No.16001 お久しぶりです。 投稿者:アダルトチルドレン 投稿日:2024年05月24日 (金) 04時09分 [返信] |
フランス在住のアダルトチルドレンです。
もう7年以上前になりますね、こちらに来て助言を求めたのは。 あの頃、ここは数少ない情報を得ながら励ましも得ることのできる場所でした。
時々のぞかせて頂いておりますが、もしかしたらこの場がなくなる日も来るのかもしれないと思い、書き込みさせて頂きます。
イギリス人の夫のモラルハラスメントに苦しみながら言葉もわからないフランスでもがき苦しんでいました。
今は、そのフランスで個人事業主として収入を得て、ひとりで自立して暮らしています。 フランス語も生活していける程度にはなりました。
2017年に、修羅場の展開の後に這い上がりました。
結局夫には韓国人の妻がいて、重婚でした。 夫のもとから逃げ出した彼女は離婚などの手続きはせずにイギリスで暮らし、結局は夫は彼女も取り返し、そうして彼女と私をうまく利用して甘い汁を吸っていました。
韓国人の本妻は大人しく耐えるタイプ。 その彼女も音を上げるほどに夫のモラハラ体質はひどかったのでしょう、彼女は逃げたのです。 それは夫には大打撃で、結果として私にアプローチかけたのです。 そして私を手に入れたら、すぐに新しい女性がいるという情報が彼女に入るようにして、結局、韓国の本妻は彼をまた受け入れて、もとの鞘におさまった。 問題は私が入ってきたということですね。
韓国人の嫁はイギリスで、私はフランスの彼の家で、という具合に彼の二股生活が始まりました。 おそらく私がいるからだと思いますが、韓国人の嫁にはぐっと優しくなったことと思います。 彼女、お金もありましたから。 そして全てのストレスは私へのハラスメントで発散。 それでも私を逃すのは惜しかったらしく、アメとムチの使い分け。
重婚を知ったのは彼女から電話がきたから。 私はなんとかしたいと思って、ひとり暮らしできるようにアパートを借りて家を出たのです。 その私を引き戻すために、おそらく彼は最後の手段を使ったのですね。 私の嫉妬心を燃え上がらせるために韓国人の嫁に私の存在を知らせた。 もちろん彼女は私に連絡をする。 2016年の暮れの頃でした。
そこから修羅場でした。 私もギリギリの精神状態に追い打ちをかけられ、崩壊しました。 だけど、彼は私との生活を選んだのですけどね。 一瞬嬉しいと思ったものの、そんな状態は続きません。 私ももう完全に正気を失っていたのだと思います。
壊滅的な状況に至り、それでも私は彼と一緒にいたいと思ったけれど、状況が許さず、ひどい口論の後に彼が私を置き去りにしてイギリスに行ってしまった時に、私は弱者救済のための保護施設に入れられました。
そこでようやく他人の援助の手が入り、とりあえず彼からの避難、そして法的手続きの援助がはじまりました。 私はフランスに残りたかったので、そのためにフランスで離婚を成立させ、重婚の被害者でもあるという立場を確立させる作業に入りました。
家から私がいなくなっていると知った夫は(2週間のネグレクトの後。)必死に私を探し、やっと見つけて状況を理解。 見つけたきっかけは私の友人でした。 ずっと私が頼っていた友人ですが、彼女にも少し疑問を感じて私は距離を置いていました。 夫が頼ったのは彼女です。
その数年前に、もしも日本に逃げ帰ることがあったらと、言い合いの勢いでサインをもらった離婚届、彼女に送って保管してもらっていました。
夫の側についた彼女は、日本で離婚できるからと伝えたのでしょう。 夫は私が知らない間に日本に行き、彼女の援助を得て離婚を成立させました。 無茶苦茶な内容の気味の悪い手紙を、彼女の家のすぐそばの郵便局から彼は私に送ってきました。 消印ですぐにわかるのに。
離婚成立の4日後、日本で、彼は交通事故で死にました。 身内がまるでわからないため、持っていた離婚証明の書類から、警察は私の父に連絡し、そして姉から私に連絡が入りました。
一瞬自殺かと思った自分はバカでした。 世の中で自殺からいちばん遠い人間。 わざわざ離婚を成立させにいって自殺もあるまいし。 2年後に心のけじめをつけたくて、ようやく私も現場に行って、どう考えても事故だと納得しています。
夫の死を知って後、食事も出来ずに鬱状態になり、施設の人に心配をかけてしまいました。 それでもフランスで生きていくんだという思いだけを支えに少しずつ這い上がり、2017年末には施設を出て、ひとり暮らしをはじめて、個人事業主として自立して生きていけるまでになりました。
地獄のような彼との7年間、今も思い出したくもありません。 私はただただ、解放されたと感謝しています。
モラハラの被害者で、苦しんでいる方たちに伝えられることは、逃げる以外には何もないということ。 私は自分で逃げることが出来なかった。 逃げることが出来なかった私が言う資格はないのですが、この強制終了の後、離れることだけが救いだったのだと、もう感謝しかないのです。
施設の人々の援助、そして最終的には彼の死、そうやって私は解放されました。 そして今私はしみじみと、ひとりで生きていけることの幸せを噛み締めています。 これはあの地獄の7年があったからこそ。 思い出したくはなくとも、後悔はありません。
どうかひとりでも多くの人が自由と自立を手にして、幸せを噛み締めてくださいますように。
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No.16003 アダルトチルドレンさん 投稿者:クレア 投稿日:2024年06月03日 (月) 20時53分 |
はじめまして
とても壮絶な7年間 なんとお声がけしたらよいかわかりませんが どうぞ幸せをたくさん見つけてください よく頑張りましたね
私も自由を手に入れた個人事業主です 遠いところからエールをいつもおくっています
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No.16004 クレアさん、お返事ありがとうございます。 投稿者:アダルトチルドレン 投稿日:2024年06月10日 (月) 18時44分 |
確かに壮絶な7年間でしたが、自分の執着と、孤独を恐れる心と、評価されることだけを目的に生きてきたが故でした。 ついでに、辛いことに耐える姿が美化された世代でしたし。
フランスの社会に少しずつ入っていって、仕事をしていくうちに、そんなに頑張るなよ、休めよ、やらなくていいから、という助言はあっても、もっと頑張れと言う人はいません。 80%の努力でもそこまでするかと言われる国なので、私にはちょうど良いです。
今は没頭する趣味もあり、ひとりで生きていける程度に仕事して、あとは趣味と友人たちとの時間で日々が過ぎていきます。 時々ひとりの寂しさはありますが、他人に干渉されない自由を手にしているのだから、その影の部分も受け入れなきゃねとやり過ごしています。 それに、猫を保護施設から引き取り、良い同居人になってくれています。 猫の下僕になることにはなんの苦しみもありません。
クレアさんはお子さんもいらして、きっちりけじめつけて、自由を勝ち取られたのですね。 我が身ひとつだけだったのに、結局他力本願で自由になった自分としては眩しいかぎりです。
どんな形ででも、今苦しんでいる人が現状から離れて、いつの日か心から笑える日に向かって進んでいけますように。
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