大阪のシンポジウムに行かれる皆さんの書き込みが続き、楽しみにされているご様子が伝わってきますね!どうぞ有意義で楽しい集まりになりますように・・・!
ぜひまたようすをお聞かせいただければうれしいです。
さて、別の話題ですが・・・場違いかもしれませんがごめんなさい。
今このときも結婚生活に悩み苦しんでいる方々、誰かに聞いてほしくて掲示板にやっとの思いで書き込んでも、またその書き込んだことで辛くなってしまったりする方もあるのかもしれません。あとでお返事したいなと、何だか気になりながらも時間がたってしまい書けないことが多いです。書き込みを消された方もご無事でいてほしいです。
夫のしている(していた)ことがDVと気付いてみれば、結婚制度とはなんて恐ろしいものでしょうか・・・!その恐ろしさに気付かずに済む人は、なんて幸運なのでしょうか・・・!
どなたかこちらの掲示板でも紹介されていたかもわかりませんが、配偶者からなんらかの暴力(身体的、心理的、性的)を受けたことがある人は、女性が32.9%、男性が18.3%、というデータがあります。
http://www.gender.go.jp/e-vaw/data/dv_dataH2407.pdf1、2度あった、という回答も含んでいますが、男女を単純に足せば半分以上、相互にダブっているとしても約1/3の割合で、夫婦間で暴力が行われたことがある、ということになります。。。
そんなもん、でしょうか。。。
私は、暴力のない関係こそが普通で大多数なのだと言っていいのかしらと、戸惑ってしまうような数字に感じました。。
そして容易には離れられないのも(特に女性にとっては経済的な面等で困難が多いですし)、結婚生活の怖いところ。
とつねづね思っていたら、新聞小説にそんな結婚の怖さ、不条理さの表現がありました。
日経新聞の夕刊に現在連載中の、重松清の「ファミレス」という小説です。
幼馴染の3人の中年男を中心に、その妻たちや周囲の人々の人間模様が、ときどきお料理のレシピなんかも織り交ぜながら、コミカルにしかしこの作家らしいどこかじーんと後味の残る感じのお話で展開しています。
今日の出だしは、3人のうちのひとり、一博の妻桜子(京都の母の介護を理由に事実上別居中)が、一博と友人の陽平に向って言うこんなセリフでした。
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「わたし、会社に定年があるんだったら、夫婦にも同じように定年があってもいいんじゃないかと思うんです」・・・(中略)・・・
「生涯の伴侶っていう考え方は、平均寿命がいまよりずっと短かった時代だからこそ成立したんですよ。二十代や三十代で結婚して、そこから四十年、五十年、ヘタすれば六十年以上・・・・・・長すぎますよ。それで『一生、離れません』『生涯、連れ添います』なんて結婚するときに誓わされるのは、ちょっとおかしくないですか?」
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桜子がこんな風に考える背景には、結婚生活から離れたくても離れられなかった母の姿があったようです。
桜子は言葉に微妙なトゲや哀しみ、やり場のない怒りをにじませながら、母親のことをこう話します。
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「要するに、還暦を過ぎてからの母は、ずーっと誰かの介護や看病をして、『嫁』や『妻』の務めをなんとか果たした矢先に、今度は自分が倒れて半身不随になったわけです」・・・(中略)・・・
母親は、自分の介護のために帰郷した桜子に、涙ながらに告げたのだという。
「母は四十代の半ば頃から父と離婚したかったらしいんです。でも、踏ん切りがつかないまま五十代になって、還暦近くにもなって、そうしてるうちにお舅さんが病気になって、お姑さんも倒れて・・・・・・逃げられなくなって、結局、父まで看取ったあと、今度は自分が倒れてしまったわけです」
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このような女性の・・・妻、嫁、母の「立場」での生き方は、これまで日本の社会ではごくありふれた、「当たり前の」ものだったかもしれません。・・・そしてこのような『嫁』『妻』の務めを果たすことが、世間からも賞賛され、奨励されてきたのでしょう。このような務めを果たさなければ、同性である他の女性からすらも激しい批判を浴びて来たところがあるに違いありません。
ちなみに、このお話の中で、桜子が夫の一博からDVを受けている気配はありません。むしろ勝気で美人の桜子と、妻がいつまでも戻らないことに困惑している人の良い夫、という感じの描き方になっています。桜子の母親が離婚したいと思った理由も書かれてはいません。
そんな一見ふつうのDVのない夫婦関係でも、本質的に結婚制度は特に女性にとって重たく負担の大きいもの・・・と考えさせられます。
梨木香歩さんの「沼地のある森を抜けて」という本に、風野さんという中性的な男性が出てきます。
細かいところは記憶が間違っているかもしれませんが・・・、風野さんが男性を捨てたきっかけは、母親を奴隷のように使い捨てた父と祖父でした。
彼らは、癌で入院していた母親を、「家で介護するから」と、一見温かい家族のような言葉で家に連れ戻して、看病もせずにさんざんこき使い、ぼろぼろになってついに亡くなった母親の葬儀が終わると、母親のことをこんな風に言うのです。結婚して○○年か、あれも意外ともたなかったな、と。
これは小説の中の酷い話ではありますが、、実際こんな酷い男たちが現実にもいるのですし、意識するとしないに関わらず、多少なりともこのような感覚を持っている男性は世の中には多いような気がします。
一方で、意識的に女性に対する態度を省みることのできる男性や、意識せずとも女性を人間として尊重することのできる男性もいるように思います。
(「ように思います」と書いたのは、男性に対していまだにいつも警戒心を抱いているためかもしれません)
言葉の暴力、言葉がない無視や人間性を否定するような態度だけでも、人間壊れてしまいます。
苦しい時は助けを求めて、生きるのが楽な方へ逃げてもいいと思います。
長文になり失礼いたしました