すごく話題に遅れてますが・・・少し長文ですみません。
少し前に夫婦版でバーバラさんが紹介してくださった絵本「パパと怒り鬼」、すぐに取り寄せて読んだのですが、 一度だけ絵を眺め、言葉をたどっただけで、何だか胸にいっぱいつまってしまって
可愛いボイ、けれど一見幸せそうに見える家の中を描いた最初のページから、不自然にトンカチが置かれているのです。次のページにはスパナが。 大きな父親、怒り、荒れ狂う炎、・・・そして深い後悔。 ボイの痛みは王様に伝わり、父親もまた壊れた自分を修繕するために王様に助けを乞います。
この絵本に出てくるのは、モラハラというよりも主に物理的な暴力・DVのようです。 それは「怒り鬼」ですが、怒り鬼は父親そのものではなく、父親の中に存在する暴力性です。その怒り鬼や気むずかし屋の鬼、ちっぽけな自分と向き合うことで、父親が自分を取り戻していく様子が、ボイの言葉で書かれています。
様々な意見があるかと思いますが、このような絵本が作られたこと、日本で翻訳出版されたことに、私は敬意を表します。 家庭内に暴力という問題が内在されていること、それは普通ではないこと、家庭の外に助けを求めてよいこと、、、、 そういうことを子供たちが知っていることは、大事なことなのではないでしょうか
松谷みよ子さんの絵本「わたしのいもうと」を読んだ時の驚きと感動に、少し似ていたかもしれません。が、「わたしのいもうと」が最後まで救いの見えない悲しみに満たされている(救いは読んだ人の心の中の変化から立ち上がるのでしょう)のに対し、この絵本はずっと子供寄りの視点に立ち(ボイの一人称)、ファンタジーを描くように詩的な言葉で、人間に対する希望を失わないように描かれています。
ただ、自分が子供たちにこの本を読んでやれたかと考えると・・・、気分的に少し難しかったかもしれないと思いました。私の子供たちは読み聞かせをする年齢はとうに超えてしまいましたけれど。 図書館や児童館、幼稚園や保育園、学校などで、家庭外の第三者が取り上げてくれると、よいかもしれないと思いました。。
余談ですが、久しぶりに絵本を手に取り、ページをめくったことで、昔を思い出しました。
私は絵本が好きでしたので、上の娘が歩き出すよりも早く、絵本はいつも私たちの傍らにありました。 九州のある本屋さんが選本した絵本を毎月2冊ずつ届けてもらい、毎晩寝る前に子供たちに好きな絵本を持ってこさせて、好きなだけ読み聞かせていました。残業などで子供たちが寝る時間に傍らにいられないとき以外は、一日も欠かさず、子供たちが小学校高学年になって、「もういいよ」と言うまで続けました。モラ夫は全く無関心でしたが。
それはなんて幸せな時間だったでしょうか。いい加減な母親の私ですが、ただ絵本を読む、それだけは子供に対して続けられたと言える唯一のことです。子供に関しては、今もこのことが、私の心の支えです。
育児の真っ最中にあるお母さん達が、短い時間でも、お子さんとの幸せなひとときを持つことができますようにと。祈っております。それは絵本でも、何かほかのことでも お母さんやお子さんの好きなことができたらいいですね。。
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