これからの社会主義

社会主義の制度、政策を真面目に議論する

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山崎耕一郎氏を悼む [2309]
望ちゃん
山崎耕一郎さんが亡くなったとのこと。昨日メールで聞きました。
「先週の金曜日(24日)に、外出先で倒れてそのまま亡くなった}とのこと。心から哀悼の意を表します。
 少し年上ですが、共に青春を生き抜いた同志でした。

Wikiには下記の通りの案内があります。−−−−−−

山崎 耕一郎(やまざき こういちろう、1940年 - )は、日本の社会運動家。

1940年東京都に生まれる。父親は元早稲田大学教授(ドイツ文学)の山崎八郎。伯父(父の兄)は向坂逸郎。

東京大学在学中から、学生運動、社会運動に参加。東京大学経済学部学生自治会副委員長を務める。1963年社青同(日本社会主義青年同盟)東京地区本部の専従となり、東京大学中退。1969年から1974年まで社青同中央本部書記長、1974年から1980年まで社青同委員長。1980年から社会主義協会専従となる。1998年から2006年まで社会主義協会事務局長。2006年から2012年まで社会主義協会代表代行。2012年社会主義協会顧問。2002年労働者運動資料室を創設し副理事長となり、2012年には理事長に就任した。社会主義協会代表代行退任後は、労働者運動資料室を拠点に活動を続けている。

著書[編集]
山崎耕一郎『ソ連的社会主義の総括』(労働大学 1996年)
社会主義研究会編『21世紀の社会主義』(共著、労働大学 2006年)
社会主義理論学会編『資本主義の限界と社会主義』(共著 時潮社 2012年)
佐藤優・山崎耕一郎『マルクスと日本人 社会運動からみた戦後日本論』(明石書店 2015年)ほか

参考文献[編集]
『21世紀の社会主義』著者紹介
[200] 2017年11月30日 (木) 10時24分

タカ
山ア耕一郎さんの遺稿、「もう一度、社会主義へ」が労働運動資料室会報の40、41、42号に記載あることを載せましたが、この掲示板の「労働者運動資料室旧HP消滅と修復」の2022.5.28の投稿で記載されています。
 是非、参照ください。
 (「社会主義理論学会会報40、41、42号」と誤記されている。)
[965] 2023年12月10日 (日) 20時22分
タカ
「もう一度、社会主義へ」でした。
[962] 2023年11月29日 (水) 11時21分
タカ
「もう一度、社会主義」でした。

「労働者運動資料室」で索引し、
  「会報」に進み、
     40号、41号、42号に
        記載あります。
[961] 2023年11月29日 (水) 11時19分
タカ
「まなぶ」の題目の中「*まなぶ編集部へのメール」で以下の投稿があった。
 『労働運動資料室』を索引して、会報の中をみたら、山ア耕一郎さんの、3冊目の労大新書のために書かれていた未完稿の遺稿がありました。
 労大新書「この社会を変える――社会主義という考え」伊藤修さんも発刊された。山ア耕一郎さんの「ソ連的社会主義の総括」「21世紀の社会主義」とあわせて、この遺稿「網一度、社会主義へ」も読んでみたい。

*まなぶ編集部へのメール
・明石書店「マルクスと日本人」を読みましたら、104頁に山ア耕一郎さんが、「『まなぶ』に、昭和史の中の労農派マルクス主義として、…………そういうことは書いているんですけど。」と述べられています。
・まなぶの中に、「昭和史の中の労農派マルクス主義」的な寄稿・記載があるのでしょうか?
・これらをとりまとめて、「まなぶ」誌上での特集や、労大新書での発行等はできないものでしょうか?
[960] 2023年11月29日 (水) 11時10分
s.y.
山ア耕一郎さんのウィキペディアを補正しました。


小島英俊共著『漱石と日本人』(祥伝社 2017年)


『漱石と資本論』に直しました。
[652] 2020年08月20日 (木) 08時09分
S.Y.
山ア耕一郎さんのウィキペディアの更新


小島英俊共著『漱石と日本人』(祥伝社 2017年)


『漱石と資本論』でした。
[409] 2018年10月07日 (日) 07時09分
S.Y.
山ア耕一郎さんのウィキペディアが更新されたようです。

山ア耕一郎(やまざき こういちろう)1940年2月7日‐2017年11月24日

1940年2月7日、東京に生まれる。父親は元早稲田大学教授(ドイツ文学)の山ア八郎。伯父(父の兄)は向坂逸郎。
1960年に東京大学入学、在学中から、学生運動、社会運動に参加。東京大学経済学部学生自治会副委員長を務める。
1963年、日本社会主義青年同盟東京地区本部の専従となり、東京大学を中退。1964年、社青同は第四回全国大会で議案修正案(改憲阻止・反合理化の基調)を決定。1966年、社青同東京地本書記長に就任し、地本再建に尽力する。第一見解に立ち、1969年から1974年まで社青同中央本部書記長、1974年から1980年まで社青同委員長。
1980年から社会主義協会専従となり、1998年まで関東支局に勤務。1998年の協会分裂を機に社会主義協会事務局長となり、2006年まで務める。 2000年より田中勝之と共に『山川均全集』の編集に携わり、完結させる。2006年から2012年まで社会主義協会代表代行。2012年社会主義協会顧問。2002年労働者運動資料室を創設し副理事長となり、2012年には理事長に就任した。社会主義協会代表代行退任後は、労働者運動資料室を拠点に活動を続けた。
2017年11月24日、突発性心臓発作で死去、享年77歳。翌2018年2月18日、東京都文京区民センターにて「山崎耕一郎さんを偲ぶ会」が催された。
著書
 ・編著『アフガニスタン革命』(十月社 1982年)
・『ソ連的社会主義の総括』(労働大学 1996年)
・『21世紀の社会主義』(労働大学 2006年)
・細井雅夫共著『越えられない山はない』(日本社会主義青年同盟中央委員会 1981年)
・盛山健治共著『青年運動』(労働大学 1996年)
・社会主義理論学会編『資本主義の限界と社会主義』(共著 時潮社 2012年)
・佐藤優共著『マルクスと日本人 社会運動からみた戦後日本論』(明石書店 2015年)
・小島英俊共著『漱石と日本人』(祥伝社 2017年)ほか
[407] 2018年10月06日 (土) 20時10分
S.Y.
前の投稿、誤っておりました。
正しくは下記のとおりでした。

山ア耕一郎さんを偲んで、佐藤優さんの追悼文が紹介されています。

http://roudousyaundou.blogspot.com/

参照ください。
[334] 2018年06月08日 (金) 19時48分
S.Y.
労働者運動資料室の下記ホームページで、山ア耕一郎さんを偲んで、佐藤優さんの追悼文が紹介されています。

 http://roudousyaundou.blogspot.jp/2018/02/blog-post_19.html

参照ください。
[333] 2018年06月08日 (金) 18時38分
S.Y.
まなぶ 1979年2月増刊号(共産党宣言発刊130年)
「私と共産党宣言」から、当時、社青同中央委員会委員長山崎耕一郎さんの文をみつけました。

・はじめて『共産党宣言』を読んだのは、学生時代の1960年だった。
・『資本論』の研究会に入ったのだが、そこに指導に来られた山口労大事務局長から、「いきなり『資本論』を読んでもわからんだろう。その前に一、二冊古典を読め」といわれて、最初のテキストにえらんだのを記憶している。

・その頃、アルバイトとして、労大の仕事を手伝っていた。文書の発送、講座の受付などをしていたのである。研究科の受付をしながら『共産党宣言』の学習を聞いたこともあった。

・その年の秋は、三池闘争と安保闘争の総括がくりひろげられた。
・『共産党宣言』の一節が引用された。「ときどき労働者が勝つことがあるが、ほんの一時的にすぎない。かれらの本当の成果は、その直接の成功ではなくして、労働者のますます拡がっていく団結である。」
・構造改革論が入り込んだ頃で、「石炭(エネルギー)政策がなかったから敗けた」という意見がでた。「全国に、三池にまなんで、職場闘争と学習活動が拡がり、社青同ができたし、労働運動も強くなったではないか。このますます拡がる団結が、労働者の利益を守るのだ。」と、私もこの一節を使って、けんめいに反論した。

・「二大階級の対立」「労働者は失うべき何ものをももたない」「本当の成果は拡がってゆく団結」という言葉は、労働運動を考えるときにいつも指針となり、階級闘争についての確信が深くなった。
[313] 2018年04月29日 (日) 19時35分
S.Y.
社会主義2018年4月号第670号
小島英俊さん  追悼の挨拶、より
・山ア君は第一巻、不況の後に出てくる言葉でしょうか、「さあ、革命の鐘がなる、この言葉が我々としては、なんというのか感動をもって迎えた言葉だ」と。何か目を細めて半世紀前を回想している彼の姿が非常に印象的でした。


「漱石と『資本論』」  祥伝社新書
       小島英俊・山ア耕一郎著
「あらゆる利益を横領し独占する大資本家の数の不断の減少とともに、窮乏、抑圧、隷従、堕落、搾取の度が増大するのであるが、また、たえず膨張しつつ資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結集され組織される労働者階級の反抗も、増大する。資本独占は、それとともに、かつそれのもとで開花した生産様式の桎梏となる。生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的外被とは調和しえなくなる一点に到達する。そして外被は爆破される。資本主義的私有の最期を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。」
(カール・マルクス『資本論』)
この最後の文章は、日本のマルクス経済学者やマルクス主義者を強く刺激し、興奮させ、これこそマルクスの究極のメッセージとして受け止められた。
しかし、「資本論」は、政治的行動を促すアジ演説ではけっしてなく、資本主義経済の矛盾を理詰めに解こうとした書である。
[297] 2018年04月07日 (土) 15時01分
S.Y.
『資本論と社会主義、そして現代』
 「世界史の頁をめくったロシア革命からソ連崩壊までの総括」
          山ア耕一郎さん
・かつては多くの者が社会主義.共産主義の主張の正しさを信じ、生活をかけてその実現のために闘っていた。
・1960年頃には、社会党の大部分、総評労働運動を意識的に担う人々、共産党も、社青同や民青同の同盟員も、日本における社会主義の実現を、当然の目標として確認しながら活動していた。
・社会主義になれば、労働者も豊かになれると信じていたのである。
・当時、労働者の中には社会主義の影響力は確固として存在し、社会主義を支持しない国民の中にも「やがて世の中は社会主義になるかもしれない」という意識=「危惧」があった。
・他の資本主義国にも、「資本主義の次の時代としての社会主義」がかなりの存在感をもって意識されていたのである。
『ロシア革命のもたらした衝撃』
・(ソ連は)世界の資本主義にとって脅威であった。
『資本主義の対応策としての社会保障』
・1929年にはじまる世界恐慌。
・失業者、生活困窮者の大群が巷にあふれた。
・資本主義体制防衛のため、社会保障、福祉政策の充実が模索された。
・1933年、ヒトラーのナチスが政権を握った時、ドイツには600万人の失業者がいた。
・ニューディール政策後のアメリカ。1938年ですら、失業者が770万人(失業率14%強)
・この時、ソ連は失業のない国であることを誇っていた。
・1935年、アメリカ、連邦社会保障法の制定。老齢年金、失業保険、州の生活保護制度への連邦政府の財政援助。
・ドイツの社会保障制度。富国強兵策の一環としての老齢保険、疾病保険、労働災害保険。
・ドイツ革命の挫折。ワイマール共和国の成立。しかし、大恐慌以後、失業者の急増等、社会不安。それをつかんだファシスト、ナチス・ヒトラー政権の成立。
・(第2次世界大戦中)イギリス、ベヴァリッジ報告。福祉国家の政策体系の選択。
・戦後、労働者政党の政権獲得と、社会保障制度の発達。
・現在、新自由主義の弊害が深刻になり、貧富の差の拡大という事態が表面化し、資本主義とは何か、「次の時代」はどのように実現するかが問われている。

・私は、次の時代はやはり、生産手段の社会化を軸とする社会主義の社会になると考えている。
・格差社会の弊害が、日々に顕著になっている。
・現在、「次の時代の社会のあり方」の検討は、必要な課題である。

「21世紀の社会主義」山ア耕一郎さん
・人間の平等を一貫して追求したのが、社会主義である。
・新自由主義の支配下の世界で、生産力の発達にもかかわらず、貧富の差が拡大している事態をみると、平等というものがもっと重視されなければならないと痛感される。
・「実質上の平等の実現」を原点に、社会主義の立て直しを模索したい。
[281] 2018年03月05日 (月) 15時16分
望ちゃん
山崎さんの「偲ぶ会」が2月18日、午後3時半から、文京区民センターで開かれました。参加者は、およそ200人くらいでしょうか。

 実に幅の広い方たちが、故人の思い出を語ってくれました。良い集いになったと思います。
 北海道からは、社青同再建時に、山崎さんに誘われて「社青同綱領策定委員会」に携わった古川さんが、当時の想いでなどを語りました。

 「偲ぶ会」の雰囲気は労働者運動資料室の下記ホームページでも紹介されています。

 http://roudousyaundou.blogspot.jp/2018/02/blog-post_19.html
[275] 2018年02月22日 (木) 10時22分
S.Y.
社会主義理論学会第53回研究会
報告
山崎耕一郎(社会主義協会代表代行)労農派社会主義の原点と現在─山川均論を中心に
参考文献:山川均の論文@「政治的統一戦線へ!」(1927年雑誌『労農』創刊号、『山川均全集』8巻)A「日本における社会主義への道」(1955河出書房、63年より労働大学新書、『山川均全集』20巻)B「社会主義への道は一つではない」(1956『中央公論』12月号、『山川均全集』19巻)



社会主義理論学会
「自由で民主主義的な社会主義を共に志向する人々が、それぞれの立場の違いを認めあいながらも、たがいに学び、交流し、協同して新たな創造的研究に取り組むこと」(入会呼びかけ)を目的とする学会。1988年創立、


社会主義理論学会第22回研究集会
全体テーマ:ベーシックインカムと社会主義
●伊藤誠(東京大学名誉教授) ベーシックインカム構想と社会主義
参考文献:伊藤誠著「ベーシックインカム論を検証する──その可能性と限界」(岩波書店『世界』2011年3月号 所収)、伊藤誠著「ベーシックインカムの構想とマルクスの思想と理論」(季刊『変革のアソシエ』No.3 2010年7月 所収)、伊藤誠著「ベーシックインカムの思想と理論」(『日本学士院紀要』第65巻第2号 2011年1月所収)

伊藤 誠(いとう まこと、1936年4月20日 - )は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。
宇野弘蔵、鈴木鴻一郎の後継者として宇野経済学の流れを汲む。
正統派と宇野派の理論対立は、90年代に入ってほぼ収束した。伊藤は、その象徴的存在として、以前はありえなかった正統派との共同研究を精力的に展開している。アソシエ21、変革のアソシエ共同代表。新社会党・9条ネットを支持している。

科学的社会主義、2018年1月号に、『「資本論」と現代資本主義』を投稿されている。
[257] 2018年01月25日 (木) 22時18分
・マルクス経済学者・向坂逸郎、満鉄調査部から経済企画庁総合企画局長を務めた向坂正男兄弟を叔父に持つ山アは、日本社会主義青年同盟の委員長を経て、現在、社会民主党のご意見番的な存在である。
・高校の陸上競技部入部時に、100メートル走の記録が悪く、中長距離走に回されたという過去を持つ。
     漱石と『資本論』
       (はじめに)より 
              小島英俊・山ア耕一郎 著
                  祥伝社
・鈍才の私(たち)が、天才である漱石とマルクスに取り組んだのだから、亀がチーターに競争を挑んだようなものかもしれない。
・しかし、興味深い論を展開できたと自負している。
(第二章では、『資本論』の大意・要約を試みた。―――難解だから「噛み砕いて」―――原文の引用をせず、編・章・節のナンバーを入れず、『資本論』を構成するキーワードによって順序立て、解説している。)
・どうか一読願いたい。
   ………………定価 本体800円………………
[235] 2018年01月06日 (土) 12時18分
社会主義 2018年1月号
 山ア耕一郎さんを偲ぶ
      善明建一さん
・山アさんは、1970年代初頭、三つの見解に分かれて混乱していた全国社青同の中で、盛山健治委員長とともに、第一見解派として、全国社青同を再建された。
・山アさんは、1998年の協会分裂後、………協会再建の中心的作業であった「協会提言補強」をまとめ、完成させた………。
・山アさんは、「急進主義」「教条主義」を戒められ、活動家は柔軟で現実的でなければならないことを、常に強調された。
・一握りの思想家集団では勝利の展望はなく、幅広く「左派結集」を追求することが必要(だという)………山崎さんの思想、運動に対する姿勢………を糧にして………運動を続けていくことを決意したい。

「マルクスと日本人」より
・1966年12月に東京地本が再建された。その大会で書記長になった。
・中央本部の書記長になったのが71年で、74年から委員長になり、1980年までやった。
・1971年10月に第10回大会を召集したが、(第二見解・第三見解の二つは)勝算なしと読んでボイコットしたので、社会主義協会員の盛山健治という人が委員長で、僕が書記長になった………。
・………、その後社青同がどんどん大きくなり、………。運動と組織が伸びた………。

「21世紀の社会主義」の学習会より
・労働者および労働者階級について、あるがままの労働者階級として、『普通の労働者たちがその気にならなければ、社会主義は実現しない』とありました。普通の労働者たちが、自らが社会の主人公であることを自覚し、社会民主主義的政策の推進で、自身の政治的生活体験上から、資本主義の無政府的な経済体制ではダメだ、生産手段、生産財の公有化と計画的経済制度が必要であると理解し、普通の労働者たち=あるがままの労働者階級が欲しなければ、社会主義は実現しない、ということか。

「ロシア社会主義革命を総括する。――だいたい平等の計画的経済を」より
1992年12月、社会主義国ソ連という国家は存在を止め、社会主義でない「独立国家共同体(CIS)」が残った。自壊を阻止しようとする勢力があらわれず、社会主義ソ連は存在を止めたのである。国民は、国家機関のだらしなさにあきれ、崩壊劇を傍観しているように見えた。(ロシア革命100年を言うとき、必ず、ソ連崩壊の総括も必要ということか。)
「計画的」で「だいたい平等」な計画経済ではどうか。平等という考え方は重要であるし、生産手段の社会化を土台にして、大きな規模で計画的に国家、社会の建設を進めることは大事なこと。

「21世紀の社会主義」山ア耕一郎著
・コミュンテルンと第二インター。両者は、非和解的であった。生産手段を国有化して経済的平等=実質上の平等を実現しようという社会主義と、資本主義のなかで改良を積み重ねて、経済的平等を少しずつ実現しようという社会民主主義とが、対立しあうという状態が続いてきた。どちらも、労働者階級の立場に立つと言いながら、お互いに相手を否定しあってきた。

《・国民政党論、右派社会党・民社党、構造改革論、「参加と介入」、ニュー社会党、「協会規制」等々。これまで、マルクス・レーニン主義から、社会主義思想により、先達は論争を進めてきた。資本主義体制内での改革・改良では、労働者階級の解放はありえないがゆえに、ある意味、痛烈な批判を展開せざるを得なかったし、仕打ちも受けてきた(?)のではないか。
・『資本主義の矛盾(現象)を鏡にうつし、裏返す。→社会民主主義=体制内改良闘争=政策の束→あるがままの労働者階級により打ち立てられる社会主義』という前提に立つならば、そして、「資本主義のなかで改良を積み重ねて、経済的平等を少しずつ実現しようという社会民主主義」の運動が、現在、ほとんど見えない状況において、社会民主主義的改良を進め、国民大衆の信頼を獲得し、議会における絶対多数と、その安定化を、恒久化としていく、強力的な社会民主主義的な闘い=体制内改良闘争の強化が、必要となっている。
・そして、社会民主主義的な闘い=体制内改良闘争のある時点までの闘いは、社会民主主義者、社会主義者は共有できる、と思う。》
[234] 2018年01月05日 (金) 22時47分
労働者運動資料室サイト管理人より〜抜粋〜

・山ア耕一郎さんが、2017年11月24日になくなりました。
・『資本論』150年。ロシア革命100年の記念の年にあたり、山アさんはあらためて論考をまとめ、シンポジュウムや講演会・学習会をこなしている最中に、その活動を停止するという現役の生活を全うしました。
・山アさんが30歳に心臓の弁を「人工弁」に交換する手術をうけ、身障者手帳を携帯する身でしたが、日頃はそんな様子を見せることのない、学生時代の中距離ランナーを想像させる健康体でした。
・コーヒー好きで、ウーロン茶、アルコール漬けの仲間とのつきあいもいとわない暮らしぶりでした。
・学生時代に日本社会党に入党した埼玉県・草加に党費を納めに出かけ、駅の喫茶店でコーヒーを飲んでいて「心臓突然死」におそわれました。
・人工弁のため血圧が充分に保てないと蘇生は困難とのことで、救急医で入った市立病院でも手をつくされたのですが、帰らぬ人となりました。
[231] 2017年12月30日 (土) 10時56分
社会主義、2018年1月号に山ア耕一郎さん追悼文(善明建一さん)が寄せられたようだ。
早く、手元にほしいものである。
[230] 2017年12月29日 (金) 14時14分
望ちゃん
2chあらため5chの社会主義協会のスレで、山崎耕一郎氏の死去について「ガセだ」云々ということで、一時混乱していましたが、今日どなたか-おそらく知り合いの方でしょう-が正確な書き込みをしてくれています。
 
5ch【分裂】社会主義協会・社青同25【右転落】 [無断転載禁止]©2ch.net
820革命的名無しさん2017/12/06(水) 12:25:08.80

労働者運動資料室の管理人サイト(12月6日付)によると労働者運動資料室理事長で
社会主義協会の代表代行や社青同委員長を歴任された山崎耕一郎氏が11月24日に
逝去された。葬儀は家族葬ですでに終了しているとのこと。二月中旬頃に偲ぶ会を
開く予定で追ってお知らせするとのこと。心から追悼の意を表します。

[209] 2017年12月06日 (水) 13時18分



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