ご報告したいことがあり、久しぶりにお邪魔します。
結婚5年目で蛇雄(元夫)にちゃぶ台返しをされ、子供と逃げ、別居の間にモラハラを知り、調停を経て離婚、その後の頻繁な父子の面接交渉(月に2回・内1回は蛇雄実家に宿泊!)で、子が蛇雄からの虐待としか思えないことを告白したため、「親権の母への変更」と「面接禁止」の審判を申し立てていた・・・ゆんです。
この2年、審判の陳述書作成などでいっぱいいっぱいでしたが、その審判も昨年、終了しました。 希望通り、子供の親権がとれ、父と子の面接交渉も禁止となりました。しかし蛇雄に抗告されたため、これから高等裁判所で延長戦です。
審判が終わって、今思うことは・・・とにかく諦めずに頑張って、よかった・・・と。 それと、多くの方に支えられていたことに、感謝の気持ちで一杯です。
別居した当時は、蛇雄が怖くて不安で、PTSD・抑うつにもなり、離婚できても面接交渉を通しての蛇雄とのやりとりに疲労困憊していました。子供が虐待を受けたと告白してからさえ、蛇雄への恐怖はぬぐえていなかったので、児童相談所に相談しながらも危うく面接を続行しようとしていました。
今思えばそれこそ恐ろしいことですが、当時の私には「面接を断ること」のほうがはるかに恐怖だったのです。
当時子供は4歳になったばかり。告白の信憑性の点と、虐待の証拠がないことから、どの医師にも意見書を書いてもらえず、当時依頼した弁護士にも動いてもらえませんでした。そうこうしているうちに次の面接予定日が。蛇雄になんと言えばいいのか。
思い切って「子供が行きたがらないので面接をしばらく中止してほしい」と申し出たら、住所を教えていないのに家の前をうろつかれたり、面接交渉の履行勧告を郵送で送り付けられたり。孤軍奮闘のこの時期、布団に入っては涙があふれてきて。自分の力のなさを嘆き、あの子に執着している蛇雄がいつまでもつかという焦りで押しつぶされていました。
その後、児相の方に新しい弁護士を紹介していただき、その方がとても親身になってくださって、審判を申し立て、意見書を書いてくれる医師も見つけてくれました。保育園にも連れ去り防止の協力をしてもらい、調査官の調査でも子の様子を証言してくださったのですが、その証言も第三者からの目ということで大きかったようです。
振り返れば、私はせいぜい陳述書をたくさん書きなぐっただけでした。審判開始当初は子への虐待の立証を論じねばならず辛かったし、子を守る為とはいえ、嫌がらせを受けた「私」を素通りされることも辛かった。でも、耐えてよかった。蛇雄にないがしろにされていた時の私の感情を書く時期も最後には来て。時期を待つように言ってくれた弁護士さんに感謝です。
小学生のときに私に日記をつけるよう薦めてくれた祖母にも、それからブレそうな私に「お子さんを父親には逢わせないで!」と言いつづけてくれた児相の方、友達、そして私の不安を受け止めてくださったここの皆さんに、心から感謝いたします。本当にありがとうございます。 審判開始前の私はうろたえ、全く「力」がなかったにも関わらず、子供をひとみごくうにすることなく守ることができました。それはつまり、私の力ではなく、多くの方のおかげだと思っています。
これからもシンプルに自分の未来を求めます。求めれば与えられることもあるんだと、元気が出ました。高裁も頑張ります!ありがとうございました!!
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