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家庭モラル・ハラスメント
<母から愛されなかった娘の話>「母を棄ててもいいですか?支配する母親、縛られる娘」


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No.1954 光市の事件判決をみて。 投稿者:あやや   投稿日:2008年04月23日 (水) 12時48分 [返信]

昨日、高裁(まだ最高裁がありますが)で、やっと原告の待ち望んでいた判決が下りました。

同じ裁判中の私、事件がおきた時期と前後して、夫からのモラハラが始まりました。

同じ裁判でも、凛々しい表情で戦う、先の原告男性と私の元・夫。
比べるのが間違っているけれど、どうしても考えてしまい、涙がでそうになったりします。

私はどうして、この男性(モラ)を選んでしまったのか・・・

No.1956 Re:光市の事件判決をみて。 投稿者:あくび   投稿日:2008年04月24日 (木) 20時21分

お久しぶりです。

> 比べるのが間違っているけれど、どうしても考えてしまい、涙がでそうになったりします。

「比べるのが間違っているけれど」に思わず噴き出しつつ
つくづく ほんま そのとおりやなぁと。
心の底から 同感です・・・・。


No.1957 Re:光市の事件判決をみて。 投稿者:ちゃこ   投稿日:2008年04月24日 (木) 20時52分

社会はこの判決を出る前に、被告がなぜこういう行為をしたのか、という分析が果たしてできたのでしょうか。

弁護団は「死刑廃止」の道具にするために、
18歳になったばかりの犯行年齢を利用して、
「犯した罪の深刻さと向き合う機会」を放棄させてしまったように思えてなりません。
加害者にとっては「なぜこういう行為をしてしまったのか」を自分自身が分かっていない限り、
反省は生まれないのです。

まさしく、原告男性の言葉通り、
「どうすれば、犯罪も被害者も生まない社会を作るのか、
どうすれば、こういう死刑という残虐な判決を下さない社会ができるのか、を考える契機にならなければ、
私の妻も娘も、そして被告人も犬死だと思う」なのです。

被告の父親に至っては
「息子がしたことだから、息子が責任取るのが当たり前。
親の責任って、取りようがないんですよ。僕はそういう主義ですから」の始末。
自分には関係がない?
このコメントに怒りがこみ上げ、震えるのは私だけでしょうか。

罰せられなければならないのはこの父親です。

被告は、父親からの激しいDVの果てに追い詰められ自殺した母親の姿を発見したという、
過酷な生い立ちを強いられています。
このために被告は精神の成長が著しく低いレベル(いわゆる発達障害)にあったようです。

DVはこのように子どもの心身の健全な養育を阻む、重大な児童虐待でもあるのです。

DV・モラハラの渦中にある被害者の方、みなさんにぜひお願いです。
愛しいお子さんを加害者にしないためにも
みなさんがDV・モラの攻撃を受けて苦しんでいる姿をどうか見せ続けないでください。

自分さえ頑張れば、我慢すれば、と思っていませんか。

子どもはちゃんと見ています、聞いています。
息を潜めて隣の部屋から、様子を覗っています。
虐待されている親を助けることもできない無力な自分を責めたり、
理不尽な暴力を見続け、言いようのない怒りを抱え込んだり、
虐待に耐え、服従する親の姿を見て、暴力を学んでしまうのです。

モラハラもDVも暴力の本質はまったく同じです。
肉体的暴力であれ、精神的暴力であれ、どんな暴力も本質は相手に対する「ディスカウント」です。
つまり、相手の価値を値引き、人を人間扱いしない、ということなのです。
「支配と服従」の関係を強いることそのものが暴力であり、
人格否定、人権無視の犯罪なのです。
加害者は自分に都合のいい便利な道具にするために、家族が意思を持った人間では困るから、
殴る、蹴る、馬鹿にする、貶めるのです。

服従させる相手の気持ちや尊厳を無視し、恐怖で精神を破壊させた上で、
相手を自分の支配下に置くことでしか、自己を確立できない、
心に大きな問題を抱えた「弱い人間」に依存し続けないでください。

離れることで経済的に辛い思いしたり、
離婚によって子どもから父親を奪うのでは、
といった葛藤もあることでしょう。
でも悪いのは加害者です。
こんな親は百害あって一利なしです。
自尊心を破壊され、無気力に陥って壊れてしまう前に、
何よりも大事な子どもをどうか守ってください。
暴力を許してしまう社会を創らないでください。

勇気を持って加害者から離れる時こそ、
悪しき依存関係から自律にむかう大きな一歩なのです。

離婚・別離は辛い作業ですが、胸を張って堂々と前進してくださいね。

No.1961 Re:光市の事件判決をみて。 投稿者:あやや   投稿日:2008年04月27日 (日) 03時17分

あくびさん、ちゃこさん、返信ありがとうございます。

あくびさん、同じ気持ちを持たれていること、「世の中で私ひとりじゃないわ~」と安堵しつつ…。

事件の原告である彼の表情はすがすがしく、強さを感じつつも押し付けがましくない強さを持っています。メディアを通して彼を見るたび、「この若さで、大きな壁に勇気を持って立ち向かい、しかも本当の優しさ(強さ)、言葉を備えている」・・・何ともいえない気持ちになります。


ちゃこさん。

原告の彼は辛い出来事経験しつつも、広い視点を持って発言・行動できる方で、本当に頭が下がります。

ちゃこさんのおっしゃる、
>加害者は自分に都合のいい便利な道具にするために、家族が意思を持った人間では困るから、
殴る、蹴る、馬鹿にする、貶めるのです。

>服従させる相手の気持ちや尊厳を無視し、恐怖で精神を破壊させた上で、
相手を自分の支配下に置くことでしか、自己を確立できない、
心に大きな問題を抱えた「弱い人間」に依存し続けないでください。

私は小さい頃から、父が母を罵るのをみて育ちました。そして臆病で自己を確立できずに大きくなりました。
モラ実家から逃れるように、合法的に脱出(結婚)、やっと幸せになれると思った次の瞬間、筋金入りの「真性モラ」でした。(モラハラという言葉は脱出後に知りました)
脱出後も、働くために実家の助けが不可欠な状態です。精神的には依存したくないけれど、物理的な面では不可能な状態、毎日ジレンマです。

だから私は、モラハラ以外の環境を知らないです。ただ、生まれ育った家庭が「間違っている」のはわかる、父母のようには決してなりたくない。

そのために、脱出時の初心を忘れず、子ども達には自分なりの「平和な家庭」?を教えてあげたい。
かつての私と同じ目に遭わないで欲しい。
卑屈にならず、自分の好きなこと・嫌なことを、他者に伝えられる大人になってほしい・・・。
そんな気持ちで毎日、暮らしています。

No.1962 Re:光市の事件判決をみて。 投稿者:ちゃこ   投稿日:2008年04月27日 (日) 20時58分

あややさん、私のつたないコメントを読んでくださってありがとうございます。

私は、肉体的暴力と巧妙なモラハラ被害を長年に亘って受け、脱出した被害者の親族であり、
彼女の脱出と支援に関わっている立場の者です。

まさに彼女にとっての結婚は「モラ親からの合法的な脱出」であり、
その結婚生活は、外からは見えない監獄に閉じ込められた生地獄そのものでした。
彼女が微かな声を上げてくれたときには
もはや自力で脱出することも、子どもたちを連れて脱出することもできない状態でした。
彼女を奴隷のように扱い、家を出ようとする母親を父親に密告してしまうからです。
一人で家を出ることができないなら死ぬしかない、というところまで追い詰められていました。

ですから、私は光市の事件はとても身近な問題に思っています。
被告の母親が自殺という道を選んでしまう前に、子どもとともに脱出できていたならば
被告の人格形成はもっと健全なものになっていたであろうし、
本村さんの愛するご家族を惨い形で奪うという事件も起きなかったのではないか。
そして被告は、自分の犯した罪の重さを、死刑という判決でもって省みることができているのか、
本村さんご自身が欲していた判決とは、このことではないかと思っています。

本村さんは被告の死刑をもって
「妻と子ども、そして被告の命を背負って生きていきます」と語っておられます。
こんな重い十字架を、本村さんは、これからの長い人生をかけて独りで背負わなければならない。

なのに、被告の父親(DV加害者)はわが子が犯した罪の為に、
被害者遺族に与えた地獄の苦しみに全く共感することなく、謝罪の気持ちもなく
「息子が責任取るのが当たり前。親の責任って、取りようがない。」と平然と言い放っています。
全くこの父親には良心というものが欠けているのです。
DV加害者・モラ族の思考そのものです。


>私は小さい頃から、父が母を罵るのをみて育ちました。そして臆病で自己を確立できずに大きくなりました。
モラ実家から逃れるように、合法的に脱出(結婚)、やっと幸せになれると思った次の瞬間、筋金入りの「真性モラ」でした。

「機能不全家族」な環境の中でしか、人間関係のモデルを学ぶことができなった子どもは、
良くない人間関係が身についていて、どういうものが「健全な人間関係」なのかがわかりません。
ですから「モラ夫を選んだ自分」を過剰に責める必要はないのですよ。

>ただ、生まれ育った家庭が「間違っている」のはわかる、父母のようには決してなりたくない。

そのためにはどうしたらよいのか、をこれから培っていくことができますよ。

>脱出後も、働くために実家の助けが不可欠な状態です。精神的には依存したくないけれど、物理的な面では不可能な状態、毎日ジレンマです。

大丈夫ですよ。
あややさんは精神的に依存したくない、というお気持ちをしっかりお持ちなのですから、
既に何が健全なのかをわかっていらっしゃいます。

本来、家族の愛情というのは無償のものです。
子ども時代にもらうべきその無償の愛を
今返してもらっているんだ、と心密かに思えば良いんですよ。

親不孝者、などと親から嫌味を言われたり、恩を着せられていませんか?
もし、そうならば彼らは天に向って吐いたつばが自分の頭に落ちてきただけにすぎません。
あややさんは罪悪感に囚われなくてもいいのです。
言葉で「ありがとう、感謝してます」と伝えればそれで充分です。
いずれの日には自立すればいいのですから。

>脱出時の初心を忘れず、子ども達には自分なりの「平和な家庭」?を教えてあげたい。
かつての私と同じ目に遭わないで欲しい。
卑屈にならず、自分の好きなこと・嫌なことを、他者に伝えられる大人になってほしい・・・。
そんな気持ちで毎日、暮らしています。

これだけでも、あややさんはお子さんたちに愛情をたっぷりと感じさせてあげていると思いますよ。
加害者から離れようと決意した時点で、不健全な依存関係を断ち切っているのです。
お母さんの真剣な眼をお子さんたちは頼もしく感じていると思います。

ここまで頑張ってきた自分を大切にし、自分を愛して、褒めて、労ってくださいね。

心の傷を癒したり、長い間かかってできた思考や行動、人間関係やコミュニケーションの仕方を学びなおすための
お勧めの書籍があります。
「今日一日のアファメーション~自分を愛する365日~」西尾和美著 または
「心の傷を癒すカウンセリング366日(今日一日のアファメーション)」西尾和美著
言葉が心にしみわたりますよ。




No.1963 ありがとうございます。 投稿者:あやや   投稿日:2008年04月28日 (月) 09時19分

私は短いコメントをするつもりだったのに、思いの外まるで「回顧録」のように、自分の長年の思いを書き連ねてしまいました。
それについて、とても真剣に耳を傾けてくださったこと、まずはお礼申し上げます。

> 本来、家族の愛情というのは無償のものです。

文章を拝見した瞬間、「ああ、そうか!」と思いました。
よく「母の愛は無償」とありますが、納得していたようでそうでなかったことに気付きました。
 
>親不孝者、などと親から嫌味を言われたり、恩を着せられていませんか?

あります、あります(^^;
脱出後、自分の親もまた「モラ」であることを知るまでは意味もなく「貢さん」してました。そうしないと、自分が愛されないような、いつも負い目を背負っているような、そんな気がして・・・。

今は素直に、育児を助けて貰っている分だけ、ちょっとした気遣いする程度になりました(客観的にものが見えるようになってきました)。

>本村さんは被告の死刑をもって
「妻と子ども、そして被告の命を背負って生きていきます」と語っておられます。
こんな重い十字架を、本村さんは、これからの長い人生をかけて独りで背負わなければならない。

・・・本当ですね。
比べるレベルではないですが、彼はそういう運命を背負っている、私は私の運命をまた受け入れつつ、
二人の子どもと共にこれからの人生を生きていく。


>ここまで頑張ってきた自分を大切にし、自分を愛して、褒めて、労ってくださいね。

私は子どもの頃から、他人のことには一生懸命になれても、自分のことが分からず…。いつも「自分」を置いてきぼりにしてきたと、改めて思いました。
ちゃこさんのおかげで、私の現在地がよく分かり、また「そんなにがんばらなくていいんだ。」と思えました。

光市の話題からだいぶ個人的な話題へそれてしまい申し訳なかったですが、ここでお話できて本当に嬉しかったです。
本当に、ありがとうございました!





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