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No.3592 新スレにてレスさせていただきます 投稿者:すぎたま    投稿日:2024年01月08日 (月) 06時33分 [返信]

nekohonさまこんばんは。

そうですか…。nekohonさんは、釣りをしたことが全くないのですね。すると現場(釣り場)の様子は想像するしかないという状態でしょう。
趣味の釣りというものがどうやって発生してきたのか、ということをまずは考えてみたいと思います。
もともと人々が狩猟・採集生活をしていた時代、海や川の近くに住んでいた人々(当時は真水が無いところには住めなかったでしょうが)が、その中を泳ぐ魚類を見つけて、捕って食べられないか考えたところから「漁」というものが出来、それが時間がたって「仕事」(売ってお金やそのほかのものと交換する)にする人が現れ、やがて市場で買う(または交換)だけでは飽き足らない人が、仕事外で魚を捕るようになったというのが、一応の歴史的な流れであろうとは思うのですが、必ずしもそれだけでも無いようにも思えます。
というのは、もともと魚を捕って食べるのは古代人すら骨を削って作った釣り針で魚を捕っていたので、貴重なタンパク源という考え方であり、それが充足されていても、捕る行為自体が面白いので、「趣味と実益を兼ねて」捕る人が現れ、それが市場で売るという方向へつながったとみる方が自然かも知れません。
そうすると、趣味的に魚を捕る、狩猟や漁のある程度の趣味化というのは、もう古代にはあったと見るべきでしょうね。

とすると、この時代の自家消費でない漁は、逆に生活の手段そのものであり、そこにはまだ「残虐かどうか」なんて考える余裕も無かったし、そういう概念自体存在しなかったでしょう。
ところが、時代が下って近代になると、「商業的漁業」が発達し、大きな船で根こそぎ捕るという方式すら出現し、市場での需要というのは、おおむね大型船による漁業として定着したと考えられます。この時代から一般の漁民で無い人々によるいわゆる「フィッシング」という「純粋な趣味的漁」が、おおよそ現代に見られる姿になったのだと思います。
ただ、それだけかというと、ちょっとそれも違うのでしょう。というのは、小規模な漁業者は、小さな船で沖へ出て、釣り竿で釣った魚を旅館で出したり、小さな料理店で出したり、地元の市場に出したりという、「小規模漁業」も同時に発生したし、今もそのような「零細漁業者」は多いです。
すると、趣味なのか業なのかの区別も、実はあいまいだという実情もあることは指摘しなければなりません(実際的な区別としては、漁業権を取得した漁業者か、遊漁料を支払って釣る趣味的漁業者かの違い)。

趣味者の釣りはやめろと言っても、どこからやめるべきなのかの線引きが難しいのが実情でしょう。つまり無限の段階があるということだし、純粋な趣味者の中にも、自ら設定した基準(意図的とは限らないけれど)に基づいてやっている人が大半だということなのです。

例えばそれは、私は疑似餌を使わないと書きましたが、魚の命を奪って食べる以上、「最後の食事」は提供するべきだし、本物の餌で釣るべきだと考えているからですが、一方、アジのサビキ釣りなどでは、竿の下に小さなカゴを取り付け、それに冷凍オキアミを入れて、針にはオキアミに似せたパーツを付けたものを使います。つまり針には疑似餌が付き、その上から本物の餌が降ってくるという、吊り方があります。つまり疑似餌と本物餌と両方使う場合もあるということです。
ルアーなどの全く疑似餌だけで釣る人もいますが、これは餌になる生き物を用意する必要がないので、合理的と言えなくも無いわけです。
なので、餌についての考え方(生き物を使うかどうか)や、活き餌(死んでいるものもあるが生物由来のもの)とするべきかという考え方にも、いろいろあって、単純なものでもなく、無限の段階があるとはそういうことです。

釣った後の話も少し書きますね。
釣った魚は食べる以外に何か無いのかということですが、たいていの魚や水生生物は、普通に飼うことは出来ます。そのような方法は既に確立しています。海の魚でも、今時は「人工海水のもと」というようなものがあり、感染症などの心配がないので、むしろそれを使った方が、安全に飼うことが出来ます。
川魚のフナなどは、とても強い魚なので、川から帰宅するまで濡れ新聞紙にくるんだだけでも生きて帰宅出来る(もちろん距離と時間によるが)ほどです。10年以上人工管理下で生きた事例も存在します。
マダイも伊豆の活魚料理店で飼っていたものは、人から餌をもらうことを覚え(!)、数年水槽で過ごした後、食べるのはかわいそうになったとのことで、海に帰されました。
口のところに出来たキズはどうなってしまうのかですが、数日以内に完治してしまい、跡が残るということすらありません。常時水中にいるものなので、水中で出来たキズには強いです。また、カビ病などの治療薬もありますので、ひれなどがそういう病気になったときは、水槽などから隔離し治療します。

それで、nekohonさんの疑問にお答えします。
「本物の餌」というのは、生き物から成立している餌ということです。死んでいるものもあります。例えばそれはオキアミやエビの類だったりします。
生き餌を使う場合は、ゴカイやミミズ、川なら赤虫、サシ(ウジ虫)などですが、ゴカイやミミズの場合、切って使うこともあるので、ちょっと気の毒な気持ちはします。
直近5年間くらい(つまり今から15年くらい前)からは、生き餌は使わず、もっぱらスーパーで売っている小さなボイルエビやオキアミを使っていました。

「偽物の餌」の素材ですが、基本的にはプラスチックが多いようです。使ったことがほとんど無いのですが、上に書いたサビキ釣りのものはプラでした。したがってごく小さなものでもあるので、海洋プラスチックの問題を引き起こすと思えますね。
一般によく使われるルアーなどは、だいたいがプラスチックですが、鉛や鉄も使われる場合があるようです。
むしろ海洋汚染で問題なのは、この重りに使う鉛です。最近はプラでコーティングされたものや、鉄のものがありますが、コーティングでは中身が鉛のままなので、汚染防止の効果はあまりありません。鉄はもともと海に溶けているものでもあるので効果的と思います。船用の鉄オモリも実用化されていますが、比重が鉛より軽いのでまだ広く使われるところまでは至っていないと思います。

偽物の餌だけを魚が飲み込んで逃げる確率というのは、ルアー釣りの場合は5センチくらいはあるので、ほとんど無いんじゃないでしょうか(使ったことが全くないのでわかりません)。ただ、海の中に切れた糸とともに放置され(岩にひっかかるなど)、それをわざわざ回収しているダイバーさんがおられるそうです。
一方、サビキ仕掛けなどの小さなプラパーツを魚が間違って飲み込む確率は、「におい」によっては一定数あると考えられると思います。魚は海であろうが川であろうがにおいに敏感です。そのため口にしてもにおいがおかしければ水と共に吐き出しますが、例えば大きな魚で、小魚を海水ごと飲み込むような食べ方をする魚であれば、小さな浮遊プラも飲み込んでしまう確率はゼロではないでしょうね。
ただ、海洋プラスチック問題としては、浮遊しているポリ袋やペットボトルのほうが問題だと思います。かさからして全く違いますもの。あれらが劣化してバラバラになり、マイクロプラスチックになるとしたら、たかが1枚の袋でも感心しない量になるということです。

No.3594  投稿者:nekohon   投稿日:2024年01月08日 (月) 14時53分

すぎたま様

丁寧にありがとうございます。

まず、鉛のこと。
これは気づきませんでした。ありがとうございます。
なるほど、そんな害もあるんですね!これは人間にも直結する問題ですね。鉛の恐ろしさは日本人なら良く知っているものですもの。

「自分達が生きるための」釣りが、趣味の釣りになった流れは書かれている通りだろうと思います。肉食をあまりしない日本人にとって、魚は貴重なタンパク源だった。趣味と実用を兼ねた釣りも、多くの日本人がしてきたことでしょう。
というか、つい最近まではそれだったのではないでしょうか。敗戦直後の食糧難時代くらいまでは?あのときは猫でさえ鍋にされて食べられていましたからね。

でも、正直、歴史は関係ないんです。
問題は、まさに今、この令和の日本で、趣味の釣りが必要か、ということなんです。すみません。

「趣味者の釣りはやめろと言っても、どこからやめるべきなのかの線引きが難しいのが実情でしょう。」

私にいわせれば、簡単なことです。
その釣りを止めたらたちまちその人の生活または健康に重大な影響が出るかどうか、です。
その魚を釣らないと、明日にでも家を失い路頭に迷うことになるのか。あるいは則病院に担ぎ込まれて入院しなければならなくなるのか。
そうでなければその釣りは必要不可欠ではなく、必要不可欠でないなら止められるでしょう。
止められるにもかかわらず止めないのであれば、それはいたずらに罪のない魚たちを苦しめ、あるいは殺していることになります。
そんな権利は人にはないし、今の時代にすべきでもない、というのが私の考えです。

と書きますとすぐに「釣り店や旅館、釣り船等の人々はどうなる」と言われるのですが、私が「趣味の釣りは止めて」といったところで、釣り人全員が即座に同時に止めてくれるわけじゃありませんし。
一人やめ、二人やめしているうちに、そういうショップ等の人たちも、先細りなジャンルを見切って、1店、また1店と廃業なり転職なりしていくでしょう。
あれほど盛況だったレンタルビデオ店が今どんどん減っているのと同じように。

「口のところに出来たキズはどうなってしまうのかですが、数日以内に完治してしまい、跡が残るということすらありません」

ごめんなさい、私には、だから針で突き刺しても良いのだという理由になっているとは全然思えません。
これが通用するのであれば、たとえば、針刺し通り魔がターミナル駅で次々と人を刺して
「一瞬チクリとして血が1滴かせいぜい2滴ながれるだけじゃないか、明日にはもう跡もわからなくなる」
も通ることになりませんか?
魚の同意も無しにいきなり針で釣りあげて、でもすぐ治るから、というのは人間の身勝手だと思います。
傷つけられたくないのは魚も人間も同じことです。


さらにその釣った魚を飼育することにつきましても。

魚がそれを望んだのでしょうか?
飼育動物についてよく言われる「食べ物の心配はないし、敵に襲われることもないし」等も、人間側の勝手な言い分にすぎませんよね。
それまで自由に生きてきた魚が、狭い水槽に入れられて、それで幸せなのでしょうか?
犬や猫は、すでに人が脳の中身まで改変してしまっていますから、たしかに人間と一緒に暮らす方が幸せそうに見えます。
でも、魚もそうなんですか?
私にはとてもそうは思えません。

魚たちの苦痛以外にも。

世界自然保護基金(WWF)によれば、生物多様性は1970年から69%も減少したとのこと。
https://www.wwf.or.jp/aboutwwf/earth/

魚は有限なんです。このままでは魚たちはどんどんいなくなってしまいます。
それを防ぐために世界も動こうとはしていますが、各国/企業の利害がからみあって、なかなか順調にはいきません。

せめて、せめてですよ、せめて不用な釣りくらいは今すぐ止めてほしい。
今止めてもその人の生活に重大な影響がないなら、今すぐ止めるべき時代になってしまった(人間がしてしまった)のではないでしょうか。
すぎたま様も書かれている通り、「たかが1枚の袋でも感心しない量になる」のですからね。
個人でできることからどんどん進めないと、いずれ地球は破産し人類も滅びます。

すぎたま様はすでに釣りは止めていらっしゃるとのこと、私は大変良い事と思います。ありがとうございます。

こんなに冷静に話して下さる方は他にいらっしゃらないのでまたお聞きしたいのですが、
たとえば釣り堀ですね。
人工的に作られたプールに人為的に入れられた魚をお金を払って釣る。あれのどこが楽しいのですか?
すぎたま様は釣り堀はなさらないかもしれませんけど。
私にはまったく理解不能な釣り人心理です。
あれこそ、わざわざお金を払って魚を虐待しているのではありませんか?
魚を釣る人って、【釣り=虐待】とは決して思わないものなのでしょうか?
こんなこと、他の人に聞けませんので。
すみません。

No.3595 落ち着いて何度か読んで下さい 投稿者:すぎたま   投稿日:2024年01月08日 (月) 18時15分

nekohonさま

鉛の問題
実はこれによる海洋汚染は、特に漁業関係者による抵抗もあり、なかなか代替品への切り替えがすすみません。適当な代替品もあまり無いのです。
うちでも釣行に行っていた最終期には、鉄オモリを使ってみましたが、体積が大きくなる(比重が軽いから)のが慣れないと使いにくい印象でした。業として船に乗っている猟師さんなら、なおさらでしょうね…。
しかし特に狭い日本国のような海洋国では、実は喫緊の課題です。
それと、妊婦は金目鯛食べない方が良いという話も聞いたことはありませんか。あれらは金目鯛に有害化学物質の残留がある場合があって、心配だという話です。まあ金目鯛が全部危険かということではありませんが、つまり既に海洋生物の汚染は、かなり進んでいると見る方がよいということです。

趣味の「内心の自由性」について
> この令和の日本で、趣味の釣りが必要か
歴史的な流れを無視して、そっちへいきなり行ってしまうと、賛同は得られないと思うのですよ。そりゃ私も今さら自分の身を危険にさらしてまで(海への落水や川で流される釣り人は想像以上に多くいます)、やるこたないでしょと思いますが、今自然破壊につながる山登りをやめろと言っても誰も聞いてくれないように、ジャンルとして確立していて、一般化していて、それで食っている人が多い一種の産業であるような趣味を、急にやめろというのは無理筋だと思うわけですよ。
そうするには時間もかかるし、どうしてやめた方がいいと言えるのかを、破綻の無い理屈で説明出来ないと、説得出来ないでしょう。
趣味って、非常に個人的なもので、かえって急にやめられないでしょ。人(他人。すなわち人間限定)に迷惑かけ無い限り、内心の自由までは規制出来ません。誰にもその権利は無いのです。それが私たちが守るべき自由を守ることにもなることですから。

遊漁者の釣りを禁止した場合の問題
> その釣りを止めたらたちまちその人の生活または健康に重大な影響が出るか
これってその人だけが「いい人」になればそれでいいという問題でも無いのだろうとは思うのですよ。
釣具店には全国展開しているところもありますし、そう言うところはまだしも、例えば小島で1軒しか無い釣具屋さんなど、遊漁船を出している猟師の副業他、それら全てに手当が出来るシステムは、この日本に存在しません。それを構築してからでないと、特定の国民の趣味的行動を規制出来ません。「業界団体からの相当な抵抗」もあるでしょう。資本主義ってそういうもので、近隣の国なら出来ることでも、自由と引き替えにそういう苦労も負うというのが、自由主義・資本主義の限界でもあるのです。

内心の自由(趣味の自由を含む)と国家体制の関係
児童ポルノの本や画像・動画などは、1年の猶予を経て全部処分しろ。そうしないと摘発するという「憲法違反では」という法律が実施されましたね。宮沢りえさんの写真集も当時の葉梨議員によれば摘発なのだそうですが、法律の理念そのものには当然同意できるものだとしても、欧米がうるさいから即施行、1年しか猶予無しね、そもそも内心の自由も規制ね、という法律の決め方には賛成出来ません(内容の本質では無く、あくまで決め方の問題。小児性愛者の実行行動を擁護しているのではありません)。
憲法の保障する「内心の自由」、「表現の自由」、「報道の自由」、「財産権」…その他いろいろを無視していたからです。
児童に対して性的興味を持つということは、ジャニー喜多川氏がそうであったらしいのを見ても、「何か実力行為をすることは止められても、頭の中で考えたり、それで興奮したりするのは止められない」のが法律だし、内心の自由ということなのです。では、内心の自由を禁止すればいいのでは、と考えるとすれば、この国はどこかの近隣国と同じになってしまいます。猫保護をするのは「内心の自由禁止法違反」だから、あなたを逮捕します…とやられたいですか。誰もそんなことはまっぴらでしょ。それにそういうのは、必ず「政府に対して不満を抱くのは禁止」とかになるから、次第に国民は黙るしかなくなります。今の香港なんかがそんな感じですね。
だから例え悪いと思うこと、人の倫理に反することでも、内心の自由を認めない訳にもいかないんですよ。そこは私たちの健全な自由を守るためにトレードオフなんですね。

釣り人みんなが即やめるはずは無い件について
おっしゃるように、なにがしかのアクションがあっても、私の言うように半漁半料理店などの境界があいまいな人々を中心に、簡単にやめないでしょう。すると強制力をもって、ある日を境にやめさせなければならないでしょうが、上述の理由によりそれは出来ないだろうし、危険ですね。
なので、釣り人、および釣り人がいるから商売成り立っている人々(例えば釣り宿−釣り客専門の旅館で、早朝から遊漁船に乗せてくれます。早朝から昼間までがよく釣れるから)、長期的には例えば「釣りバカ日誌」に紹介されたロケ地などの人々を、全てその仕事からフェードアウトさせないと、趣味としての釣りは無くならないでしょうね。そのために長期的に莫大な資金支出と、少なくとも一時的な税収減が不可避で、それを公金支出によって行うことに、おそらく大多数の国民の賛同は得られないでしょう。
なので、マイクロプラスチックや海洋資源保護という観点から、せめて持って帰ってちゃんと食べない釣りはやめませんかという呼びかけあたりから、それこそチェンジオーグなどで運動を起こすしか、残念ながら無いかと思います。しかし、一つの問題提起にはなるでしょう。漁業資源として魚を見た場合(釣りとは比較にならないほど、魚は痛くて苦しいだろうけど)、増やして捕る必要性は叫ばれており、既に完全養殖のマグロなどが出回っている状況なので、漁業資源としての魚の枯渇に危機感を持っている人はかなりいますから。
やりやすいところから運動を起こすというのは、戦略的にやらないとうまく行きませんよ。
世の中を変える(人に一つの趣味ジャンルを放棄せよというのは、世の中を変えることに他なりません)というのは、ある種の「戦争」です(賛成派と反対派は闘っているには違いない)。こういうことを書くとイヤな感じかも知れませんが、戦争でどう勝利するか(最近の例なら、どうやってロシアに兵を引かせて、ウクライナを守るか)には、高度な「戦略」が必要なのです。
商業漁業を最低限にして残していいのに、それとは比べものにならないレベルの趣味的漁を廃止しろというのには、nekohonさんはまだ戦略的な部分が不足していると思います。着目点は鋭いと思うのですが…。

口のところに出来たキズの件
これは、だからいいだろというようなことで書いてるんじゃ無いですって。そもそもこれらのレス全体自己弁護や釣り人の擁護をしているんじゃ無いですよ。
釣りをして、その釣った魚は飼ったこともない方は、その傷がどうなるのかもご存じないだろうから、一応「こうなるんですよ。それですぐ死んだりするわけではないんですよ」という意味で書いたのです。

魚がそれを望んだのでしょうかの件
それを疑問に思うなら、ゴンちゃんをなんでつないでおくのですか。猫を家の中で飼うべきだとみんな言うのはなぜですか。
矛盾することになりませんか。
海にいれば(便宜上ここ海に限定します)、天敵もいるし、大形の水生生物は水ごと飲み込んで食べますから、気付いたら即死。卵は食われたり菌にやられたり、海の中は危険だらけ。水温の急変もあれば、低温の水に取り残されて湾に突っ込んで死ぬことも。
しかし水槽は狭すぎる場合はあるかもしれませんが、天敵はいない(いるとすると、このあたりだとアライグマ。だから外には置けない)、水はおおよそきれいに保たれ、菌が出れば治療も可能。餌も水温も管理され、事故や災害が起こらない限りはおおむね安全です。卵が産まれれば取り分けてふ化させることすら可能。
命を少しでも長くするということが幸せであるなら、野にいる猫より家の猫が幸せと思われるように、海にいるより遠泳する自由はないかもしれませんが、その他のことは幸せなんじゃ無いでしょうか。
もちろん、魚も内心の自由があるでしょうから、「オレはもっとワイルドな冒険が出来る海原のほうが性に合ってるぜ」っていうような魚もいるかもしれませんが、さすがにそこまではわかりません。おそらく大多数が命をより長く出来ることを幸せと見るのは、今のところ当然でしょう。

魚は有限の問題
実はこれのほうがよほど喫緊の課題なんですよね。中国がやまとたい(漢字がわからない)まで、魚捕りにくるのも、彼の地の食生活の変化、経済成長によって多くの国民を食べさせるのに、豊富に見える漁業資源に目をつけたということもあるでしょう。
しかし実際は、このままだと温暖化とも関係しながら、漁獲高は将来的に低下していくでしょう。これはやっぱりしかし、商業的に取り過ぎなんですよ。世界中の釣り人が魚や生物多様性を大幅に減少させているわけではありません。だいたい、そんなに魚って釣れないんですよ。
小魚しか釣れなかったり、千葉に行ったら夏の入口なのに肌寒く、3日間全く何も釣れないどころか、アタリも無い(魚が餌をついばんでいる様子もないということ)ということもありました。
一方アジが入れ食い(竿を入れれば割とすぐにどんどん釣れる状態)になったこともあるにはありましたが、20年間でたった1度。しかも13匹で餌切れ、かつそんなに釣っても食べようが無いのでそこで納竿。
マンガやアニメなんかでは、クーラーボックスがいっぱいになるほど釣れたり、テレビではなぜか必ずタレントや名人が何か大物を釣ることになっていますが、あんなに簡単に一般の釣り人は釣れませんよ。テレビはたいてい「仕込み」が入ってます。
なので資源枯渇の問題として見たときには、趣味の釣りが枯渇に拍車を掛けているということは、生態学的に考えてよほどの規模で無い限りあり得ないと思います(断っておきますが、魚を虐待しているのかどうかとは別の話として書いてます)。

どうするべきだろうか
結局、まずは商業漁業の漁獲高に制限を、世界的に設ける方向性へ世論誘導することでしょうね。GPS付きの魚群探知機で、逃げられないように囲まれ、巨大な網で捕まえられる時の、一番下のほうにいる魚たちは、どんな苦しみでしょうね。痛くて苦しく、圧死しているでしょうね。
資源保護と虐待防止。いずれも大量漁獲大量消費の商業漁業を漸減させることのほうが、より喫緊の課題でしょうね。

最後にリンク先(上)について
ここが「偏っている」と思うのは、魚の死の過程。
> 水面から出された瞬間から苦しみ数分後には死にます
そのまま放置していると、温度にもよりますが、下手すれば10分以上死にませんよ(たぶん)。だから血抜き(これも見た目は残酷だけど)したり、即氷に入れて死なせるのです。
前にも書きましたが、魚が地上で死ぬのは熱ストレスもあります。水中に比べて地上は熱すぎます(特に夏)。ワカサギなんかは湖に穴を開けて釣りますが、すぐそばに放り出し、すぐに冷凍状態にして死なせます。
この辺ちゃんとしたデータや、実際の見聞に基づかないで書いているのでしょう。


釣り人であった時代には、いろいろなことがありました。少しはそういう「面白い」話も組み込んでレスしたいところです。「釣りバカ日誌」に使われた防波堤で、知らずに釣りもしていましたよ。

釣り堀について書く時間がなくなってしまいました(笑)。すみません、次回書きますね。あれって確かに見た目個人的にはばかばかしく思いますね。

あー、ドラえもんに出てくる「手針」(のび太としずかが使った、手の形をした糸の先端についた道具が、魚を自動的に探して傷つけずに「つかんで」来る道具)が開発されないかなぁ。

No.3596  投稿者:nekohon   投稿日:2024年01月09日 (火) 19時26分

話がどんどん大きくなってきていますねえ。
すぎたま様のスケールがでかすぎるといいますか。
私はそこまで豪壮な変化なんて全然考えてもいなくて、もっとみみっちいことを期待していました。
釣りは魚たちに対する虐待だ、ということを、痴漢だのレイプだのと強い言葉で書きこむことで、誰かの頭に少しでもひっかかってくれて、その後、何かの拍子にその人が思い出してくれて、子鮒の命の一匹でも見逃してくれれば、と、その程度の認識。
たとえば、「釣りに誘われて、正直気乗りはしないけど、これも人付き合い、行った方がいいのかなあ」と迷っていた人が、「魚がかわいそうだからやっぱり断ろう」と断ってくれれば、私としてはもう成功だったんですよね。
夢物語も語りましたけど、すぎたま様がまさか私の夢物語にこんなにまじめに付き合ってくださるなんて。
ずいぶんお時間もとらせてしまいました。
ちょっと感激です。ありがとうございます。




>どうしてやめた方がいいと言えるのかを、破綻の無い理屈で説明出来ないと、説得出来ないでしょう。
【魚たちを不必要に苦しめ・殺さないため】です。それ以外に何があるというのでしょうか?
といっても、人間は身勝手すぎるので、ほとんどの人には理解不能かもしれません。それを理解できる人から徐々に止めていって下さればよいのです。


>自分の身を危険にさらしてまで(海への落水や川で流される釣り人は想像以上に多くいます)、やるこたないでしょと思いますが
私が問題にしているのは、人間にとって危険かとか、そういうことでもありません。
あくまで、【魚たちを不必要に苦しめ・殺さないため】です。
そもそも人間は危険を承知で自ら好んでやっていることなんですから流されても自業自得じゃないでしょうか。救助に向かわなければならなくなる人達に迷惑がかかる、という意味ではやるべきではないとは思いますが。

>これってその人だけが「いい人」になればそれでいいという問題でも無いのだろうとは思うのですよ。
なぜいけないのですか?
全員がいっせいになんて絶対に無理なんですから、目覚めた人から変わって行けばよいと思うのですけれど。
これが会社かなにかの組織で、一人だけ良い人ぶっているのなら浮いて目障りかもしれませんが
相手は【魚たち】なんですから。

魚を水槽で飼育することについて
>おそらく大多数が命をより長く出来ることを幸せと見るのは、今のところ当然でしょう。
申し訳ありませんが、私はそうは思いません。海の魚が狭い水槽で飼われて幸せとはとても思えません。それにすべての飼育魚が完璧に管理された水槽で理想的に飼育されるとも信じられません。犬猫でさえ不幸な飼い方をされている子が多く存在するのに。

>資源枯渇の問題として見たときには、趣味の釣りが枯渇に拍車を掛けているということは、生態学的に考えてよほどの規模で無い限りあり得ないと思います。
とはいえ、獲っているのは紛れもない事実。
また希少種を釣るのは趣味人の方ではないでしょうか。釣り人が沢等を歩き回ることで他の生物も迷惑しますし。

>内心の自由(趣味の自由を含む)
そこに、私が一番最初の投稿に書いた「免許制」が出てくるのです。受講料を払って何時間か講義をうけて、試験をパスすれば釣りをしてもよい。それなら釣りが好きという気持ちを規制も束縛もしません。「強制力をもって、ある日を境にやめさせ」る必要もなくなります。
けれども試験があるとなれば、そこまで釣りに魅力を感じない人は受けないでしょう。つまり、いいかげんな釣り人が減って、マナーも向上するんじゃないでしょうか?
もちろん、私の最終的な夢はすべての趣味の釣りの撤廃ですけど、それを言ってもどこにも進めないのは目に見えていますからね。
ですので現時点でそこまでは全然期待していないんですよね。
願っているのは、一人でもいい、毎週末釣りにいっていた人が月一に減らすだけでもいい、とにかく【魚たちを不必要に苦しめ・殺す】人・行為が、少しでも減ってくれること、それを祈っているだけです。
それで私としては思い切り妥協して免許制はどうかと言ったわけです。

>そのまま放置していると、温度にもよりますが、下手すれば10分以上死にませんよ
ますます残酷です。またすぐに凍死させたって殺していることに違いはありません。健康な人間は通常自己の意思に反する安楽死を望まないと同じように。と書きますと、また「事実を説明しているだけ」といわれそうですが。

>資源保護と虐待防止。いずれも大量漁獲大量消費の商業漁業を漸減させることのほうが、より喫緊の課題でしょうね。
あたりまえです。いうまでもありません。
でも、私には何もできません。できることは、上にも申しましたとおり、せめて誰か一人に考えていただくこととか、せめて数匹の魚を助けることくらいです。
それでも何もしないよりはマシじゃないかと。

で!
ちょっとビックリなんですけれど。
釣り堀の魚って、持って帰らないんですか?
金魚すくいの金魚はふつう貰いますよね?
釣り堀の魚も同じように、釣ったら持って帰るものとぼんやり想像していました。
でもそれじゃあ、釣り堀の魚って、お腹が空いて餌を食べようとしたら、針に突き刺さって痛くて、人間にいじられて(すぎたま様のお話から推測するに、人間の手は魚には熱すぎる?)、またプールに戻されて、お腹が空いて食べようとしたらまた針が突き刺さって、人間にいじられて、の、永遠ループ?
そうなんですか?
それってあまりに苦難な一生じゃないですか?

No.3597 多数を動かさなくていいのだろうか 投稿者:すぎたま   投稿日:2024年01月10日 (水) 17時50分

nekohonさまこんにちは。

夢物語とおっしゃいますが、そうとも言えないと思うのですよ。
近世になってから、技術の発展速度は「発展させる側」からすればめざましく、ネットの世界でも本格的に発達を始めるのは1995年のwindows95あたりからです。
つまりそれ以前にはネットいじめも無ければ、電子メールも無い。SNSももちろん無い。HPも無い…という世界が当たり前だったわけです。しかし、変化は速いですよね。
商業漁業も、1匹ずつ捕るより最初のうちは「ものすごく簡単にたくさん捕れる」からもてはやされたのでしょう。しかし、やがてそれも漁船に乗り手が少なくなったり、国同士の摩擦を生んだり、環境を破壊したりと、困ったことが多くなる。すると養殖したらどうなのかとか、さらには「培養細胞」で魚肉も作れるだろとか、そういうように変わって行きます。その変化は想像以上に早い…。
もはや未来のことを予想するのは、1900年代あたりに比べても、より困難になっています。すると、個人が魚を捕らない未来というのは、ひとまず夢物語とも言えないと思います。
では、すぐに価値観は変わってしまうから、その途中の議論はムダなのかといえば、それも違いますよね。そういう議論の中から変化は起こりますから。

趣味的な釣りを一点突破では無くせない
「魚たちを不必要に苦しめ・殺さないため」という論理だけでは、おそらく数人程度しか説得出来ないでしょう。だから戦略が必要だと書いたのです。もちろん、元の考え方は動かないわけですが、それを達成するために、まずは議論のテーブルに、なるべく多くの人についてもらわないと議論は成立しません。その議論に人々を巻き込むためには、きつい言葉で書くとか、「魚たちを不必要に苦しめ・殺さないため」という理由を最初に挙げるのでは、不十分だろうということなのです。
だから「せめて持って帰ってちゃんと食べない釣りはやめませんかという呼びかけあたり」から始めるしか無いだろうと書いたわけです。
思想として賛成する人は、現状でも一定数いると思いますが、では実行に移るかと言うと、「そこまではね〜」という人が多いでしょう。なので、他のテーマと結びつけることなどで、「援軍を増やし」て闘わないとならないだろうということであり、それが「戦略」ということなのです。

もっとも、他の命を取らないと生きて行かれないという、キリスト教的原罪論が人間にある最大の理由は、「従属栄養生物である」ことです。猫も犬も同じですよ。タヌキもシカもクマもです。
「従属栄養生物」とは、自ら栄養素を作り出して成長出来ない生物。すなわち「独立栄養生物」(主として植物)が作り出す栄養を摂取し、それをさらに食物連鎖の上位にいる生物が摂取し…という関係性で、その頂上に人間がいるのだから、生きていくためには、必ず別な命を取って食わないとならないという、宿命的原罪があると言えばありますね。
ならビーガンになればいいのかと言えば、「じゃあ植物はかわいそうじゃ無いのか」という新たな議論が発生してしまうでしょう。
とすると、それらを解決するには、1つは人類が滅亡することが考えられますが、人類だけ安全に?滅亡する手段が見つからないことと、イヤだという人の意見も当然無視出来ないことが問題ですし、また人類がいなくなれば、それ以外の従属栄養生物が、食物連鎖の頂点に代わって立つでしょう。なのであまり意味が無いかも知れません。
では、なんとか別な手段は無いかということになりますが、これこそ夢物語と思われるかもしれませんが、「人間も独立栄養生物になる」という方法が考えられます。
しかし、これはかなりハードルが高いです。まずDNAを操作して、人工的に植物の光合成を達成出来るシステムを組み込む。具体的にはクロロフィルを合成出来るように。全身緑色になりますが、ごはんを食べる必要は無くなります。これが完成すれば、人間は別な生物を補食する必要が無くなり、おなかがすけば「日向に出ていれば」満腹?になる理屈です。
こうすれば、永遠に食糧問題も解決するし、他の生き物を無下に殺す必要もなくなります。暖房や冷房も要らなくなるかも。
ですが、こうするためには、かなりな人体改造が必要になりますが、それが倫理的に許されるのか、失敗した場合のリスクは?、そこまでの人体改造を出来るようになるには、どのくらいの時間がかかるのか、理屈の上では食事が要らなくなるが、それで精神的に満たされるか…など、解決すべき新たな問題は山積みではあります。
23世紀くらいには実現可能かもしれません。起こりうる問題を全て解決出来れば、人間が狩猟や漁業、農業で他の動物や、植物を苦しめることから開放されます。

どだい、動物がかわいそうなら、植物はどうなのかというのも、解決するべき問題なのかも知れません。
サボテンに電極を付けてちょっかい出すと、電極から微弱な電流が流れて、何らかの感覚を感じていることがわかっています。ケヤキの木に電極を付けて、地震予知出来ないか研究している人もいますよね。
そうすると、植物にも感覚があって、それがまだ一般に知られてないだけかもしれません。
だいたいお米だって、籾を農薬で消毒して苗床に撒き、一定の大きさになったら田植機で田植え。フォークのような金具でむしり取るようにして植え込み、除草剤で除草しながら密植で成長。いろいろな生物に食われながらも育ち、秋になると強制的に水枯れ状態にされて収穫。まだ上の方は生きてるのにそのまま乾燥させられ枯死。脱穀してその種である籾を削って白米として、炊いて食べられる。相当残酷ですね。
観賞用に育てられる桜もそうですね。人間の勝手な理由で増殖させられてから植えられ、少し大きくなると花見とか勝手にされ、これまた密植だから病気とかも発生するから薬剤で防除。枝が伸びすぎると毛虫がとか、車に当たるとか言われてばっつんと枝を切られる。十分に切断面を手当てしないからそこから腐朽菌が入り、やがて木の中心(心材)が腐る。そうすると危ないからとか言って、まだ寿命があるのに切断撤去。
…十分植物もかわいそうだし、残酷だと思いません?

しかし、これら全部今日明日どうにもならない。少しずつ「運動」としてつなげいてくしかない。そのために「戦略」が大事なわけです。

 最初の話に戻りますが、釣りを免許制にしてはどうか、というのは、これこそある種の「戦略」なんですよ。最終目的を達成するために、その前段階を一つずつ達成していくしかない。その意味で釣り人の「免許制」というのは、それなりの効果があると思えます。免許料を支払ってまで道具を揃えてやろうと思う人は少なくなるかもしれません。
でも、少しは「遊漁料」という形で実現はしているんですよね。特に鮎が遡上する川に多いのですが、川で鮎釣り(友釣り)をするためには、1日2000円くらいかかったような(昭和50年代後半くらいのデータなので今はわかりません)。ところが雑魚だと100円なんですよね(東北地方の某川では、雑魚の年間パスは当時500円…)。
これをどこの海にも導入するとともに、相当額に引き揚げれば、タバコ同様にやめる人も多くなるでしょう。ひとまず既存のシステムで対応可能な比較的簡単な方法と思います。潮干狩りなんかと同じ感じのイメージだと思います。
狩猟免許同様な「遊漁免許」の導入には、まだ自治体の対応が必要とか、違反は刑事罰にする必要があろうから警察の連携が必要とか、いろいろ解決するべき問題がまだありますが、一つの方向性として、「戦略的手段」として良さそうに思えます。

>人間は危険を承知で自ら好んでやっていることなんですから流されても自業自得
死ぬかもしれない人のほうから見ればそうなんですが、だからと言って見殺しにも出来ないし、死んだ人を検視とかしなくてはなりません。なので、nekohonさんの感情的には自業自得でしょうが、少なくとも「マジ迷惑だから危険なところには行かないで、落水しないで、出来れば釣行をやめて」というような呼びかけにするほうが自然でしょうね。

魚を飼うことの問題
魚を水槽で、と書いてしまいましたが、実際は水槽ばかりでもありませんね。そこは書き方が不足しておりました。すみません。
例えば池とか、水鉢のようなものも考えられます。うちにメダカがいるはず(はずというのは、もはやいろいろ水草などが茂ってしまったし、アライグマがいたずらするので、上に金網掛けたりしているのでよくわからない)ですが、「こね鉢」や「火鉢」などに入れていました。なので容器の狭さの問題もあるでしょうが、そこよりももう一段上の概念で見ていただきたいと思うのです。
魚が管理された環境で飼われることが、どうして海や川にいるより不幸なのでしょう。猫を外中自由にしないほうが幸せというのは、既に定着していると思うのですが、それからすれば管理が高度であればあるほど幸せだと思うのですが。
確かに家畜類と野生生物とは違うという理屈もありましょうが、私らタヌキなど「野生動物は一切人間が手出し不可」という考え方には与しないのでは無いのでしょうか。
ここはちょっと解せないと思います。

釣り堀
あれってある意味滑稽ですよね。いつ頃からあるものなんでしょうね。
私自身は釣り堀は行ったことはありません。なのでシステムはよく知りませんが、東京世田谷・三軒茶屋にある室内釣り堀なるものもありました。室内なので寒くも暑くもないため、人は楽ですが、魚は室温や気温より、水温や水の汚れ具合が一番命に影響するでしょうから、そっちが心配ですね。
で、釣った魚を持ち帰れるかどうかについては、確か…別料金を払うと持って帰れたような(たまたまそういう方式のところを見たのかもしれませんが)。あくまでテレビによる知識と思いますが…。
ただ、大物になればなるほどそこでの生活は長いでしょうから、複数回釣られて「持ち帰らない」を選択されているのでしょうね。
どうかなー。あれは近未来にAIバーチャル釣り堀になるような気がします。だって雨が降ったらたいていのところは濡れるし、魚を直接触るのイヤだという人もいるだろうし、あまり安くも無いだろうし…。冬は寒くて夏は暑い。それでいて決まった範囲でしか竿を出して釣ることが出来ない。子どもに基本的な所作を教えるにはいいかもしれませんけど、それだってゲーム画面でもいいですよね。

なんか、根本から問題をひっくり返してしまって申し訳ないような気がしますが、アプリにゲームをダウンロードして課金し、竿や餌(もちろん画面内だから生きてないイラスト)、仕掛けや対象魚を選んでゲームスタート。画面内で魚をかけ、スマホがブルブルしてバーチャル魚とのやりとりがあって釣れると、特定のお店から宅配便で魚の切り身などが届く(丸ごとだとさばけない人が多いだろうし、これも養殖にすればさらに自然破壊防止。魚で無いものも選択可)というシステムにすれば、リアル釣り人はいなくなるかも…。アプリ上では海の魚も川の魚も選んだバーチャル餌でどっちも釣れるが、バーチャル糸を放置したりのマナー違反があると、釣れたはずの魚没収とか、ルールはいろいろに出来そうですね。これなら諸問題はかなり解決出来そうにも思えます。課金したお金は一部自然保護基金に寄付されるとかなら、リアル釣りからバーチャル釣りアプリにスイッチする人は多いかも。
まあ、この通りにすればよいとまでは言い切れません(商業漁業はあまり減らせないだろうし)けど、発達したテクノロジーって、例えばこういう風に使うものではないでしょうかね。それと、こういうことを考えたり、提案したりするのも、一つの「戦略」と言えなくも無いでしょう。

あれだけ自然を壊しまくったゴルフ場も、今は結構廃業したり廃れたりしています。やっぱり「生者必滅」という性質は、人間の文化や遊びの中にもあるもので、その動向も見逃せないでしょうね。

No.3598  投稿者:nekohon   投稿日:2024年01月11日 (木) 09時04分

釣り堀の話
やはりすぎたま様は行ったことないと。だろうと思いました。
私が釣り堀を持ち出したのは、学生時代、線路のすぐ横にひとつあって、毎日その横をとおりながら通学していたからです。
大学生ですから通学時間も決まっていない、なのにいつ見ても何人も釣っている。それも決まってくたびれた様子のおじさんたちで、一定の間隔で一人ずつ坐って黙って水面を見つめている。あれの一体どこが楽しいんだろう、むしろ苦行じゃないか、苦行なら座禅でも組んだ方が人生御利益ありそうなのに、といつも思っていました。
今の釣り堀は家族連れとかもっとカラフルなイメージがあるようですが、それでもやはり、私には魚虐めとしか思えません。
当時のパリッとしたおじさんといえばゴルフ場の方ですね。ゴルフ場の自然破壊とゴルフ会員権の高額さがセットで世間を騒がせていた時代、私のような人間には、どれほど服装を決めていても自然破壊に高額投資している輩にしか見えませんでしたけど。
・・・今検索してみたら、
「小金井カントリー倶楽部(東京)の3億6000万円をはじめとし、よみうりゴルフ倶楽部(東京)の3億円、相模原ゴルフクラブ(神奈川)の1億7000万円、鷹之台カンツリー倶楽部(千葉)・戸塚カントリー倶楽部(神奈川)の1億5000万円等々、1億円を越える相場のコースが20コースを越えました。」(日生ゴルフ
ひえ〜〜!!!たかが会員権で、アホじゃん!
もちろんプレイではなく投資目的でしょうけど、だとしたらますますアホらしい。


バーチャル釣り
いいですね、絶対そっちの方が良い。
生物たちに優しいはもちろん、その方が楽しいに決まっています。どんな場所でも、どんな設定でも、どんな魚でも釣れるんですから。
ホホジロザメにリュウグウノツカイ、幻想的な渓谷の奥や南極の氷山の上・・・。それなら私だってやってみたい。私なら、プレシオサウルスとか、アノマロカリスとか、クラーケンとか。バーチャルなら絶滅していても架空生物でもいけますものね。

クロロフィル人間
これが達成出来たら、緑人間達は、食べる(光合成)ために全員裸で太陽の下に集まるのでしょうか。そのまま寝れば睡眠欲も満たされて一石二鳥。
「食欲」が満たされ、「睡眠欲」も満たされて目覚めれば、周囲は裸人間の集団、三大欲求の3つ目は「性欲」、となれば次は・・・って、あとは自粛(こらーっ)

冗談はさておいて。
そこまでの人体改造前に、まず、培養肉技術の確立でしょうね。
これこそ日本が世界に先駆けて取り組むべきジャンルなはずなのに、それどころか大幅に遅れを取っているのが実態。
これを軌道修正するのが早急な課題でしょう。
牛肉を得るのに牛を殺すのではなく、細胞を数個貰って牛一頭分以上の肉に培養できるようになれば、現在の家畜虐待はほとんど消滅。
なにしろ畜産農家の惨状といったら、あまりにひどすぎるところが多いですから。
鶏のバタリーケージしかり、牛の繋ぎ飼いしかり、牛の妊娠ストールしかり。体の向きも変えられないほどに狭いケージにずっと閉じ込めて糞尿の上に立たせる、そんな畜産農家が山ほどいますからねえ。
一般的な魚より牛豚等は知能が高い分苦痛も大きいはずで、本当に人間とは罪深い生き物です。

No.3603 漁港で泳ぐといろいろ謎が 投稿者:すぎたま    投稿日:2024年01月13日 (土) 00時49分

nekohonさまこんばんは。

釣り堀
そう言えば私も電車の中から見た釣り堀は、そんな感じだったような気がします。総武線各駅停車から見える市ヶ谷駅の下の釣り堀。あそこは都から立ち退き要求が出ていたような?
でも、あそこはそこそこ賑わっているのでしょうか。
他のところは、やはりある程度固定客向けになってしまっているのではと思います。特に高齢者で、妻子に煙たがられているような人が、パチンコよりはお金がかからないからなんて…。
昔の金魚売り同様、消滅の可能性が高い「お店」だとは思いますね。若い世代が好きそうには思えないし…。
例えば私ら世代も、あんな動かない水のところに住んでいて、釣れそうにないような魚に、じっと耐えて「餌をやっている」作業が、確かに「苦行」のようにも見えますね。

ゴルフ場の会員権
それがですね、会員権1万円でも売れないってところは、最近結構多いんですよ。億だのなんだのっていうところは、よほどの名門か、もしくは大会でよく使われるところ、あるいは都市から近いところだけでしょうね。
うちの市内にも1カ所ありますが、1万円で会員権買えます。したがってプレー向きなんでしょうが、フロントが無愛想とか、あまり評判はよろしくないようで(笑)。
昔うちのオヤジとおふくろが、神奈川県のカントリークラブの会員権を買えとか勧められておりました。バブルの頃あたりなら、相当値上がりしたでしょうが、ゴルフっていうのは、道具も当日もそれなりにお金がかかるので、どうでしょね。
なんだか、おっさんや議員の接待のためにあるような、純粋なスポーツと言えるのか疑問がわきますね。
ちなみに私はコースに出たことはありません。もっぱら打ちっ放し専門。レッスンプロの指導も受けたことはありますが、コースには出ずじまい。当時学生の身では、そんなヒマありませんがな(笑)。
狭い庭に人工芝を敷いて、そこにカップが切ってあるので、パターゴルフは1カ所だけ出来ますが(笑)、人工芝を貫いて草が生えてくる(もともと雑草が伸び放題になって、ムカデさんも出るので人工芝を部分的に貼ったのでしたが)ので、最近は放置気味(笑)。さらには外猫の箱が置いてあって、猫は季節がいいと、そこに寝転んでひなたぼっこしているようです。
まあしかし、ゴルフもプロは別でしょうが、一般には廃れつつある趣味にはなっていそう。一時期問題になったゴルフ場の農薬問題とか、そもそも山を切り開いて作ったものですから、自然破壊の最たるものとも言われていますので、例えば今からそこでプレーしたいかと言われればNoの一言ですね。そういう思いの人は、案外多いんじゃないでしょうか。
今からやるなら、再びボウリングをやりたいです(腰や肩が持つのかは別問題…)。昔はボウリングもウッドレーンと言って、カナダあたりのカエデ材を切りまくってレーンを作り、ピンを作っていましたが、最近はほとんど樹脂製のものに置き換えられています。

バーチャル釣り
雨は降らないし、寒くも暑くも無い。手が魚臭くなることも無い。魚をムダにすることも無い。釣り糸が鳥さんを苦しめることも無い。とすると、現代人は確かにバーチャルにスイッチするべきですね。
PC版も作って欲しい(笑)。老眼がきついので私ならPCでやりたいですね(笑)。
もっと進んで、今ある防波堤や磯の画像データを取り込み、VRを使う方法も考えられますね。現実的な風景の中で、バーチャル魚を釣って、ポイントをためて、それで何かカタログからもらう。勉強アプリも結構だけど、結構ユーザーはいそうです。
釣具屋さんはつぶれるかもしれないけれど…。

クロロフィル人間
別に、背中がグリーンなら十分ではないだろうかとか言ってみます(笑)。要するに、「カッパ」のような感じで。頭のお皿が無いだけで。
あ、するとカッパは未来の人間の姿なのか!
しかし…、昼間老若男女を問わず、背中丸出しでひなたぼっこをしている図というのは、現代から見ると相当シュールでしょうな(笑)。いやまあ、前側でもいいんですけどね…。

培養肉
これってそれなりに実用化もされていますよね。カップヌードルに入っている「謎肉」とかいう肉、豚肉と大豆由来だそうですよ。完全に培養細胞ではありませんが(そこはまだ法律的な整備がされていない?)、「合成肉」程度の感じまでは行っているようです。
もっともコストの問題がまだあるので、完全に培養した肉などが、一般家庭の食卓に上るには、時間がかかるだろうということだけですよね。
合成や培養よりは、ずっと手前になってしまいますが、マグロの養殖にも成功している時代なので(ちなみに貧血気味の母親には、時々マグロの赤身を少し食べさせますが、今年の正月は養殖マグロでした)、当面は養殖魚なんかが食卓に並ぶでしょうが、培養細胞のほうが、特定の成分を入れたり出来ると思うので、大豆から肉を作って、鉄分とビタミンを増強して…とかやれるでしょうね。テクノロジーの正しい使い方は、そっちのような気が確かにします。

畜産
農学部出身なので、畜産学実習も経験しました。あまりひどい扱いは誰もしませんでしたが、早朝に畜舎に行くと、首に鉄輪がはまった牛は、そのまま立ち上がってそこに立っているしかなく、かわいそうだなと思いました。
大学院時代、隣の校舎に畜産学教室がありましたが、ヤギが室内飼い(もちろん実験用)にされていましたっけ。外に出すと近隣住民からにおいの苦情が来るらしいです。
私が農学の道に最終的に進まなかったのも、「実験生物」(植物も含む)のことを何も考えない「学問」の雰囲気に、嫌気が差したこともかなりな割合を占めます。

漁港の防波堤外
私は実は砂浜で泳ぐのがあまり好きではありません。面白く無いんだもの。水の中はよく見えないし、砂だらけになるし。
なので、伊豆の海は砂利浜だったり、磯浜だったりしたので、思い切って岩回りにもぐって泳いでおりました。水が冷たくて日も当たらないから低体温症?になりかけたり、逆に海に入っているのに熱中症になったりもしましたが、基本漁港の外にある岩場にもぐって貝取りをしたりしていましたね。いくらかHPでも紹介はしていますが、シッタカ貝とか、ムラサキウニなんて、地元の人々は捕らないんですね。その代わり市場価値のない魚も、みりん干しにして無駄なく食べるそうです。
釣りは上述のようにしてはいましたが、ルリハタという魚(と思われる)や、チョウチョウウオ、フエダイ、カニなんかがいますので、それらを観察しながら泳ぐ方が面白かった印象ではあります。
今回の能登地震では、漁港が隆起してしまい、水が無くなった不思議な風景が見られるようになってしまいましたが、伊豆は東日本震災の時、少し各漁港とも沈下したような感じで(確証無し)、2011年に行ったら、前年までは確かにあった海底の岩が無くなっていたり(おそらく地震で転がっていった)、小さな砂浜が消滅したりと、海の変化も目の当たりにしました。
個人的な思いとして言えば、一般人にとって魚(や海生生物)は捕るものではなくて、観察するもの、撮影するものであろうとは思いますね。だいたい餌はしょっちゅう取られるので、超ゆっくりスクワット200回くらいとかすることになります…。

No.3605  投稿者:nekohon   投稿日:2024年01月13日 (土) 10時57分

すぎたま様

昔、伊丹から飛び立った飛行機から見下ろしてた下界に驚いたことを思い出します。
ゴルフ場だらけ。
今はネットで簡単に見られますけれど、当時は飛行機にでも乗らなければ実感としてわかりませんでした。
以来、ずっと
「なんだか、おっさんや議員の接待のためにあるような、純粋なスポーツと言えるのか疑問がわきますね。」
と同じ疑問が私の心の底にあります。
私の考える真のスポーツとは、世界中どこでも誰でもどんな地域でも出来るもので、かつ、お金も施設も用具も要らないか最低限で済むものです。
陸上競技なんか、まさにスポーツの王者だと思いますね。
最近のオリンピック(とくに冬季)は、おいおいそんな競技どこでやれるんだ、競技人口だって数えるほどだろうに、なんてのが増えて。
スポーツというより、ショービジネス。
ゴルフも、打ちっぱなしなら運動にもストレス解消にもなりそうで反対理由はありませんけれどねえ。

バーチャル釣り
釣具屋さんもきっと大丈夫ですよ。
これが盛んになれば、そういう仕様にして、スマホや家庭のPCではとても味わえないような、臨場感たっぷりなしかけにして、それこそ幼児も高齢者も車椅子でも楽しめるように工夫してくるでしょうから。
富士山の天辺に腰かけて、駿河湾に糸をおろして、ノーチラス号を釣るなんてメチャクチャを、本当にやっているような臨場感で作ってくれれば、ね☆
釣り具を作る職人さんは困るかもしれません。
でもこれからの世、昔ながらの職人さんは、残念ながらどの業界でも減っていて、これこそ、止めようがない現象かと。

カッパ人間
そうか、河童こそ、未来の人類の姿か!(笑x笑)

農学部
すぎたま様、農学部出身でいらしたんですね。
すばらしい。
動物が好きでせっかく獣医学部に進んだのに、実習に耐えられずドロップアウトする人は珍しくないとも聞きます。
今は世間もうるさくなって、動物実験に対する風当たりも強くなりつつあり、少しずつその世界も変わってきているとはいわれています。
とはいえ、まだまだ全然足らない。
人間のためにモノのように(しばしばモノ以下に)消費される生き物たちを減らすこと、これこそ、人類の最大課題かもしれません。


>個人的な思いとして言えば、一般人にとって魚(や海生生物)は捕るものではなくて、観察するもの、撮影するものであろうとは思いますね。
それそれ!
まさにそれ!
そうなってほしいです。
そうならなきゃ地球が破滅しそうですし。
少し昔まで、日本人は野鳥をつかまえて食べていました。昔話の絵本で、伏籠のつっかえ棒に紐を結んで雀を待つ子供たちの図、あれも遊びだけではなかったでしょう。
スズメはコリコリして美味しいとか、昔の本にはふつうに書いてありますし。
でも今、野鳥を捕まえて食べる人はいません。まあ中には密猟するバカもいるでしょうけれど、数としては極めて少ない。
魚介類の世界も同じようになれるはず。
早くなれ!

こんなに付き合っていただいて恐縮なんですけれど、もうひとつお聞きしてよろしいでしょうか。
釣り糸って、すぐ切れるものですか?
1日の釣りで200スクワットということは、もし3回に1回の高頻度で切れたら釣り糸の破片の数はとか考えちゃいました。
岩場なら引っかかって、とか想像がつきますが、
今私の頭にあるのは、大阪は淀川の河川敷です。
淀川のすぐ近くに一時期住んでいました。
で、その淀川河川敷がとにかくすごかった!
釣り糸が落ちているどころじゃない、釣り糸だらけ、って感じ。
そこで生活している鳥達も悲惨でした。
ハトなんて、足や指先が欠損している個体数は3〜4羽に1羽くらいの高比率、群れによっては正常な足の子を探す方が難しいくらいで。
釣り糸の放置問題に解決策なんてあるんでしょうかねえ?



No.3582 *里親会・譲渡会・街頭募金などのお知らせ* 投稿者:ねこほん   投稿日:2024年01月05日 (金) 07時03分 [返信]

参加猫・開催時間等の詳細、予約はリンク先をご覧ください

【猫にゃんネットワーク府中 猫の譲渡会】
1/6(土)東京都府中市 聖マルコ教会
https://ameblo.jp/kakeruwosiawaseni/entry-12835315823.html

【FanCAT~nekomamire~主催 保護猫譲渡会】
1/6(土)明石市 保護猫カフェ・カーロ
https://ameblo.jp/wan--love--nyan/image-12835044269-15380635876.html

【スマイル譲渡会】
1/6(土)〜1/8(月・祝)京都府舞鶴市
https://dogs-cats-smile.crayonsite.com/


【けだ・まも譲渡会】
1/7(日)東京都足立区 むすべやメトロ綾瀬
https://ameblo.jp/kedamamo12/image-12834088836-15381882104.html

【本気の譲渡会】
1/7(日)東京都目黒区 こまばサロン暖炉
https://ameblo.jp/to-chi-hogoneko/entry-12834348710.html

【あしながねこ 保護猫の譲渡会】
1/14(日)平塚市 ユアペティア平塚店
https://ameblo.jp/ashineko22/image-12833799122-15376922387.html

【とーち保護猫の譲渡会】
1/14(日)東京都世田谷区 SANCHACO
https://ameblo.jp/to-chi-hogoneko/image-12833817108-15380977805.html

【ごんまるキャット譲渡会】
1/14(日)兵庫県加古川市 中島会館
https://ameblo.jp/gonmararu12/image-12831476663-15373590088.html

【にゃんたフェKOBE 保護猫譲渡会】
1/14(日)神戸市がるみく 舞多聞まちづくり館
https://ameblo.jp/wan--love--nyan/image-12835044269-15384906199.html

【FanCAT~nekomamire~主催 保護猫譲渡会】
1/20(土)明石市 保護猫カフェ・カーロ
https://ameblo.jp/wan--love--nyan/image-12835044269-15380635876.html

【けだ・まも譲渡会】
1/21(日)東京都足立区 むすべやメトロ綾瀬
https://ameblo.jp/kedamamo12/image-12834088836-15381882104.html

【FanCAT~nekomamire~主催 保護猫譲渡会】
1/28(日)神戸市西区 RuRaRi
https://ameblo.jp/wan--love--nyan/image-12835044269-15380635876.html



*譲渡会はこちらからも探せます*

【ペット(犬・猫・小動物など)の里親募集サイトhugu ハグ―】
譲渡会一覧
https://hug-u.pet/eventList_1.html


*今日も明日も毎日☆里親さま募集中!*

【Love&Peace-pray-】
滋賀県
https://love-peace-pray.jp/satooya.html

【ねりま猫】
東京都
https://www.pet-home.jp/member/user13987/post/cats/status_2/

【NPO法人 あわねこ保育園】
徳島県
https://ameblo.jp/awaneko-hoikuen/

【シャディー保護猫ハウス】
愛知県豊橋市
https://shaddaynekonoie.wixsite.com/cats/satooya

【ディア・ママ様】
茨城県(東日本大震災で福島に残された猫達とその子孫達)
https://happycat-satuki.amebaownd.com/

No.3583 「趣味が釣り」軽蔑します 投稿者:nekohon   投稿日:2024年01月05日 (金) 07時04分

釣りも狩猟もやっていることは同じ。
なぜ狩猟には免許が必要なのに、釣りには不要なのですか?
なぜ誰でも魚を虐めて殺せるのでしょうか?

キャッチ・アンド・リリースしているから魚にもやさしんだよ?
ふざけるな!

口に鋭い鉤を引っ掻けて釣りあげて、口という、生きていく上で最も大切な器官を傷つけているんですよ。
リリースされた魚の多くは食べることもできずに死んでしまうと聞いています。
なおっても口が変形して一生苦しんだり。

釣り人は、女性をレイプして「でも命は無事なんだからいいだろ」という痴漢と同じ、いえ、それ以下の思考回路の持ち主だと思います。
レイプされた女性は一生、心に残る傷を負い、男性不審になって結婚も出産もできなくなる人もいます。
またもしその女性が妊娠してしまっていたら?
堕胎なら我が子殺し、産むなら一生、重い責任をもたなければなりません。
レイプの心の傷の深さは、今大騒ぎになっているジャ●●事件でもわかるでしょう。
あの事件は被害者が、ふつうの性被害と違って男性たちというのが特徴的です。
性被害にあった女性の心の傷の深さが、男性たちにも少しは我が身として感じてもらえれば良いのですが。

しかし!
魚たちの、精神的+肉体的な傷は、もっともっと深いですよ。
文字通り、多くはその後苦しみながら死んでしまうのですよ。

魚を釣るのはプロだけに許可、趣味の釣りなんて本当は今すぐ根絶すべきです。
今の日本の民度で今すぐ趣味の釣り全面禁止が難しいなら、せめて厳しい免許制にして、命をもてあそんでいるのだという自覚をもっと持ってほしいです。

No.3584 すみません魚釣っていました 投稿者:すぎたま    投稿日:2024年01月05日 (金) 21時53分

nekohonさま新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

新年早々、大変なことが起こっています。石川県をはじめとする震災はもちろん、日航機と海保機の衝突でも、少なくとも1頭の猫が犠牲になったそうです。
全くこの近代化された世界のはずなのに、どうしてなのかと思うことは多いですね。

さて、個人が趣味でやる釣りが魚に対する虐待かどうかということについて、難しい問題を含んでいると思うので、少しコメントさせていただきますね。
私も猫の下僕になって、旅行しなくなるまでは、毎年伊豆方面に旅行して魚釣りをしておりました。もちろんこれを「業」としているわけではありませんから、まあ「趣味」の範囲内ということになります。そもそも道具を揃え、当日の準備などのコストからすれば、とうてい業としては成立し得ません。ただ、いつも夜通っていた活魚料理屋さんの昼のランチのために釣った魚を持ち込んだことはありました。また、極力釣った魚は持ち帰り、食べるようにしておりました。そのために干物を作成するための道具も所有・使用していました。
そんな私ではありますが、開高健さんなどがしていた、超大物の「魚との戦争」みたいなのはとてもイヤだなとは思ったおりましたが、個人がする趣味的なレベルの釣りが問題だという認識は持っておりませんでした。
ただ、漁業者の人々も、「雑魚」はそのまま捨ててしまうのですよね。それはただムダに命を取っただけということになってしまうし、スーパーで買ってきた魚をダメにして捨ててしまうのも同様かもしれません。
規模を考えれば、毎日漁で捨てられる大量の魚のほうが、「量としては」問題かと思います。
私ら趣味人の釣り人は、小さなシマダイ(石鯛の幼魚)でも、なるべくリリースするようにしていましたが、針を深く飲み込んで死んでしまった場合には、持ち帰って干物にしたり、さらには唐揚げにしたりして食べておりました。
石鯛は漁の対象になりますが、小さい物はやはり捨てられる雑魚扱いになってしまいます。

nekohonさんのおっしゃる「針にかけるのが虐待」であるということについては、その通りであると思いますが、さりとて無選別に漁で捕り、必要な魚以外を死なせて(積極的に殺しているわけではないが、生かして帰すことは物理的に出来ません)捨ててしまうのは、やはりそれも虐待ではあろうと思うわけです。
したがって、商業的な漁のほうが、より罪深いようにも思うのですが、そこのところはどのように考えるべきでしょうか。
漁港にはたいてい猫がいて、猟師さん達はかつては船に守り神として乗せていた関係(それも今の常識からすればどうかと思うが)もあってか、猟師さん達がくれる魚を食べて命を長らえている猫もいます。伊豆の某漁港では、冷凍マグロの解凍された赤身(われわれ人間が食べるものの数倍良いもの)をもらって食べている猫さんたちも目撃しました。私も釣れたキューセン(関西では高級魚)をおなかがすいた様子の猫に、そのままあげたこともありましたね。

この問題は難しいです。かなり厳しいところを突かれたなぁというのが正直な感想です。針を使わない一般向けの漁法としては、網で捕まえるというのがあり得ますが、道具によっては漁協が禁止している場合があるので、これもよく調べないとならない問題となります。むしろ漁業者さんたちは、針で釣る方式を勧めている(一度にたくさん釣るのは難しいから)立場です。もちろんマナー悪化で、漁業関係施設への釣り人立ち入り禁止にしているところもありますが、そういうところはまだ少ないですね。

魚釣りはいたしますが、生きてるものを料理する(生きたカニをそのままゆでるなど)、または「躍り食い」みたいなのは苦手です。ひとまずあれらは人道に反するようにも思っています。

No.3585  投稿者:nekohon   投稿日:2024年01月06日 (土) 08時27分

すぎたま様

新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

すぎたま様の仰る通り、「商業的な漁のほうが、より罪深い」です。勿論です。
商業漁業の方がはるかに魚たちを大量消費(=殺戮)していますし、その現場は趣味の釣りよりはるかに残酷なことは重々承知しております。
ただ、商業漁業が人類の歴史上不可欠な存在だったことも理解しています。
プロの漁師さんたちを否定するとか、そんな気持ちも全くなく、むしろ大変な職業と尊敬しています。
また現在の日本および世界の状況を鑑み、すべての商業漁業をすぐ止めろといっても到底無理なことも理解しています。
(私としては極力減らす方向、できれば医学上本当に必要不可欠な量にまで減ってほしいですが)。

でも趣味の釣りは、人類にとって、絶対的に必要なものではありませんよね?
今すぐだって止められますよね?

大変失礼ながら、商業漁業がおこなわれているから釣りの趣味も別にかまわないという論法は、ただのすり替えだと思います。
戦争でばんばん人が殺されているなら自分も誰かを殺してよい?
家畜が日々屠殺されているなら(世界で屠殺された総家畜数は2020年は731億6279万4213頭/羽、日本は約9憶1774万頭/羽)、自分もそこらの動物や鳥を好きに殺してよい?
ちがいますよね。

釣り針を使うか使わないかとか、釣った魚をその後どう処理するか、などは問題ではないのです。
問題は、自分のただの一瞬の楽しみのために他者の命をもてあそんでよいかどうか、ということです。
とくにこの物にあふれ娯楽にあふれた日本で。
さらに生物種の減少+絶滅危機が世界的に叫ばれている現代で。

たとえば世界中に生存している生物のうち、哺乳類に限っての資料ですが、バイオマスベースで人間は34%も占めるそうです。
家畜は62%。
野生動物はわずか4%。

これほど人類が地球を占領してしまっている現代、さらに趣味で野生動物を殺さなくてもいいでしょって話です。

すぎたま様が釣りをなさっていた過去を責める気持ちとは全然ありませんし(私だって過去は肉も魚も食べていました)、だからといってすぎたま様を嫌いになることもありません。
でももし、今もまだ釣りを続けていらっしゃるなら、私としては止めてほしいとは願います。

生きたままの料理や踊り食い等の文化は、今すぐ終わらせてほしいです。
それらこそ、その気にさえなれば今すぐ終わらせられることの代表格とも思っています。
あれは冷凍技術もなく輸送手段も限られていた昔のなごりでしかありません。
傷みやすい魚介類を安全に食べるには、生きたまま運んで調理直前に殺す必要があったのでしょう。
でも今の時代は違います。
エビなど魚介類にも痛覚があることは科学的に判明しています。
今すぐ止めるべきです。

あ、でも、すぎたま様。
このような意見の食い違いがあるといって、どうかこの掲示板をお避けならないでくださいね。
今後もぜひ今まで通り、遠慮なくご訪問ください。
日本人は、ただひとつのことでのわずかな意見の食い違いだけで、相手を全面否定し、すぐに絶交する傾向がありますが、私はむしろ、さまざまな意見があってこそ人間だと思っていますし、だからこそ(イエスマンばかりになりがちな)ブログ等SNSではなく、掲示板を続けています。
何よりすぎたま様の猫たちに対するお気持ちは本物で、この掲示板はそういう人たちのためのものなのですから。

No.3586 肉食してて言えることではないかもしれませんが 投稿者:すみれ   投稿日:2024年01月06日 (土) 09時23分

釣りで針を外す時に気を遣って外すんではなくてブチッと取ってしまうと知ってからはキャッチ・アンド・リリースになんの意味があるんだと思ってました
うちの庭師の本業はアマゴなどを釣って料亭に卸す仕事です
獲った魚はきちんと食べているのでまだ人の業として仕方ないかと思いますが
徒に魚でも蟹でも海老でも苦しみを与えることはないと思います
30年前生きたロブスターを郵送で送られた時は途方に暮れました
アパート暮らしで飼うことは無理なのでなんとか食べたと思いますがほんとにお断りです
白魚の踊り食い旅館で出たときも食べられませんでした
ちりめんじゃこ食べてるお前が何をいうという話かもしれませんが
とにかく人間は生きているだけで罪深いからせめて全てに感謝して生きたいと思います
スミマセン

No.3587  投稿者:ねこほん   投稿日:2024年01月06日 (土) 13時40分

すみれ様

でもすみれ様は何ニャンもの猫達を助けてらっしゃるじゃないですか。
この間のあの子も、皆が素通りする中、すみれ様だけが手を差し伸べてくださった。
日本人全員とはいわない、せめて5人に1人でも同じようなお気持ちがあれば
世の中が全然違ってくるのに。

キャッチ・アンド・リリースに関しては、鋭い針を口の中に突き刺してその傷に全体重をかけさせて釣りあげている時点でアウトだと私は思いますね。
気を使って外そうが、ブチっと外そうが、傷つけているのは同じですもの。
そして、自分が生きるために食べるならまだしも、リリースするってことはつまり
「(釣りあげて)傷つける事が楽しいのだ」
と言っているようなものだと思ってしまいます。

踊り食いを食べられる人の気が知れません・・・

No.3589 文明をどうするかレベルの難しい問題 投稿者:すぎたま    投稿日:2024年01月06日 (土) 16時56分

nekohonさま、すみれさまレスありがとうございます。

まず、いくつか誤解されている点があると思うので、それについては誤解を解いておきたいと思います。
私は釣りをしていましたし、母も趣味欄に「釣り・俳句」などと書く(もちろん年齢的にも今はやれない)し、大昔は釣り関係の新聞などに紹介される、今で言う「釣りガール」だったらしいですが、二人とも魚を趣味的に捕っていいかという問題には、あまり思いをいたしたことが無かったことは事実です。しかし、nekohonさんの意見に反論しようとか、まずそういう思いでレスを書いたのではありません。
新しい問題提起がなされたなと感じ、
> 厳しいところを突かれたなぁというのが正直な感想
と書いたわけです。
ただ、微妙だろうなと思うのは、漁業(業としての漁)と趣味的な「一般的なレベル」の魚釣りとを考えたとき、「お金儲け」のため(たとえそれが生活のためでも)にしている方が、規模が大きい分よりひどくないかという思いはありますね。

> 商業漁業がおこなわれているから釣りの趣味も別にかまわないという論法
こんなことは私は書いておりません。かまわないなんて書いてないのです。
スポーツフィッシングというジャンルがあるようで、ルアー(疑似餌)などで魚を釣る「趣味」「スポーツ」があるようです。私らはそういうジャンルは好みません。そもそも魚釣りは卑怯だとも言われますが、本物の餌を下げて「命のやりとり」をすることに、一種の厳粛な「道」に通じるものがあるので、こちらも命をもらうからには、食べる・飼う以外の目的で捕ったり、偽物の餌で釣るのは邪道だという認識です。だから開高健さんなどがしていた、一種の「ショーフィッシング」や、「スポーツフィッシング」は「とてもイヤだな」と書いたのです。

> 戦争でばんばん人が殺されているなら自分も誰かを殺してよい?
そんなことは言っていません。商業的な漁業のほうが大量殺戮+雑魚は利用もしない(肥料にはするようです)のだから、そちらのほうが罪深いと書いたまでです。商業捕鯨をしているからクジラ個人が捕ってもいいなどとはとうてい思えないのと同じです。
> 傷みやすい魚介類を安全に食べるには、生きたまま運んで調理直前に殺す必要
これも違うと思います。魚はその場ですぐに殺して、「血抜き」をしないと、即低温管理をしないとすぐに鮮度が低下します。そのため躍り食いなどの醜悪な文化が育ったのは、宴会芸としての側面と、本当に海の直前でないと実施出来ない珍しさのようなものを事業化したためでしょう。少なくとも昔は内陸部で実行することは不可能だったと思えます。戦前から戦後にかけて、国鉄に「活魚車」という貨車が少数存在しましたが、輸送区間、目的などよくわかっておりません。
釣魚を現場でさばくことは出来ませんから(技術も道具もない)、だいたいは料理店に持ち込んだりもしたことがありますが、うちの場合はその場で凍らせて死なせていました。血抜きは上手にやれないのと、血がたくさん出る様子は残酷だと思ったのと、鮮度を保持しやすい反面、魚があまり暴れることなく亡くなるためです。そのため私は「血抜き」作業は一度もやったことはなく、やり方も実は知りません。

すみれさま
釣りで針を外すときに「ブチッ」とは普通外しません。特にアジなどは口のところが弱く、そんなことをすると…なことになります。そのため、「大半の普通の趣味的釣り師」は、「針外し」というものを持っており、それを魚の口に差し込んで、くるりと回すことで口や食道部分の損傷をなるべく少なくしつつ外します。ただ、これの使用には少しコツが必要で、針にテンションを掛けておかないとうまく外れないので、魚は余計に痛いかも知れませんが、基本的に魚が地上で死ぬのは、高体温、手で触られることでの高温ストレス、高濃度酸素による窒息が大半なので、それらによって死ぬのをじわじわ待つよりは、さっと針を外してビクに入れるか、冷凍した方が一応楽でしょう。
> 生きたロブスター
あれって困りますよね。うちも隣のおばさんが料理出来ないからと持ち込んで来ましたが、それはそれは悲惨でした。何しろゴムバンドではさみは止められ、暴れることすら出来ず、釜ゆでですものね。

キャッチアンドリリースの罪について
スポーツフィッシングでも、一定以下の大きさのものはしている例がありますよね。小さい魚や観賞魚のものは釣れてもリリースしていましたが、なるべく素早く針を外して、そのまますぐ海(または川)に帰します。意外とスピード勝負です。

総論としては、釣りの世界もいろいろなジャンルがあって、単純に「魚の虐待的殺戮を楽しんでいるのでは無い」ということは、世間的にもコンセンサスにはなっているではないでしょうか。
ただ、繰り返しになりますが、今まであまり語られなかった視点なので、nekohonさんの問題提起は貴重なものだと思っています。
ただ、人が生物の命を取る(もしくは意図しないものであっても虐待してしまう)という行為は、直接的な殺戮以外でもいくつも存在します。
例えばソーラーパネル製造にはおよそエコとは言えない有害物質が出る(or原料にする)がそれは生物の生存を脅かしてないかとか、原発はエコと言いながら実は大量の放射性廃棄物が出るし、事故処理のために大量の森を切ったが、それでもエコかとか、米を食い、純米酒を飲むが、イネという植物は虐待していないのかとか、小学校ではフナの解剖、中学校では捕まえてきたカエルの解剖、大学ではニワトリの解剖もする。獣医師になるには、牛の解剖もするがそれらは仕方がないのか…など、かなり多岐にわたる問題が絡んでいるとは思うのです。
なので、子どもが水路で小魚を捕まえるのまで規制するべきなのかというようなことも含めて、もっといろいろな意見を聞かないと、個人的にも結論が出せないと感じます。

ここ10年以上釣りはしていませんし、家の猫を考えると4時間以上空けられませんから、予定もありませんが、かつては釣り人でしたから、わかる範囲ではお答えしますので、なんでもお尋ね下さい。

No.3590  投稿者:nekohon   投稿日:2024年01月07日 (日) 07時59分

商業漁業は残酷です。
上にも申し上げた通り、私の本音は、人類継続のために医学的に必要最低限のギリギリの量まで減ってほしいと思っています。
でもそれをいくら私がここで言っても、少なくとも2024年の人類レベルでは無理なことも重々承知。
だってそれこそ、すぎたま様のおっしゃる「文明をどうするかレベルの難しい問題」ですもの。

なのばせめて、今すぐ、各個人の判断で止められるジャンルの釣り、すぎたま様も好まないと書かれている「趣味」「スポーツ」の釣りが少しでも減ってほしい。

とはいえ、ここは猫サイト。やわらかな言葉で訴えても、誰も見ないし、もし見ても誰も心にも留めないだろう、ということも明らか。

そこで「軽蔑します」という強い表現をあえて使わせていただきました。趣味で釣りをしている人の心に少しでもひっかかるようにと。
 

「魚釣りは卑怯だとも言われますが」
実は私も子供のころからずっとそう思っています。自分は安全な場所に立って、魚をだまして命を奪う。それもただ楽しみのために。魚との真剣勝負だとかいわれても、どこが?って思っちゃいます。原始人のように素潜りで、自分の手かせいぜい小さな銛一本で大きなサメと戦うなら真剣勝負かもしれませんけれど。

私が「傷みやすい魚介類を安全に食べるには、生きたまま運んで調理直前に殺す必要」と書いたのは、もっと昔の話、江戸時代かそれ以前を想定していました。言葉不足ですみません。
でももし「宴会芸としての側面と、本当に海の直前でないと実施出来ない珍しさのようなものを事業化」が活け造り等の本当の理由なら、それこそ残酷ですね。
馬刺しが有名な地域でも、どれほどの大宴会でも馬の活け造りなんて絶対に提供しないのに、なぜ相手が魚なら人はこれほど無神経になれるのでしょうか。
泣き叫ばないから?

「子どもが水路で小魚を捕まえるのまで規制するべきなのかというようなことも含めて」私は規制してほしい、規制すべきの意見です。
現在だって、子供が野鳥のヒナを取ってきたり、ノウサギを弓矢で狙ったりすることは、親はふつうは規制すると思います。
哺乳類・鳥類はダメだけど魚類・両生類は好き勝手してよいというのは種差別だと思います。
といっても、今の日本人の一般的な感覚では理解を得にくいかもしれませんが・・・。
 

私は釣りは生涯一度もしたことがありませんし、釣りの話題は子供時代から避けてきましたから、まったくわかりません。
『釣りキチ三平』他釣りマンガも、どれほど話題になっていても手に取る気にもなれませんでした。
ですから何も知りません。


教えてください。
すぎたま様の目から見た(趣味の)釣り師たちの一般的な感覚とか感情です。

●「本物の餌」とは生きたミミズとかですか?その場合、餌にする生き物に対する感情は何ですか?ただの物としか見ていないのでしょうか?生餌に対する罪の感情とかありますか?

●「偽物の餌」の素材は?フリーズドライの肉?プラスチックなど人工のもの?プラスチック等の場合、偽物の餌だけを魚が飲み込んで逃げる確率はどのくらいあるとお考えですか?当然、魚の体には良くないことですよね?

No.3591 掲載ありがとうございます。 投稿者:ぎょろめ    投稿日:2024年01月08日 (月) 01時46分

すみません、皆さんのお話と全然関係ない話題なのですが…
nekohon様、いつも譲渡会情報の掲載本当にありがとうございます。
お陰様で寒空の下ひとりぼっちでさまよっていたトロワのトライアルが決まりそうです。
地元で知名度が上がったお陰と、SNSの発達のお陰で、少し離れた地域からお客様がみえることが増えました。
捕獲器のクラウドファンディングも、達成率80%になりました。
マンスリーサポート(月額支援)の方も、8人目の方が登録をしてくださいました。
有難い限りです。
今年は元日から大地震で始まる大変な年ですが、自分がコツコツ頑張ってきたことが少しずつ実を結んでいるのを実感しています。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

No.0 最大レス件数を超えました 投稿者:システムメッセージ   投稿日:2025年12月16日 (火) 22時24分

最大レス件数「8」を超えましたので、これよりレスは出来ません。

No.3580 異種でも仲良くできる 投稿者:nekohon   投稿日:2024年01月03日 (水) 14時35分 [返信]

気持ちが暗くなるようなニュースが続いていますので・・・

ネコ、キツネ、アナグマ。
異種同士でも仲良くできる動物達。
人間もこうありたいものです。

No.3581  投稿者:ねこほん   投稿日:2024年01月04日 (木) 06時32分

そうなんです。
アズサの他に、もう1頭のキツネが写りました。

これだけの映像では顔を覚えるどころではありませんが、それでも、
その腰つきから、あんず婆さん(多分もう死去)でも、アカネちゃん(しばらく見ていない)でもないことは確か。
明るい時間に姿をはっきりみたいな、のおもいもこめて、とりあえず「アカリ」と呼ぶことにします。
でもアズサの顔もまだ100%見分けられる自信は全然なく
今後もアカリがうつることがあるとして、アカリとアズサ、ちゃんと見分けられるかなあ?
私程度の観察眼では、明るい時間に自分の目で姿をはっきり見ないと、野生動物の個体識別なんてできません。
ニホンザルやニホンジカの研究者で、百頭を超える群を全員判別している方、いらっしゃるじゃないですか。
ただもう尊敬しかありません。

No.3574 被害が最小でありますように 投稿者:ねこほん   投稿日:2024年01月02日 (火) 07時09分 [返信]

すみれ様、メルティ―様、ありがとうございます。
当地は何も問題ありません。
そちらは大丈夫だろうとは思いますが、・・・いつ何があるかわからない世の中、お互い気を付けて暮らさないと、ですね。

一番大きな震度7のとき、私はちょうどゴンの散歩から帰ってきて家に入ったときでした。
最初はなんか足が震えているように感じ、「え?今日の散歩はそんなに走ったりしなかったのに、なんで足がなえなえするの?」と思ったくらいの呑気さ。
やがて地震と気づいて、一度入った玄関からまた外に出て様子を見ていました。
多分震度3〜4弱でしょう。
その後は体に感じるほどの地震はありません。

以前、大阪府枚方市のあたりが大きく揺れた地震(女の子が倒れてきたブロック塀の犠牲になった地震)のときは、その少し前からゴンがひどく吠えました。
農作業を2回も中断してゴンの様子を見に行ったくらいに。
そして揺れもあの時の方がガンと突き上げるようで強く感じました。
時間は今回よりずっと短かったですが。

今回はゴンはふつうにお散歩していて、ふだんと違う様子は全然ありませんでした。
猫たちも、まろポンだけキョロキョロと見回していましたが、ほかの子たちはは平然としていました。

元日早々なんて年なんでしょう。
でも考えようによっては、元日の夕方なら学校も多くの企業も休みで、家族全員がそろっている家が多かったでしょうし、その分心強かっただろうとは思います。
被害状況が判明するのはこれからだと思いますが、
どうかどうか、最小限であったことを願うばかりです。

No.3575 よかった 投稿者:すみれ   投稿日:2024年01月02日 (火) 07時53分

音沙汰ないので心配してました
わたしはしゅみらの横でソファーに耳をつけて横になっていたら
耳にうにうに うにうにという振動が聞こえて体がほんの少し揺れたので遠くで地震かと思ったのですがツレと猫ちゃんたちは無反応でした
いつも何でもない日常に感謝していますがこんな風にいきなり断ち切られることもあるんですね
人ももちろんですが犬や猫たちの無事を祈ってやみません

No.3576  投稿者:nekohon   投稿日:2024年01月02日 (火) 08時40分

すみれ様
ご心配をおかけしてすみません。

早くもSNS上には、地震に驚いて逃げて行方不明になった犬猫を探す投稿がいくつも出ています。
どうか無事に見つかりますように。

No.3577  投稿者:ねこほん   投稿日:2024年01月02日 (火) 09時14分

アクセス解析を見たら、案の定

「猫砂やペットシーツは緊急時に非常用トイレとして使えるか」の各ページのアクセスが爆上がり。
昨日のNHKラジオでも、非常用トイレのつくり方で、便器に丈夫なポリ袋を2枚以上かぶせた中に「オムツやペットシーツなどをいれて吸水させる」方法を言っていて、ペットシーツの有用性が知られてきたなあと思ったのでした。

うちのようなボットントイレは、普段はアレですが、断水になっても問題なく使えるという思いがけない強みがあります。
でも都会のマンション暮らしでトイレが流せなかったら悲劇ですよねえ。
伴侶動物の有無にかかわらず、ペットシーツは常備すべし!?

No.3578  投稿者:ぎょろめ    投稿日:2024年01月03日 (水) 01時09分

ご無事でなによりでした。
私も心配なのと、なんだかTwitterが荒れていて居心地悪くて、あっちのサイトを覗いたりこっちのサイトを覗いたり、何度かこの掲示板を訪れていました。
津波が来る沿岸部では無いにせよ、土砂災害に巻き込まれていないか、勝手に心配していました。
東京もかなり揺れたそうで、私は前の日に電気ブランをしこたま飲んだのでリビングでぐーすか寝ていたのですが、揺れがおさまった頃に父がバタバタと降りてきてテレビをつけて、「なんだよ人が寝てるのに大きい音でテレビ見るなよ」と文句有り気に振り返ったら「震度7」「つなみ!にげて!」の文字が。
実はここ数ヶ月、主治医と統計学も交えて来年は大きい地震が来るかもしれないねと話していたのと、私のインスタをフォローされている方がいらしたらご存知かもしれないのですが、昨年の夏からずっと地震のPTSDに悩まされていて、12月には感覚を鈍くする薬を増やしても効かなくなり、近々地震or噴火or土砂災害が来るなと思っていたのです。
小さな地震が来る度に「ぎょろめが言っていたのはこれのこと?」と聞かれ「違う…もっと、もっと怖いやつ…大きいやつ…」と漠然とした答えしか出来ず。
眠ればたちまち大地震の夢。
私はもしかしたら地震なんて来なくて、自分が統合失調症かなにかになったのかもしれないと怯えて半年過ごしてきました。
出掛けている時やお風呂に入っている時に突然「地震来るかも!今!!」とパニックになることもあり。
本当に気が狂いそうな半年でした。
昨日、テレビ画面を見た瞬間に「これのことだ…」と思いました。
「ぎょろめが言っていたのはこれのことだったんだね」とインスタを見ていた数人からメッセージがあり。
肩の荷がおりた感覚と共に襲ってくる地震のPTSD。
これが本震ではないかも、プレートがズレて次は東京かも、なんて不安がずっと頭の中を駆け巡っていて、気が付くとコップに汲んだ水が揺れていないか見ている生活。
何がそんなに怖いのか、自分が一番知りたい…
東日本大震災で不登校と鬱病になったぎょろめの愚痴でした。
どうか1人でも多くの人に、温かい場所で、温かい衣類で、温かいご飯を、家族と、友人と、一時日常を忘れて、笑い合える日が、早く来ますように。
皆様も引き続きお気を付けて。

No.3579  投稿者:nekohon   投稿日:2024年01月03日 (水) 08時30分

ぎょろめ様

ありがとうございます。
仰る通り、うちは土砂災害警戒区域ですが(山村なんてどこもそうですけれど)、それほど揺れず、何も影響はありませんでした。

ぎょろめ様、予知能力がおあり?
でも、そんなに苦しまれるなら、あまり有難くない能力ですね・・・

私は阪神淡路大震災の時は大阪市内に住んでいて、揺れました。
揺れましたけれど、テレビをつけるまでは、すぐ隣の神戸市があそこまでひどいとは思わず。
その後やっぱり少しPTSD気味といいますか、寝ていても突然揺れているような感覚で目が覚めることがありましたね。
それはたいてい、ハムスター達(あの時は16頭くらいいました)が一斉にガラガラ回し車を回す音でしたけれど。

東北大震災は被害規模が大きすぎて、直接経験していない人も多くがPSTD等で苦しまれたと思います。
ぎょろめ様もそのひとりだったんですね。
ふつうの人より共感力の強い人とか、優しく感受性が鋭すぎる人が、苦しむことになってしまう。
なんか理不尽な気もしますね。
鈍感な奴等は平然としているのに。(←少々腹が立つ・・・)

飛行機事故にも驚きました。
救援物資を運ぼうとしていた海上保安庁の方々が犠牲になられるなんて。
もう言葉もありません。

「どうか1人でも多くの人に、温かい場所で、温かい衣類で、温かいご飯を、家族と、友人と、一時日常を忘れて、笑い合える日が、早く来ますように。」

本当に、そう思います。
平和の尊さ、何もない日常の尊さ、つくづく思い知らさせます。

ぎょろめ様もご自愛ください。
猫を抱いて、犬と遊んで、なるべく心安らかにお過ごしください。

No.3573  投稿者:メルティー   投稿日:2024年01月01日 (月) 17時57分 [返信]

元旦早々大きな地震が発生し、心配しております。
当方、関東では大きな被害は起きていないようです。





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