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[7] 「真田三代」 鬼謀(きぼう),<6>. ew MAIL URL
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7/6 <6> 「浦野玄蕃(うらのげんば)の件、たしかであろうな」 矢沢頼綱が兄と向かい合い 「念にはおよびませぬ。浦野玄蕃は金三枚(三十両)にて、われらへの内応を約束いたしました」 浦野玄蕃は米山曲輪(こめやまくるわ)の守将(しゅしょう)である。彼が真田と呼応すれば砥石城も内部から崩れるだろう。 それから、四、五日。 真田勢と村上勢は、神川をへだてて矢弾(やだま)の応酬を繰り返した。 五月二十六日、戦闘の発展もなく、真田幸隆は陣を引き払い撤退をはじめた。 砥石城の将兵たちは勝ち誇ったように高笑いした。だが、それこそ幸隆の思う壺であった。 夜になって雨が上がると、新月に近い晩で、星明りだけである。 戌ノ刻(午後八時)ごろ、戦勝の祝いを申し上げたいと禰津のノノウ(歩き巫女)たちが砥石城にやってきた。
2009年07月06日 (月) 16時49分
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[8] 鬼謀(きぼう),<7>. ew MAIL URL
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 3,045 円
返信 2009年07月08日 (水) 01時55分
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[9] 鬼謀(きぼう),<7>. <8> ew MAIL URL
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7/7 <7> 砥石城内では、楽の調べが流れ唄や踊りの鉦(かね)の音が響いていた。 ノノウの千代が、城代の村上刑部にしなだれかかるように酒をすすめ機嫌をとっていた。 そのころ、城の外では、真田幸隆の命を受けた山伏が東側絶壁の岩にクサビを打ち込んで足掛かりを作っていた。
7/8 <8> 砥石城内のものたちは真田方の動きに気づかない。 鉄のクサビを打ち込むと、山伏たちが岩壁の上から縄梯子を垂らした。 矢沢頼綱にひきいられ、真田の兵たちが岩壁をよじのぼってゆく。崖の下に落ちれば命はない。 頼綱は闇の中で物見櫓(ものみやぐら)に近づくや、番卒を一刀のもとに切り捨てた。 油断があったため、警戒はさほど厳しさがない。 同じころ、大広間では、ノノウの千代と、若い巫女たちが舞をおさめ、暇乞いの辞儀をする。 「まだ、よいではないか」酔っている刑部に、 「まことの宴は、これからでございましょう」 そのとき、外で叫び声がした。 「敵襲じゃーッ」 「火がまわっているぞー」 将兵たちが驚きあわてている隙に、歩き巫女たちは姿を消している
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返信 2009年07月08日 (水) 16時32分
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[10] 鬼謀(きぼう),<9>. ew MAIL URL
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7/9 <9> 砥石城内では、大混乱になった。 矢沢頼綱の精鋭隊は、厨から米蔵、味噌蔵と次々に火を放ってまわった。 城の内側から、大手門、搦手(からめて)門のカンヌキが開けられた。 門外に待機していた真田幸隆の本隊が城中になだれ込む。 激しい戦いがはじまった。真田方は数の上では城方に劣っていた。村上刑部は酔いも吹き飛び鬼の形相で味方を叱咤し勢いを盛り返してきた。 そのとき、南の方から、わーっと歓声が上がった。米山曲輪の守将・浦野玄蕃が、手筈どおり真田方に寝返ったのだ。 幸隆は、さらに混乱に陥(おとしい)れるため、城中に 「浦野殿、謀反(むほん)!」 「甲斐の武田が後詰(ごづ)めに来るぞーッ!」 と、叫ばせてまわった。 城方の兵たちは度を失い逃亡するものが続出、指揮系統は乱れ、浮足立っていたところへ、真田と浦野の両勢が攻め立て、ついに、櫓(やぐら)に追い詰められた村上刑部は自刃。 幸隆は、武田勢でさえ落とせなかった砥石城を独力で奪ったのだ。
返信 2009年07月10日 (金) 00時44分
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[11] 鬼謀(きぼう),<10>. ew MAIL URL
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7/10 <10> 真田幸隆が一躍、世にの名を上げた戦いは、『高白斎記』に、「__五月廿六節、砥石の城真田乗取(のっとる)」と簡略にしるされている。 知らせを聞いた武田家中には、驚きが広がった。 「あの要害堅固な砥石城が一日で落ちただと」 そして、武田晴信は約束どおり、幸隆に上田周辺に一千貫の領地を与えた。 真田幸隆は本拠を真田本城から砥石城に移した。
合戦から二月あまりが過ぎた、八月上旬。 砥石城の月見櫓(やぐら)に真田の一族が集まった。 当主・真田幸隆 二人の弟、矢沢頼綱と三弟の常田隆永(たかなが)、 元服したばかりの十五歳の幸隆の嫡男、源太左衛門信綱、(のちに、武田二十四将のひとりの剛勇) 二男、徳次郎(昌輝(まさてる))、九歳 三男、源五郎(昌幸(まさゆき))、五歳 幸隆の妻で三人の息子の母、菖蒲ノ前(しょうぶのまえ)、 頼綱の妻・瑠璃(るり)、隆永の妻・小百合 菖蒲ノ前は信濃の豪族・河原隆正の妹で幸隆より八つ下の三十一歳。 海野平(うんのだいら)合戦に敗れ所領を失い信濃国を遂(お)われてから十年が過ぎていた。
返信 2009年07月10日 (金) 23時49分
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