No.6524 新刊ラジオで特集 投稿者:大ママ 投稿日:2011年12月13日 (火) 00時31分 [返信] |
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No.6541 ラジオ聴きました。本も読みました。 投稿者:バーバラ 投稿日:2011年12月20日 (火) 14時28分 |
「母を棄てていいですか?」読みました。
読んだら、
「棄てていいんじゃないですか。」と即 答えたくなる、醜悪な女達のオンパレードですね。
子どもの心に想像力のない、子どもを所有物の ように扱う姿に、夢も希望もなくなるというか。
それと、この本を読んで感じたのは、著者 熊谷さんのすさまじいまでのミゾジニー(女性嫌悪)なんです。
背後にある、ろくでもない夫たち つまり、子どもの父親としてもまってく子どもを 守れていない男たちが免罪されているように見えるのですが。
それは熊谷さんご自身の父親への親和性と関係 しますか。
女達が、なぜ、このような醜悪な母親となって 子どもにとって、愛すべき母とならないか、ということは、けっこう深い問題だと思うのです。
かつて、貧困のために娘を女郎屋に売る親たちは たくさんいました。家族というものの歴史をみると、子どもというのは、愛情を注ぐばかりの存在でなく、親にとっては動産でもある、というのは、 歴史的事実としてありますよね。
母親として、子どもに承認され、愛されるために はスキルと演技もいると思います。 (ナナエさん母子の場合は、スキルがあったら 違ったと思います。)
醜悪な母を作ってきた背景にある男、文化、社会 についての広がりがなく、ただ、醜悪な母親たちの 羅列になっているので、、、
それで、感想をすぐに書き込めませんでした。
大ママさん、ご自分の母親のことの具体的事実を 書かなかったのですね。それが読みたかった。 伝聞と事実は違うので。
母親と娘を分断すれば、暴力をふるう男達や 女性がとことん差別されている現状に向けるべき 矛先がぶれるような気がしてそれも
やりきれない感じがしました。
ただ、子どもを愛さない、子どもにとっては とても愛せない母親がこんなにいるという ことを告発した意味は大きいと思います。
それをモラハラとするか、虐待と定義するかが また大きいことです。私は、”虐待”か”AC” という言葉を使いたいと思います。
そうすれば、虐待をした親を棄てることは 罪悪感が減るはずなので。
モラハラという言葉は、被害者の気づきのために あるのだとすれば、モラハラ母という言葉も 過渡期の言葉としてはいいと思いますが、 私は、はやりモラハラということばは、夫から 受ける精神的暴力に対して広まることをのぞみます。
より、危険で、精神の破壊や命の危機は配偶者や恋人によるモラハラ(精神的暴力)だと思うので。
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No.6545 私が本を書いた意味 投稿者:大ママ 投稿日:2011年12月20日 (火) 23時27分 |
私は母から嫌われていた一女性でしかありません。 私は精神科医でも、カウンセラーでも社会学者でもありません。 私には専門家が書くような本は書けません。社会的分析や歴史的考察は書けません。 書けるのはこういう気持ちを持ったまま大人になった人たちがいると世の中に訴える事だけです。
佐野洋子さん、中山千夏さんはご自分の母親についての体験を書かれた。それと同じことをしただけです。
私の父は私に「悪かった」と頭を下げました。「オレが全部悪かった」と言って涙を流しました。だから許せます。母はまだそれをしていません。許すもなにも謝罪がないのに許せるわけがありません。
それからこの本には男性が登場しないこと、私のことが出てこないのは出版社の意向によります。かなりかなり編集でカットされました。出版は私ひとりではできないのです。 出版は著者と編集者と出版社で作る物です。私は大御所ではないので、何でもかんでも好きなようにはできないのです。 ご理解下さい。
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No.6546 それから 投稿者:大ママ 投稿日:2011年12月20日 (火) 23時40分 |
信田さよ子さんは講演の中で「男女間のモラハラはないが(おそらく精神的DVはあるがと仰りたいのではないかと思いますが)、親子間はあると思う」と仰ってました。 私は両方あると思っています。 醜悪な男もいれば醜悪な女もいます。性別で分けられません。女が醜悪になったのは全部歴史的背景や社会構造に問題があると仰りたいのかもしれませんが、同じ境遇にあっても醜悪にならない女性もいます。何の学もない私の言うことなんか説得力がないかもしれませんが。
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No.6547 醜悪な母達の記録 投稿者:バーバラ 投稿日:2011年12月21日 (水) 00時25分 |
大ママさん
事情も知らずに好き勝手なことをいいました。
相当、出版社に手を入れられたのですね。 私も新聞に投書したとき、原型がわからないくらい 手を入れられたのを思い出しました。
醜悪な母達の姿が知られ、そういう親を棄てることに 罪悪感をもたずに、自分を大切にしていいよ、 というメッセージを届けたかったのですね。
父上の謝罪が本物であったと信じることが できたのは、うらやましい気持ちです。
モラ夫の謝罪は、いつもその場かぎりでさらなる モラハラが待っていたので。
大ママさんの意図をくみ、またこの本の社会に与える効果を考え、アマゾンにも書き込みたいと思います。
このように3冊目の著書を講談社という大きな出版社から出された功績は大きいと思います。
震災のあと、家族神話、絆神話が不気味なほどに強化されたように感じます。しかし、現実はかなり悲惨なものではないかと考えています。
母親といっても醜悪な女達がいる、一石を投じた意味を考えようと思います。
失礼しました。
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