いつも大変お世話になっておりますm(_ _)m
モラハラ調停離婚し 七年たち心身ともに壊れて入院になったみはねと申します
入院中には医師に 一人親に家事、育児、仕事に両親は県外。子供は多動気味 これは病んで当然です。 旦那さんがいるひとでも子育てで病むお母さんはいるほど 育児は大変なんです
と労ってくれ 母のような否定的なことを一切言わず 治療してくださるドクターでした 甲斐あって 近々退院できそうになり ケース会議をひらくことになり 県外から両親にきてもらうことになりました
前日 私は唇を剥く行動が止められないほど 過度な緊張と怯えがありました 母になに言われるんだろう なにされるんだろうと (県外からわざわざでてきてくれることは申しわけなさ、感謝はしています)
そして今日 ドクターに訪問看護 ケアマネ 児童相談員さんなど集まり退院に向け プランを説明してくれていました
予定通りの退院日で大丈夫そうで 入院前に両親が もし退院が長引きそうなら 私たちがあんたの県にしばらくいて こどもをみるからと、言ってくれていましたので 退院までの数週間、わたしの県に両親がきてくれ児相から子供を引き取り(一時保護中は学校に通わせてもらえないため学校に少しでも早く復帰させてあげたかった)みてくれるのかと話すすむかと思いきや わたしが退院するまで児相いてもらい登校は私が退院してからで 親がたまに手伝いにくる、で
といわれました
え!?わたしの記憶違い?話違わない? 10月の最後の一週間くらいは引き取ってほしかったし
それ聞いてからもう最悪で ずっと下を向いていました
この感覚…覚えてる… 調停で平気で言うこと変える手のひら返しの夫…
いやもしかしたら二ヶ月入院するなら、て話だったのかもだし と冷静にならなと頑張りました
おわったあと あんたちょっと外でてて、と 私に一旦外に出し看護士さんと話してたり 相変わらず謎なことするな〜と 何を話してるんだろう 看護士さんまでコントロールされたらどうしよう、とか考えながら外で待ってました
両親にお礼をいい 病棟ドアまで見送るとき 看護士さんの前で 母ひとこと 「あんた痩せなよ」
一時期ソイジョイしか食べることができず1ヶ月で四キロおち フラフラでトイレまでやっといく 体が回復した娘に言う?と。
相変わらず人がおるまえで恥かかすこと言う人やな〜と 顔から火が出るより血の気が引く感じで した
あんまりに腸にえくりかえったため (児相さんに渡すはずだった子供に渡す図鑑も忘れてきてるのも私は怒らなかったのに) 電話で「体型のこといわないでて言うて何十年たつんよ 過食嘔吐まだ治ってないんでよ デブとブスがほんなにいかんの? 一体なんキロになったら許してくれるんよ」と言うと 「あんたまだ過食治ってないん⁉ 今なんキロよ、ん〜あとニキロかな」 だそうです あと「お母さんもあんたと同じ過食嘔吐病気だった中学で両親いなくてお父さんあんなんで帰る場所なくて、12キロ太った」 と言われ 前なら 嗚呼そうか…お母さん可哀想やったんやなとなってましたが はいでました 話のすり替え と思えるようになってました
子を預かってもらえないて決定だけでも 爆発しそうなのに 最後の最後までやられたなと思います
相手にしない、同じ土俵にあがらないが できる日とできない日が まだまだあります
退院したら管理人さんの著書 「母を〜」の本買ってまたパワーアップしてやるからね!と思いながら
枕ぼこぼこ叩いてます(苦笑)
本当に悔しい 母は両親に恵まれず父からDVを受けていた不幸な可哀想な人です
でももう許せないと思ってしまっています 寄り添ってあげられません
長文読んでいただき ありがとうございましたm(_ _)m
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