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<管理人のモラハラ離婚体験記>
家庭モラル・ハラスメント
<母から愛されなかった娘の話>「母を棄ててもいいですか?支配する母親、縛られる娘」


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No.6510 フラッシュバック 投稿者:バーバラ   投稿日:2011年12月10日 (土) 00時12分 [返信]

ごめんなさい。

さきほどから、4年前2007年の今日12月9日の恐怖が
まざまざとよみがえり、動悸とふるえが
とまりません。

出張先の元夫から
「自分が家に戻る前にその家を出て行ってください」
という丁寧語ですが、うむをいわさないメールが
届き、深夜に荷造りをはじまたものの、

喘息で、息が苦しく、家をこの体調で出て行くのは
無理だと、はじめて、DVの相談員をやっていた
友人にSOSを出した日です。

怖かった。当時、元夫の策略もあり、実家との縁も
切れているの近く、出て行けといわれて、
さて、どこに行こう、でも、このまま彼が
家に戻ってきたら、どうしよう、

怖くて怖くて、どうにかなりそうでした。

あちこちにSOSを出して、結局この出張
以来、一緒に暮らしたことはありませんが、

これから厳寒の時期、年末年始を超えて
3月に実家に脱出するまで、私は、喘息とウツ状態を
抱えるなか、2ヶ月半自宅に籠城しました。

でも、元夫は鍵を持っている。表玄関はチェーンが
かけられるけれど、裏口は鍵をあけられたら
入ってくられる。

怖くて、金縛りにもあい、娘も元夫と一緒に
夫の実家にいってしまい、小さい街で、孤立
しました。

友だちがかろうじて、電話やメールでささえてくれていました。

大晦日には管理人さんにSOSのメールを出し、
返信をもらい、ほっとしたことを思い出します。

4年たっても、記憶が生々しく、また足にひどい
紫斑も出て、しんどいです。

トラウマティック・ボンディングだったのか、
いじめられているのに、どこかで元夫のことを
盲信していたために、出て行けという言葉と
私がいかにひどい妻で母親だったかと羅列して
ある長文のメールには心にナイフを突き立てられる
ようでした。

限界までよき妻、よき母であることに努力していました。何年もそうやって頑張ってきたのに、彼の
基準は満たしていないどころか、私の欠点を針小棒大に書かれて自尊心もこっぱみじんでした。

死にたくて死にたくて。


たくさんの援助があって、
離れたこと、離婚できたことにみじんも後悔は
ないのですが、12月のこの夜の恐怖がどうしても
消えません。

先日のカウンセリングでも、
「12月は、おそろしく辛い季節です。」と
いいましたが、夜はことさら、きつい。

秋にモラハラだと気づいたとき、まだ喘息が
でるまえに、県の女性センターに電話しても、
身体的暴力はないのですよね、と相手にしてもらえず、途方にくれているうちにひどい喘息を
起こしたのでした。

考えたら、元夫が37度の熱で寝込んだときも
娘の病気のときももちろん、私は、食事から
手当まで看病しましたが、私は喘息のときも
風邪のときもガンの手術のあとでさえ、看病してもらったことなんかない、、、、

実家の母に助けを請い、ほとんどは自力で
やってきていました。

書いているうちにふるえがおさまってきました。

モラハラとわかってからの絶望と裁判の過酷さ
を忘れることができません。

そして、一番大変だった、12月の夜の闇と寒さで
思い起こしてしまう。

結婚するんじゃなかった。
仕事を辞めないで、あの時点で別居すれば
よかった、

はたまた、大学で出会っているので、
あの大学にいかなければよかった。

生まれてくるんじゃなかった、、、

ぐるぐるまわりはじめるととまりません。

ごめんなさい。今夜はこんな書き込みを
許してください。



No.6511 記念日症候群 投稿者:大ママ   投稿日:2011年12月10日 (土) 01時07分

突然なにかの犯罪に巻き込まれた人や、家族を失った人たちは、その事件があった日、亡くなった日などが近づくと、かなり精神的に厳しい状態になるといいます。
すみません。正式な名前は忘れましたので、記念日症候群とさせてください。
性犯罪被害にあった小林美佳さんの講演に行ったとき、「8月はダメなんです」と、ポロポロ涙をこぼされました。8月に被害にあったそうです。もう10年以上が経っていても、同じだそうです。
人生が大きく変わるような出来事にあった人たちはみんな同じようです。バーバラさんは正常な反応です。クリスマス、お正月と世の中がにぎわうとき、ひとりになった孤独感をひしひしと感じるんだろうなと思います。

今年、東北で沢山の人たちが亡くなりました。去年と違うクリスマスやお正月を過ごさなければならないのでしょう。両親を亡くした子どもたちのことを思うと胸が痛みます。
今年はツリーを飾るのを止めました。祝う気にはなれませんね。

No.6512 バーバラさんへ 投稿者:じゃすみん   投稿日:2011年12月10日 (土) 08時46分

バーバラさん、おはようございます。
「ごめんなさい」じゃないです。いつも私たちを助けて下さるばかりじゃなくて
ご自分がつらい時は、いつでも私たちがお話し相手にならせてください。

私は長女が被害を受けた時期と場所が駄目なんです。
夫が隠していた牙をむき、その狂気が明らかになった時だから。
次女の関係で、どうしてもその時期にその場所へ行かないといけない時は
帰宅すると消えて無くなりたくなって、布団にもぐりこんで泣きます。

バーバラさんの篭城の孤独と恐怖とは比べ物になりませんが、
脱出までの一ヶ月、夫と会わぬよう、朝7時までに子どもたちを準備させて出かけ、
夜は9時までに食事・入浴を大急ぎで終え、包丁を隠し、子どもとバリケードして
籠った恐怖の日々を思い出しました。夜中に夫の部屋から不気味な音が
聞こえてくるのも、階下で物を投げつけている音が聞こえるのも怖かった。

私も、ワンマンな県議の奥さんまで同情してくれるほど、気を遣って尽くしてきましたが、
いつも私は駄目な妻で、正しいのは夫、自信も自尊心もちっぽけしか残っていませんでした。

私も「結婚するべきじゃなかった。仕事を辞めるべきじゃなかった」と心底思います。
でも今、調停を進める中で、初めて自分の足で歩いている気もしています。
今から生き直して行こうと思っています。ここの皆さんと支えあって。
バーバラさんにお会いできたらいいのに。
つらいバーバラさんの側に寄り添って差し上げたいです。

No.6513 フラバの件、ありがとうございます。 投稿者:バーバラ   投稿日:2011年12月10日 (土) 14時48分

大ママさん

ありがとうございます。

今日は、こちらは晴れて、お日さまの光をあびて、
少し落ち着きました。


>バーバラさんは正常な反応です。クリスマス、お正月と世の中がにぎわうとき、ひとりになった孤独感をひしひしと感じるんだろうなと思います。

小林美佳さんもそうなんですね。小林さんは
被害をうけてから10年なんですね。

2007年の12月に、私は一度死んだのだと思います。あれ以来、クリスマスもお正月も
まったく私は、特別なことができません。

家族でいたときは、10月から家中を飾り付け、
何日も前からイブのお料理を考えていました。
そんなときも、元夫は、突然、わけもなく
不機嫌になり、私は、自分がなにか、失敗を
したのか、その理由を考えては下手に出続けました。


でも、2007年10月の重篤の喘息発作で、もう、
クリスマスどころではなかった。


実家に戻ったというのに、2008年の12月2009年の
12月は、今度は、実家の母親に
「あんたなんか、すぐに出て行け」と怒鳴られていますしね。


家族なんて、いらない、家族は、一番危険、というのが私の今の気持ちです。私が一番、誠実に尽くした人達は、私を踏みにじり、私の闘病を一番知っているはずの人たちが、一番思いやりもなく残酷です。

むしろ、私によりそってくれたのは、他人の
弁護士さんだったり、カウンセラーだったり、
友だちだったり、この掲示板で出会った方だったり
したんですもの。


今年のクリスマスは、震災と原発事故の影響で、
苦しい時間を送っている人も多いですよね。
自分の被害の苦しさに集中することなく、
なんとか、12月を生き延びたいと思います。

24日の日は、家にいなくてすむように第九の
コンサートの一番安いチケットを買いました。


>じゃすみんさん

じゃすみんさんもトラウマの場所と時間が
あるのですね。

私は、ガンの告知を受け、手術を受けた病院に
深いトラウマがあり、10年もその病院の近くに
いくこともできませんでした。

天童荒太の『包帯クラブ』という小説に
トラウマのある場所に包帯を巻くことを
はじめる高校生の話があるのですが、、、

私は、もう、私の家ではない、かつて住んだ家に
包帯をぐるぐるまく、幻想をいだくことが
あります。

自分の被害を客観化したくて、ジュディス・ハーマンや宮地尚子さんの本を読んだりしているうちに、
さまざまな暴力の被害者の痛みにこころが行くようになっています。

暴力の根底にあるのは、相手にも自分と同じように感じたり考えたりする心があるという想像を欠いた”人の物化”です。

元夫にとって、わたしは、”性能の悪い家事ロボット”だったのだし、娘にとっては、”自分の世話をしてあたりまえの召使い”だったり、
私の母親にとって私は、”自分のすることすべてを
ほめてくれ、愚痴をはいはいと聞くお人形”
だったのだな、としみじみ思います。

私は、人の形をした虫けらだったんだなぁ。と思います。


裁判中、弁護士の先生へのメールに
「私には、社会的地位もないし、経済力もないし、
体も弱いです。けれど、一寸の虫にも五分の魂があります。その意地だけが私を支えています」

と書きました。

家族でいたとき、喘息のときもガンのときも
「つらい、苦しい」ということも言えなかった。

いま、私には、つらいことをつらい、苦しいことを苦しいといってもいいはずだよね、と自分に
確認します。

12月から脱出した3月まで、また恐怖でたまらなくなって書き込むかもしれません。

そのときは、また読んでください。

ここは安心して、つらよ、苦しいよ、と言える場所です。

ありがとうございました。



No.6519 バーバラさんへ 投稿者:史   投稿日:2011年12月11日 (日) 18時31分

 今晩は、もうスレを締められてしまったようですが、バーバラさんのあまりにも壮絶な経験の前に何も書けませんでした。

 前に私がフラッシュバックを起こして辛いと書いた時励まして下さってありがとうございました。

 そのような優しいバーバラさんに何も書けませんがバーバラさんの事心配しています。




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