カップル版にも少し書きましたが、 内田樹の本『子どもは判ってくれない』(2006文春文庫)に学内のセクシャル・ハラスメント対策に関連しての記述があり、はじめてハラスメントという 言葉の語源をしりました。
内田樹はモラル・ハラスメントという言葉は つかっていませんが、非常によく、ハラスメントというものを理解しているなと感心したので、転記しますね。
「ガイドラインでは、「セクシャル・ハラスメントとは修学、就労の関係における、相手を深いにさせる性的な言動」というふうに定義されている。
おそらくそれが、一般的な定義なのだろうけれど、この定義には、何かが、「足りない」気がするのだ。英語のハラスメントという語は、フランス語の harassementに由来する。
原語の意味は、「深い、極端な疲労」である。
もとの動詞はharasserで、これは猟犬をけしかけるときの叫び声haraceから作られた言葉である。
原義は、「猟犬をけしかけること。」つまり、 ハラスメントとは、ほんらいは猟犬に追われた獲物が感じるであろう絶望的な疲労感を指すのである。
だから、「ハラスメント」は広義には、「強者が弱者を」「傷つけ、いたぶるために」「執拗に攻撃すること」を意味する。
ここにはたんに、「相手を不快にさせること」というのでは足りない、もっと邪悪な意味が込められている。
それは何だろうと、考えていたら、一番近い日本語を教えてもらった。
「呪い」である。
「呪い」というと大仰に聞こえるかもしれないけれど、田口ランディさんによると、それはごく日常的に行われていることだ。
(ここで、田口ランディ『根をもつこと、翼をもつこと』晶文社 2001,273~274 の抜粋)
コミュニケーションできない人間関係というものは、ほとんどの場合、そういうかたちで展開する。 こたえることのできない質問を執拗に受けるという仕方で、沈黙を強いられるときの不快感と疲労感はうまく言葉では言えないものだか、あれは「呪い」 をかけられていたのである。
「ハラスメント」というのも、おそらく本来は 「それにきっぱりとこたえることのできない種類の問いかけや要求を、身近にいる人間から執拗に繰り返されることによって、生気を奪われ、深い疲労を覚えること」という事況を指していたのではないだろうか。
(中略)
セクシャル・ハラスメントは主に職場と学校を想定しているけれど、「呪いとしてのハラスメント」のもっとも活発な培養基は家庭である。親子関係と夫婦関係のうちで今も「呪い」はとめどなく増殖している。
(中略) もし、「深い疲労感」を与える人間がいたら、その人は、「呪い」をかけているのだと知ること、そして、できうるかぎりすみやかにその関係から離脱すること、これに尽きると思う。
*モラルハラスメントは精神の吸血鬼ともいわれますよね。私は、モラハラとは関係のない本を読んだすつもりだったのに、あまりに膝をうつ記述だってので、つい書き込みました。
私の場合、身体的暴力も経済的暴力もなかったので、本当になんで、こんなにつらいのか、くるしいのか、わからないで、どんどん追い詰められていった十数年でした。
モラルハラスメントという言葉に出会わなかったら、あのまま生殺しのようななかで病気になって 死んでいたと思います。
この言葉によって、自分の状況が 理解でき、生き延びる人が増えますように!
被害があることは悲しいけれど、現実だから。
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