No.1565 「子どものために」モラ夫と別れない母たちへ 投稿者:K子 投稿日:2007年07月01日 (日) 21時36分 [返信] |
私の父はモラ夫で、私が物心ついたころから母をあからさまに蔑ろにし、人前で殊更に貶めたり、しょっちゅう無視したり、ことあるごとに酷い言葉を投げつけたりしていました。その反面で、当てつけのように一人娘の私と、10歳下の妹(私の叔母)を、端からは「溺愛」と表現されるほどかわいがりました。けれども私は、子どものころの父との思い出をいくら振り返っても、どんなにほほえましい写真を見ても、温かいものは何も沸いてきません。彼の「愛情」が異常な自己愛に基づく単なる支配欲に過ぎず、本当の意味での「愛情」でないことを、私は幼いころからきちんと感じ取っていたのでしょうか。
母は、自分が夫から受けている仕打ちの正体を知ることも知ろうともすることなく、全ての愛情を私に注ぎ、私の全人格を支配しようとし続けました。そんな母との関係に、私は中学生ころから悩み苦しみ続けました。その背後の問題が父にあるとも気づかず(あるいは薄々気づきながら目を背け)、いわば「支配的で私の人格を認めようとしない酷い母から自分を守る存在」としての父を慕おうと努力し、またそうするように自分で自分の気持ちを強制し続けました。
私はある程度の年になると、母からの支配を脱しようと、懸命にもがくようになりました。それは同時に父からの支配からの脱出でもあったのですが、私がそのことに気づいたのはほんとうに最近のことです。
でも父はそのことに早くから気づいていたのか、あるいは単に自分の支配下にあるべき娘が「女のくせに」生意気にも高いキャリアを目指すこと(=社会的に自分を超えること)が気に入らなかったのか、確実に機会を捉え、私を徹底的にたたきつぶす行動に出ました。言葉で私を徹底的にたたきのめし、私がぼろぼろになって反論する力を完全に失ったことを彼自身が確認できるまで、罵詈雑言の暴力でもって私の人格を徹底的に打ちのめし、致命傷を狙って、私が反論する力をなくすまで何時間でも、責め続けました。具体的に何を言われたか、どんな言葉を言われたかは、ほとんど(全く?)覚えていません。不思議なくらいに覚えていません。覚えているのは、その時の苦しさ、悔しさ、たたきつぶされる心の痛さ、そして何が何でも私をたたきつぶそうとする彼に対する、どうしようもない恐怖だけです。
こうした「暴力」のきっかけは、非常にもっともらしいことなのですが、でもその後に続く責め苦の中身はもちろん、その激しさ、執拗さはまったく比例しない、どう関連するかもわからない、いまだに合理的な理解ができないものです。せいぜい、ちょっとした小言で済むような「きっかけ」であったはずなのに、その後あまりにも執拗に、そのきっかけとなった私の言動がどれほど非常識で不合理で常識外れでおかしなものであるか、そのことに気づかない私がどれほどダメな人間であるか、そうした責め苦を理不尽だと感じて私が発した反論がどれほどおかしなものであるか、そういう反論をするような人間である私がどれほどおかしな人間であるか・・・、議論にならない議論は延々と続きました。なにしろ話を噛み合わせず、どんどんあらぬ方向に話を発展させ広げてしまうのですから、こちらは混乱するばかりです。話を戻そうとしてもそれを許さない。私はきちんと自分の真意を伝えたい、彼の言うことがあたらないこと、誤解であることなどをきちんと伝えたいから、一生懸命話を戻そうとするけれど、その過程でずたずたにされ、疲れ切って、とうとう言葉を発する力も何もかも失ってただわけのわからない恐怖の悲鳴をあげるか、泣き続けることしかできなくなる。彼はそれを見て満足し、やっと私を解放する。
こんなことが、私が20歳を超えたころから、やっと独立して家を出る29歳ころまで、年に1回から2回、確実に機会を捉えて繰り返されました。 日常的にも父は、「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ」という類の言葉でもって、妻子に対する支配を維持し続けました。
母は、私が父の私に対する支配行動に苦しみ、傷ついていたことをつい最近になって気づき、「今まで気がつかなくてごめんね」と私に言いました。これだけで、私は母との関係で苦しかったことは全部忘れてしまいました。また、中学生ころから今まで長いこと、私は自分が苦しいあまりに母を何度も何度も傷つけてしまったことを心から申し訳なく思いました。以後、母と優しい関係を築き直していくことを私なりに続けています。
しかし、「気づかなくてごめんね」と言ったその時点でも母は、こうした「暴力」が私に与えたダメージの質も量も、ほとんど理解していませんでした。 結婚以来長らくモラハラの暴力を受け続けるなかで、心の痛みに対する感覚を鈍磨させていくことは正常な心の働きですが、娘の心の痛みにまで彼女は鈍感でした。脳天気にも母は、ほんとうにこの数日前まで、私は「パパにとって自慢の最愛の娘」であり、こうした「言葉の暴力」は「愛情の裏返し、すごく不器用なパパなりの愛情の表現」としか考えていませんでした。酷いことを言われてその時は痛い思いはしたかもしれないけれど、それが愛情にもとづくことくらいちゃんと私がわかってると思っていた、だからそれほどまでに深い傷を負っていたなんて意外だ、と。きっといつか私は彼の「愛情」を理解するだろうと思っていた、と・・・、このことを、ほんの数日前、母と話す中で知りました。一方で母は、父の行動の暴力性が自分の認識を超えるものであることを始めて知りました。 このことに、とてもショックを受けています。
あんな桁外れの「言葉の暴力」を、本当に「愛している」娘に振るえるはずがありません。 でも、母がおそらくそうであるように、多くの被害者たちは、モラ夫の子どもに対する「愛情」だけは信じたい、という思いがあるのでしょう。だから、彼らの子どもに対する攻撃を見て見ぬふりをするか、攻撃とは捉えず、何らか「愛情に基づく行動」と解釈しようとするのでしょう。 自分自身の心のセンサーが完全におかしくなっているから、子どもへの攻撃の暴力性もこれを受けた子どもの心の傷も、適切に関知することができなくなってしまう。だから、充分に守ってやることも適切に慰めてやることもできない。それどころか、「あればパパのあなたに対する愛情の裏返しよ」「パパはとても不器用で上手に表現できないんだから、わかってあげてね」「どうせ本意じゃないと聞き流す度量も必要よ」といった、二次加害というほかない「慰め」の言葉をかけることすらする。
子どもがいる場合に、モラ夫との共生を続けるということは、こういうことだと考えて欲しいです。 はっきり言います。 「子どものために」モラ夫と離婚しないという選択をすることは、その人自身が被害者であり続けるだけでなく、子どもに対する関係では、モラ夫の虐待の共犯者になるということです。
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No.1566 Re:「子どものために」モラ夫と別れない母たちへ 投稿者:よっすぃ 投稿日:2007年07月02日 (月) 02時07分 |
モラじゃなくても「子供のために…」よく聞きますが、これって「自分のために」の裏返しですよ。 ちなみにモラは親になれませんよ。 自分が一番ですから。 DVもそう。子供が出来れば変わるかもしれない…普通じゃない人はいつまでたっても普通じゃないんです。
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No.1568 Re:「子どものために」モラ夫と別れない母たちへ 投稿者:北風 投稿日:2007年07月03日 (火) 05時46分 |
K子さんは、子どもからの目線で、モラハラ被害者とは如何なるものかをとても明瞭に書いてくれたと思います。
共存を続ける被害者自身の多くは、モラとの生活を継続することが子どもの生活を保障し、子どもを守ることだと思っているのでしょうけれども、それはゆがんだ認知で考えていることだと理解してもらえればと思います。
離婚するとどうしても片親の弊害が気になりますが、モラ親の場合は例外です。 離婚してモラ被害者が元気を回復できれば、モラ親とともに子育てをしていた頃より、ずっと子どもの養育環境は改善されるのです。
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No.1570 Re:「子どものために」モラ夫と別れない母たちへ 投稿者:日本海 投稿日:2007年07月03日 (火) 19時31分 |
K子さん、ありがとう。
私の姑と、昔の私のことだな、と思います。
よっすぃさんがおっしゃるように、私もなんだかんだ言いながら、結局自分の気持ちで別居を断行したし、子供の気持ちより、結局自分の気持ちだったんだと思ってます。「子供のため」というのは、嘘だったんじゃないかと自分でも思います。 自分が決心しなかっただけ。
うちの次女は、離婚するな仲良くしてくれ、と言い続けたので、困り果てていましたが、結局それも、家庭内ストックホルムシンドロームだっただけで、今となっては、父親を怖いと言ってます。
夫は、子供のために別居も離婚もしない方がいいぞ、とさんざん私を脅しましたが、子ども自身が既に、おとうさんは改心したふりをしてるだけ、全く変わってない、悪い人だ、あんな父親は要らない、と言います。見抜いてます。 夫は自分の世間体のために、形を守りたかっただけです。
姑は私に、愛情を与えれば子供は変に育たない、と慰めてくれましたが、自分は立派なモラ息子を二人育てました。 姑の愛情って、後始末をしてやること、世話をやいてやること、自分の夫と夫の両親が自分の子供たちにつらく当たるから、甘く可愛がることが命題だったし、離婚しないで我慢して添い遂げることが修身の教科書で刷り込まれた美意識だったんでしょうね。 姑の息子達は、両親の関係を見て育ち、自分が夫になったら、父のように傲慢に生きても母のように後始末を全てしてくれる妻がいさえすれば良いんだ、と学習もしたと思います。
私は今、友達からも子供からも、落ち着いて幸せそう、と言われます。母子4人だと、ごく普通に暮らせるんですよね。これが当たり前なんでしょうけど。 夫がいなくなるだけで、こんなになるとは。 言っても仕方がないけど、なんでもっと早くに夫を自分の人生から追い出さなかったのか、不思議です。
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No.1574 Re:「子どものために」モラ夫と別れない母たちへ 投稿者:よっすぃ 投稿日:2007年07月05日 (木) 04時27分 |
日本海さん辛かったですね。 でも、お子さんから「お母さん幸せそう」と言われるその一言が一番の幸せですね。
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No.1578 Re:「子どものために」モラ夫と別れない母たちへ 投稿者:日本海 投稿日:2007年07月06日 (金) 10時36分 |
よっすぃさん、ありがとう。
なんだか、もうすっかり昔のことになってしまいました。(笑) 幸せになる秘訣のひとつは、過去にとらわれないことかもしれませんね。
物理的心理的にモラから離れないと、なかなか幸福感は味わえないのかも、と自分と子供達を見ていて思います。
皆さんの幸せを願います。
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No.1579 Re:「子どものために」モラ夫と別れない母たちへ 投稿者:シャイ二ー 投稿日:2007年07月06日 (金) 20時08分 |
K子さん、はじめまして。しぼりだすように、深い心の傷を書いて下さった勇気に敬意を表したいです。そう、辛すぎて記憶が飛んでしまうというのは限界を超えて何度も傷つけられていたからですよね。 離婚しても子供達にモラハラの父親との関係を少しはうまく持たせようと迷っていた自分に、K子さんの書き込みが胸に飛び込んできました。はっとしました・・・。 そうですよね。長年のモラハラに母親はセンサーがこわれて、子供も然り。。そこで追い討ちをかけて「うまくやんなさい」みたいな事を言い続けたら、ニ次被害もいいところでした(今はそのような事は言っていませんが迷いがあって、子供達の前ではモラ父をかばうようなことを話すことがありました。でも子供は大抵の事は見抜いていました)。
K子さんは大変な苦労の末モラハラに気付いて離れられたのですね、子供の立場では、ある意味妻以上に親に対する複雑な思いとの戦いの中大変だったのではないでしょうか。本当に、話してくれてありがとう。 管理人さん、良ければこのK子さんのスレを「お役立ち・・」のところで保存していただけたら、きっと迷いのある時や、子供の立場からという声を読んではっとされる方も多いのではないかと思いますが、どうでしょうか。
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No.1582 Re:「子どものために」モラ夫と別れない母たちへ 投稿者:K子 投稿日:2007年07月07日 (土) 14時31分 |
皆様 きいてくださってありがとうございます。ここに吐きだしたら少し楽になりました。 私は、今は両親とは離れたところで家庭をもっており、穏やかに生活していますが、時折、遊びに来る母が、それとは知らずにモラ父の毒を運んできてしまうのです。それで、苦しくなってしまいました。
>よっすぃさん、北風さん
「自分のため」であることが明らかなのに、「子どものため」と言って、子どもを言い訳の材料に使っているのをみると、どうしても内心穏やかでいられなくなってしまうのです・・・ でも、そういう言い訳自体、モラに歪められた判断力がさせていることでもあるんですよね。モラって本当に恐いです。
>日本海さん
家庭内ストックホルムシンドロームとは、まさにそのとおり!
勇気を持って脱出してくれたお母さん、ありがとう。
>シャイニーさん
聞いてくださって本当にありがとう、気づいてくださってありがとう。
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No.1584 Re:「子どものために」モラ夫と別れない母たちへ 投稿者:シャイ二ー 投稿日:2007年07月07日 (土) 20時08分 |
K子さんこちらこそお返事をありがとうございました。 お母様を通しての毒、これもよくわかります・・・。私もそうです。今度はそれから、自分と子供を守っていかなければと思っています。 いやなことはやめて、と言っていい。やめてくれないなら離れてもいい、と言い聞かせています。
自分がそう生きることで、子供にもモラに毒されないようになっていってほしいと思います。お互いにがんばりましょうね・・・!
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