No.11896 嫌われ松子の一生 投稿者:ラッパ水仙 投稿日:2014年05月03日 (土) 00時19分 [返信] |
という映画を観ました。
とても切ない気持ちになり、でも「観なければ良かった」とは思いませんでした。
「人間の価値、っていうのは、 他人にどれだけのことをしてもらったか、ではなくて、 他人にどれだけのことをしてあげられたか、で、決まるんじゃないかと思う」
というような意味の台詞が胸に響きました。
ここを訪れる被害者の皆さんは、 モラルハラスメントの被害者だと気付くまでの長い期間、 「何か変だ」と違和感を持ちながらも、 毎日、何年も、配偶者を愛し、支え、努力と忍耐で尽くしてきた方ばかりです。
私自身、もちろん他人に助けていただいた有難い経験がありますが、 他人に利用されたり、親切にして誤解されたり、苛められたり、侮辱されたり、という (ネガティブな、イヤな思いをした)経験の方が百倍くらい多いのです。
近年は、人付き合いが面倒になって、引きこもりのような状態です。 それでも、無理やりに押し込んできて、私を利用して、嫌がらせをするようなヒマな人がいるんです。
自分のことを「バカがつくほどお人好し」と自己嫌悪してましたが、 この映画を観て、「(私のような)こういう人間がいてもいいよね」と思いました。
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No.11897 ラッパ水仙さんへ 投稿者:存菊堂 投稿日:2014年05月03日 (土) 10時03分 |
こんにちは。お久しぶりです。 別居3ヶ月目に入った存菊堂です。 脱出前は大変お世話になりましたm(_ _)m。 おかげさまで揺り戻しもある中、ラッパ水仙さんに頂いた金言を胸に育んでいます。
>どうかご自分を許し、解放してあげてください。 >貴女自身を取り戻して下さい。
当時の1~2月には「自分を解放して取り戻す」ことが、どんな状態か、解放の方法、取り戻し方がわからず七転八倒していました。(苦笑)今は徐々に良くなっています。ありがとうございます。特にゲート付きの環境は安心感があり、思いのほか回復が早い気がします。
嫌われ松子の一生、5年以上前に見ました。何かショックを受けました。でも後味はわるくありませんでした。最近読了したアドラーの「嫌われる勇気」とも似たメッセージがありますね。私も他者承認ではなく貢献感を大事にしているところです。特にこの3日間はラッパ水仙さんの書かれているような心境になりつつあります。
【父母のこと】 親族に乗っ取りにあって、追い出され生活をマイナスから立て直したモラ父母の口癖があります。父「陥れられたんだから、人を陥れるよりいい。胸を張って生きられる。」母「…お人好しにも程がある。」 モラ父がアルコール中毒になる前の会話です。父は自殺でなく事故だったと思うことにします。その方が辛くないので。
【モラ夫のこと】 交際中の10年は本当によくお世話してくれました。感謝のし過ぎでも幸せでした。結婚後の10年は罵声と奴隷化でしたが、私は頑張って借りを返したと思うことにします。相手が誰でも不器用なりに自分にできる同じことをしただろうと思います。ただ好きと憎しみが相殺されても恐怖心が残ります。
【職場のこと】 躁鬱さんと歩み寄れている気がする…。 ノーも言えるようになった。
もうひまわりのような笑顔で笑うことはありませんが、せめて自分の感情だけでも大事にしながら生きてみようと思います。
> 近年は、人付き合いが面倒になって、引きこもりのような状態です。 >自分のことを「バカがつくほどお人好し」と自己嫌悪してましたが、
私こそ松子かもしれません。 でも、ラッパ水仙さんは嫌われていませんよ。私は大好きです。お会いしたこともないのにすみません。 ただ、好きも嫌いも善悪ではなく自然感情の移ろい行く過渡期の一点に過ぎないと思います。嫌いがあるから好きが生じる。
自然に自分を大事にできる人たちはエスカレートして、人の物まで奪ったり、簡単に蔑むことで優位性を得ようとします。推測ですが、善行の意志を持つ人間の前では、邪な人々は居心地が悪いのだと思うのです。そして、いつまで綺麗事が言えるか試されるのです。だから邪な人々同士はこれこそが人間のあるべき姿と居心地がよく、圧倒的多数なのではないですか?
最近は善意を隠しながら小悪魔気分を楽しんでいます…。そして談笑できるようになりました。でも、ますます屈折しそうです…(T_T)。
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No.11898 追伸 投稿者:存菊堂 投稿日:2014年05月03日 (土) 11時18分 |
ラッパ水仙さん、くどくてすみません。
私には「自我喪失」と言うベースがあるので、超自我(社会規範)・自我(エゴ=理性的コントロール≠エゴイスティック)・イド(欲求)のうち、〔社会規範〕ばかりを守る傾向が強すぎて、弱過ぎる〔欲求〕をうまく出すことができない大きな欠点があります。世の中の人は普通の欲求をもっているだけなのかもしれません。
国民性があるなら「自己主張の国」米国は普通の欲求をもっているラッパ水仙さんにもキツいかもしれません。普通の欲求をもっている日本人が、弱い欲求の私にはキツいのかもしれません。私たちが平均よりも傷つきやすいのでしょうか、ACだから?
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No.11907 存菊堂さんへ 投稿者:ラッパ水仙 投稿日:2014年05月08日 (木) 01時50分 |
お久しぶりです、コメントありがとうございました。 日本はゴールデンウィークだったのですね。
解っていそうで、実はよく解らない自分。 そうですね、私は、自分の欲求が弱いです。物欲もないほうです。 また、お断りするのが下手です。強引な人、しつこい人に弱いです。(負ける)
という話を知人(男性)としていたら、 「ラッパさん、僕に君の裸を見せて。」と言うので、 「何言ってるの、絶対にダメ!」と答えたら、 「そういう風に、他の人にも断ればいいんだよ。」と笑いながら言われました。
「イヤだ!」と即答できる以外のことについて、 頼まれごとだったり、「みんなで集まりましょう」だったり、 あくまでも他者が望んでいることであり、 自分では気が進まない、やりたくない、楽しくないこと、 そういう時、自分の(小さな)「イヤだ」という気持ちよりも、 他者の希望や「お願い」を優先して、聞き入れてしまう癖があります。 ACだからか、モラ夫との生活での習慣化かもしれません。
「親切」と言えば聞こえは良いですが、自己主張が弱いと言うことで、 合理主義のアメリカでは、「よろず承ります、無料サービス」の看板下げて歩いているようなものです。
この知人の例えは極端ですが、(笑) これからは、嫌悪するほどイヤなことでなくても、 気が進まないこと、(助けたくない)他者のお願い事は、きちんと断る勇気を持ちたいです。
ところで、しばらく自宅に引きこもってひとりで映画観たり、掃除したりしていたら、 急に顔が老け込んでしまいました。 おしゃべりしたり、笑ったり、顔の筋肉を使わないといけないようです。
以前、存菊堂さんが紹介していらした邦画は順番にほとんど観ました。 最近観て笑ったのは「テルマエ・ロマエ」でしょうか。
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