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「モラル・ハラスメントのすべて」~夫の支配から逃れるための実践ガイド~
<管理人のモラハラ離婚体験記>
家庭モラル・ハラスメント
<母から愛されなかった娘の話>「母を棄ててもいいですか?支配する母親、縛られる娘」


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No.6724 自分がモラ母である可能性について 投稿者:seiko   投稿日:2012年01月22日 (日) 13時32分 [返信]

私の悩みに答えを見つけることができればとてもありがたいので
感じたままを、厳しい答えであってもいただけたら嬉しいです。
文章にするのはなかなか難しい作業で、これから私が書くことで不愉快になられる方もいらっしゃるかもしれません。

夫と私だけにわかる無視と性的虐待の結婚生活でした。
結婚直後から過呼吸やアレルギー、頭痛、便秘、情緒不安に悩まされつつも
理想的な家庭を築きたいと
その場その場を衝突しないようにやり過ごしつつ、娘と息子を育て、仕事を継続し、
良い娘良い嫁良い妻良い母のふりをしていました。
自分の中に矛盾と不安と焦りと見栄が混在していたので
娘を育てる時、息子と違って必要以上に肩に力が入り、
愛情とも執着とも怨念ともいえないどろどろした感情が入り交じって、
冷静に記憶をたどることもできないほど私の中で私と娘は同一のものであったと思います。

娘を完璧な女性に育てたかった。
ただし具体的に完璧な女性像など持っていなかったので
ただなんとなく
自分の嫌なところは排除し自分に足りないところは補う
という行き当たりばったりの日によっては言うことの違う一貫性のない子育てでした。

夫とハネムーン期の時は、愛される可愛い女の子になって欲しいと思うし。
夫の母親から私の学歴をバカにされたり、こんな事もできないのかという視線を感じたときは
なにがなんでも誰にもバカにされない学歴と収入と、様々な経験を娘に与えたいと思うし。
仕事が行き詰まり、精神的にも体力的にも家事育児と両立が出来なくなった時は
娘は優しい人に守られた専業主婦になって欲しいと思うし。

50になって思うことは24で母親になった私は
自分自身がまだ子供で、自分をしっかり自分で支えることができていなかったから
結婚したら幸せになれる。子供ができたら夫も優しくなる。
同居したら夫が満足してくれてそしたら機嫌が良くなって無視をやめてくれる。
料理頑張ったら夫が優しくしてくれる。夫の望むセックスをすれば愛してくれる。
なんて
おおきな勘違いで自分の気持ちや欲求を抑え込み
その抑圧をゆがんだ形で娘への子育てに向けてしまった
のだと思います。

「さよならおかあさん」を読みました。
100%あの本に出てくる母親と私は違う。
とは言い切れませんでした。
あそこまで愚かではなかったけれど、ある部分においては同じだったように感じました。

私の母親と私の関係においても
やはり一部においてあるいは一時期においては
同じだったと思います。

「seikoちゃんは賢い、しっかりしてる。」といいつつ
懇談会で成績が悪かったり、バレエやピアノの発表会でミスをしたりすると
「恥をかかされた」と延々怒られ、
勉強しなさいといいつつ、成績があがり東京の大学へ行きたいと言ったら、
「女の子なんだからあんまり頭がいいと可愛くない。」
「一人暮らしなんかseikちゃんにはできない。」
「どこどこの誰かさんはアメリカに留学したらしいseikoちゃんも行けばいいのに。」
「女の子二人で旅行にいくなんて危ない。」

矛盾だらけです。
就職するまで門限は7時でした。就職しても門限は7時でした。
私は「ひとりでは怖くて怖くてたまらない」精神状態の社会人になりました。

娘は今年26です。もう結婚して4年です。
一年前、大学の卒業式の前後に大げんかをしました。
大げんかといってもお互いの意見を述べ、ともに理解しあえないという事実を確認したということです。
ただしメールでです。
目を見て向き合って話し合うべきでした。最低のけんかの仕方だったと反省しています。
結婚しても学費を払っていたので、まだ母親としての存在意義を持てていましたが、
いよいよ卒業でなんだか寂しかったしこんなものかとむなしかった。
彼女の仕事は24時間365日の激務だし、
収入は初年度で私と同じ、旦那さんとあわせたら遙か高額所得者です。
その前3年間でもずいぶん金銭感覚や物の感じ方考え方が私とずれてきていて
そんなもんだ仕方ないんだ
とわかっていても
何かの拍子に無自覚に「えー高い」とか「もったいない」とか
批判的なことを言ってたようです。

自分の子供だという気持ちが
彼女にとって「母は失礼だ」と感じる言動につながっていたんだと思います。

すっかりメールも電話も着信を拒否されてしまったので
この1年音信不通です。

どうしたらいいのか悩んでいます。

実家の父は「親は子供に裏切られ、寂しい思いをさせられても親なんだから、
時々季節の物でも送ってやりなさい。いつか気持ちが解けたら連絡がくるから。」
といいます。
母は「ひどい子だね。あんなに大事に可愛がってやったのに。
モラ夫にそっくりだね。血だねえ。seikoちゃんが可愛そうだ。
私とseikoちゃんは仲良しだし縁がふかいけど、seikoちゃんとあの子は親子の縁が薄いんだねえ。」
といいます。

私は逡巡しながらも、連絡を取っていません。季節の物も送っていません。
もし私自身がモラ母だったとしたら
離れていることが娘のためになると思うからです。

たしかに離婚して一人暮らしになり、寂しさと悔しさと様々なぐるぐるグチャグチャした感情の嵐に翻弄されたこの4年、
娘に依存していました。携帯電話というツールがその依存をさらに病的なものにしていたようにおもいます。

ただ
理性的な部分では理解していても感情の部分で苦しくて。
私が私の人生を生きて、自分を大切にして
一日一日を充実させねばいけないとわかっていながら
なかなか出来ない自分が情けないです。

ながながと書いてしまいました。
読んで下さってありがとうございました。

No.6726 seikoさんへ 投稿者:とろろこんぶ   投稿日:2012年01月22日 (日) 17時43分

こんにちは。携帯からの投稿なので、上手に詳細な文を書けないことをお許しください。

モラかどうかの判断は、
○相手(娘)の立場に立てるかどうか
○本気で謝れるかどうか
ではないでしょうか。

私は自分の気持ちがわかって欲しくて、アダルトチルドレン系の本を母に読んでもらいましたが、母は自分はアダルトチルドレンであり被害者だったということを発見したのみで、私に対してしたことには理解ができなかったようです。
私は母にただただ謝って欲しかっただけなのに、その後はそれを材料に『どうせ私はモラだからね』と私を責めるようになってしまいました。
seikoさんが本気でお嬢さんに謝ることができ、なおかつ『でもね、お母さんだってしかたなかったのよ』などと言い訳を続けずに居られるなら、モラではないと思います。

また私が気になったのはseikoさんのお母さまのコメントです。孫のことを『やっぱりモラ夫の子だ』と切り捨て、seikoさんだけを溺愛し取り込むように感じました。
seikoさんはお母さまにどんな感情をお持ちでしょうか。ご自分が受けたと同じ不快感を、できるかどうかは別として、お嬢さんにさせたくないと思われますか?
だとしたら相手(娘)の立場に立てるということでモラではないかも知れません。

モラの娘の苦悩は、『自分の人生を自分のために生きられない』、これにつきると思います。

seikoさんのお悩みは、そのまま私の悩みを読み解くキーとなるように感じました。失礼な言い方になってしまいますが、とても参考になりました。ありがとうございます。

No.6727 seikoさんへ 投稿者:バーバラ   投稿日:2012年01月22日 (日) 19時35分

seikoさん、お久しぶりです。


私も娘と4年連絡がとれない母親です。
裁判にモラ夫側についた娘の陳述書を出された
母親です。

自分がモラ母だとか考えるのをやめませんか。
お嬢さんに自分を理解してもらおうと考えるのを
やめませんか。


>もし私自身がモラ母だったとしたら
>離れていることが娘のためになると思うからです。


離れているのは、正解だと思います。

何もしないでいてあげることができれば、過去がどうあれ
モラ母ではなくなると思いますよ。

過去は変えることができません。そのときはそのときで
一生懸命だったのです。もう、自分を責めたり、分析したり
するのは、やめましょうよ。

ご両親に娘さんのことを愚痴るのもやめましょうよ。


ちょっと視点をかえてみませんか。

娘にしたら、母親から両親の性生活のことを
きかされるのはまっぴらだと思います。
一人暮らしの寂しさを愚痴られるのもまっぴらと思います。

seikoさんの結婚生活や離婚のいきさつについて
理解が及ぶということは娘さん自身が同じ苦労や
苦しみを味わうことしかないかもしれません。

娘さんが、22歳で、好きな人と結婚し、仕事も
医師か弁護士かわかりませんが、ハイレベルの
高収入のお仕事をして、共働きをしている、、

そのことで十分ではありませんか。娘さんも努力して
頑張ってきたのです。自分で稼いだお金をどう使おうと
もう、親が口をだすことではありません。

seikoさんは仕事と家庭との両立で頑張っている
お嬢さんに 自分の娘として、母親を案じ、
母親の自分のために時間をさいてくれる娘を要求しているとしたら、
すごく自己中なんじゃないでしょうか。


こころのなかで、「さよなら、娘、過酷ななかで
よく育ってくれたね。」といって、
このまま、何もアクションをとらないで、
数年そのままの覚悟でおられたほうがいいのでは
ないかと思います。数年が10年、20年になっても。


私自身が、昨年、「さよなら、お母さん」の
出版記念の講演会に行って、決心したことです。
私は、娘に拒絶されている母親ですが、母親を
棄てたくてたまらない娘でもあるから、この
講演会はとても重かったです。

会場には、20~50代の母親を棄てたくて
たまらない女性の熱気であふれていました。
若い女性が、「私は、母親とは焼き場でしか会わないと決めているんですが、」と発言したり
していました。

信田さんは、そういう娘達のことを一切否定なさらず、母親を棄てたくなる娘
の立場を支持しておられました。

私は、この講演の帰り、全身に痛みを感じるくらいショックだったのですが、

この講演を聞いた晩、心のなかで、

「さよなら、娘」といいました。

娘が私の苦しみを理解するためには、彼女が
同じ苦しみを味わわなければ無理だと思ったから
です。私は、彼女には、こんな苦しみを体験して
ほしくない。


私を否定しつつ、自分は母親とは違うもっと
いい人生を歩きたいとチャレンジしてくれたら
それでいいと思うようになりました。

彼女が配偶者といい関係を築ければ、また
シングルを通すにしても、私と同じような
体験をしなければ、それで、いいと思うようになりました。


両親が仲がよければ、子ども達は、
両親のことをほっておけるのですよ。それが
子どものしあわせというものですよね。

両親が離婚したからといって、娘がことさら
母親を気遣わなきゃ行けないとしたら、それこそ
娘が気の毒じゃないですか。

子どもを持たない人生だってあったのだと
思い切りませんか。

幸い、seikoさんには、若い時から続けていらした
フルタイムの仕事がおありになる。
私には、うらやましいことです。

私は、健康もつくってきた地域の人脈もすべてを
失いました。羽をもがれた鳥のようです。

抗不安剤を財布にいれての週2日の仕事が
限界です。年収200万なんて、夢の夢です。
それでも、離婚そのものは後悔していません。

この不況、離婚しても仕事がなくて苦しんでいる
人がたくさんいます。DVから逃げて、仕事を
失うことなくすんでいるラッキーなことですよ。
定年まで仕事も収入も家もあるじゃないですか。


「さよなら、娘。母親をきにせず、羽ばたいてね」

わたしたちの人生は、平均寿命からするとまだ30年も
あるんですよ。娘のことを考えるのを
やめにしましょう。別のこと考えましょうよ。

結婚せず、シングルで働いてきた自分を
想像してみるのはどうでしょうか。

結婚せず、シングルを通し、定年まで働き、親を看取り、
自分で自分の始末をするという人生をおくっている女性たちだって
たくさんいるはずです。

上野千鶴子さんの『おひとりさまの老後』はお読みになりましたか。



母子関係を破壊され、娘を失ったわたしからの
返信です。



私は、がんで死なずに18歳の娘の顔を
見て生きることができた。高校3年の夏までは
ちゃんと弁当も作ってやった。

私は、同じ頃にガンを手術した友だちを3人
なくしています。彼女たちは、もっと小さい子どもを置いて他界しました。

子どもたちは、母親を失うことでマイナスもあったかもしれませんが、プラスもあったかもしれませんね。

天国から、お嬢さんを眺めてあげる気持ちになってはどうでしょうか。



「さよなら、娘。」といってみましょう。


No.6731 seikoさんへ。 投稿者:mi   投稿日:2012年01月23日 (月) 22時43分

お久しぶりです。

離婚成立の時には嬉しいメッセージを頂き
ありがとうございました。

離婚後の様々な手続きが終わって約1年経ち
以前よりはだいぶ元気になりました。

私自身は、母と距離をおいている娘です。

seikoさんと母とは違いますが
1人の娘の気持ちとしてお読みください。

私は娘さんよりだいぶ年がいってます。
幼いときより母から父のことを聞いていました。
(父はモラです)
なぜか、両親の性生活のことも知っていました。
自分の感情に気づかないふりをしていましたが
とても辛かったです。

母は自身の満たされない気持ちを
娘である私に、押し付けていたように感じます。

カウンセリングで1番最初に言われたのは
「母はあなたにぴったりくっついているようです」

今では意味がわかります。

母は私と一体化して、父の愚痴を聞いてほしかった
一緒に恨んでほしかった
そして、親子の逆転現象がおこり
私に覆いかぶさっていたと思います。

私もモラと結婚して
モラである父の酷さも感じますし
母の辛さも想像はつきます。

だけども、母のことをまるまる理解することは私には出来ません。
私は私であって、母ではないからです。

今は母と会うこともありますが、自分の気持ちは話しません。
母から渡される食べ物は、そこに母の「私の話を聞いて」という怨念が込められているで、美味しく感じません。
「いらない」というと、まるで自分が棄てられたかのような目をします。

母からは連絡がありませんが、私が連絡をしないと
兄弟に「連絡がつかないから心配だ」と吹き込みます。
兄弟から母に連絡するようにと言われます。

母と触れると自分のバランスが崩れるので
距離をおくのが1番だと思っています。


産んでくれたことに感謝しています。
私自身が自分の人生を歩んで、幸せになることが
本当の親孝行になると思っています。
(母はどう思っているかわかりませんが・・)


seikoさんは感情の部分でいろんな思いが湧いてくるの
でしょうね。
悲しみや怒りは、そのままあるがまま、出すのがいいと何かの本で読みました。

これからは、その気持ちは娘さんにぶつけるものではなく、他の場所で出すのがいいと私は思います。


自分がモラ母かどうか悩むのではなくて
seikoさんが感じているように
1人の人間としてどう生きていきたいか
にエネルギーが向くといいですよね。

seikoさんの心がすこしでも穏やかになりますように。

生意気なことを書いてしまって
傷つけてしまったら、お許しくださいね。

No.6739 seikoさんへ。 投稿者:るーふぁん   投稿日:2012年01月25日 (水) 03時37分

以前seikoさんの書き込みにレスさせていただいたことのある者です。私にも成人し離れて暮らす娘がおります。

seikoさん、母娘本を読まれたのですね。
たしか、読もうかどうしようかと逡巡されていたのでしたよね。

私には悩みを解く助けになるようなことはできそうもありませんが、私も管理人さんのご本をはじめいくつかの本を読んで、自然と娘との関係を振り返ることになりましたので、感じたことを書いてみます。

私も本を読んで少し悩んだり落ち込んだりもしましたが、やがて読んでよかったな、とすっきりした気持ちになりました。

こうした本に書かれている母親の言動と同じことはしていないけれど、ひとつひとつの言動と照らし合わせても意味がないことのように思います。
こうした本で気付かされたのは、親子の「関係性」の中で、娘がどんな思いをしていただろうかということです。
長年寂しい夫婦関係を続けながらなんとか自分を保とうとしてきたこと、ほんとうはもっと違う夫婦関係を望んでいたこと、あげくに父子関係の著しく悪化する中で、なかなか別居にも踏み切れなかったこと・・・、私はがんばったけれど、幸せな妻・母親を演じるにはあまりに下手な役者でした。
そのことが、娘にとっては重たいことであったかもしれないと私は思っています。

私は娘が小学生~中学生の頃、夫のことも、仕事と家庭の両立のことも、ひどく辛くなってきた時期、娘につらくあたることがありました。
私はそのことを、家を出る前に娘に謝りました。心からすまなかったと思っていたことを、詫びました。
娘は、覚えてない、なんて言っていましたけれど。
それをどのように思っているかはわかりませんけれど。

私の娘は今、自分で自分の人生を生きようとしているのだと思います。
離れてしばらくは、正直お節介を焼きたくなる気持ちがありました。でも今は、何もしなくていいんだなぁ、と素直に思えるようになりました。何か困ったことがあれば、必要とされれば、いつでも助けるけれど、心の中ではいつも応援しているけれど。


seikoさんは、ずっと、とてもがんばってきたのじゃないですか。
そして、今はお嬢さんは親から離れて立派に自立されている、そのことは、とっても素晴らしいことじゃないですか。
お嬢様はきっと賢い方でしょう。音信不通でも、人生のパートナーと幸せに暮らしているのならば、それでいいのではありませんか?

そしてお嬢さんの気持ちを慮って、連絡も取らず物も送ったりせず、自制されているのですね。お辛いのかもしれませんが、、、私はそれでいいんじゃないかと思うんです。

これからの自分の人生のことを考えて、前を向いていきませんか?
それが簡単にできないから、悩まれているのでしょうけれど・・・

それからよけいなことかもしれませんが・・・
seikoさんも、お母様から精神的に自立していらっしゃいますように。お嬢様のように。


先日、久しぶりに開いた茨木のり子さんの詩集の中に、今の心にしみる詩がありました。
長くなって申し訳ありませんが、書き写してみますね。よろしかったらお読みになってみてください。

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苦しみの日々 哀しみの日々
              茨木のり子


苦しみの日々
哀しみの日々
それはひとを少しは深くするだろう
わずか五ミリぐらいではあろうけれど

さなかには心臓も凍結
息をするのさえ難しいほどだが
なんとか通り抜けたとき 初めて気付く
あれはみずからを養うに足る時間であったと

少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
やがては解るようになるだろう
人の痛みも 柘榴のような傷口も
わかったとてどうなるものでもないけれど
   (わからないよりはいいだろう)

苦しみに負けて
哀しみにひしがれて
とげとげのサボテンと化してしまうのは
ごめんである

受けとめるしかない
折々の小さな刺や 病でさえも
はしゃぎや 浮かれのなかには
自己省察の要素は皆無なのだから





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