<登場人物>
両津勘吉、両津よね、中川圭一、秋本麗子
よ「この隅田公園一帯は空襲で亡くなった方々を仮埋葬した場所なんだよ。特に下谷や浅草に住んでいて被害を受けた人達だね」
両「親父の話だと、仮埋葬後、つまり戦後は両国にある『東京慰霊堂』に納骨されたそうだ」
麗「今でこそ桜の名所である隅田公園だけれども、過去を振り返るとキツいものね」
両「まぁ、未来を見つめるのも大事だけど過去の反省をする方も大切だな。そうだ、中川、碑文を読んでみろ」
中「はい。…『隅田公園この一帯は昭和20年3月10日の東京大空襲により亡くなられた数多くの方々を仮埋葬した場所である。第二次世界大戦中の空襲により被災した下谷区民、浅草区民は多数に及んだ。亡くなられた多くの方々のイタイは、区内の公園などに仮埋葬され、戦後茶毘に付され東京慰霊堂に納骨された。
戦後40年、この不幸な出来事や忌まわしい記憶も、年毎に薄れ、平和な繁栄のもとに忘れ去られようとしている。今、本区は、数少ない資料を辿り、区民からの貴重な情報に基づく戦災死者名簿を調整するとともに、この地に碑を建立した』・・・誰もが分かりやすい文章になっていて読みやすいですね」
よ「さぁ、花も添えたし、両国の方に行こうかねぇ」
〜墨田区両国・横網町
両「この1930年にできた『東京都慰霊堂』がある横網町公園は元々陸軍の被覆工場が有ったらしいんだ」
よ「大正12年の大地震でね、公園予定地で更地になっていたここは多くの罹災者の非難場だったの。でも、罹災者の多くが家財道具を持ち込んだ為、結果的に家事を広げてしまったんだ」
麗「つまり、震災で犠牲になった人を慰霊し、このような災害が二度と起こらないように祈念する為に建てられたのね」
両「しかし、空襲により、東京は再び焦土となった」
よ「仮埋葬された身元不明の遺骨を納骨堂に改葬し、1951年に『東京都慰霊堂』と改称して今日に至っているんだよ」
中「とても立派な作りですね。寺院風で奥に三重塔があって納骨堂になっている。震災、空襲の犠牲者の霊を奉った巨大な位牌が二つありますね。碑文には
『第二次世界大戦で、東京は、昭和17年4月18日の初空襲から終戦当日の昭和20年8月15日に至るまで、アメリカ軍の度重なる空襲により甚大な被害を受け、大方が非戦闘員である多くの都民が犠牲となりました。こうした東京空襲の史実を風化させること無く、また、今日の平和と繁栄が尊い犠牲の上に築き上げられていることを次の語り継ぎ、平和が長く続くことを祈念する為の碑を建設しました』とかいてありますね」
両「戦後六十年、当時その生産の状況は一片の新聞だに報道されること無く、敗戦後に生まれたわしらは戦争の惨禍を知る由もない。いたましく悲しい夜もいつしか歴史の一コマとして消えて行くであろう。だから、わしらはここに当時を偲び、不幸散華された御霊が安らかに眠ることを祈り、二度と過ちを繰り返すことなく永遠に世界の平和を守ることを誓いわなくはいけないんだ」
麗「さぁ、ここで亡くなった方に祈りましょう」
If you can't arrive after this life
Then grab the soul's baton and carry on toward your wish