ソ連・東欧は「経済の失敗」とともに崩壊していったが、キューバは持ちこたえ、新たな改革に進んだ。
「経済体制の失敗」が体制崩壊の主原因、とはならないことを示しているともいえる。
キューバの指導層は、「政治的ヘゲモニー」を失っていなかった、ということなのだろう。ソ連・東欧では、経済以前に「失っていた」。
だとすれば、社会主義国家を支える最大要因は、経済システム・政策よりも、政治的要因の方が大きいのかもしれない。
「一党制」だから、その党が国民の信認を失っていれば、単純な危機で国家は転覆してしまう。複数政党制にしておけば良かったのに。
簡単に言えば、キューバ国民はカストロに、「経済建設また失敗しちゃったけど、もう一度やり直せばいいじゃない。」と言ったのである。
1990年代初頭から、経済改革に取り組んでいる。危険性を分かっていながらの、部分的「市場導入」という、危険な方法だが。

※フィデル・カストロの給与は、国家公務員給与で月300ドル、一般労働者と大差がなかった。(高級官僚も労働者並み給与)
ただし、「平等的賃金」は、頑張って働いても同じ賃金で、「労働意欲減退」の主因になるとの見解がある。

※カストロは、国民から愛称として「フィデル」と声をかけられる、「良き叔父さん」である。どこかの偉そうな指導者たちとは全く違う。

※キューバでは生前の指導者を偶像化することは、社会的に禁止されている。
法的ではないが、フィデルもラウルも、自身が拒否している。偶像化され、掲出が許されているのは、ゲバラだけである。

※一党独裁でマスメディアは体制側、だが、情報統制・言論統制はほとんど行われていない。
外国メディアはキューバ国内の反体制派を含めて自由に取材できる。
国民は反体制的意見も自由に発言でき、外国メディアも自由に取材できる。
インターネットは統制されていない
クリントン大統領のキューバ訪問時も、何の規制もない自由行動が許され、
クリントンは公衆への演説で、キューバの非民主制を非難し、反体制派と面談して反体制運動支援を約束して帰った。

※フィデルからラウルへの指導者交替は、西欧では「世襲」とされるが、キューバでは当然のこと
ラウルは、ゲリラ戦のためメキシコから帰国し生き残った「伝説の12人」の残り少ない一人、当初からの革命家
フィデルはまだ「ホセ・マルティ」主義者だったが、ラウルは当時から「マルクス主義者」、教条主義ではなく実務的で「ケ小平」的。
ラウルは、「主要な政治職の任期は2期まで」の方針を、2016年に党決定した。自身、今期での退陣を宣言している。
「民主的選挙」に見せかけて、阿部親子やブッシュ親子等々が「世襲」する国より、よっぽど民主的と言う見解がある。

※2005年ハバナ大学で学生に招待されたカストロは、一般学生に次のように「真摯に」訴えた。
この後、共産党・研究者・大衆団体・市民組織などでも活発な改革議論、大衆的討議が行われている。

「今日の世界は『人間への優しさ』に欠けた社会だ。餓死する子供が見て見ぬふりをされ、
ハリケーンによる水害で自助努力の名のもとに老人が取り残され命を落とす。核戦争の危険が増幅している。
競争原理至上主義を経済発展や民主主義と見なす思想が、貧困層の中にすら広がっている。
人間は『よく見ること』『知ること』が大事だ。諸君には90マイル先(アメリカ・150q)で何が起こっているか、見えるだろうか。
何よりも大事なのは『人間の命』だ。革命思想の出発点は倫理にある。革命以来、そのための社会づくりに全力を注いできた。
われわれの最大の誤りは、『社会主義とは何かを知っている・社会主義社会の建設の仕方を知っている』と考えたことだ。
歴史上、目的のために手段が正当化されたこともあった。私の理念に反するものだ。
資本主義的手法で社会主義を実現できると考える人々も限りなく存在した。彼らは理論家と見なされたが、失敗を続けた。
我が国はソ連解体後、想像を絶する厳しい状況に置かれた。誰も助けてくれないことはわかっていた。
孤立・絶望的状況のもと、資源も何もない国で帝国主義に抗しつつ主権を守った。われわれはそれだけの文化・知識・自覚を持つ。
だが、革命は崩壊するかもしれない。破壊するのは彼らではない。我々自身だ。
労働意欲は低下し、腐敗がはびこっている。管理者ぐるみで企業から横流しされる物資、それらを公然と売る闇市場、
盗品を食材に使い儲けるレストラン、国の補助金で手に入れた住宅を他人に高く売る市民・・・・
なぜ貧しい家庭にありながら大学に通えるのか、なぜただ同然にふんだんに電気を使えるのか、インテリですらそれを考えていない。
問題が山積みしているのに対応しようとしない経済学者たち。国が生活も何もかも面倒を見てくれるのを当たり前と考え、
物がないと非難しながら、不正行為や刹那的な快楽に走る人々・・・・
これまでのような丸抱えの、無償の社会サービスや扶助は維持できなくなった。発想を転換しなければならない。
21世紀にふさわしい社会はどうあるべきか。古い世代はいずれ消滅する。これからの時代を担う新しい世代の諸君は、
情報操作やカッコつきの情報に惑わされることなく、鑑識眼と『知の力』をもって、あるべき新しい社会主義とは何かを追及してほしい。」

※真摯な指導層と国民参加、ソ連東欧がとうの昔に失っていたものが、キューバには存在する。
2011年、現在の経済改革方針である「革命と党の社会経済政策基本方針」も、国民的討議による変更の上で決定されている。
[242] 2018年01月12日 (金) 22時10分
バトバヤル
 モンゴルは世界で2番目の社会主義国家だった。
 今や日本相撲界を支えるモンゴル力士会。貴の岩、日馬富士、白鵬、鶴竜らの出身国モンゴルは、ソ連に続く世界で2番目の社会主義国家でした(1921年革命)。かつて蒙古帝国を樹立したモンゴル族に対して、当時の中華民国政府(袁世凱の死去で混乱)は独立を認めませんでした。このためソ連赤軍の援護を受け、「ソ連16番目の共和国」とまで呼ばれる硬い結束を結び、日本帝国主義との戦いではノモンハン事件に大勝利(日本軍ほぼ全滅)する輝かしい歴史を持っています。。

 現在の大統領はバトトルガ(2017年から。民主党出身。モンゴル相撲、サンボ選手として活躍)。国会はモンゴル人民党(65議席)が多数の政権。野党は民主党(9議席)、その他。

 かつての社会主義政権党のモンゴル人民革命党は、一党独裁政党で、ソ連追従といわれる政策を推し進めましたが、ソ連のペレストロイカに合わせて社会主義改革に着手。1990年には一党独裁を放棄し、社会民主主義を掲げる中道左派政党へと衣替えして、2003年に社会主義インターナショナルに加盟し、2010年に党名から「革命」の語を削除してモンゴル人民党となり現在に至っています。
[239] 2018年01月11日 (木) 14時34分
望ちゃん
 シリアの憲法では1973年の制定当初は、国家を「社会主義・人民民主主義国家」と規定し、バアス党を「国家を指導する政党」と定めていたが、2011年のシリア騒乱勃発を受けて行われた2012年の憲法改正で、これらを定めた条文はいずれも削除された。
−とありました。Wikiの方も誰か変更した方が良いですね。
[237] 2018年01月06日 (土) 14時27分
インディラ
インド憲法前文における「社会主義」的民主共和国の規定

インドの憲法は多言語・多宗教。複雑な歴史を反映して、世界の憲法の中でも最も長い文章で構成されていると言われ、逐次改正されてきた軟性憲法(2016年で101次改正。邦訳「インドの憲法」関西大学出版発行では263ページの長文)。
 インドはイギリスからの独立後は「社会主義型社会」の共和国建設を目標と定めて数次にわたる5カ年計画で経済建設を行ってきた。憲法前文にある「社会主義的」民主共和国という言葉は、1976年の第42次憲法改正で定義に付け加えられたが、現在のモディ人民党政権でも変更は加えられていない。
 正確には、改正前の前文で「主権を有する民主主義共和国」という文言が、「社会主義的・政教分離主義的・民主主義共和国」に改正されたのだが、上記邦訳版では「われらインド国民は、インドを主権を有する社会的・政教分離主義的・民主主義共和国となし、すべての公民に…」と書かれている。憲法の文案の中では、意図的に「社会主義」という言葉が消されている。同書の解説文では「社会主義」的民主共和国と記述されていることから、これは邦訳間違いではなく訳者の意図するところと思われる。
 そもそも社会主義とは「個人主義的な自由主義経済や資本主義の弊害に反対し、平等で公正な社会を目指す思想、運動や体制」と一般的に規定されるもので、崩壊した旧ソ連圏で支配的だったマルクス・レーニン主義に限られない。旧ソ連圏でも中国の毛沢東主義、北朝鮮の金日成主義、ペトナムのホーチミン、キューバのカストロなど、その国の歴史的・民族的な条件に即した社会主義があったように、インドでは、独立・民主化・近代化運動の中で、非暴力主義のガンディー思想とも融和的な社会主義が生まれた。
 その中心はインド国民会議派(初代首相ネルー)だったが、現在のモディ首相の政権党人民党にもヒンドゥー主義と融合した社会主義思想の影響がある。
 社会主義インターナショナル(本部ロンドン)には、インド国民会議が加盟しているし、南アジアではパキスタン人民党、ネパール会議派がある。加盟政党の思想は、一般的に言われる(西欧的な)「社会民主主義」とは一括りには出来ない。インドなどでもコミンテルン共産党系と争ってきた歴史があるので、マルクス・レーニン主義ではないが、独自の社会主義思想が生きていると言って良い。
[227] 2017年12月25日 (月) 16時39分
朝鮮革命家 林 隠
金日成神話
王制の存立と維持のためにはもその権力が何によって与えられているかを示す神話が必要である。
金王朝の創設者。金日成。本名金成柱(キム・ソンジュ)−日本敗戦前は、ソ連・中国・朝鮮人混成部隊「特別88師団」の第4大隊長(大尉)として、ハバロフスクで亡命・パルチザン闘争に参加。中国人100人、朝鮮人60人、ソ連人40人、計200人の特殊偵察部隊。中国共産党の東北抗日連軍第5軍団長周保中が部隊長、副長・参謀長はソ連軍政治部長少佐、金日成はその配下の朝鮮人5人の大尉の一人だった。
 金日成は、ソ連進駐軍の平壌入りと同時にソ連軍政治部の引き立てで頭角を現した。1945年10月4日に平壌で開かれたとされる「金日成将軍歓迎群衆大会」は、実は「ソ連解放軍歓迎集会」であった。この大会での金日成演説は、ソ連軍政治部が作成し、ソ連帰りの朝鮮人詩人が翻訳したものをよみあげたにすぎない。
 朝鮮動乱の無残な敗北は、金日成の権威を墜落させ、血の大粛清の歴史を開いた。この規模はスターリン、毛沢東を凌ぐ。朝鮮動乱時の将軍の95%が処刑され、軍と党、政府の幹部20万人が粛清された。強制収容所で圧殺された犠牲者の数は数百万人といわれる。朝鮮労働党の初代政治委員は金一人を除いて6人全員が粛清。中国延安派30数人の将軍が全滅、ソ連派は半数以上がソ連に亡命、生き残ったのは3人だけ。民族共産主義者の「南労」派幹部は全滅。この上に主体(チュチェ)思想という金日成主義が築かれた。
 朝鮮国境付近には、ソ連は高麗人と呼ばれるソピエツキー・カレーエッツを温存し、中国も同様の保険的措置を講じて体制崩壊に備えている。
[223] 2017年12月19日 (火) 14時48分
種子島
ポルトガルが面白いです。社会民主党の大統領なのです。
憲法は改正したと書いてありますが、詳しく知りたいです。日本とはなじみの深い国ですから。
[222] 2017年12月17日 (日) 14時07分



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