るりさん、あけましておめでとうございます。お正月は、大変お疲れ様でした・・。
新年はおめでたいという事になってますが、お正月ってものは、嫌ですね~。死にたくなるぅ。
いわゆる「お正月」をきちんとやろうとすると『女中』が必要です。昔、つくづく思いました。
親族には「男みたいな」女と「女中みたいな」女の2種類がいて、皆が「男みたいな」女として
お正月を楽しむ側になりたがる。「女中」は居ないと困るのですが、激しく蔑まれています。
由緒ある家柄でも資産家でもないのに、そうであるかのようなお正月をやるのは見栄ですよね。
高齢化の過疎地で、昔と同じやり方でお葬式を出そうとしているような無理がありました。
結婚式はとっくに外注、お葬式も今や地方でも外注や家族葬すら出てきているのに、なぜ未だ
「お正月」前後だけが、女性の超「時間外労働」、親族同志の長時間拘束という「非日常」が
根強く残っているのでしょうか?誰かの犠牲なくしては、成立しないのに・・。
こういうお正月が意味を持ち、親族にとってプラスになるのは、一部の恵まれた家族(家長が、
実際にすべての責任を負い、親族全員に目配りする家)だけに限られると思います。そういう
家長は、居るには居るけど、今や、年配の男性にも滅多に見つけられない絶滅危惧種。
責任は負わず、家族に細かい気配りも出来ず、威張るだけの「名ばかり家長」だらけです。
最近は、3世代そろってホテルで会食して終わり、という方々もいらっしゃるようです。
以前の主治医は「うちは普段の休日と変わらないよ」と肩の力が抜けてました。その当時、私は
「そういう訳にはいかない!」とムッとしましたが、思えば全部「見栄」だったなと思います。
今は、最低限の見栄(お年玉とか)は張るけど、あとは、その年の体調を考えてやればいいと
思えるようになりました。そうなって振り返ると、実家のお正月は判で押した喜劇でしたね。
フープロなんか無いから、延々と裏ごし作業、お煮染めの8種類の具はすべて別々に味付けし、
北側の部屋に別々に保管、毎朝、人数分の鉢に8種類をもれなく盛り分ける時は、寒さで
震えてました。結婚して婚家のお煮染めが、筑前煮と知り「バンザーイ」と小躍りしましたよ。
年末に大きなリュックを背負い幼児の手を引いて、電車とバスを乗り継ぎ、駅前で夕食の買い物を
し、坂を登って実家に辿り着き、一息つくと、母に「姉のうちの布団を敷いてね」と言われ、
5人分の寝具を整えます。その後、サツマイモの裏ごしやら、くわいの皮むきなどしている内に、
姉一家が義兄の運転で到着、車で寝てきた姉は挨拶もそこそこに布団にもぐり込み、また爆睡。
夕食時、エネルギー満タンになった姉は、モラ父と大はしゃぎで、孫達は地雷を踏まないように
静かに遊び、義兄は時々地雷を踏んで爆死・・。私の夫は、父の話は右耳から左耳に流し、淡々と
洗い物などして、母のマグマを鎮める。夫には「変な家」という認識が最初からあったそうで
「なら、早く言ってよ~」と私は言ったのですが、「両親と結婚する訳でなし」と大雑把な夫。
この話を、最近、モラ親から独立した友人に話したら「うちとそっくり~」と言われました。
姉一家の5人分の布団敷き(全部にカバーを付けるとこから)、一日3食の接待と、「私は、嫁に
行ってこんなに苦労してるのに、あんたは呑気で羨ましい」と愚痴を聴かされる(友人は家業に
まつわる言うに言われぬ苦労をしてるのに)などの苦行が、なんと一週間から10日間、続くのだ
そうです。私は、思わず「あり得ない!」と叫んでしまいました。老親の元に、大挙して押し寄せ
るのは、せいぜい3泊4日が限界でしょう。それ以上居られるのは、友人が女中として機能して
いたからこそ。案の定、友人が家を出たら、姉一家はお正月に来なくなったそうです・・。
お酒が入っていた友人と私は「自分が寝る布団くらい、自分で敷け~!」と吠えてました(笑)
現代においてなお「女中」という身分制度はまかり通っています。私達だけじゃないと思う。
>憎しみを感じながら、早く歩き出せる様に、この感情が自分の中で落ちてくれないかなぁ歩き出すと「自分」が変化するので「憎しみの形」も変化するかも。それと、心をなるべく閉ざさ
ないようにしてると、偶然の出会いで、何かがストンと落ちる事もあるかもしれないです。
>それをあなたが家庭内で行使している事が公の場に出た時、あなたの周囲の人達は、あなたを>どう評価するのでしょう?」と夫に問いました。夫の顔色が変わり、結婚以来初めて夫から謝>罪の言葉を聞きました。その後一応は静かですが、今回はいつまでもつかなぁ…るりさんの言葉の説得力に恐れをなしたモラ夫。バレやすく、かつバレるとまずい職業なのでしょ
うか 。モラ夫は(体面が重要な?)仕事関係が弱点のようですね。だとすると、 るりさんは、
やりようによっては、離婚に関して主導権を握る事も可能なのではないですか。「近所で、
生活保護を受ける事になりますが、よろしいですか?」とか確認すると慌てそう・・。
>楽しい新年会。心の中で「おじゃましま~す!」と、参加させていただきました(笑)「みんな一緒でバラバラな」なかなかシュールな家です。モラは我慢できないでしょうね(笑)
るりさんと娘さんがいらっしゃると、うちのAS割合はどうなるのでしょう?私ひとり置いてけぼり
になっちゃったりして・・。全員共通の話題は「のだめ」。娘は、小さい女の子が大好きなオタク
です(アレッ?なんかヘン?)今年は、カラオケに行きましたが、各自歌う唄があまりに
カオス過ぎて、るりさんに覗かれたら、縁を切られる自信があります(あってどうする・・)
>年末から新年にかけて、一年の総決算とばかりに歪みきった家の実情を突き付けられる様。実家では親族が集まってましたが、同じ敷地に住んでいる叔母の夫が、孫が地球ゴマを回すのを
見て「あの動きを物理学的に説明するにはどうすべきか?」などと無邪気にとぼけてる。
私はそんな話より、これだけ人員がいるのに、祖母がなぜ一人で寂しくご飯を食べねばならない
のかを、真剣に話し合う事に貴方達のご自慢の頭脳を使えと思う。祖母を大切にしたくないなら
パラサイト達は祖母の土地から出て自立しろと思う。毎年、欺瞞に満ちた実家のお正月でした。
>「とっても幸せ。ありがとう」の意を両親に伝えなければいけなくて。>逃げる事は許されず「お正月から女子が外を出歩くなんて、お正月は親と共に過ごすもの。」私の実家とはまた違う「すごく怖いお正月」ですね。「閉じた家」の閉塞感で、息も出来ない。
判で押したような人生にこだわるご両親の強迫観念に、ずっと押さえつけられてきたるりさんに
とって、お正月に繰り広げられる光景は、これまた「欺瞞の総決算」状態だったのでしょうね。
娘に着物を着せて、来客に挨拶させたりピアノを弾かせたりするのも、親の自己満足ですよね。
私が中学の時、繰り返し聴いてた「ホテル・カリフォルニア」(イーグルス)という曲があります。
英語の詞の意味など知らず、でも暗闇で何度も何度も聴いていました。最近、その訳詞を知ると
同時に、それはアメリカ人にも読み取る事が難しい歌詞、幾重にも深い意味があるという事を
知りました。歌詞は「一度入ったら、好きなときにチェックアウトはできても、決して立ち去る
事は出来ない」という所で、終わっています。チェックアウトには「自死」の意味もある様で。
一切の望みを失った人間の、孤独をあぶりだすような詞です。私が、価値の無い自分、生け贄に
なる運命を絶対に変える事は出来ないと思っていた。そんな頃に聴いていた曲の意味を知る事で、
『ホテル・カリフォルニア』から、私は、今は、おさらば出来たのだと実感しています。
http://www.youtube.com/watch?v=MdF3E_p0MD8私達は「こんな恐ろしい家で、よく独りで頑張った」と自分を褒めてあげていいと思います。
>先輩とは、雪山の珍種の妖怪VS賞金稼ぎのエクソシスト状態になりつつあります(泣)すごくわかりやすい説明なんですけど、人間離れしてますね、双方が・・。
珍種の妖怪が、自分の思い通りになるはずはないと、先輩もわかってなくは無いのでしょうね。
>ここで、結果を焦るあまり、先輩の言いなりになってはいけないと、どうしても感じます。「どうしても感じる」んですね。それは、仕方ないですよ。もう、子供じゃないのですもの・・。
先輩も「抹殺」まではしないですよ。もったいないし、第一、寝覚めが悪いでしょう?
>相変わらず最後のトドメが刺せない人だなぁ…と思っています。と、るりさんは、トドメを刺してますね~。なんかスカッとします(笑)
>先輩を納得させるだけの実力を持ち、本当の意味で先輩の才能を開花させる人との出会いが「なかなか、現れない」ゆえに焦っておられるのでしょうか。その「代用品」は嫌ですよね。
>目先の最新の興行成績に囚われ作品を研究するのではなく、何よりもまず自分の世界観を確立>流行だけを追い結果を求め、ある程度の結果は出せても、自分が本当に求める表現は出来ず、私達が憎むべき「あの作品」の作者は、実はアレが本来やりたい事ではなく、大人の事情でやって
いるらしい。本当にやりたい事は別にあるのですが、人も金も集まらず、なのだそうです。
流行や表向きに現れているモノは、真実とは全く違う。結果を焦って、自分を売り渡さねばなら
なかったのは、情報社会では無かった過去の時代の話だと思います。今は、小規模でも「自分の
やりたい事だけをやっている」人々がいて、無名の人達が、投資して育てる時代が来ています。
「本物かどうか」を、これからの人達は「企業やマスコミに頼らずに」問うんだと思います。
再ブレークの「夜明けのスキャット」を歌う由紀さおりは43年間、自分の声を守り抜いた人。
彼女にしか出せない価値のある声と雰囲気は、話題になろうがなるまいが、変わらない事を、
「悔やみたくはない」と努力し続けてきた彼女自身が、知っているのだと思います。アメリカで
50セントで売られてた中古レコードの、ジャケットに魅了された外国人によって発掘された歌。
偶然なんかじゃない。『表現』を極めると、誰の力を借りなくても、国境が消えてしまいます。
彼女の『1969』は、欧米の人々の「口コミ」によって大ヒットしました。マスコミは、ほとんど
関与していません。特に日本のマスコミは・・。
>むしろ時代の華やかな最先端を行く恵まれた環境の中からではなく、最後尾の泥沼から、その>時代の推進力となる様な作品は生まれてくる。プロジェクトXの世界に近い様な…(笑)「夢と真摯さと強い信念」が求められますね。「運」は関係有るように見えて、無い気がします。
厳しい道ですが、人が歩む道のうち最も幸せな道だと私は思います。モラには見えない道です。
>それが嫌だと言うのなら、同じ表現手段を志していてもプライドを持って生きるフィールドが違>うのだから、最初から私に声をかけて欲しくない、せめて今後は邪魔をするなと先輩に言いた>いです。私は、実際には何も出来ず、あれ程助けてもらいながら、尚且つこんな偉そう感を先輩>の前で漂わせている生意気な後輩だと思います。あまりに「のだめと千秋先輩」と同様の『成り行き』なので、不謹慎にもこっそり笑う私・・。
>バトンの力を信じ、ここで敢えて博打を打つ方向に舵をきってみようと思っています。ASの>火事場のバカ力効果を期待して(笑)こう言う時は、根拠のない直感のみの夜間飛行ギャンブラーな私は、大賛成です。どうせ、いつかは死ぬんなら「好きに」生きましょう!
私も今まで「直感」で選んだ事は、紆余曲折は有っても間違いは無かったです。直感には実は
根拠が有ると思うんです。脳が今までの記憶から自動計算して、算出している結果なんじゃないか
と。下手に考えて、手動計算して結果を訂正したりしないで、素直に行くのが「吉」と思います。
>「ひとつの幸せのドアが閉じるとき、 もうひとつのドアが開く。 しかし、よく私たちは閉じた>ドアばかりに目を奪われ、 開いたドアに気付かない。」いつか、リアルで「掲示板に書き込み続>けていた、あの時がまさにその時だったね。大変だったね。」と、くれぺりんさんや>ルールーさんと談笑する日が来て欲しいと願いながら。本当にそうですね。上品な談笑で済むくらいに、私「大人」になっておかなきゃ!その頃には、
世の中の、モラハラについての周知も進んでいてほしいです。どうすればいいでしょうかね。
たとえ開いたドアに気付いても、その先の未知の領域に踏み出すのには勇気が要りますよね。
ここで敢えて舵をきろうという、るりさんの「心意気」を尊敬します。
>私もです。こんな話を出来る人と出会えるとは想像すらしていませんでした。私は、るりさんがASだったというのが、ビックリで・・。ASというのは、本当に理解されない
ものなので「孤独」でした。両親モラは異常な世界なので、理解されなくても無理もないと思う
のですが、ASに対する世の受け止め方(例の漫画のような)は私は嫌でした。なので、るりさんに
「もう面倒くさくて、でもとても純粋で、楽しくって、こだわりが強いとうんざりするけど、
やはり彼らの心が未来を開くと感じる」といった心境を、自由に話せるのが嬉しかったです(^-^)
>自分を生きる事は許されていなくても、むしろ感受性は人並み以上に鋭く研ぎ澄まされている人の心は殺してしまえるとモラは思っているけど、死んだように見えて、実は死んでない。最下層
というよく見える位置からすべてを心に記録し続けていて、辛すぎて封印した事実も、パソコンと
違い、絶対、消去されない。だから油断しているモラに、突然「真実を告げる」とゾンビが
出たごとく、大騒ぎします。私達には「意志が無い」と舐め切っているから・・。
「大騒ぎ」を避ける為に、私はずっと「自分を生きていない」顔をしていたんだなぁと思います。
>時々、雪女のコスチューム的には、それはアウトなんじゃないかな?と言う格好をしています夏には着物を脱いでませんでしたか?お母様の「着せ替え人形」は、消えちゃいましたね。
コスチューム的にアウトな格好・・・大リーグボール養成ギプスを付けてムキムキとか?(笑)
>私の人生の転換期になる年は、不思議と強力に寒い年が多く「御協力ありがとう、出来るだけ>上空に長く滞留しててね。出来れば来年もよろしくお願いします。」仕事用に最強の裏フリースジーンズも買ったし、冷え性だけどエ~ンヤコラと頑張って耐えます!
寒けりゃ寒いほど、るりさんの春は近いと信じて・・。