|
8/1 川中島 <11> ,/ <31> 長尾景虎は休む間もなく、小数の兵をひきいて京に上洛した。 京の天皇、将軍と会い、その権威によって、みずからの地位を磐石にするためであった。 後奈良天皇に拝謁。 「戦乱を鎮定すべし」 という綸旨(りんじ)をたまわり、天盃と御剣(ぎょけん)を下賜された。 ついで景虎は、将軍・足利義輝に謁見。さらに泉州・堺に足をのばし、鉄砲や玉薬(火薬)、南蛮渡来の品々を買い求めた。 高野山、大徳寺にも参詣した景虎は、その年の暮れ、帰国の途についている。 一方。 景虎が不在のあいだ、川中島平では、武田晴信がじわじわと締め付けを強め、地侍たちは武田方に次々と切り崩されていった。 村上、高梨も、ふたたび越後へ逃げ戻った。
正月を祝うため、砥石城に真田一族が集まっている。矢沢頼綱の戦いの傷もようやく癒えた。 天分二十三年(1554)の春、幸隆は川中島での働きの恩賞として、武田晴信から小県秋和に三百五十貫の領地を与えられていた。 上田盆地への要衝であり、のち、幸隆の子・昌幸は、秋和南方に上田城を築くことになる。
返信 2009年08月01日 (土) 23時45分
|