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「モラル・ハラスメントのすべて」〜夫の支配から逃れるための実践ガイド〜
<管理人のモラハラ離婚体験記>
家庭モラル・ハラスメント
<母から愛されなかった娘の話>「母を棄ててもいいですか?支配する母親、縛られる娘」


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No.15847 わたしは頭がおかしいですか? 投稿者:麦子   投稿日:2022年06月08日 (水) 01時45分 [返信]

20年くらい前、モラハラを知って離婚しようと決心したころにここへ書き込んだことがあります。
その後無事に離婚して一生懸命に頑張ってきました。でもずっと何かもやもやしていて、最近それがすごく苦しくなってきています。

わたしの中で離婚を決意した切っ掛けがあって、それは親や友人には絶対に言えません。元夫はその後の言動から(その内容は書いていません)言わなければ思い出さないレベルだろうと思います。
これはそういうレベルの、ことだったのでしょうか。自分の覚書として書いていた文章をここに載せます。誰か教えてください。

彼に別れを告げた時、彼は驚いていました。
何故? と言った
貴方といることにもう疲れてしまったと言った。
子供たちはわたしが引き取る、と言った。

帰ってきて欲しいと何度も言われた。
愛している、と初めて言われた。
わたしはその言葉を、今まで言われたことがなかったことに、
その時初めて気付いた。

別れを告げて初めて言われたその言葉は、
ただわたしを引き留めるための詭弁にしか聞こえなかった。
便利で都合のいいわたしを・・・。可愛い子供たちを・・・。

彼の望む役割を、もう果たす気がなくなったわたしを、貴方は要らないでしょう?
もし戻っても、貴方はわたしに失望するだけでしょう?
何もわかっていない彼。
戻って来てくれ、と言う彼に子供が言った。

「お父さん、お母さんが戻ったら、また同じ生活をするの?
お父さんは嬉しくてもお母さんは辛いままなの?」
それに彼は答えられなかった。
何を変えればいい? という問いさえなかった。
何が辛かったの? という問さえなかった。

わたしは笑ってさようならと言った。
新しい家で、一人で泣いた。
でもわたしはすぐに仕事を捜して働かなければならなかった。
泣いている暇はそんなに無かった。

今、彼はどうしているのか、子供を通じて生活ぶりは知っています。
病気になったことも知っています。
わたしのことはきっと知らないでしょう。
彼は、最初からわたしのことなど知らなかった。
自分の都合のいいところだけを見ていた。

本当に好きな人は手に入らなかったのだと、若いわたしはそれが判っていなかった。
彼女ではなくわたしが、彼に望まれたことに有頂天だった。
愛されているのだと信じて疑わなかった。

時折ぞんざいな言葉を投げつけられても、八つ当たりされても、
そういう性格だからと自分を納得させていた。
子供たちを守る為に、出来る限り代わりに怒られていた。
わたしのことは、大切ではないのだと思い知らされるあの日まで、疑いながらも甘んじていた。


あの日、貴方の隣で熟睡していたわたしを、
世界で一番安全なところに居るのだと信じて疑わなかったわたしに、避妊もせずにしたのは、ただ単にそんな気になったというだけの、それだけの理由だった。抵抗はしたけど敵わなかった。

大当たりを引いてしまったわたし。
産めない、と言ったわたしに、彼は「ごめんね」と言った。
病院を捜して、予約して、一人で行った。
彼は幼子と留守番をしていた。

麻酔が覚めた時、携帯にはたくさんの着信があった。
未だ朦朧とする頭で、彼に電話を掛けた。
「上の子が幼稚園で体調不良になったから今すぐに迎えに行ってくれ。」
まだ動けない、と言ったわたしに、彼は無責任、と言った。

幼子を連れて貴方が行って、と言ったら、
わたしではなく彼が行った理由を正直に話す、と言った。
よく考えればそんなことを言うことなど、自分の体面の為にあるはずないのに、まだ麻酔から覚め切っていないわたしには判断出来なかった。

止める看護師さんを振り切って、ふらつく足でわたしは上の子供を迎えに行った。
熱の有る子供を連れ帰って、力尽きて布団に横たわるわたしに、彼は「ごめんね」と言った。
吐き気と眩暈と出血で朦朧とする中で、もう終わりだと思った。

実際にわたしが別れを告げたのはそれから10年以上経ってからだった。
鬱状態になってこっそり病院で精神安定剤を貰った。
彼がわたしの状態に気付くことはなかった。
健康保険組合の明細に見慣れない病院があることに
彼は気付かなかった。

そう言えばその前から、わたしが持病で毎月病院に行っていることも、彼は知らなかった。

2年かけて鬱を抜け出して、子供たちの学校のことを考えて、
その後の生活の計画を周到にたてて、別れを告げるまでに要した10年。
彼が何も気付かなかった10年。

別れて10年が経ちました。
1度も会っていないけど、彼はどうしているのか、つい心配してしまうわたしは、大馬鹿です。
決してよりを戻したいわけではないのに。

10年も経ったのに、わたしはまだ苦しいです。
わたしはやっぱり、頭がおかしいですか?
誰か、助けて。

No.15848 麦子様…自分を誇りに思う 投稿者:じょううば   投稿日:2022年06月08日 (水) 10時07分

麦子様
十年近く前に、モラハラ暴力夫と離婚した、じょううばと申します。

脱出してからは、十ウン年です。
何とかがんばろうとして、あがいていた結婚生活は呆れる程の年数でした。



あなた様の長年のお苦しみ、忍耐をしみじみと読ませていただきました。

あなた様は、十分に努力し、耐え続け、準備してこられました。
だからこそ、「無事離婚し」というお言葉が出たと思います。
素晴らしいと思います。


そして、お子様の事をよく考えて、愛してきたからこそ

>「お父さん、お母さんが戻ったら、また同じ生活をするの?
>お父さんは嬉しくてもお母さんは辛いままなの?」

上記のような言葉が出る、すばらしいお子様が育ったと思います。

なかなか両親の離婚に際して、こういう言葉は言えるものではありません。
ご両親をよく見て、考え抜いていたあかしだと思います。


私は、モラハラ暴力父だったので、両親の悲惨な生活を見て
心の奥が傷つくばかり、暗く変な方向へいってしまってもおかしくなかった。
おびえるばかりで、反抗できず、父に迎合していました。


あなた様が後悔する事は一点もないと私は感じます。


思い出す事が苦しいですか?
今でも気になる事が苦しいですか?

私も、よく思い出すし、気になります。

それは、記憶喪失にならない限り、どうしようもない。

私は人間だから、情があるから、優しいから、しかたない
と思うようにしています。

相手は「ひとでなし」「ひきょうもの」だった。

私は違う。
私は人間で、温かい思いやりも持っている。
私は精一杯の事をしてきた。
繰り返し、繰り返し、自分に語りかけます。

麦子様、私達はサバイバー、生き抜いてきた。
自分を誇りに思っていいと、私は思います。

また、是非お話しさせてくださいね。


No.15853 温かいお言葉ありがとうございます 投稿者:麦子   投稿日:2022年06月10日 (金) 02時12分

じょううばさん、お返事ありがとうございます。
自分に酔ったような文章でお恥ずかしい限りです。どうにも眠れない日が続いて気持ちの整理にいろいろ書いていますが、どうにもそれでは収まらず、投稿いたしました。

自分に誇りを持つようにというお言葉、嬉しくて涙が出ました。
お察しの通り、わたしはまだ彼に未練があるような自分の気持ちが苦しいです。
わたしのことを後押しして離婚を勧めてくれた子供たちに後ろめたいです。
離婚しようと思いながら踏み切れなかったわたしに、あの言葉を言ってくれた子が「もういいよ。僕たちは大丈夫だから。」と言ってくれて、他の子供たちも全員がそれに頷いてくれて決心がつきました。

まだ今も最低限ではありますが、彼の世話をしてくれている子供への申し訳なさでいっぱいです。子供たちだけを外へ出して、自分だけが残れば良かったと今も思います。それが最悪の選択だということも解っているのに。
子供は同居している訳でも頻繁に世話をしているわけでもありませんが、入院の保証人などをしてくれているようです。

この気持ちが共依存だということは理解しているつもりですが、それで割り切ってしまえるほどの整理はつきかねています。
ずっと役立たず、とかこれも出来ない、あれも出来ないと詰られていたので自分のしていることが大丈夫なのかといつも迷います。

たぶん子供たちが全員自立して、安心したからだとも思います。
無事に離婚と一言で書きましたが、家出した後、弁護士を立てて調停に持ち込みました。
わたしは物凄く臆病なので、転居先を知られないようにするなど思いつける手はすべて打ちました。文章で書くとかっこいいですが、泣いたり迷ったり大変でした。
役所の人、裁判所の人にもすごくお世話になりました。

温かいお言葉、本当にありがとうございます。
相手が義母も含めて卑怯者というのは思います。
それでも、何かもっと良いやり方があったのではないかと考えてしまいます。

思い出すことも、気になることも苦しいです。
でも同じように感じる方がいらっしゃると知ってほっとしました。
ありがとうございます。

No.15855 麦子さま 投稿者:ラッパ水仙   投稿日:2022年06月10日 (金) 06時57分

初めまして、でしょうか。

私が【モラルハラスメント】という言葉を知り、ここを訪れたのは14〜5年前です。
その頃に別居して、弁護士を雇って離婚訴訟を起こしたので記録が残っています。

貴女の覚書は、いつか私がこっそり書いておいたメモのようで
思い当たる感情がたくさんあって、胸が苦しくなりました。

ここでも幾度となく書いていることですが、
私にとって一番辛かったことは、【自分は愛されていない】ことを認めることでした。
夫は私に無関心で、私のことを忘れてしまう。
だから、私が痛くても、辛くても、泣いていても、彼には見えないのです。
極端に言えば【苛める】【言いがかりをつける】【傷つける】自覚もないでしょう、
だって彼には、私が【感情・思考を持つひとりの人間】にも見えていなかったのですから。

ただ、それでも、です。
実は、私は離婚できないまま、別居のままです。
【家族】なので、用があれば連絡しますし、何かあれば協力もしますし、心配もします。

夫は何か【大きな勘違い】をしているように見えますが、彼の考えは(彼にしか)わかりません。
ただ、平和的な距離を保った不思議な関係に問題がないので、そのままにしています。
(もちろん、愛情はありませんが、憎しみもありません)

人と人との関係、って、いろんなカタチがあっていいと思うんです。
貴女にとって【ちょうどいい距離】が見つかれば、気が楽になるかもしれませんね。

もやもやしたら、またここに書いてくださいね。大丈夫、ひとりじゃないです。

No.15874 大変遅くなりました 投稿者:麦子   投稿日:2022年06月30日 (木) 21時10分

ラッパ水仙さま、ありがとうございます

わたしがここに書き込んでいたのは2006年でした
その時のHNは小麦でした(現在使っていらっしゃる方がいらしたので変えました)

>私にとって一番辛かったことは、【自分は愛されていない】ことを認めることでした。

このお言葉がものすごく胸にストンと落ちました
わたしは未だに諦められていないのだなあと思いました

このお言葉をいただいてから、離婚するためにいろいろしていた頃のことが次々に思い出され、その頃書いていた自分のblogを探し出して読みました

今とまったく一緒でした
ちっとも成長していないんだなあ、と笑えてしまいました

生活に必死で横に置いておいただけで、結局はずっと捉われたままなようです

でもなんだかとっても納得しました

これからもきっと、このことで落ち込んだり泣いたりすると思いますが、その時にはまたここへ伺います

ありがとうございました




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