2006年3月10日。いつもの派出所、新聞を読みながらお茶をすする両さん
「そっか。今日で61年か…」
「何からですか、先輩?」
「東京大空襲からだよ」
「そっか。東京は10日だったわよね。たしか、神戸・大阪は13・14日だったわ」
「そうなんですか。どちらもたくさんの尊い人命が失われた悲しい出来事ですね」
「中川、そんな他人事のように言うなよ。無罪の国民が無差別に殺されていったんだ。それにな…」
「どうしたの、両ちゃん」
「いや、あの言葉を思い出すとつい目頭が……」
「あの言葉って、もしかして…」
「多分あってるだろう。東京大空襲をはじめ本土空襲の指揮を執っていたカーチス・ルメイ将軍が“明らかに非戦闘員を狙った”とする批判に対してこう述べたんだ・・」
「『私は日本の民間人を殺したわけではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の民家は全て軍需工場だったのだ。ある家ではボルトを作り、隣の家ではナットを作り、向かいの家ではワッシャを作っていた。気と紙で出来た民家の一軒一軒がすべて我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。これをやっつけて何が悪いのか』だったかしら?」
「麗子の言った通りだよ」
「これでは国民全員が敵に見えたことになるじゃないですあか」
「そのとおりだ。でも実際は国民の殆どが『日本が負ける』と思っていたはずだ。なのにこっち側の気持ちをわからずにどんどんと…」
「ちょっと、両ちゃん!落ち着いてよ! そうだ、これから浅草の実家に行きましょうよ」
「そうですね。実際に体験した先輩のお父さんやお母さんに聞いてみましょう」
「それはいい案だ。早速行ってみるか」