すぎたま様
丁寧にありがとうございます。
まず、鉛のこと。
これは気づきませんでした。ありがとうございます。
なるほど、そんな害もあるんですね!これは人間にも直結する問題ですね。鉛の恐ろしさは日本人なら良く知っているものですもの。
「自分達が生きるための」釣りが、趣味の釣りになった流れは書かれている通りだろうと思います。肉食をあまりしない日本人にとって、魚は貴重なタンパク源だった。趣味と実用を兼ねた釣りも、多くの日本人がしてきたことでしょう。
というか、つい最近まではそれだったのではないでしょうか。敗戦直後の食糧難時代くらいまでは?あのときは猫でさえ鍋にされて食べられていましたからね。
でも、正直、歴史は関係ないんです。
問題は、まさに今、この令和の日本で、趣味の釣りが必要か、ということなんです。すみません。
「趣味者の釣りはやめろと言っても、どこからやめるべきなのかの線引きが難しいのが実情でしょう。」
私にいわせれば、簡単なことです。
その釣りを止めたらたちまちその人の生活または健康に重大な影響が出るかどうか、です。
その魚を釣らないと、明日にでも家を失い路頭に迷うことになるのか。あるいは則病院に担ぎ込まれて入院しなければならなくなるのか。
そうでなければその釣りは必要不可欠ではなく、必要不可欠でないなら止められるでしょう。
止められるにもかかわらず止めないのであれば、それはいたずらに罪のない魚たちを苦しめ、あるいは殺していることになります。
そんな権利は人にはないし、今の時代にすべきでもない、というのが私の考えです。
と書きますとすぐに「釣り店や旅館、釣り船等の人々はどうなる」と言われるのですが、私が「趣味の釣りは止めて」といったところで、釣り人全員が即座に同時に止めてくれるわけじゃありませんし。
一人やめ、二人やめしているうちに、そういうショップ等の人たちも、先細りなジャンルを見切って、1店、また1店と廃業なり転職なりしていくでしょう。
あれほど盛況だったレンタルビデオ店が今どんどん減っているのと同じように。
「口のところに出来たキズはどうなってしまうのかですが、数日以内に完治してしまい、跡が残るということすらありません」
ごめんなさい、私には、だから針で突き刺しても良いのだという理由になっているとは全然思えません。
これが通用するのであれば、たとえば、針刺し通り魔がターミナル駅で次々と人を刺して
「一瞬チクリとして血が1滴かせいぜい2滴ながれるだけじゃないか、明日にはもう跡もわからなくなる」
も通ることになりませんか?
魚の同意も無しにいきなり針で釣りあげて、でもすぐ治るから、というのは人間の身勝手だと思います。
傷つけられたくないのは魚も人間も同じことです。
さらにその釣った魚を飼育することにつきましても。
魚がそれを望んだのでしょうか?
飼育動物についてよく言われる「食べ物の心配はないし、敵に襲われることもないし」等も、人間側の勝手な言い分にすぎませんよね。
それまで自由に生きてきた魚が、狭い水槽に入れられて、それで幸せなのでしょうか?
犬や猫は、すでに人が脳の中身まで改変してしまっていますから、たしかに人間と一緒に暮らす方が幸せそうに見えます。
でも、魚もそうなんですか?
私にはとてもそうは思えません。
魚たちの苦痛以外にも。
世界自然保護基金(WWF)によれば、生物多様性は1970年から69%も減少したとのこと。
https://www.wwf.or.jp/aboutwwf/earth/魚は有限なんです。このままでは魚たちはどんどんいなくなってしまいます。
それを防ぐために世界も動こうとはしていますが、各国/企業の利害がからみあって、なかなか順調にはいきません。
せめて、せめてですよ、せめて不用な釣りくらいは今すぐ止めてほしい。
今止めてもその人の生活に重大な影響がないなら、今すぐ止めるべき時代になってしまった(人間がしてしまった)のではないでしょうか。
すぎたま様も書かれている通り、「たかが1枚の袋でも感心しない量になる」のですからね。
個人でできることからどんどん進めないと、いずれ地球は破産し人類も滅びます。
すぎたま様はすでに釣りは止めていらっしゃるとのこと、私は大変良い事と思います。ありがとうございます。
こんなに冷静に話して下さる方は他にいらっしゃらないのでまたお聞きしたいのですが、
たとえば釣り堀ですね。
人工的に作られたプールに人為的に入れられた魚をお金を払って釣る。あれのどこが楽しいのですか?
すぎたま様は釣り堀はなさらないかもしれませんけど。
私にはまったく理解不能な釣り人心理です。
あれこそ、わざわざお金を払って魚を虐待しているのではありませんか?
魚を釣る人って、【釣り=虐待】とは決して思わないものなのでしょうか?
こんなこと、他の人に聞けませんので。
すみません。