No.6619 フラッシュバック 投稿者:バーバラ 投稿日:2011年12月29日 (木) 16時17分 [返信] |
年末のこの寒さで、4年前を思い出して またまた、しんどい。何も手につきません。
涙だけがぼろぼろ流れます。
モラハラ被害者の方は、何を言っても何をやっても 否定される、ケチをつけられる、というあと出しジャンケンに苦しまれたと思います。
返事に窮して、黙っていると、それも責められる。 こういったら、こう攻撃されると頭のなかでシュミレーションしているときに、さらに攻撃されるあの 怖さを皆さんしっていると思いますが、
そのやりとりが頭のなかでぐるぐるしています。
脱出前半年くらいは、娘がモラそっくりになり、 何をいっても通じない、という状況にほとほと 困っていました。心をこめて食事や弁当のしたくをしても、当然という顔までモラと一緒。 そのことを叱ることもできず、、、、
地雷を二つ抱えている感じ。だから、 逃げる決心もついたのですが。つらかったです。
しゃべることが怖くなるのです。でも、沈黙も 許されない。だから、ひとり2階に逃げて、家事をする。すると一階の家事の不備を言われる。
何をやっても何をしゃべっても、ダメ。
怖かった。苦しかった。つらかったです。もう 限界でした。
裁判になり、書面でもそれが続きました。 私がこういうことがつらかった、と書く、すると
「妻は自分の思うとおりにならないといつも不機嫌になり手がつけられなかった」と書かれる。
娘に「この本おもしろかったよ~」と話しをしたことが娘の陳述書には、「母親は、本の好みを私に押しつけた」と書かれる。私は、彼女が図書館で借りる本にも本屋で買う本にも一度も意見したことは ありません。
娘の陳述書にモラ夫の陳述書の変奏曲でした。
私の人柄と育児に関して、友人たち7人が 弁護士の先生に会って、それぞれが私も覚えていないエピソードを語って証言してくれました。
私も自分が異常でないことを弁護士の先生に理解 してもらう必要がありました。友人たちに窮状を 訴え、ただ、覚えている私のことを話して、、と 頼みました。
友人たちの話をひととおり聴いたあとに
弁護士の先生が「エラーには原因があるのです。 モラハラの典型です。」
幸い、私は、洗脳が深かったので、暴力で応戦したり泣きわめいたり、もしなくて、失語症のように なっていったので、裁判で責められる失点は少なかったと思いますが、それでも、酷かった。
娘にお風呂掃除の手伝いをさせたこと、バス亭に着く時間の連絡をしなさいと行ったこと(寒いとき、バス亭に10分も待たされたことがある、、と書いてありました。私は、バス亭で30分待つのはしょっちゅうだったのに、、、)リビングのテーブルで勉強している娘に食事の支度をするようにいったことまで、まるで虐待をしたかのように書かれました。
娘の陳述書を何人もの友人に読んでもらいました。 えっ~、これがおかしいって言われたら、うちなんか超虐待ってことになるよ。これどこのうちでもある当たり前のしつけでしょう。それにどちらかというと、むしろ過保護だよ~。」ようやく自尊心の欠片を取り戻しせたのは友人たちのおかげです。
意見書を書いてくれた精神科のドクターも 「この娘さんの陳述書はおかしい、裁判官もこのおかしさはわかるはず」といいました。
でも、、、、成人している娘が 「自分の意志で書いた」と書き始めているので。
管理人さんの書いた「母を棄ててもいいですか?」 を読んで私は、母親としての自分をもういちど よく振り返りました。でも、私は、何一つ、この本に書かれれていることの一つもやってない。
私が誠意と愛情からしていることを全部否定される。
私は、消えるしかなかった。父娘でまるで恋人の ようでした。
私は、死ねばいいのね、 何度も思いました。娘が高校を出るまでは家事ロボットとしてやっていこう。そこまで頑張ろう、
そこで出会ったことばが モラルハラスメントでした。
はらりと謎がとけた瞬間でした。
でも、謎が解けたら、ショックで、喘息になり SOSもできなくなった。ステロイドの点滴に通い、 眠ることもできず、ただ、息をするだけ、トイレに いくことだけでやっとでした。
それが、2007年の10月~11月です。
喘息がすこしよくなり、外にようやくSOSが出せた。 それが12月でした。寒さの厳しい地方都市でした。雪がふり、凍結すると車もだせなくなります。 電話とメールだけでSOSを出していました。 こわかった。
4年たったもあのときの毛の逆立つような恐怖が 消えません。20年一緒に暮らした家族が豹変した ことをつきつけられることが続きました。
モラは実家の両親に、私の過去のメールをすべてみせ、私の親友達に、「バーバラがおかしくなった。 ついてはしかるべき病院に入院させたい。今かかている病院は藪医者だ。知恵をかしてほしい」という内容のメールでした。藪医者だといわれた医師が 私がDV被害者だと見抜いて、助けてくれたのに、 あべこべに、自分が被害者だといわんばかり。
親友のひとりが見抜いて、そのメールを転送してくれたのが4年前の今日です。
ああ、これこそがモラルハラスメントなんだ、、、 ざわざわとした恐怖で、薬を飲んでも動悸とふるえがとまらず、、、
この年末、私が味わったのを同じ恐怖と混乱のなかにいる人がいるでしょうか。どうか、このサイトに たどりつけますように。
ごめんなさい。書くことでかろうじて、自分をたもっています。
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No.6620 大丈夫ですか。 投稿者:ラッパ水仙 投稿日:2011年12月30日 (金) 04時19分 |
いや、愚問ですね、大丈夫じゃないですよね。
本来ならば、家族揃って、大切な人と過ごす年末。 11月の感謝祭、12月のクリスマス、そして新年。 そこに、暗い思い出、辛い記憶が付き纏うのは、本当に苦しいと思います。
私も、「モラルハラスメント」という言葉に出会うまで、 洗脳されて、麻痺していて、「自分がおかしいのかしら」と思っていました。
自分らしさも、自分の時間も、自分の人生までも犠牲にして、 奴隷のように夫に尽くしていたのに。
管理人さんの本にあるように、 何かすれば、「何故やったのだ」 しなければ、「何故しなかったのだ」 どうすればいいのか相談すれば、「そんなことを聞かなければわからないのか」 で、
常に批判され、否定され、非難され、褒められることなどなかったです。
日常的に苛められていたのに、 誕生日、結婚記念日、祭日、クリスマスなどの年間行事に起きた事件は、 特に印象が強くて、今でも涙が出ます。
それなのに、当人には記憶なし。 加害者の意識も全くなく、逆に私を「狂人」扱いです。
自分の愚痴になりますが・・・。
アメリカでは、感謝祭~クリスマス~新年、の時期には、 誰もが人恋しくなり、一緒に過ごす相手を探します。 また、夫婦や恋人同士が、自分達の関係を見つめ直す時期でもあります。
モラ夫は、(無理やりに離婚訴訟を取り下げさせておいて) 「家庭円満の単身赴任者」を演じているので、その時期に休暇を取ってねじ込んできます。
昨日やっと帰りましたが、私は心身ともにボロボロに疲れています。
去年、子供と一緒に「ホテルに泊まって欲しい」と説得してもダメで、 逆ギレされて泣いたので、それからは彼の好き放題。
断りきれなくて、夫の職場のパーティーにも連れて行かれました。 怖くて、言いなりになっている自分が情けないです。
今日から、また自分らしさを取り戻すために頑張ります。
バーバラさんの心に平安が訪れますように。 よいお年をお迎えください。
いつも応援しています。
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No.6621 バーバラさんへ 投稿者:せき 投稿日:2011年12月30日 (金) 10時56分 |
おはようございます、せきです。
最近30代後半にして早くも更年期の症状が出てきて夜も早々と電池が切れたように寝てしまうので ROM専門でした。
バーバラさんの記事が載った毎日新聞の記事も ネットで見ました。
ここ何日かのバーバラさんの書き込みを拝見して いろいろ振り返っています。
私も脱出前のこの時期はサービス業でしたので 家族でクリスマスや正月を祝うこともなく (元々モラなのでそんな行事とは無縁でしたが) たとえ何かイベントがあったとしても 娘とモラだけで楽しんで私は蚊帳の外でした。
今振り返って思うことは 私は恐らく自殺とか相手に何かするとか そういうことはなかったと思いますが 以前にも書きましたがこのような生活を しているといつか娘が夫を殺してしまうんではないかといつも思っていたなぁということです。
私はだいぶ回復しましたが (とはいえ先日レジリエンスの講座でフラッシュバックしていしまいました) 娘はいまだに父親を嫌っています。
でもいずれ思春期になったときもっと取り返しのつかないことになっていたのではと娘の発言を聞くたびに思います。
戸籍の変更をするときに役場の人が申し訳なさそうに(虐待を受けたとご存知だったので) 「この父親であるということは現在の日本では 変えられない事実です、すいません」 と言われました。
今は何もないですがいつか何か問題が降りかかるんではないかとびくびくしています。
>私は、消えるしかなかった。父娘でまるで恋人の ようでした。
私は、死ねばいいのね、 何度も思いました。娘が高校を出るまでは家事ロボットとしてやっていこう。そこまで頑張ろう、
そこで出会ったことばが モラルハラスメントでした。
これは私がモラに毎日言われていた言葉です
「俺と娘は恋人どうし」 「お前は嫉妬しているだろう」 「お前は妻として母親としてだけの役目を考えて 行けばいいんだ」 「嫌なら出て行け」
離婚を決意した夜に狂ったようにネットでいろんなことを調べだしてたまたま出会った言葉がモラルハラスメントでした。
ほんとに暗闇に光が指したようでした。
これで離婚できる あのときの気持ちはいまでも覚えています。
私は離婚が成立するまでの年明けから二月までが 一番苦しかったように思います。
やっと来た離婚届を持っていったら嫌がらせのように不受理届けを出されていました。
いつまで経ってもされたことは消えませんが 今後何もされないように防御しつづけることは 一生終わらないかもしれませんが 少しずつ前進していこうかなと思っています。
バーバラさんもどうかお体だけは大切にしてください。
いつかバーバラさんに逢える日を思い浮かべて います。
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No.6622 バーバラさんへ 投稿者:じゃすみん 投稿日:2012年01月02日 (月) 02時58分 |
バーバラさん
私はモラそっくりの娘と暮らす日々に、結構絶望感を感じています。 私の夫はバーバラさんの元夫さんほど頭が切れないので (打算からか仕方なく)長女は私を選んで付いて来ましたが、 毎週繰り返す、私を非難する言葉やメール、閉じこもり、食事拒否、家出には 「お父さんそっくり」「お父さんのところに行けばいい」と言ってしまいます。
今はもう、長女が私をどう思おうが、自分で自分を幸せだと思えるなら 好きなようにしたらいいと思っています。いつか見捨ててしまうかもしれません。 私に比べたら、バーバラさんは最後まで娘さんに精一杯のことをしてこられました。 そんなご自分を誇りに思って下さい。
バーバラさんにとって今年が、昨年よりも過ごしやすい日々となりますように。
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No.6623 バーバラさん 投稿者:COCOA 投稿日:2012年01月04日 (水) 13時46分 |
バーバラさん。 こんにちわ。
バーバラさんの苦しそうな様子を知り、この気持ち解る!・・・と感じながらも・・・過去最高の多忙な年末年始を送り疲れ果てておりました。 まず、言い訳から入ってしまった新年ですが・・・(・・;) 昨晩、10時間眠ったCOCOA復活いたしました。 正確には、泣いて、疲れて、眠ったですが・・・
信じて、愛して一緒になった夫。 無条件に愛せるかけがえのない我が子。
伝わらない気持ち・・・ 愛する気持ち・・・ 哀しみ、苦しみ・・・ 訪れた喪失感・・・ 自分の無力感・・・ 私の存在・・・
フラッシュバック 私の恐怖は脱出前の夫の態度です。 「無視」 もう、9年前になる夫からの身体的暴力より、2年前になろうとしている夫の「無視」が一番悲しいのです。
時間が経ち、子供達が少しずつ夫に子供として近づき、言葉を交わす。長男、次男、次女・・・ 泣いている夫がいる。 次女に電話し、「元気になって良かったな。」と泣いたという夫。 「父親だからね・・・」という子供達の話声・・・
最初は良かったと思っていた。 ところが、心のザワザワが・・・・
私にはない。 私にはこの夫からの優しい言葉などない。 私は何だったのか?
裁判での夫の冷ややかな言葉や嘲笑・・・
そう思った時、全てがフラッシュバックし、泣けてきました。次女の前なに・・・嗚咽して泣いてしまいました。
そして、バーバラさんの気持ちのほんの少しかも知れないけれど・・・苦しさ、悲しみが解る気がしました。 だから、お返事してみました。
辛い思い出は次第に風化していけるのか・・・ 楽しい出来事が例えいくつか起こっても・・・ ずっと抱えていくとしても・・・ 戦争や不慮の事故、病気・・・ この世の中のあらゆる不幸に共通するのは「喪失感」なのかと・・・
しかし、その中で、今の自分を支えてくれているのは新しい出会いです。 このパブで出逢えたバーバラさん・・・* そして、皆さん・・・* 大切な大切な人達です。
あらためまして、 新年、明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします・・・(^^)♡♡♡
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No.6626 ありがとうございました! 投稿者:バーバラ 投稿日:2012年01月05日 (木) 15時36分 |
皆様、あけましておめでとうございます。
メッセージをいただいた >ラッパ水仙さん >せきさん >じゃすみんさん >COCOAさん
本当にありがとうございました。 何度も読み返しては、ひとりではないのだと 自分に言い聞かせていました。
自分なりに、大晦日あたりから、ひとりっきりに ならないように、注意して過ごしましたが、 正直、家族というものが私には、信じられないので、 本当にしんどい、年末年始でした。
つらくて、ただ薬を飲んで横になりとろとろと 寝て過ごしたりもしました。こういう眠りは 夢見がつらいのですが、、
やっと世の中が動き出して、少し楽になって きました。
忘れようと思っても、忘れられない2008年の正月です。夫はDV加害者だし、あきらめもつきましたが、 娘と仲のよかった義妹のしうち、義理の父からの暴力からいつもかばってきた義理の母親のしうちは、人間への信頼を根底から覆すようなショックでした。
あのとき、私は、喘息とうつで最悪の体調でしたから、あのしうちは間接的に殺人にも等しいと今でも 思います。
モラハラを受けて自殺する人の気持ちが私には よくわかります。出口がない、自分の人生の意味や価値を信じられなくなる、、、人を信じられなくなる、、
だから、生き抜くことが抵抗です。
自分の被害や裁判の状況については、 取材も受けます。
被害者の人たちと被害のダメージの深刻さと加害者の巧妙な暴力について体験談の ようなもの、、、当時者研究のようなものが だせたらと思います。
12月29日に書き込んだときの精神状態より は 今日のようがましなような気がします。
私の場合は、カウンセラーにもドクターにも 「状況が状況だっただけに心の傷も深く、 回復はあせらないように、、」と言われて いるので、、、
ぼちぼちと思っています。
でも、裁判が終わって1年、経済状況は きびしいながらも、法廷での相手からの 攻撃がなくなった分はおちつきをとりもどせる ようになりました。
今年もよろしくお願いいたします。
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