|
7/2 <2> しばらくして幸隆は、山伏が寝泊りする籠屋(こもりや)に到着した。 中から、千代と呼ばれる、さほど若くはない巫女が迎え入れた。 幸隆は女を抱き寄せると 「武田晴信(のちの信玄)さまが、わしにお約束下されたのよ。砥石城を攻め落としたあかつきには、わが真田家に一千貫の土地を与えるとな」 と話し出した。
7/3 <3> 砥石城は埴科郡葛尾城主、村上義清の支城である。 村上は、北信濃への進出をもくろむ甲斐の国の武田の前に立ちはだかった。 天文17年(1548)の上田原の戦いでは、武田は屈辱的な大敗を喫している。 その二年後、30歳になった武田晴信(のちの信玄)は、砥石城攻略に執念を燃やした。 この城攻めに、真田幸隆も参戦している。 しかし、村上は敵対していた高梨氏と和睦、武田は退却。村上勢の追撃を受け一千兵が打ち死にするという,またも大敗北となった。 世に言う、「砥石崩れ」 である。
返信 2009年07月03日 (金) 21時32分
|