No.2548 本当にありがとうございます。 投稿者:seiko 投稿日:2009年06月11日 (木) 17時27分 [返信] |
やさぐれキューピーさん miさん ありがとうございました。すごく癒されて、嬉しくて泣きました。
miさんへ
娘がそう言ってくれてるようでした。きっとそう言ってくれますよね。もちろん息子も。
ずっと誰かに吐き出したくて、でも理性が「身近な人間に吐き出してはいけない。」と私を止めていました。 だから書くことができて、聞いてもらえて、共感してもらえて、救われました。ありがとう。
やさぐれキューピーさんへ
教えてください。救われたいのです。 とても残念なことに、身近に仏教はありません。 苦し紛れにとりあえず写経と四国88カ所巡りをしています。 でも 仏の教えを説いてもらえる機会には巡り会えずにいます。 仏教って どうしたら教えてもらえるのでしょうか? 書店で売ってる本などは、漢字の読み方からしてつまずいてしまいます。独学の困難さを感じています。なにか良いアドバイスを下さい。
今の私の望みは、心穏やかになることです。 自分以外の人の幸せを素直に喜べる人間になりたい。そして私はやさしい穏やかなお婆ちゃんになりたいのです。 鬼婆になるのが怖くて、このままでは鬼婆になると思ったから、鬼畜になると思ったから、夫と別れたのです。 どうかよろしくお願いします。
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No.2549 仏教を学ぶこと 投稿者:やさぐれキューピー 投稿日:2009年06月12日 (金) 10時25分 |
seikoさん、おはようございます。
> 苦し紛れにとりあえず写経と四国88カ所巡りをしています。 > でも > 仏の教えを説いてもらえる機会には巡り会えずにいます。 > 仏教って > どうしたら教えてもらえるのでしょうか?
この書き込みに深く考えさせられました。 私も在家から仏門に入りましたが、今も寺の中と外の人の意識の違いをひしひしと感じることがあります。たくさんの人に仏教を伝えるのが僧侶や寺の大事な役目なのにそれがうまくできていないのが日本の仏教の現実です。 僧侶の一人として大いに努力しなくてはならないところです。ありがとうございます。
さて、仏教を学ぶにはですがあちこちのお寺で それぞれの形で教えを広めようとしているところがたくさんあります。最初は敷居が高い感じがして少しだけ勇気がいるかもしれませんが、門をたたいてみませんか?
八八カ所参りをなさっておられるとか。お参りなさったお寺の掲示板や、受付などで配られている寺報・パンフレットなどに目を通してみてください。 宗派によりけりですが、法話会や仏教講座・座禅会などの案内を見つけられると思います。日時や場所などのご都合にあわせて、そうしたところに参加なさってみてはいかがでしょうか。 ただ、地方のお寺によってはそこの檀家さんでガッチリ固まっていて、よそからの人はあまり歓迎しない雰囲気のところがあるのも事実なので、ある程度都市部に近いところの地方本部のような大きなお寺のほうが行きやすいかもしれません。
まずはそこの住職さんなり、担当のお坊さんなりに仏教を勉強してみたいんだけど・・・と問い合わせてお話を聞いてみるといいですよ。その応対で雰囲気もなんとなくつかめると思います。
それから、ご自分でわかりやすく読める本として 岩波文庫から出ている中村元訳『ブッダのことば』というものをおすすめします。たいへんわかりやすいものなので手はじめに非常にいいですよ。
あと、最後に大事なことですがいくつかのお寺を あたってみる時、むやみに不安をあおるような言い方をするようなところ、行って話をきいてみて逆に不安にかられるようなところは注意してください。
悲しいことですが、仏教をかたって商売にしているところがあるのも事実で、その騙し方も非常に巧妙化しています。
私自身も非常に悩み、苦しみましたが、なぜ自分はモラ人間に関わり、こんなにつらい思いをしなくてはならなかったのか・・・その原因は自分の性格や生育暦、モラと出逢ってしまったタイミングなどが複雑にからみあってのことで、たとえば「先祖からの悪因縁」だとか「前世の罪業」などと一言で簡単に片づけられ、解決されるようなものではないと思っています。 そして、今後自分が抱えてひきずっていかなくてはならないトラウマも例えばお札一枚買えば解消されるようなものではありません。 お札やお守りを買ったり、祈祷してもらったりということで心の支えとなり、落ち着くのならそれは大変意味のあることですが次から次へと・・・となると注意が必要です。
じつは人間が心穏やかになるって大変なことなんですよね。「仏」じゃないんだもん・・・。人の幸せを素直に喜べるようになる、これも本当に難しいことですね。 なぜなら、自分自身が幸せでないとなかなか他人のことも喜べないからです。自分が飢えているとき、せっかく得た食べ物を他人にあげようという気持ちにはなかなかなれませんものね。
モラに長年傷つけられ、心の傷が血を流している 間は傷を癒してあげることを最優先にしてあげていいんだと思います。鬼のような心になりたくない、その気持ちさえ忘れずにいたら傷が癒えてくるにしたがって少しずつ、ゆっくりと穏やかになれるんだと思います。
長文失礼いたしました。少しでもご参考になれば幸いです。
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No.2550 Re:本当にありがとうございます。 投稿者:mi 投稿日:2009年06月12日 (金) 17時11分 |
seikoさん、こんにちは。 ご返信、ありがとうございます。
私は娘の立場はなんとなくわかるので、息子さんのことはあえて書かなかったのですが・・・
私の男兄弟は、愛する人と結婚し、子どもも授かりました。
「自分の目指す父親像がわからない」と結婚前には言っていましたが、父親として、夫として、責任を果たそうとしているのが、顔つきの変化から感じます。
きっと、娘さんとは違う感覚があるとは思いますが、seikoさんの息子さんですもん。大丈夫だと思いますよ。
思い切り泣きたいときは、ここで吐き出して泣いてください。 泣くのもデトックスです!
私の人生の師の言葉です。
「人間の世界にあって、人間によって乗り越えられぬ困難など、絶対にない。乗り越えていく力は、誰人の生命にも具わっている」
「絶対に負けないで、勝ち抜いてください。『大悪起これば大善きたる」『わざわいも転じて幸となるべし』との通り、すべてを変毒為薬していかれることを心から祈ります。つらいだろうけど、仏法は一番辛いときに衆生を救うのです。必ず勝利していけることを確信し、前進していってください」 と。
私は今、スーザン・フォワード著『毒になる親』講談社 を読んでいます。
まだ途中ですし、seikoさんには、ちょっと見当違いかもしれませんが・・・
私はモラ夫・DV夫は、まさに「毒になる人」「毒をまきちらす人」だと思っています。(人じゃないかも!)
本当の自分になるために 「怒り」と「悲しみ」の処理 などが書いてあります。 (まだここまでたどりつけてません・・・)
そして、「許す必要はない」と言い切っています。
> 今の私の望みは、心穏やかになることです。 > 自分以外の人の幸せを素直に喜べる人間になりたい。そして私はやさしい穏やかなお婆ちゃんになりたいのです。 > 鬼婆になるのが怖くて、このままでは鬼婆になると思ったから、鬼畜になると思ったから、夫と別れたのです。 > どうかよろしくお願いします。
自分が幸せを感じて、初めて自分以外の人の幸せを素直に喜べると感じます。 私たちは自他共の幸せのために生きています。
私は裁判中ですが、これを乗り越えて本当の自分を取り戻し、自分の人生を生きるんだ、そして最後は幸せだったといえる人生を送るんだと思っています。 たまーに人がうらやましくまぶしく見えること、あります。 でも、その人も何か悩みを抱えているかもしれないですよね。 たぶん、私は傍目から見たら、何にも悩みの無い人に思われてます。 「私は私でいい。この苦しさを経験するからこそ、わかることもあるんだ。生きている幸せを感じれるのだ。」と思います。
seikoさん、seikoさんの心を穏やかに出来るのは、seikoさんです。 なりたい自分をイメージしてください。 やさしい穏やかなおばあちゃんですよね。 そうなるために、することを考えてみませんか。 笑顔で挨拶するとか、ちょっと気分転換にアロマやキャンドルで自分を癒してあげるとか、丁寧にお茶やコーヒーを入れてみるとか・・・ ヨガも良いですよ。呼吸法ですから、固まった身体と心をほぐしてくれます。
私も目指すは可愛がられるおばあちゃんです*^^*
お互いおばあちゃんになったら、お散歩して自然を楽しみ、お茶でもしたいですね。
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No.2551 miさん、やさぐれキューピーさん、ありがとう 投稿者:seiko 投稿日:2009年06月13日 (土) 20時00分 |
心温まるアドバイスありがとうございます。
「ブッダのことば」注文しました。 読み終わったらまた感想など、書き込みさせてもらいます。
今日、久しぶりに2時間かけて都会にでかけ、奮発して紅茶を買いました。〈なにしろ電車賃もバカにならないのです。〉 今からゆっくり香りを楽しみます。
愛されるお婆ちゃんを目標に、優しい心を目指します。そして孤独に克つ心を持てるように。
都市圏に住んでいないので、というか、すごく田舎に住んでるので、「こころのケア」とかカウンセリングとかヨガとか、身近にないのです。
だから本当にインターネットってすごいと思うのです。 夫から逃げて初めてインターネットも始めたんですよ。 だって夫は私にはインターネットをつないでくれなかったのです。 逃げてからモラハラもこのサイトも知ったのです。 もっとはやくに知っていて、皆さんに相談にのってもらってたらなあと思います。
20年くらいたって、もしわたしが好々爺ならぬ好々婆になれたら どこかで会ってこの苦しみを笑い話にしたいです。
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