こんにちは。そろそろ、スラックス下の季節がやってまいりました~(嫌がらせ?)
>「私や他の子どもが簡単に出来る事を、何故あなたは出来ないの?」と言い続けながら初めて、るりさんのお母様に、ちょっとだけ共感が・・。子どもが一人だと、気になって気に
なってしょうがなくなっちゃう。私は、自身が「出来損ない」だったんで「ハズレもの」に対して
抵抗感がなかったけど、お母様は優秀だったんですものね。偉人に障害児が生まれ、悩む、なんて
話を聞きますよね。でも「偉人と障害児」は遺伝的な宿命かもしれないですね・・。
お母様は、結婚してお仕事はお辞めになっちゃったんですか?
何か不完全燃焼だったんじゃないでしょうか。家庭だけでは「能力」有り余り、って感じします。
るりさんの凸凹は、お母様の理想からは外れるけど、日常生活に支障が出る程ではないですよね。
例えば、触感が敏感で新しい服が着れないとか、焼きそばの麺と具を分けて盛らないと気持ち悪い
とか、「イクラ」しか食べないとか(!)、聴覚過敏で道路工事の音にパニックになるとか。
ひどい凸凹でもないのに、お母様が『個性』と喜ぶことが出来なかったのは、「育児とは何か」
わかっていなかった、本当は自分の事だけを考えていたかったからではないでしょうか。
私の母と同様に「子育て」さえ、しなければ、ご自分を生かす道があったのかも。
「子育て」って、母親にとって「自分を殺す」面がありますよね。
発達障害児でなくても、子どもって「不気味」で思い通りなんかいかないですよ。
「子育ては、9割が戦争だ!」って言ってる人がいました。同感です。
>ちょっと目を離すと、すかさず変人強化の道へ歩み出そうと脱走を企てる娘に映っていた笑っちゃいました。そう映ります。娘は1歳児の頃は、言葉通りの意味で脱走児でした。
団地内の1カ所の公園で遊んでられない。公園から公園へ「漂流親子」でしたね。
「変人強化の道」へ行かせることは実は、親にとって大変、勇気の要ることなんですよ。
世間様から悪し様に言われますからね。只でさえ、人が自由に生きるのを嫌がるでしょう?
私も、いろいろ言われました。でも私は、娘の『笑顔』を基準にすることに決めたのです。
どんな世間から外れることでも「娘が笑っていればOK」ってことにした。
私が「うつ」で細々、面倒見切れず「放し飼い」なのも、かえって良かったと思います。
るりさんも、お母様が忙しくて「放し飼い」だったら、今頃、黒柳徹子みたいになってたりして。
>私も周りも、単に視力が良いだけと思っていたので「原始人」と、称して笑っていました。カメラ・アイ以外に、見えないはずのものを見ている人達もいます。
少女時代から、幻覚を絵に描くようになり、その後アメリカで大活躍した、水玉模様で有名な
草間彌生は、作品も外見もおよそ昭和ヒトケタとは思えない「すごさ」です。ハミ出てます。
自閉症で自伝を書いた外人女性は、少女期に美しい幻覚を見ていましたが、虐待されました。
>2歳の段階でその傾向が出ています。映像や色を認識する能力が異様に高かったそうです。うわっ「宝物」だったんじゃないですか!お母様は、ちゃんと捉えてらっしゃったんですね。
元幼稚園教諭の知人が言ってた。「お母さんがおかしいと思う事は、大抵当たってるよ」と。
それを『可能性』と感じられるかどうかが、問題なんですね。
>私が単純骨折だったら、くれぺりんさんは複雑骨折と言う感じなのでしょうか。う~ん。骨折はおおむね、治りますよね。私の素直な被害感情を表すなら「骨肉腫」ですね。
一命は取り留めても、生活の質は変容します。それが「不幸」かどうかは人によって違うと思う。
>スティーグ・ラーソンと言うスウェーデンの小説家が、残念ながら執筆途中で亡くなられたの>ですが、くれぺりんさんと同じ事に気付かれて、執筆されていたのではないかと思います。「ミレニアム」を読んではいないのですが・・。
「ベクトル」を変えなければ、人類は破滅すると、私は考えています。
強者のストレスを弱者に向ける連鎖を続けている限り、いつか若い者から死滅していく。
最後は何も残らない。上から下へのベクトルを、下から上へと変えないと・・。
でも強者は、絶対、潰しにかかる。この作品のラストは「どうなるはず」だったんでしょうね?
作者の本業での戦いを思うと、どの道、長生きは出来なかった方なのでは・・。
「パートナー」と執筆していたのに、著作権はすべてモラ父に!。図書館で読みます!
副主人公のイメージからか、1997年の「東電女性管理職殺人事件」を思い出しました。
彼女は「OL」じゃなく「東電本社企画部経済調査室副長」でした。研究者であり、経産省との
パイプ役でもあった。父親も東電で役員候補でしたが、原発の危険性を指摘したせいか、降格
され、52歳で逝去。後を継ぐ形で、彼女も「地熱発電推進や反プルサーマル」についての優秀な
論文を作成していた可能性があるそうです。亡くなった時は、勝俣企画部長の部下でした・・。
1997年2月プルサーマル推進が決定した1ヶ月後、彼女の人格を徹底的に蹂躙する事件が起きた。
2012年、原発事故の翌年、犯人として服役中の外国人が突然『冤罪』であると釈放されました。
私は、検察が『釈放の鍵となる冷凍された証拠』を14年間、廃棄せずに取り置き、2011年1月に
なって初のDNA鑑定に応じたのは『何故』なのか知りたいです。官僚は、何を考えているのか。
>ただ、逃げるだけではなく、モラをどう撲滅したらよいのか。男が、どんなに苦しくても『自分の頭で物を考える』ように、これからの母は教育してほしい。
モラは変わらない。出来るなら大人のモラには、もうエサを与えないで欲しい・・。
理想的には、モラでない男性の遺伝子だけを冷凍保存し、人工的に繁殖。慈愛に満ち、無私の
愛情を持つ夫婦に育てさせる。人の脳内オピオイド濃度を遠隔集中管理し、モラ行為をした人物は
現行犯逮捕して収監、自転車式蓄電池を、一生漕ぎ続けて自ら発電し社会に貢献していただく。
これじゃダメダメなSFだあ~(>_<)
>高水準の定型発達をした人間の集団が官僚。>高水準の凹凸発達をした人間の集団がIT業界。>お互いの足りない所を指摘し合い、睨み合うのではなく、協力しモラを排除しながら歩めたらるりさんは、大人ですねー。でも凸凹な方なら可能かも。モラでない官僚とはウマが合いそう。
理屈が大好きで、サービス精神が旺盛で、結構、熱血なところがあるので・・。
こんな感じでしょうか。官僚も入省したての頃は、こんな瞳をしてるらしいですが・・。
http://www.youtube.com/watch?v=9uMA8eOKj2M日本の官僚は、優秀で真面目な人は、次々辞めたり、亡くなったり、陥れられたり。
ホワイトハッカー達は、この状況を知ったら、どんな手を打ってくるでしょうか?
>くれぺりんさんにとっても、彼は青い鳥だったんですね。何故、彼は愛せたんですか?人生とは、面白いものですねー。
私が20代の頃、バイト先の店長失踪で、しばらく代理をやってて重責にダウン。「何をやっても
ダメ」と絶望で寝込んでいた所に、臨月の姉が里帰りしてきました。そして、生まれたのが、甥。
初めて見る新生児に、私の『本能』がスイッチON!もう可愛くて可愛くて可愛くて\(⌒▽⌒)/
「目に入れても痛くない」とはこの事。世話しまくっている内、私は元気になっちゃいました。
その後も、発熱で保育所に行けないなどで、よく預かっていました。私と彼は、すごくウマが
合うんです(残念ながら姉とは合わないという事でもある)1歳でまだ、おしゃべりできない時
から、微妙なユーモアが通じて、2人だけの世界があって、楽しかった・・。
姉が自宅に戻った後、私はなぜかダイエットもせずに3ヶ月で10キロも痩せ「自立するぞ!」と
近所の保育所に飛び込み、パートで採用。どういう訳か、すぐに、彼氏まで出来た。今の夫です。
後から思えば、甥の誕生をキッカケに起こった『軽躁転』による「てん末」でした。
「大そう病」の起きないタイプの双極性障害は軽症かと思われがちですが、そうではないんです。
この時の私のように、人生と病気が入り交じり、一生の重大事が決まってしまったりします。
私は、家庭や子供を持つ事など一度も夢に描いた事はありませんでした。敗残者と思っていた。
なのでこの時は完璧に「種族保存の本能に操られた」と思う。理性じゃない。オソロシヤ・・。
でも、甥のおかげで、本能の操りが起こらなければ、あの家からは出られませんでした。
昨年まで、親を棄てられなかったぐらいですから、今頃「三つ巴」になっていたでしょう。
娘を産んでいなければ、祖母の愛を諦めねばならなくなった悲しい出来事も、封印されたまま。
たった一人の生まれたての子が、絶望の私を生かしてくれたんです。ありがたいことです。
この部分は姉に感謝しています。姉は私を殺し、又私を生かした。神様は何を考えているんだか。
>大好きだった幼なじみが病死したのですが…彼が亡くなった時、自分の中の何かの感情が一緒に>死んでしまった様に感じて…。自分だけが、生きていたくもないのに、この世に一人取り残され>てしまって、置いてけぼりになってしまった様な。思い出しました。>私が好感を持つ男性は、彼とよく似ている人ばかり。るりさんにとって、幼なじみさんはたった一人の「心の支え」だった方なのでしょうね・・。
どうして、どうして、いい人は、すぐに、いなくなっちゃうんでしょう。
このモラの世に、私たちが、置いてけぼりになってるのは、何故?と、私も、思っています。