そういえば付き合い始める前にこんなことを言われた。
「わに子ちゃんは、僕にはない温かいものを持っている」と。
その時は「そんなことないよお。モラくんのほうが温かいよ。」 と本気で思った私であったが、今考えると悪寒がする。 悪寒がするだけじゃなく、そこにはモラの本質が表れているような気がする。
そう!このときからモラは、普通の人間は当たり前のように持っているのに 自分は手に入れることのできない「心」というものを、 私から盗んでやろうと狙っていたに違いない。
このことに気づいてから、 「どうして私はモラハラ被害にあったのだろう???」と 思い悩むことがなくなった。
見つけた答えは簡単。 「私が『心』を持っていたから。」 私は特別慈悲深い人間でもなく、情の深い人間でもない。 どちらかというと物事を合理的に考える方だと思う。 でも普通の人が持っているような「心」は持っているつもりだ。 だからこそ、モラにも普通の「心」を求めようとして不毛な努力を繰り返してきた。
確かに私の場合、たいした苦労もせずに生きてきて、 人の本質を見抜く力が足りなかったことも事実だ。 だけど、どんなに注意深くしていても外を歩けば交通事故に遭う可能性があるように、 「心」を持って生きていれば誰だってモラハラ被害に遭ってしまう可能性が あるのではないだろうか。
こんなことを考えるようになったのは、モラハラ被害に遭ったことを 「交通事故に遭ったようなものですよ。」と最近ある人に言われてからである。 交通事故被害もモラハラ被害も最悪の場合、命を落としてしまう。 母にこのことを話したところ、「死ななくてよかった。」と言われた。 全くその通りだ!
後遺症は残っているものの死なずに済んだラッキーな私は、 これから先の人生、どうすれば2度とモラハラ被害に遭わずに生きられるか? 「心」を持って生きている限りまた被害に遭う可能性は0にはならないと思う。
しかし、 「心」を持たないモラはまた誰かの「心」を盗もうとするだろうが、 「心」は盗んで手に入れられるものではない。 反対に「心」を持っている普通の人は「心」を狙われないか心配だが、 私の「心」は私から離れることはないのだ。
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