No.7736 信田さよ子さんの新刊 投稿者:バーバラ 投稿日:2012年06月07日 (木) 00時04分 [返信] |
『DVと虐待』『加害者は変われるか』などの 著作で、DV問題を扱ってきた信田さよ子さんの 新刊『それでも、家族は続く』を興味深く一気読み してしまいました。
DVにおいては、被害者が「自分が夫を怒らせるのではないか」という加害者性をもち、 暴力をふるう加害者に 「妻がオレを怒らせるから暴力をふるわざるを得ないのだ」という被害者性があるということを 信田さんは、ずっと指摘しておられましたが、
今回の著作で、目からウロコは 「女性は怒りをどう扱うか」という文章 でした。
私の中に元夫に対しての”怒り”が希薄なのに 気がついて愕然です。この掲示板など、人が された理不尽なことには怒りを感じて、
思いあまって、書き込みをしたりしてきましたが、 自分がされたきたことには”怒り”より 悲しみ、と無力感、絶望、といった感情のほうが ずっと強いし、どうも、私のウツ症状というのは、それによるのかな、と思いました。
P.118「容易に表出されるこのような彼ら(加害者)の怒りと、妻である女性たちの恐怖に押しつぶされそうな行きも絶え絶えの姿との鮮明な対比こそ、怒りにおけるジェンダーの問題をもっとも雄弁に表しているのではないだろうか」
それから、 「訪れる痛みと与える痛み」という文章にも 深く納得しました。
どうも、私のなかにある深い深い怒りは、痛みと 紫斑になって現れているような気がしました。
DVのからくりは十分わかって、自分の受けてきたしうちが暴力であり、自分に責任がないことは 知識としてはわかっているのに、”怒り”がわいてこないのです。
むしろ、からくりがわかればわかるほど、 そんな下劣で、残酷な男だと見抜くことができず、結婚して、20年以上も奴隷のようになっていた自分に絶望するのですが、
でも、こんな文章もありました。
P.109「女性であること、結婚したがゆえに被らざるを得なかった数々の不幸に向き合うことを 避けてはならない。それは後ろ向きなマイナス思考として批判されるべきではなく、どれほどみじめであろうと直面しなければならないのだ。
安易に娘の人生に入り込み生き血を吸い取るような人生よりも、自分の不幸に向き合ってこそ、 他者としての娘が浮かび上がる。」
こういうことを書くのは、信田さんしかいないような気がして、何度も何度も読み返しています。
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No.7740 バーバラさんへ 投稿者:COCOA 投稿日:2012年06月07日 (木) 08時16分 |
バーバラさん、おはようございます。
おかしな体調でした。 疲れているのにハイテンションで、眠いのに横にならない自分を見ている自分。
眠れば、疲れが取れると解っているのに、次々にあれこれと「しなくちゃいけない」が先だって・・・ 能率の悪い仕事をしてみるものの・・・ストレスの蓄積ばかり。 昨日夜勤明け、眠ること4時間プラス7時間・・・そして朝☀
ゴミ出しをする私を、庭の階段を降りれなかったミニチュアダックスのモカが、走って後を追っかけてきました。 可愛い、愛おしいなあ・・・*と癒されながら、慕われる責任を感じたりして・・・
色んな事が、今、ちょっと重いのです。 オーバーワークの中で、見たのが元夫の夢でした。 何故出てくるのでしょう。 また、冷たい、悲しい夢でした。
~バーバラさんの『思いあまって、書き込みをしたりしてきましたが、 自分がされたきたことには”怒り”より 悲しみ、と無力感、絶望、といった感情のほうが ずっと強い・・・』~
怒りでなく、悲しみや絶望の感情が渦巻く夢の中での私です。
取れていないこの悲しみを月日だけで忘れていけるかと・・・思いながら朝ひらいたこのパブにバーバラさんのスレッドでした。
さっそく、信田さよ子さんの新刊『それでも、家族は続く』を読んでみたいと思います。
ありがとうございます。バーバラさん。
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No.7741 おはようございます! 投稿者:くろすけ 投稿日:2012年06月07日 (木) 09時22分 |
全てのモラハラ加害者には非常に多くの共通点があり、全てのモラハラ被害者は十人十色、と言われますね。
ここの書込みを拝見していると本当にそう思います。
私はどちらかというとモラ夫に対して「怒り」を感じることが出来ています。
ちょっと落ち着いて来ましたが、3月4月あたりは「復讐するは我にあり」でした。 契約社員でずっと働いていて、職場ではそれなりの評価を頂いていたので「自己肯定感」があったからかも知れません。
>女性であること、結婚したがゆえに被らざるを得なかった数々の不幸に向き合うことを避けてはならない。 >それは後ろ向きなマイナス思考として批判されるべきではなく、どれほどみじめであろうと直面しなければならないのだ。
この言葉は…重いですね。 とても辛い作業ではありますが、共感している自分がいます。
がんを経験したことも関係在るかも知れません。 告知を受けた時、私は「なぜ自分なのか?」と理由を求めていました。 当時、個人的に嫌いな人を思い浮かべては「どうしてあの人じゃなくて自分なの?」とさえ考えていました。
でも理由なんてないんですよね。 理由がないから理不尽なのだ。 そしてこの世は理不尽なことだらけなのだ、あるがままを受け容れないと、前に進めないのだと思い至りました。
>からくりがわかればわかるほど、そんな下劣で、残酷な男だと見抜くことができず、結婚して、20年以上も奴隷のようになっていた自分に絶望する…。
実父がやはりモラハラで実母も同じことを未だに言いますし、私自身も自分の愚かさに愕然とします。
でも車を運転していて避けようのない事故が有る様に、私達モラハラ被害者はモラハラ加害者を避けようがなかったのだと思います…。
>安易に娘の人生に入り込み生き血を吸い取るような人生よりも、自分の不幸に向き合ってこそ、他者としての娘が浮かび上がる。
このバーバラさんのお言葉(決意)に思わず鳥肌が立ちました。 上手く言葉でお伝えすることが難しいのですが、雷に打たれた様です。
松本サリン事件で容疑者とされた河野義行さんがオウムの一連の公判が終了した時にこう仰っています。 >「事件前に戻ることはできない。ならば死刑囚らを恨み続けるような人生の無駄はせず、 残された者として平穏に生きる」 >「私にとってのオウム事件は、妻が亡くなった二〇〇八年八月に終わっています」
理不尽さを全て受け容れた強さというのでしょうか。河野さんと同じものをバーバラさんに見させて頂いた気がします。
長くなってしまいましたが、思わずレスをしてしまいました。 取り留めのない文章、お許し下さい。
バーバラさん、梅雨も近いです。 どうぞお身体に気を付けてお過ごしくださいね。
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No.7745 怒りを感じるということ 投稿者:バーバラ 投稿日:2012年06月07日 (木) 22時01分 |
COCOAさん くろすけさん
いやぁ、信田さんのこの本『それでも、家族は続く』おすすめです!
信田さんのDVに関しての考察は、ほんとうに見えない自分の姿をいつもよくあぶり出してくれるので、 くり返し読みますが、自分に”怒り”がない、 ということには、発見でした。
そして、気づくと、グループカウンセリングで、 怒りがあって、元夫に「死ねばいい」と毒づける 人と、私のように、”怒り”を感じないというか 表現できない人に別れることに気がつきました。
思えば、裁判中、相手のやってくることに関して 怒ることもできず、よく泣き、怖いと連発する 私に弁護士の先生が不思議そうでしたけれど、 それがようやくわかりました。 ”怒らない私”に対して もどかしく思っておられるような感じもありました。
ふつうは、ここまで理不尽な暴力をふるわれたら 怒るものなのかもしれませんね。
怒りより、悲しみ、悲しみを通り越して、死にたくなる、、、これが私の現状です。ずいぶん、よくはなりましたが。
信田さんは加害者プログラムにも携わっていらして、その感想をこんなふうに述べておられます。
P.118 「彼らは、パートナーが逃げたり別居・離婚を申し立てたりしたために、妻に戻ってきてもらいたい、と思ってプログラムに参加しているのだが、二言目には、妻への怒りをにじませる。 そこには、加害者としての自覚などかけらもなく、ただ怒りだけが渦巻いている。 (中略) 容易に表出されるこのような彼らの怒りと、妻である女性たちの恐怖に押しつぶされそうな息も絶え絶えの姿との鮮明な対比こそ、怒りにおけるジャンダーの問題を最も雄弁にあらわしているのではないだろうか。 (中略) DVの加害・被害は、まったく正反対の当時者意識によって対になっており、教科書的理解は表層的にすぎないことがよくわかる。
(中略) なぜ、彼女たちは夫に怒りを抱かないのか。きっと彼女たちは夫に未練があるのかもしれない、などという誤解も生まれるだろう。それほどまでに、彼女たちにとって被害者であると認知できるまでのハードルは高いのである。」
私も思えば、自分が被害者であるという認知は ほんとうにつらかったです。でも、それはもう、ほんとうによくわかってきたし、理解しているのですが、、、
COCOAさんも被害者であるという認知が揺らぎないものに鳴るのに、時間かかりましたよねぇ。
くろすけさん >自分の不幸に向き合ってこそ、他者としての娘が浮かび上がる。
と言ったのは、私ではなく、信田さんですから。
娘には、こんな目にはあってほしくないなぁ。 娘だけでなく、すべての女性に、あってほしくない。世の中に残酷なことはたくさんあるけれど、 DVもまた、もっとも酷いことのひとつと思います。
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No.7747 認知するつらさ 投稿者:こまわり 投稿日:2012年06月08日 (金) 11時35分 |
はじめまして、最近書き込みをさせていただいています。こまわりともうします。
>私の中に元夫に対しての”怒り”が希薄なのに >気がついて愕然です。この掲示板など、人が >された理不尽なことには怒りを感じて、
バーバラさんのこの一文で、
同じく私も夫に対して怒りの感情を持てていないことを再認識しました。 未だに三大成人病とメニエール病(本当か不明、酒の飲みすぎ?)を抱えた夫の体調をどこかで心配している私がいます。
子供たちに対しても精神的に深く傷つけてたし、友人にも絶対に復縁すべきではない、戻られたらまた傷つけられるだけ。とまで言い切られているのに。
ただただ苦しい、切ない。
人としてありえない人間にただ取り繕う耳障りのいい言葉に酔ってひたすら添い遂げようと、ダブルバインダーにオロオロして。 そんな自分をしっかり認知しないとイケナイのに、多分しきれていないんですね。
「俺はお前が一番嫌がる言い方を選んで、言っているんだ。」
新婚の妻に向かっていう言葉じゃないですよね、私が気がきかないからだって だからそう言われても仕方ない そう思っていました。
信田さよ子さんの本片っ端から読んでいます、自宅にこういった類の本があると、子供たちが嫌がるので図書館で借りています。予約を入れました。
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No.7754 怒り、の感情 投稿者:ラッパ水仙 投稿日:2012年06月09日 (土) 01時04分 |
バーバラさん、こんにちは、お久しぶりです。
バーバラさんのスレッドと、皆さんのコメントを読ませていただき、考えてみると、 私も、現(元)夫に対して、{怒り}の感情がありません。
あんなことされた、あんなこと言われた、という記憶は、 「ばかばかしい」「くだらない」と、 彼を見下す、卑下する感覚で決着しています。
会えば普通に話もできます。 (私は)無関心なので、口論にもなりません。
ただ、夫のほうは・・・・ 私の無関心&冷静な態度を最大限に曲解し、 「自分への好意」と受け取っているようで、まだ離婚に合意してくれません。
不思議なことに、夫は私に「怒り」の感情があるようです、やっぱり「加害者」だから? 奴隷がご主人様にタテをついて、怒っている? 今も、離婚してくれないのは、奴隷を解放したくないからでしょうね。
これがモラハラ。 私のことを少しでも思ってくれるなら、別れてくれますよ。
愛されていないことを認めるのは、できましたが、 被害者だと認めるのは、まだできていないようです。
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No.7756 向き合うこと 投稿者:るーふぁん 投稿日:2012年06月09日 (土) 10時54分 |
バーバラさん、
カウンセリングの現場におられる信田さんの言葉は、洞察と示唆にあふれていますね。 新しいご本も読んでみたいと思います。
バーバラさんが紹介してくださった信田さんのご本のp109の言葉 「女性であること、結婚したがゆえに被らざるを得なかった数々の不幸に向き合うことを 避けてはならない。それは後ろ向きなマイナス思考として批判されるべきではなく、どれほどみじめであろうと直面しなければならないのだ。」 は、とても大切なことだと、自省も含めて思います。
この対極にある妻・母親も多いのでしょう。。 以前バーバラさんが書かれていたので、私も最近時々、信田さんのツイッターやブログを読んでいるのですが、昨日は信田さんのこんなつぶやきがありました。
「そうか、自分は子どものことを思ってるんだからいい母に違いないのに、なぜか娘が脱出して会うことすら拒否している母親は、全員が似ている。あの内容空疎な言葉と「子のことを思わない親はいない」ということわざを錦の御旗にするところもおんなじ。娘から恐怖の対象になってるなんて寸毫も思わない。」
「その母とセットになった父。娘に対して一切の感情を動かさず、自らのルールを法として強制する。興味がないときは目の前の娘が不在(透明)であるかのように扱い、娘を人間として認知できないのに嫁に行くなという父。長年この国で組織の一員として生きるうちに喪失するものがあることを体現する彼ら。」
そして、「ひきこもる息子たち」という連載の中で、信田さんはこうも書かれています。 「私は内心で深い懸念を抱く。あらゆる問題を先送りしてきた夫婦が、ここまで妻が深く失望しているにもかかわらず、息子のための共同戦線を果たして組むことができるものだろうか、と。」
形だけの夫婦――夫婦関係が破たんしていながらその現実に向き合わず過ごしていくことが、どんなに子も含めて人の精神に影響を及ぼすものであることか。たった一人の体験ですが私も身をもって知ることになりました。
また、信田さんのこの言葉、「長年この国で組織の一員として生きるうちに喪失するものがあることを体現する彼ら」に、最近こちらの掲示板で話題になった『原発危機と「東大話法」』(安冨歩著)を思い起こします。
安冨さんは、この本の最初の方で「名を正す」すなわち、正しく言葉を使うことの大切さに触れているのですが、例としてこんなことを書かれています。
「とはいえ、正しく言葉を使うことは、大変、勇気のいることです。たとえば、家庭でも、夫婦仲が悪くなっているというのに、「夫婦なんて、どこだって、こんなもんだ」ということにして、「夫婦仲が悪い」という言葉を出さないでいることにより、果てしない欺瞞と隠蔽とが生じ、困難と苦悩とが生まれます。それは夫婦のみならず、家族全員を窒息させてしまいます。」
「どこもこういうものだ」はモラ夫の口癖でした。 それを我慢できない私は悪者でした。 年配の方にもよく「どこもそんなものよ」と言われました。 それは、諦めという名の慰めにもなりましたが、結局は問題を先送りにしただけでした。
安冨さんはこの本の中で、原発問題を中心に、日本社会に蔓延する欺瞞話法を鋭く暴いていくのですが、本の後の方で、それを周囲が見抜くことの重要性について触れています。 少し長くなって恐縮ですが、その部分の引用です。
「東大話法を振り回されると畏れ入って感心したり、納得したりする人もまた、重要な加担者です。東大という権威を以て東大話法を話せば、多くの人が納得し、その納得がまた東大の権威を持ち上げる、という相互依存構造になっているのだと私は考えています。単に相互依存しているばかりではありません。東大話法を振り回された人が、畏れ入ってしまうと、今度はその人に東大話法が侵入してしまいます。かくてその人が今度は、別の人に東大話法を振り回します。それは単に言葉遣いがうつるというばかりではなく、その欺瞞的精神の作動そのものの感染です。」
モラハラ、DVの連鎖もこれと似ていると思います。
このような連鎖を断ち切るために、怒りは大切なエネルギーになると思います。 マリコさんもしばしば、怒りの感情の大切さについて教えてくださいます。 つぶやき掲示板に書かれる皆さんの怒りも、私には大切な炎のように思えるのです。
私自身はラッパ水仙さんの感覚に近く、長い間夫に対して感情を押し殺してきたためか、無関心・無感情に近くなっています。 同居時は、夫とのことをよく笑い話にして、周囲にも笑ってもらっていたことを思い出します。無意識に、深刻になることを避けていたのかもしれません・・ しかし今胸の底には怒りがあるように思います。 「あるように思う」というのは、はっきりした激しい感情ではなく、激しく吐露しぶつけるようなものではなく、静かなものなのです。それは、悲しみと悔恨とともにあります。
唐突ですが、焚火をなさったことはおありでしょうか? 薪を積み、ソダ木に火をつけると、やがて太い木に燃え移り、ゴウゴウ、ボウボウと、激しく炎が燃え出します。 そうした最初の激しい炎だけでは、不安定で消えてしまうこともありますが、しばらく燃えているうちに、オキ火ができます。 オキは赤く火のついた炭のようなもので、それ自体はもう大きな炎は出ませんが、とても熱く、長いこと燃え続ける強い力を持っています。
今私が生きている力の一つは、このオキ火のような怒りもあるのかもしれません。(ウ~ン、なんだかコワい表現になっちゃったかな?)
長文失礼いたしました。
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No.7768 COCOAさんへ 投稿者:マリコ 投稿日:2012年06月11日 (月) 09時54分 |
横レスですが申し訳ありません。
COCOAさん。こんにちは。
10月13日と14日(リハと本番)、新日本フィルハーモニー交響楽団と「ベルディのレクイエム」を共演されるのですね。 素晴らしいですね。
>でも、こんなチャンスは私の人生で二度とないと思うのです。 だから、ベルディのレクイエムを成し遂げます。
パチパチパチ(^_^)v。マリコも応援してますね(^^)/。
>皆さんにお会いできるのはもう一年後になりそうです。 でも、必ず、元気で会いに行きます。
COCOAさんにお会いできないのは、とても残念ですが(T_T)、またとないチャンスです。 こころとからだ全部で楽しんでくださいね。 また別の機会にきっとお会いできると思います。
>お会いした事もないのに、皆さんのお顔が浮かびます・・・*
COCOAさんたら~(*^_^*)。でもうれしいな。そんなに私を含めた皆さんのことを思って下さってるなんて。
また逢う日まで♪ですね。きっと会えますように。
ここから怒りについて書きます。
>疲れているのにハイテンションで、眠いのに横にならない自分を見ている自分。 >眠れば、疲れが取れると解っているのに、次々にあれこれと「しなくちゃいけない」が先だって・・・
COCOAさん。今まで、元DV夫に拘束されて、ご自分のしたいことができなかった、反動が来てるのですよ。 自分らしい人生に花を咲かせたい。今その真っ最中なのではないでしょうか?
体力気力にも限界がありますから、バーンアウトしないよう、からだを休ませて下さいね。
それにしても、元夫の夢! 苦く悲しい目覚めでしたね。 怒!怒!怒!→DV元夫←「何で、夢に出てきやがんだよ~。お前の顔なんか見たくない!私の大事な睡眠の邪魔するな~!アホたんが!!!」 COCOAさんの代わりに怒鳴りつけてやりました。←ま、こんなのが怒りの見本です。 今ごろ、元夫は耳が痛くて耳を押さえてるかも知れませんね。フフンだ(^_-)。
>怒りでなく、悲しみや絶望の感情が渦巻く夢の中での私です。
COCOAさん。なぜ自分が夫からこんな目に合わせられなければならなかったかと思うと、悲しみでいっぱいになってしまうのですね。 幸せになろうとして結婚したのに、大事な家庭を壊してしまったという後悔で、絶望的な気持ちになられるのでしょうか。
確かに、薔薇の花の咲くお庭のある大切な家庭だったんですよね。 そこに元夫の不当な暴力さえなかったら。 元夫があなたと子どもさんたちを壊そうとしたから、その理不尽な暴力から、みんなで逃げたのですよね。 暴力の被害を受けて、COCOAさんと子どもさんたちみんが傷ついて。
失ってしまった家庭・・・悲しいですよね。 十分悲しむ必要があります。 大切な大切な家庭だったのですから。
怒りは十分に悲しんだ後で出てきます。 基本的人権(生命、自由、幸福の追求をする権利、社会権、生存権)を侵されていたのですから。
COCOAさん。人生いろいろ(演歌じゃないけど)苦しいとき、悲しいときがあります。 でも勇気を持って、今COCOAさんは、ご自分と子どもさんを守り、豊かといえない生活であっても、安心と安全と自由を獲得されて、自分らしい人生の花を咲かせようとされてるのですよね。 ほんとうに素晴らしいことです。敬意を表します。 ハードな仕事をされてるのですから、少しゆっくりして、ご自身をお大事にして下さいね。
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No.7779 バーバラさんへ。 投稿者:mi 投稿日:2012年06月13日 (水) 22時53分 |
お久しぶりです。miです。
最近なかなかこちらに来ることができなくて ぱたぱたした毎日を送っています。
不安定なお天気ですが体調はいかがですか?
私は少し疲れがでたのか、めまいがして・・・ 今度医師に相談しようと思っています。 1年前に比べたらかなり元気にはなったので 全体的には良くなっていると感じています。
怒りと喪失の悲しみ 何かの本で、女性は怒りより悲しみを感じやすいと読みました。
私は裁判中にカウンセラーや信頼してる人に そんな理不尽なことには怒っていいんです 理不尽だからこそ戦うんです と何度も言われました。
理不尽なことに怒りを感じること は、自分を守るのに大切だと感じます。
怒りをぶつけられ続けると、 怒りを感じることさえ悪いことや嫌なことのように感じたりしましたが・・・ その怒りのエネルギーをどう出すかは、その人によって違うのだなぁと思います。
こころに蓋をせずに こころが感じてることをありのままキャッチする
今、こころがけていることです。
身体がこころの声を伝えてくれてることも多いですよね。私はすぐ蕁麻疹や疲れなど身体に症状がでます。きっと感度がよいのでしょうね。^^
なんだかとりとめもなく書いてしまいました。
ご無理をせずに、眠れるときはゆっくりお休みくださいね。
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No.7783 るーふぁんさんへ 投稿者:COCOA 投稿日:2012年06月14日 (木) 04時27分 |
るーふぁんさん、お久しぶりです。 横レスですが、自分の過去を振り返り、共感できました。
> 「ひきこもる息子たち」という連載の中で、信田さんはこうも書かれています。 > 「私は内心で深い懸念を抱く。あらゆる問題を先送りしてきた夫婦が、ここまで妻が深く失望しているし、にもかかわらず、息子のための共同戦線を果たして組むことができるものだろうか、と。」 > ・・・何度、これを繰り返したことでしょうか。 正しい道を知らないために、何年間長男に苦しい道を歩かせたことでしょうか。 今は、残念な父親としっかり決別し、やっと自分の足で生きるようになりました。
> 同居時は、夫とのことをよく笑い話にして、周囲にも笑ってもらっていたことを思い出します。無意識に、深刻になることを避けていたのかもしれません・・ > ・・・そっくりな事をしていました。 とても自分では解決ができないであろうと、問題にすることを避けていたのだと思います。
裁判をしている頃は、相手からの陳述書などを読み、怒りの感情もあったかと思います。 しかし、こうして裁判を終え、離婚し、静かに生活をしているとそれは薄れます。 時には、大丈夫かなあと心配したり・・・ むしろ、相手に対してより、自分が歩んだ人生への後悔や、悲しみの感情に襲われます。
でも、本人尋問の時の夫の姿や冷笑しながら話した歪んだ主張を思い出すと「怒り」の気持ちの存在を確認します。 裁判をして良かったのだと思います。 そこで、やっとしっかり自分の人生に向き合う事が出来たのだと思います。
るーふぁんさんのレスを読んで、改めてこの2年間の裁判は、私の人生に必要なターニングポイントだったと感じました。
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